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  思春期の犠牲者達に捧ぐ

 

     一

 

  意識……意識とは一体、何なのだろうか……それは、種々の感情や意志や記憶を詰め込まれた目に見えぬ箱だろうか……それとも、脳の中に物質として現存する一つの身体器官だろうか……もしくは、ただ便宜的に要請されただけの空虚な観念に過ぎないのだろうか……分からない……それは分からない……それは分からないが……しかし、一つだけはっきりと明確に、間違いなく断言出来るある一つの事実がある……それは……意識とは、病気だという事……意識とは、病気であり、障害であり、寄生虫であり、悪霊であり、怪物であり、地獄であるという事……意識とは、我々の自由意志を超越した、絶対的な、圧倒的な、脅威的な存在、言わば神であるという事……我々はただ意識という悪魔に振り回され、操作され、生かされ、殺されるに過ぎないという事……意識という支配者を前にしてはどんな科学を以てしても太刀打ち不可能であるという事……。

 

意識……このあまりに恐ろしい、無慈悲な、冷酷な、謎めいた、不可解な存在、意識……僕はこの意識という奴によって、これまで何度地獄を見せられ、絶望に駆られ、生死をさまよってきた事だろう……。

 

僕は今、語らなければならない……病的な現代が生み出した意識という障害を患い、苦しめられ、闘い、知り尽くした第一人者として、僕は今こそ意識という病の持つ恐ろしさを、その正体を、世の人々に向けて訴えていかなければならない……そう、言葉遊びのような不毛で空虚な机上の哲学より、現実の何気ない生活の中で味わう強烈且つ実際的な体験の方が、如何に充実し、誠実で、説得力に満ちている事か……戦場の外で傍観しながら悠々と戦争を研究するより、戦場の中で凄惨な光景を前にしながら生き抜いていく方が、どれだけ戦争の恐ろしさを理解出来る事か……僕は今、語らなくてはならない……。

 

 

 

意識……その病魔が最も強烈に発症する時期は、主に中学や高校などの思春期に当たる頃だと思われる……僕の場合もちょうど僕が高校に通っていた三年間と一致していたし、それは何も理由の無い事では無く、意識が引き起こす症状の一つは、学校という閉鎖された空間のシステムや構造との関連性が強く、また思春期に見られる特有の精神状態と非常に密接な関係にあるのだ(もっとも、僕に言わせれば、思春期という状態それ自体が既に病気であり、一つの異常に他ならないのだが)……意識は病である、と言ったけども、厳密に言えば意識そのものが病気だと言ってる訳ではなく、要は意識の程度、意識の量、意識の強さが問題なのだ……意識の病、それはつまり、一言でいえば、意識が過剰だという事……過剰な意識こそ、正真正銘の病なのである……しかし、意識が過剰になるというのは、思春期であれば多くの人間が体験する事だし、特別変わった精神状態ではないと思われるけども、もしもそれが、単なる「過剰」という表現では済まされない程の、常軌を逸したレベルであったらどうだろう……その時はもはや、人間の精神的成長過程における一通過儀礼などという楽観的な見方は出来なくなり、歴とした一つの精神疾患、人格障害として認識されるのでないだろうか……例えば、僕の場合、思春期を生きる一般人が備える意識の強度を百だとすると、ざっと考えてみても千は優に超えていた……僕ほどに強大な、多量な、激烈な意識の持ち主は世界中を探してみても他にいないと断言出来るのだ……。

 

僕が意識の病を明確に意識するようになったのは高校に進学した直後の事だったが、しかしその病の徴候に関して言えば中学時代からして既に暗々裏に進行していたのだ……およそ意識という概念が漠然と意識され出すのは、他者という存在を意識する事である……いや、厳密に言えば、意識への意識は、他者の意識を意識する事が契機となる……意識への意識は、他者の意識への意識を意識する事であり、他者の意識を介する事によって己の意識と向き合う事になるのだ……些か迂遠的な言い回しをしてしまったが、はっきりと言おう、僕がまず初めに煩わされた意識の形態、それはつまり、他者の視線、他者の眼差し、他者の自分に対する意識への意識……即ち、その意識の正体、それは、「自意識」……。

 


 

     二

 

 その病の原点を探るには、高校に進学する数ヶ月前、僕がまだ中学三年生だった頃まで遡らなきゃいけない……些か野暮な話をしなくてはならないが、僕はその頃、ある同級生の女の子に好意を抱いていた、と言っても、僕は彼女に対して話し掛けたり、お近づきになろうとしたり、告白を考えたりなどは全くなく(そのような実行力、現実力の欠如は、正に僕の意識の強さに関係していた)、ただ彼女の事を教室の隅っこでひっそりと見詰めているだけで僕は満足だった……彼女と親密になれたところで、一体この僕に何が出来よう……! 二人きりになったところで僕は彼女に対しどう振る舞えば良いか分からないだろうし、こんな片田舎では行動に多くの制約が生まれ何をする事も出来ないだろうし、二人でいる場面を他人に目撃されるのは御免だし、そんな情けない姿を晒しギクシャクした微妙な関係になるのならただじっと陰で見守ってた方が得策である……少なくとも僕の日常生活において恋愛というものは実用的なものでなく空想的な遊びでしかなく、積極的になるのが現実的に考えて良い選択だとは思えなかった……。

 

この時点では、意識と意識の関係において僕は明らかに「見る側の人間」だった……僕は誰の視線、誰の意識を意識する必要もなくただただ一方通行で彼女へひっそりと意識を向けていればそれで良かった……彼女は僕の好意など気づく余地はなかったし、第三者もまた然りだった……そう、彼女のある変化に気づくまでは……。

 

 ある日から、僕は彼女と度々視線がぶつかるようになった……僕はもしや彼女への僕の好意がばれてしまったのではと些かドギマギするような気持ちになった……そうして僕は彼女への直接的な視線を自粛する事を余儀なくされ、ただ視界の隅っこでこっそりと彼女の存在を漠然と捉えるくらいしか出来なくなった……しかし、それでも彼女の明らかな僕への注視は幾度となく感じられ、そうしてまた彼女は僕がそばにいると妙に声が大きくなったり、変に慌て出したり、恥じらいの表情を浮かべる事があった……まさか、そんな訳がない、僕は今まで女子から好意を頂いた事など一度もないのだから……しかし、ある時から彼女と仲の良いとある男子が僕に対ししきりに彼女と関連させて恋愛の話を持ち掛けてくるようになり、それにより僕は確信するに至った……彼女が僕を恋愛対象として見ているという事を……。

 

それだけではなかった、なぜだか僕はその頃よりクラスメートから格好良いというお褒めの言葉を耳にする機会が多くなった、そうして彼女だけでなく他の女子からの視線を感じ取るようにもなった、それにより僕はその頃から少しずつ、「自分は見られているのだ」、という一つの自戒の念の如き感覚を抱くようになったのだった……。

 

しかし、逆に僕の中で例の彼女の存在に対する魅力の感覚が少しずつ失われていくのを感じていた……ざっくばらんな言い方をすれば、僕は彼女の存在、彼女の魅力に、飽きてしまったのだ……ここで僕と彼女との意識の関係に逆転が生じた……彼女をずっと陰で意識していた僕が、今度は彼女から意識される側の人間へと成り下がってしまっていた……もはや僕は僕からの熱意という形で積極的に彼女を意識する事がなくなり、ただ彼女の視線を感じ取るという形で後発的に彼女へと意識が向けられるようになった……僕がこれまで他人を意識する時は何を介する事なく僕の意識から自発的に他人を意識していたけども、その頃から僕は己の自由な意志によって自然的且つ能動的に意識を他人に向けるのでなく、他人が僕に向ける意識を意識するという形で半ば強制的且つ受動的に他人を意識するようになった……僕は見る側の人間から見られる側の人間へと失脚した……僕は「人から見られる」という事を学んだ……つまり、自意識を発見したのだ……。

 

それ以来、僕は彼女の存在をこれまでとは逆の形で意識せざるを得なくなった……教室で、或いは廊下で、或いはグラウンドで、或いは通学路で、彼女の存在を察知した瞬間に僕の意識は彼女の意識に取り込まれ、身体のスイッチが咄嗟に切り替わり、緊張や不安の感情に支配され、普段通りに振る舞う事が出来なくなっていた……彼女の視線を感じ取る度に僕の身体は震え、或いは硬直し、僕の目線はふわふわと宙をさまようのだった……それと同時に僕はとにかく格好つける事に取り憑かれ始めた……彼女の熱心な視線を前に、僕は情けない姿を、恥ずかしい振る舞いを晒すのを恐れ、どんな場面でも常にクールな装いをするのに尽力していた……次第に僕は彼女が僕に視線を向ける度に苦痛を感じるようになり、そうして僕は彼女に対する愛情と共に彼女に対する憎しみや鬱陶しさ、煩わしさを感じるようになった……。

 

とは言いつつも、僕は彼女に対する異性愛的感情を完全に喪失した訳ではないし、彼女も僕の事を好いているのだから、これは立派な両想いと言っても問題ないはずなのだが、それでも僕は彼女への積極的なアプローチを掛ける気にはなれなかった、いいや、それどころか僕は彼女の僕に対するアプローチを恐れる気さえあった……僕は二人の関係に妙な繋がりが生まれるのを案じた、それも結局は僕の自意識の強さに起因していた、万が一僕の勘違いであったら? 或いは承諾してもらったところで一体何をどうすれば良いのか? もしくは彼女が僕に想いを告げてきたら? 僕は一体どんな反応を見せればいいんだろう、どうすれば格好つくのだろう、どうすれば学校生活に支障を来たさないでいれるのだろう、二人の事が他のクラスメートに知れ渡ったら? 僕は間違いなく彼らの視線、彼らの噂、彼らの意識に耐えられず押しつぶされてしまうだろう……僕は半ば彼女の存在を避けるような形で学校生活を営むようになった……。

 結局、僕と彼女との間には何の関係も進展も持たぬまま卒業し、それ以来顔を合わせる事もなくなった……これが僕の人生における明瞭たる自意識との出会い、自意識の発掘だった……。


 

 

     三

 

 

僕の自意識はここまでは特別過剰なものとは言えなかった、確かにその時点で既に僕は些か人目を気にしすぎなとこはあったけども、生活に支障を来たすほどの病的レベルとは遠く、自分自身その事に深く悩まされる事もなかった……意識の病に本格的に取り憑かれ、意識という存在を強く意識するようになったのは、中学を卒業し、高校に進学した、その直後の事だった……。

 

その症状は、一言でいえば、「いつ如何なる時も他人から見られている」、と感ずる病だった……。

 

 

 

高校に入学して初めてのホームルーム、僕は自分の席に座った状態で、教室という閉鎖された空間の中、初対面の担任の教師を前にして、見知らぬ幾十人もの生徒との間で、全くというほど身動きを取る事が出来なかったのだった……動かそうと思っても、動かせない……声を出そうと思っても、声が出ない……僕は授業中に返事をする事も手を挙げる事もろくに出来なかった……僕は教室の中、休み時間になっても一切身体を動かす事が出来ず、ただただ下を向いたままじっとし、昼食の時間になっても鞄の中からお弁当を取り出してものを口に運ぶ事が出来ず、トイレに行こうと席から立ち上がって教室を出る事も出来ず、ただ何もせずに丸まったまま、まるで石像の如く硬直してしまっていたのだった……。

 

何が僕をそうさせたのか、答えは簡単だった、僕の体の自由を奪ったもの、それは……「他者の視線」……教室一杯に詰め込まれた、クラスメート達の視線だった……彼らが教室一杯に四方八方へと放ち複雑に絡み合った無数の意識が僕を束縛した……僕はまるでクラス中の全ての視線が僕に注がれているかのように感じ取っていた……。

 

僕は教室の中で自分の取るあらゆる挙動、あらゆる所作、あらゆる表情、あらゆる動作、あらゆる行動に対し、頭のてっぺんからつま先まで、全身の細部にわたって執拗なる注意を払い、一挙手一投足に全神経を集中させていた……まるで教室という名の監獄に何頭もの猛獣と閉じ込められ、全方位を取り囲まれてじっと睨み付けられているかのようだった……少しでも身体を動かせば無数の猛獣達が一気に襲い掛かり僕の身体を無茶苦茶に噛みちぎるだろう……地獄のだるまさんが転んだ……僕は視線という拳銃を周囲から突き付けられているような極限状況の中で過ごしていた……。

 

例えば……例えば、通常の自意識を持った人間であれば、ただ机の横に掛かっている鞄の中から教科書を取り出す事くらい何ともない事だろう、一々そのような行動を取る際に何の注意も疑念もなく、ほとんど意識の表面を滑るように、記憶の中に取り込まれない程にささっと遂行するはずだ……しかし、僕は違った、僕はその様なほんの些細な動作を行う際にも細心の意識を持って取り掛かっていた……一世一代の大勝負かのように……。

 

僕は次の授業の準備をする為に机の横の鞄から教科書を取り出さなきゃならない、しかし、僕は慎重にならなくてはならない、彼らは視線をぶつける機会を狙っている、彼らは獲物を捕らえようとする、彼らは常に、誰かを「見る」機会を狙っている、視線という猟銃を持って、物陰に息を潜め、周囲を見渡しながら、獣を撃ち殺さんとしている、僕が動き出した瞬間、彼らは思うだろう、「あの人は何をする積もりなんだろう、なんであんな事をしているんだろう、あの人は何者なんだろう」……僕は彼らに蔑まされ、卑しめられ、嘲笑われ、変人のレッテルを貼られるだろう……僕の動作一つ一つに羞恥の感情を付与することだろう……僕は彼らの視線を感じる、僕は教室中の眼に晒されている、僕は下手に動けない、僕は身を潜めている、まるで警官を前に盗みを働く犯罪者だ、出来るだけ彼らの意識が別の方向へ向かう機会を狙っている……その時、誰かが大声を上げ、皆が騒ぎ出す、無数の意識が四方へと散らばる、一人一人が喧噪の中に溶け込み、存在感が薄まっていく……彼らはざわめきに乗じ、公的意識はおろそかになり、振る舞いは大胆になり、相乗効果でさらに騒々しさを増していく……もはや教室は騒音の無法地帯だ……今だ……僕はゆっくりと、おもむろに、鞄の方へ身体の向きを変え、慎重且つ滑らかに手を伸ばしていく……僕の心臓は激しく鼓動する……僕の手にクラス中の視線を感じる……僕の手は力が抜け、ガタガタ震えている……まるで数多の針が手を覆わんばかりに突き刺さっているみたいだ……僕の動作はぎこちない……もはや僕は「教科書を取り出す」というまとまった一つの動きを忘れ、肩、腕、手、指と、神経を伝う命令が一個一個バラバラに分解されて機械的に動かされていく……全ての動作を終える、僕の呼吸は些か乱れている、僕は引きずるような粘着型の羞恥に襲われている……動作を終えても未だ背中に厳しい人間の視線を、まるで真後ろに直接顔を近づけられてるように恐ろしく感じる……僕は反省に駆られる……僕は今、ちゃんと出来ただろうか、周りの人間から見られていやしなかっただろうか、変な風に思われなかっただろうか……そうしてまた僕は次に自分の取るべき行動に綿密な算段を加え、全神経を集中させてそれに臨んでいく……。

 

 

 

また、僕は授業中に声を発する事もろくに出来なかった……授業中、静寂に包まれた教室の中、点呼が始まる、一人一人の名が呼ばれていく、まだほとんど名前も知らない生徒達が返事をする度に、クラス中の視線がその人へと注がれていく、ゆっくりと僕の番が近づいていく、僕は巨大な不安に襲われる、僕はしっかりと、ハキハキと、大きな声で、自然に返事が出来るだろうか、声が掠れたり、声が裏返ったりしたらどうしようか、点呼の順番がすぐ目の前まで迫る、僕は喉が押し潰されるような圧迫感に襲われる、僕はとても小さく咳払いをしてみる、僕は風邪を引いたように喉の詰まりを感じる、僕は緊張で動けず、不安の汗が流れていく、ついに僕の出番がやってくる、僕は本番の一発に懸ける勇気が出ず、あえて一度小さく気力のない返事をし、すぐに大きく咳払いをしてどさくさの返事をする……僕の出番が過ぎ、後ろの生徒の名が呼ばれていく、僕は体の奥底からにじみ出るような羞恥心に覆われている、僕は未だにクラス中の視線が自分に集中しているような錯覚に襲われる……。

 

 

 

 

 

僕は日常の中の何気ない小さな小さな振る舞いをする時にも、他人の目を異様に気にし、じっくり吟味してから実行し、いつ、どこで、何をしていようとも、「人から見られている」、という強迫的感覚を、まるで僕の身体の一部、いや、身体の全てを占めるかのように頑強に抱き続けるのだった……。

 

無論、僕の病的な自意識が発動されるのは何も学校に限った事ではなかった、僕の日常生活の中で自意識の病が発症する瞬間は多々あった、というより、僕は常に激しい自意識と共に時間を過ごしていた為、家の中で、電車の中で、通学路で、店の中で、あらゆる場所あらゆる場面において意識との荒れ狂う葛藤を繰り広げていた……。

 

日常生活における僕の意識と外界との特殊な関係を理解するには、僕が学校を終えてから家に帰るまでの様子を順を追って見てみればそれだけで十分だった……一番日常的且つ分かりやすい場面、それは、路上で他人とすれ違う瞬間……。

 

一日の授業を終えた僕は、校門を出て、何という事もなく、自然と、他の人達と同じように、ただ普通に帰宅路を歩いている……僕は考え事をしてるかもしれない、周りの景色を見ているかもしれない、用事があって急いでいるのかもしれない、どうあれこの時点では確かに僕は何ら変哲もない極一般的な一人の歩行者に過ぎない……僕の意識は僕自身を意識する事なくどこか別の対象へと向かっている、僕の意識の中に僕という存在は隅っこの方でひっそりと安住している、僕の意識は目的地へ向かって歩くという内容に覆われている、僕の意識はとても満たされ、安定している……そこへ、僕の遙か前方から、こちらの方向へ向かって誰かが歩いてくるのが目に入ったとする……すると、この瞬間、この瞬間を以て、僕の穏やかな意識は独裁的な暴君へと急激に変貌し、激しい自意識となって僕に襲い掛かってくる……僕の安定した世界は一気に変容し、秩序に亀裂が走り、荒れ狂う嵐が巻き起こり、次元がねじ曲がり、僕の意識は急激に想像や景観の世界から前方の歩行者という存在へと引き込まれ、そうして彼の僕に対する意識を介して僕自身の存在へと反射されていく……僕は世界における僕自身の存在に気付き、僕自身の存在を俯瞰から眺め、僕自身の無意識だった領域に意識が侵入していく……その瞬間、突然僕は今さっきまで何を考える事なく自然に行っていた「歩く」という動きのやり方を忘れ、一歩行者としての自分を取り戻そうと必死になる……僕はもはや歩行者じゃない、歩行者を演じる役者、「歩く」という行為を命令されたロボットに過ぎない……僕は普段どうやって歩いていただろうか? 右足を前に出す、左足を前に出す、右手を前後に振る、左手を前後に振る、身体の動き一つ一つを分解し、情報を処理し、全体から部分、部分から全体へと意識を繋ぎ、ようやく「歩く」という人間の極自然的な行為へと発展させる……相手との距離はどんどん縮まってくる……相手の視線が僕の全身に突き刺さる……僕は目一杯顔を下げ、目一杯道の端っこへと寄り、目一杯その存在を薄めようと必死になる……彼はどう思っているだろうか、僕を変な奴だと思っているだろうか、僕を敵だと認識しているだろうか、僕は全く以て模範的な、立派な歩行者でなくてはならない……ああ、相手はもはやすぐ目の前だ……相手の視線を体中に感じ、心臓の鼓動が強くなり、さらにぎこちなくなってくる……僕は激しい頭痛を、寒気を、震えを覚え始める……そうして、すれ違う瞬間、僕は些か呼吸のリズムが速くなり、激しい苦痛と不安に襲われながら、彼の横をおもむろに過ぎ去り、少しずつ少しずつ、ゆっくりと意識を落ち着けていく……。

 

僕は僕の視界に入る範囲で、或いは相手の視界に入る範囲で他者の存在を確認すると、それが如何なる場面であれ強力な自意識に駆られていた……僕は人とすれ違う瞬間の、この息の詰まるような感覚に耐えられず、前方に人の姿を確認する度に方向転換し、可能な限り人と出くわすのを避けていた……。

 

 

 

そのまま僕の下校時の様子を続けてみよう……他者とすれ違う、という難題をクリアした後、僕はさらに歩を進める……。

 

僕は少し時間を潰そうと、とある書店へと立ち寄る事にする……僕は店に入る前から、店の中で僕自身が取る行動を頭の中で綿密に練り、入り口から書店に立ち入った瞬間に、その場にいる全ての客及び従業員を僕の意識の領域へと取り込み、どんな人間がどの辺りにいて何をしていて何が起きているかを察知し、計算し、自分の取るべき行動とその状況とを照らし合わせ、速やかに予定を遂行する……僕は人と人との間を縫うように素早く円滑にすり抜け、出来るだけ他人と変わりない自然な客として空間に溶け込みながら、自分の目当ての書棚へと急ぐ……僕の狙っていたコーナーを目で捉え、書架と書架に挟まれた空間へ自然と入っていこうとする……しかし、そこでハプニングが起こる……その空間には既に僕以外に先客がおり、並べられた商品を一つ一つじっくりと眺めていた……僕はそれに気付いた瞬間、咄嗟の判断を加え、出来るだけ自然な形で身体の向きを直し、まるで初めからその積もりだったかの如く、別の方向へとスタスタ歩き進んでいく……僕はそのまま立ち止まる事なく店内をうろつき回り、しばらく経ってまた同じ場所へと戻ってくる……誰もいない……チャンスだ、僕はスパイのように速やかにエリアに潜入し、自分の目当ての本を探し、手に取って読む……ようやく僕は少しだけ自意識の拷問から解放される……僕の意識は本の中身へ、文章へ、空想へと向かっている……僕はもはや現実に存在しない、僕は本の中に存在している、僕の意識は想像の世界へ一直線に架かっている……僕は何者にも束縛されず、全く以て自由な空間を飛び回っている……しかし、突如僕の世界に危機が訪れる……現実に残留していた僕の微かな意識は、端の方から同じエリアへ誰かが潜入してきたのを視界の隅っこで捉える……僕のテリトリー、僕の縄張りが侵されようとしている……僕の世界は崩落する……僕の意識は他者という名のブラックホールへと一気に吸い込まれていく……僕の意識はもう決して戻る事は出来ない……僕はただただ本を読んでいる演技をしている……僕の目は文章の表面をキョロキョロさまよい始める……まるで熊と遭遇した時のように、じっと動かないで息を潜める事によって、僕の身に及ぶ危機、僕の身に降り注ぐ他人の意識が過ぎ去るのをひたすら待つ……彼はゆっくりとこちらへ近づき、ついには僕の背後へ回る……頭の後ろから前へとレーザー光線が突き抜けるような酷い視線を感じ、破裂せんばかりの頭痛を覚える……強力な電磁波となって僕の身体全体を覆い尽くすように相手の視線を背中に感じる……刃物を持った殺人鬼に背後を取られたようなおぞましさを……。

 

僕は早めに切り上げようと、手に取った本を持ってカウンターへと向かっていく……しかし、ここから僕にとって最大の難所が待ち構えている……僕にとって最大の難敵、それは、決して他の客ではなく……「店員」……僕は店の従業員とこれまで何度も一方的な激しい内的死闘を繰り広げてきた……店員とすれ違おうとする、すると彼は僕に一言、「いらっしゃいませ」、とさらっと言う、ああ、なんて事だ、なんという奴だ、僕は奴に意識を向けられた、奴は僕を監視している、奴は僕にあからさまに意識を向けてきた、僕が他人の意識に捕らえられている事を僕に宣言してきた、これは宣戦布告だ、奴は僕に喧嘩を売ってるのだ、なんてデリカシーがないのだろう、意識される事がどれだけ苦痛か、奴は分かってないのだ……ああ、そうだ、きっと奴は、僕を万引き犯か何かと疑っているんだ、僕を不審者で、僕をこの店について何も知らない新参者と思っているんだ、心の中で僕を嘲笑っているんだ……。

 

僕が最も苦手としたのは店員とカウンターで向かい合う瞬間だった……僕は極力店員と長時間相対するのを避けていた……僕はレジに商品を持って行っても、とにかく店員の前から去りたい気持ちが先行し、店員が話している事に全く意識が行かず、いつも何を言っているのか聞き漏らし、何を問われても、「はいお願いします」、「いえ結構です」、と訳も分からず適当な返事を繰り返していた……会員証か何か色々と記入しなきゃならない時など、店員の見下ろすような視線が異様に気になり、手が震え、頭は混乱し、自分の住所も生年月日さえも忘れてしまう事があり、いつも恐ろしくて避けていた……お金を払おうと思っても焦って上手く取り出せず、払い終わった後も、一刻も早くこの場から退散しようとし、商品を手に取ることを忘れ、「お客様」、と呼び止められて激しい羞恥を味わわされる事も幾度となくあったのだった……。

 

 

 

続けよう……僕は荒れ狂うような激しい戦いを繰り広げた後、店を出て駅へと歩を進める……僕は横断歩道で引っかかり、信号待ちをしている……すると、隣の車道にバスが止まる……ここでもまた、僕の自意識は激しく反応を示す……バスの乗客達は、物理的な高さを精神的優越と混同し、まるで動物園の動物を見るように、卑しい目で悠々と歩行者を眺めている……なんという傲慢、なんという欺瞞、なんというエゴ……彼らは自分達が見る側の人間だと決めてかかり、自分が神となって天から眺めているかのように思い込み、人から見られる事の可能性を忘れ、意識の欺瞞に陥っている……彼らは集団に紛れ込む犯罪者だ、彼らは匿名性を利用する悪人だ、彼らは悪行の一過性につけ込む人でなしだ……彼らは他人の痛みを、他人の恥を、他人の苛立ちを理解出来ない無神経な者達なのだ……さあ、思い知らせてやれ、彼らを堂々と見詰め返してやれ、彼らはきっと僕の視線を感ずる事によって、自分達が透明人間ではなく、他人から見られる事のある一個の物体である事に気づき、己の意識を恥じ入り、反省するだろう……彼らは我に返り、自意識を生み、人間として自覚を呼び戻し、羞恥に浸るだろう……さあ、思い切り直視してやれ……!

 

 

 

僕は毎日通学で電車を利用していたけども、これもまた僕にとって非常に巨大且つ堅固たる障壁であった……僕が住んでいた地域はかなり田舎の方で、駅から駅への区間が距離的にも時間的にも非常に長く、一日の本数も限られている為、毎日毎日大して代わり映えのしない乗客達と長い時間同じ空間を共有しなければならず、これは僕にとって正に地獄としか言い様がないのだった……。

 

僕の利用する電車の構造は、新幹線のようにデッキと客席の空間が分かれた田舎式のものだった、僕は毎日毎日電車に乗り込む度に客席の方へは向かわずデッキの部分に留まり続けた、中へ入っていくなんてとてもじゃないが出来なかった、それは精神的制約を超えて物理的制約のようになって僕に襲いかかった……その原因は何か、無論、乗客達の視線だった……乗り降りする客が限られている中、僕は自分が客席の方へ入っていった時に乗客達の数多の視線に晒されるのがたまらなかった……デッキから客席の方をのぞいてみると、その出入り口付近にはもやもやとしたおぞましい不気味なオーラのようなものが漂い、まるで中に無数の妖怪達が蠢いているかのようだった……。

 

僕は何とか勇気を振り絞って中へ入ろうとする……さあ、今日こそ堂々と車両の中央へと歩を進め、空いた席を見つけ、隣に客がいようがいまいが躊躇する事なく、敢然とした態度でどっしりとその席へ我が物顔で腰掛けるんだ……いざ出陣……僕は出来るだけ不審にならないよう、平静を装って、淡々とした雰囲気を作って一歩一歩足を踏み入れていく……その瞬間から、車両一杯に敷き詰められた無数の眼が、まるで侵入者を監視せんばかりに四方八方から執拗に注がれていく……僕は体中を無数の矢で射貫かれてるような痛みを感じ、足は震え、心拍数は増し、割れそうな頭痛に襲われる……地獄、視線地獄……それでも僕は何とか足を前へと進め、広い空席を見つけ、おもむろにそこへと腰掛ける……僕の緊張はまだ終わらない、周囲の乗客の意識が異様に気に掛かる、真の問題はこれからだ、僕が電車を利用するにおいて最も悩ませたもの、それは……向かいの席に座る乗客……。

 

僕はこれには気が狂わんばかりに悩まされた……僕は上から頭を押さえつけられているんじゃないかと感じた……僕はどうしても顔を上げる事が出来なかった……僕は席に座ると硬直して身体を動かせなかった……僕は寝たふりをするべきか、音楽を聴くべきか、携帯を手に取るべきか、堂々と正面を見詰めるべきか……たとえ何とか相手に対する僕の意識を誤魔化そうと携帯を手に取ってみても、僕の手はガタガタ震え、僕の意識は相手の視線から画面の中へと滑り込む事なく、携帯の手前辺りの空間をふわふわと浮遊し続けた……目線をほんの少し動かしただけでも相手から何か感じ取られてしまうんじゃないかと恐れた……僕は自分が人の目を気にしていると相手に悟られるのが心から嫌だった……僕はまばたき一つにさえ演技を要求された……僕は相手の事などまるで気にしていないのだと、堂々たる態度を装おうと必死になった……僕はほんの少し視線の位置を変えるのにも一々勇気を振り絞り、気合いを入れ、奮起しなければならなかった……よし、今だ、さあ、やるんだ、視線を動かせ、堂々と顔を上げて、相手の顔の横の方に目を向け、悠然と景色を眺めるんだ、僕は誰の目も気にしてないんだ、ただ純粋に外が気になるだけなんだ、さあ、やるんだ、さあ……しかし、必死の思いで顔を上げても、すぐに極度の苦痛を顔面に感じ、反射的に顔を背けてしまうのだった……。

 

 

 

僕は「人の目を見る」という事が絶対に出来なかった、これはもはや身体的機能として、物理的地平において不可能なのだった……僕は人と目を合わせると、極度の羞恥や罪悪感に襲われ、自分が何か相手に圧力を与え、喧嘩を売り、傷つけてるような感覚を抱き、わっとなって一瞬の内に逸らしてしまうのだった……僕は物心が芽生えてからというものの一度だって人の目を見てしゃべった事などないし、家族に対しても同様だった……僕は常に人と会話する時、いま相手と目が合った、とか、もう少し逸らそう、とか、上を見て考えてるふりをしよう、とか、相手に気づかれてしまっただろうか、といった風に、目線をどこにやろうかとばかり考え、あちこちへと視線が移動し、ほとんど相手の言葉を聞いていないのだった……今度こそは目を見て話すんだ、何も難しい事じゃないじゃないか、相手は何も気にしてないんだ、そう言い聞かせても、どうしても無理で、相手の方に顔を向けようとしても強く跳ね返されてしまうのだった……僕にとって人の目を見るというのは、むしろ相手に対しとても失礼で、恥ずべき事のように思われてしまうのだった……。

 


 

      四 

 

僕は他人に目を向けられると、メデューサに睨まれたように石化してしまっていた……堂々と相手を見返す事も、堂々と自分の行動を取る事も出来ずにいた……過剰な自意識により、他人の視線を常に異様に気にし、ぎこちない不自然な振る舞いばかりをしていた……しかし、それは僕の身体の表面的、外的、動作的部分への束縛のみならず、精神的、内的、人格的側面にも著しく悪影響を与えており、他者の視線は外的な束縛と共に僕の内的要素にまで制約を加えるのだった……いや、というより、身体的な硬直化は、他者の視線が僕の内面に与える影響が表面化したものに過ぎず、それは僕がなぜ人の目を感じると動けなくなってしまうのか、その問いに対する根本的な理由へと繋がるようにも思えた……。

 

 

 

これまで見てきたように、僕は他者の眼、他者の視線、他者の意識を極度に恐れていたけども、それは一般的な意味での「視線恐怖」という奴ともまた違っていた……僕は確かに羞恥に対する忌避感が人一倍強かったけども、だからといって、人の視線を意識しすぎて極度にあがってしまう、とか、緊張しすぎてしまう、とか、顔が紅潮してしまう、とか、そういった類いのものではなかった……というのも僕は、笑われる、とか、馬鹿にされる、とか、軽蔑される、とか、自分という存在の評価を貶められる事だけではなく、逆に、格好良い、とか、賢い、とか、優しい、とか、好印象の評価を与えられる事にさえ拒否反応を起こすのだった……つまり、僕の中の反発は、対人認識の際にもたらされる個別の反応や表れそれ以前の問題であり、それは対人状況における人間の根本的態度に内包されていた……即ち、僕が真に恐れたもの、それは、僕に対する彼らの「認識そのもの」であり、僕に対する彼らの「判断そのもの」であり、僕に対する彼らの「意識そのもの」だった……それは、畢竟、僕が何者であるかを決められる事、だった……。

 

 

 

詳しく説明していこう、確かに僕は人間の目を恐れた、しかし、僕が本当の意味で恐れていたもの、それは、人間の目ではなく、人間の意識だった……人間の目は、結局、ただ人間の意識を媒介する一つの手段でしかなく、本来重要なのは、人間の目を通して世界へと接続される人間の意識の方だった、それは何も目に限った事でなく、それは耳であったり、それは鼻であったり、それは肌であったり、それは舌であったりした、人は見る事によって、聞く事によって、嗅ぐ事によって、触る事によって、味わう事によって、それぞれの器官から世界へと意識を発信し、そうしてまた世界から意識の方へと事象を受信し、目の前に広がる事物を認識し、判断し、処理していく……それが生き物の世界に対する根源的機能だった……ただ、やはりあらゆる感覚の中でも最も際立つもの、それが、視覚、つまり、目だった……人間の意識が世界を認識し判断する為の最も重要な器官、それこそが、目……

 

なぜ人はものを見るのか、無論、認識する為だ、認識し、判断する為だ、無秩序な、混沌としたこの世界を視覚で捉え、そこに自分の秩序を与え、合理化し、整理し、自分なりの世界を作り上げ、危機を回避し、上手に生き抜いていく……無論、法則化の対象、それは自然だけに特化したものではない、それははっきりとは目に見えぬもの、物質として客観的に判断できぬもの、数値や方程式として具体的に表現できぬもの、そうしてそれは、人間社会における様々な判断の中で最も身近で最も重大なもの、つまり、人間の、性格、人格、肖像、イメージ、キャラクター、即ち、人間の存在そのもの……

 

 

 

だからこそ僕は人間の目を恐れた……人間の目によって、僕は捉えられ、認識され、判断され、対応されていくからだ……それによって、僕の社会的評価、僕の社会的地位、僕の社会的人格が自ずと決定されていくからだ……

 

人は一歩外に出れば、視界に入る人間、意識に現れる人間に対し極自然的に瞬時の判断を下している……あれは会社員である、とか、あれは学生である、とか、あれは駅員である、とか、あれは警備員である、とか、その人間の服装や行動、場所、時間帯、あるいはもっと細かい点での無数の情報を一気に読み取り、その対象者が何者であるか、その存在を無意識的あるいは意識的に吟味し、分析し、整理し、判断を下す……それによって人は周囲に広がる世界に安定を、合理性を、秩序を、規律をもたらし、己の存在と調和させ、均衡を保ちながら行動を取っていく……。

 

しかしまた、それは裏を返せば、認識者がそれぞれの対象者に対し一方的な、勝手な判断を下してるという事にもなる……当然、人は道行く人々を認識する時、全員に対し逐一その人の意思を確認した上で判断を行ってる訳ではないからだ……単に視覚を中心に意識へと取り込まれた情報から仮定的な判断を下しているに過ぎない……あの人は通勤中なのだろう、あの人は掃除をしているのだろう、あの人は道に迷ってるのだろう、あの人はタクシーを探しているのだろう、あの人は寝坊したのだろう、あの人は怒っているのだろう……そういう点において、人々の認識というのはある意味で、一種の決めつけ、レッテル、偏見を形作る事になり、それと同時に、人は認識した対象者に対し、その判断に即した法則を与え、その状況における役割、ルール、秩序を一方的に付与しているという事になる……通行人には、通行人としての秩序を与え、乗客には、乗客としての秩序を与え、店員には、店員としての秩序を与える……誰もがその状況における役割を与えられている……どんなに細かい場面や行動の中にも必ずそこには周囲の人間から課せられた一定の秩序や法則が存在し、それはルールや法律のように明文化されたようなものではなく、存在としての、空気としての、暗黙の秩序なのだ……

 

通行人には、「ある場所へ向かうという目的のもと移動している」、という秩序が存在し、「人とぶつからないように歩いている」、という秩序が存在し、「信号を守っている」、という秩序が存在し、乗客には、「移動する為に乗り物に乗っている」、という秩序が存在し、「他の乗客に迷惑にならぬよう大人しく座っている」、という秩序が存在し、「時間を潰す為に携帯やミュージックプレーヤーをいじっている」、という秩序が存在し、店員には、「レジで客に対応している」、という秩序が存在し、「商品を棚に並べている」、という秩序が存在し、「店の掃除をしている」、という秩序が存在している……人は生活の中でそれぞれがそれぞれに対し適切な存在を与え、それぞれがそれぞれの中で獲得した存在を全うするのだ……

 

しかし、もしもその、集団の中で暗黙の内に形成された秩序が崩れ去った時、一体何が起きるだろう……それは現場にいる人々に対し、大きな不安や、恐怖、驚愕、羞恥、様々な不快な感情となって襲いかかるのではないだろうか……

 

もしも通行人が急にその場で大声を上げ始めたら? 或いは、もしも乗客が急に踊り始めたら? 或いは、もしも店員が急に商品を壊し始めたら? その不可解な、不条理な、脈絡のない行動によって、周りの人々がその人間に対し暗黙的に与えていた役割、ルール、パターン、秩序は揺らぎ、世界に亀裂が生じ、合理性は崩壊し、法則は破られ、そうしてそこには論理が存在しない事に対する不安が、行動を予期出来ない事への恐怖が、気まずい空気の中にいる事への羞恥がもたらされる事になるだろう……それと同時にまた、秩序を崩壊させた人物に対し、周囲からは軽蔑が、嫌悪が、敬遠がもたらされることだろう……

 

それは日常生活における人々の客観的な職業や役割、行動様態のみならず、その人間の内的、性格的な肖像や、イメージ、キャラクター、ポジション、といったような、より細分化された地平においても同じ事なのだ……無口だった人間が、ある日突然饒舌にしゃべりだしたら、或いは、模範的な優等生だった人間が、突然凶暴で無分別な振る舞いをし出したら、或いは、勇ましく力強かった人間が、突然ひ弱で女々しい態度になったら……それはその新たな性格それ自体への軽蔑や嫌悪というより、以前のイメージからの大きな変化に対する驚きや違和感に駆られる事だろう、なぜならそれは他者が彼に抱いていた人格という法則、秩序が崩れ去るからだ……

 

 

 

ここに人間の認識が持つ最大の脅威が存在する……つまり、人間の認識というものは、それ自体が一つのレッテルとして機能し、イメージを固定化させる……認識とは、偏見そのものなのだ……人は見る事によって、彼らにその役割を、規則性を、人となりを押しつけ、固定させ、束縛し、全うさせる……人は見られる事によって、認識される事によって、意識される事によって、自由を奪われ、個性を奪われ、行動範囲を狭まれ、他者によってもたらされた限定的な、矮小な、偏狭な範囲内で振る舞う事を強制される……人は他者の意識によって認定された範囲でしか身動きを取る事が許されないのだ……もしも彼が、無口な人、というイメージを与えられれば、彼は「無口な人」を全うしなければならない、もしも彼が、明るい人、というイメージを与えられれば、彼は「明るい人」を全うしなければならない、もしも彼が、格好良い人、というイメージを与えられれば、彼は「格好良い人」を全うしなければならない……

 

つまり、僕は目を通した他人の意識によって、僕が何者であり、僕が今何をしようとしているのかを断定されるのを恐れた……僕の存在、僕の性質、僕の位置、僕の肖像、僕の役割、僕の行動が第三者によって決定されるのを恐れた……僕は彼らが僕に目を向け、意識を向け、僕を認識する事によって、僕という人間のイメージ、僕という人間のキャラクター、僕という人間の行動パターンが固定化され、法則化され、秩序化されるのを拒否した……僕は僕の存在内容を決められれば決められるほど身動きが取れなくなった……僕は常に彼らの思う僕でなくてはならなかった……それは今この瞬間の行動内容に関しても同じ事で、僕が「予習をしている人」と認識されれば、僕は規則性に満ちた「予習をしている人」をやり通さなければならず、僕が「眠っている人」と認識されれば、僕は秩序に満ちた「眠っている人」をやり通さなければならず、僕が「昼食を取っている人」と認識されれば、僕は常識に満ちた「昼食を取っている人」をやり通さなければならず、僕が「廊下を歩いてる人」と認識されれば、僕は条理に満ちた「廊下を歩いてる人」をやり通さなくてはならなかった……それから逃れ出るような行動は許されないのだ……もしも僕が彼らに与えられた認識を破れば、場の空気が破壊され、僕を不可解な人物として、僕は不審人物として、僕を変人としてとらえ、僕をタブー視し、僕を忌避する事だろう……。

 

 

 

人々は、やたら見る、彼らは何かと視線を送る、視線を向けるという事がどれほどの暴力かも知らず、視線を向けられるという事がどれだけの苦痛であるかも理解せず、卑しい目で、不可思議な目で、疑義の目で、侮蔑の目で、野次馬の目で、偏見の目で他人を捉え、己の狭い了見の中に強引にねじ込み、浅はかな誤解とともに判断し、押しつける……彼らは何者かを見る事によって、視線を向ける事によって、意識を向ける事によって、その人間を判断し、卑しめ、辱め、優位の立場に着こうと企んでいる……彼らは人をじろじろと観察し、物色し、レッテルを貼り、イメージを固定化し、決して変化を受け入れず、多面性を拒否し、先入観によって、一面的な認識、己の中の少ない人間の定式、パターンにねじ込み、自分が望むところの人間である事を強要する……そうしてその狭小な他者認識からほんの少しでもはずれた行為を捉えると、その瞬間に彼らは相手に疑いを、軽蔑を、不安を、冷視を、嘲笑を投げ掛け、変人扱いする……どうでもいい、下らない、しょうもない、何てこともない変化、特殊性、個別性を、彼らは決して認めず、忌避し、嫌悪する……。

 

 

 

人類最大の暴力は、言葉の暴力ではない、肉体の暴力ではない、それは、視線だ、視線の暴力、人に視線を向ける、人に意識を向ける、人を認識する、人を判断する、人を断定する、これ以上の暴力は存在しないのだ……世界最強の凶器、それは間違いなく、刃物でもなく、銃でもなく、核兵器でもなく、眼だ……人間の眼……他人を見詰め、他人を判断する眼……そうして世界最悪の攻撃は、視線……人間の眼を以て他人に視線を向ける事……。

 

なぜなら、常に他人と結びつき、常に集団の中に組み込まれ、常に他者からの認識を受け続けて生きる人間社会こそが、人々にとって自然界であり、絶対的な世界だからだ……人と人との関わりによって枠組みを形成される社会という名の自然界、絶対世界では、自分自身がその中で、組織の中で、団体の中で、共同体の中で、集団の中で、グループの中で、どのように意識され、どのように認知され、どのように記憶され、どのように扱われていくか、それがあらゆる運命を握る、生死を左右させる圧倒的な重大事項だからだ……。

 

 発達しすぎた人間社会、整理され、区画化され、秩序化され、機械化されすぎた人間社会においては、人と人との関係があまりにも繊細な、重大なものとなり、故に他者という存在を最大の脅威と認識し、人間関係を最大の難問と理解し、自意識の病を生み出した……単純な肉体的暴力は影を潜め、繊細な精神的暴力が支配するもはや戦争など問題ではない、もはや犯罪など問題ではない、もはや貧困など問題ではない、我々人類にとって最大の問題は、人間関係なのだ、人々が絡み合う空間の中に戦争が存在し、人と人とのコミュニケーションの中に罪と暴力が存在するのだ……。

 

 

 

店員は生き物として店員ではない、ただ店員という役割を演じている、医者は生き物として医者ではない、ただ医者という職務をこなしている、人間の性格もまたしかりだ、人間はその状況、その年齢、その日、その気分、その条件、その様々な複雑且つ重層的な構成要素の積み重ねによって、その人の判断や行為や振る舞い、思想、嗜好、性格の表れが決まり、それは常に流動的で可変的だ、しかし、人々は彼らの目に飛び込んできた状況をそのままに、一面的に捉え、画一化し、単純化し、固定化し、硬直化し、レッテルを貼り、保持し続ける……我々は我々の意志によって常に己のパブリックイメージを獲得しようと奮闘する、しかしそれは他者という不可侵的、超越的存在によって打ち砕かれる、我々は彼らの意識の中まで入り込む事が出来ない、我々の行動がどのような印象を与えるか知ることは出来ない……我々への存在認識は、集団の中で暗黙の合意の下、自然的に作られ、それは一個のレッテルとなって作用する、一度レッテルが貼られ肖像が固定化されると抜け出す事は不可能だ、どんな自己アピールも集団の認識による決定には決して勝てない、集団の圧力が彼を彼であるところの彼である事を強要してくる、社会の秩序を、集団の秩序を維持する為に……我々は他者に判断されることによって、彼らからのレッテルを守り通さなければならない、集団の中で自然に与えられた人格的役割を職務として全うしなければならない、自分に与えられたイメージを重い枷として引きずっていかなければならない……

 

つまり人間社会とは自己的な肖像と社会的な肖像との闘争、相克の場なのだ……それぞれがそれぞれの理想とする肖像を狙い、はずされ、他者の圧力に屈し、模索し、妥協し、生き抜いていく……世の中は他人の存在を決める戦い、人間社会とはレッテル貼りの戦い、視線と視線を向け合う戦い……。

 その究極の場、それは、他でもない、学校……。


 

     五

 

僕は学校のクラスという特殊な空間が生み出すものの仕組みや構造というものを誰よりも正確に理解していた……。

 

新たなクラスが始まって誰もが一番初めに考える行動、それは無論、クラスメートと親密になる事に違いない、彼らは、学校生活を満喫する為に、学校生活を問題なく進める為に、学校生活で取り残されない為に、出来るだけ気の合う人間、価値を共有出来る人間、自分にとって有利に働く人間を探し、接近し、友人という契約を交わしていく……新たな学校、新たなクラスが始まり、多数の学校、多数の地域から来た異星人達を、彼らは強い意識を持って、深い眼差しを持って眺め回し、物色し、誰が、どんな人物で、どんな容姿を持ち、どんな性格を持ち、どんな価値観を持ち、どんな共通項を持っているかを探り、己の中で図式化し、慎重に接触を図っていく……今後一年間、どのような人物と付き合っていくか、どんなグループに属すか、それによって学校生活は大いに変わってくる……学級が始動してからおよそ三ヶ月も経てば、そのクラスのマニュアル、取り扱い説明書が作られ、一人一人の立ち位置、交友関係、全体の雰囲気などが固定化する……それらは一つの化学反応なのだ、偶然的に集まった一人一人の生徒の個性が、互いにぶつかり合い、あるいは惹かれ合い、補い合い、引っ張り合い、少しずつその学級の全体を覆い尽くす漠然たる価値観、一個の集団秩序が自然的に形成されていく……。

 

そうしてそれと共に、彼らはその中での自分自身の見せ方、立ち振る舞い、ポジションを探っていく……クラスメートに対し、自分がどう思われたいか、どう見られたいか、どう扱われたいか……このクラスの中で一年間やっていく上で、鬱陶しくない生活スタイル、煩わしくない付き合い方、当たり障りない他人からの認識……この集団の中で、最も生きやすく、最も過ごしやすく、最も都合のよい、安住の地を探す……このクラスで生きていく上での最善の地位、最善のポジション、最善のイメージ……本来の自己像、或いは、理想の自己像、或いは、他者による自己像、この三つの自己像の統合によって、彼らは集団における己の存在を見出していく……そうして自他の認識がもたらす均衡によって確立されたイメージを、彼らは己に課せられた役職として背負って生活していくのだ……

 

 

 

学校、それは、人間関係の極限状況なのだ……生徒達にとって、教室という空間は絶対的社会であり、その中での立ち回り方によって生き死にが定まっていく……教室という、人と人との距離が濃密に凝縮された空間においては、人間関係は構造化し、図式化し、機械化し、人格、イメージ、キャラクターそれ自体が社会的役割と化し、社会における身分、職業、地位、それがクラスにおけるポジションとなる……学級という、クラスという、人間関係という機械を円滑に作動させていく為に、集団内における暗黙の了解として、それぞれがそれぞれの人格的役割、パブリックイメージ、キャラクターを遂行していく……クラスというのは、いわば、一つの劇団であり、人間関係というのは、一つの演劇であり、キャラクターというのは、一つの役柄なのだ……彼らはみな、この学級の中で形成された集団秩序を守る為、それぞれに与えられたそれぞれの役柄を、台本に沿って演じ通しているのだ……。

 

そうしてそれは一種の束縛として作用する、なぜなら誰もが自分自身の望んだ役柄を与えられる訳ではない上に、自己の本質というのは常に流動的、暫定的なものに過ぎず、固定化されることはない、しかし、それに反して他者からの認識は固定化、安定化され、自己の認識による実像と他者の認識による虚像は乖離し、矛盾が生じてしまう……キャラクターの変化は、そのクラスにおける人間同士のあらゆる関係に影響を与えてしまうのだ……クラス内の秩序を乱し、混乱を与え、ロジックを崩壊させ、人間関係を揺るがし、恐怖を与え、不安を与え、気まずさを与え、全てをリセットし直さなくてはならない……姿の変わらない別人と接するのと同じ事だ、その存在とその存在が持つ意味が乖離してしまうのだ……故に人は決して変化を許さぬ、彼は彼であるところの彼でなくてはならぬ、彼でない彼へと変貌してはならない、彼の容姿、彼の嗜好、彼の人間関係、彼の振るまい、彼の性格は、全て固定的で、既定のものでなければならない……社会の中に身分という役割があり、生活の中に行為という役割があり、人間関係の中にキャラクターという役割が存在する……日常的空間の中に「人格的役割」というものが存在するのだ……

 

 

 

学校、それは、なんて残酷な世界である事だろう……過剰な自意識を患う人間にとって、学校ほど生きづらい場はこの世に存在しない……学校は地獄そのものなのだ……学校というのはその構造上、この世で最も自意識という病を進行させる悪しき空間なのだ……いつ如何なる時も周りをクラスメートに取り囲まれ、常に教師の監視に晒され、外に出ても制服によって特定校の生徒である事を判断されてしまう……思春期という、最も変化に富み、最も影響を受けやすく、最も揺れ動きやすい時期に、軽薄なレッテルを貼られ、イメージは硬直化され、人間関係は固定化され、集団秩序の中に組み込まれる……毎日同じ人間と顔を合わすという事がどれだけ過酷な事であるか……容姿、性格、能力、嗜好、思想、理想、その人物のあらゆる点における、ほんの些細な変化も、すぐに悟られ、認識され、疑義の目で見られ、笑われ、卑しめられ、拒否される……我々はあらゆる点において、自由な振る舞い、自由な変化、自由なイメージを抑圧されているのだ……

 

学校というのは人間関係の軋轢や苦しみを生み出す為だけに存在するように思える……多種多様な価値観、千差万別の嗜好、十人十色の感性、能力、容姿を持った人々を、一つの狭い箱の中に閉じ込め、個別性を殺し、平均化し、ならし、その中で強引に関係を築き、共に歩んでいく事を強制される……まるで閉鎖された空間の中に種々雑多な生き物を放り込み、どんな事が起きるのかを調べる悪趣味な実験みたいだ……我々は人間関係の殺し合いを強いられているのだ……

 

 

 

その様な、学校のクラスという特殊な生活空間の中で、僕はどうしていたかというと、僕は端からまるで他の生徒と交流を持とうとはせず、自分から人に話し掛けようともしなければ、他人からいつでも話し掛けられる態勢を作ろうともしなかった……僕はクラスメートと仲良くやっていける気がまるでしなかった、いや、そうではない、厳密に言うと、僕はクラスメートと仲良く出来ないのではない、やっていこうと思えばやっていけたに違いない、ただやっていく気がなかった、つまり、僕は僕らしい僕として気を煩わさずに他人と問題なく付き合っていける気がまるでしなかった……

 

僕は決してコミュニケーション不全な訳ではない、いや、むしろ逆だ、僕ほどコミュニケーション能力に長けた人間はいないんじゃないかと、僕は人間関係のプロなんじゃないかとさえ思っている……小さい頃から人心掌握術に長けており、その気になればどんな相手とも親密な間柄になれると自負していた、たとえその人間がどんな偏屈者だろうと、どんな変わり者だろうと、どんな権力者だろうと、どんな臆病者だろうと、上手い具合に懐に飛び込み、自分を気に入らせ、心を開かせる自信があった……上手く相手を気持ち良くさせる話術や、上手く相手を笑わせるセンスや、上手く相手を信頼させる演技力を先天的に持ち合わせていた……それによって僕は人間関係における数々の危機を乗り越えてきたのだ……

 

しかし、それは飽くまで能力の話であって、自分がそれを望んでいるかどうかは別の話だった、僕は例えば、その場限りでの付き合いであったり、普段顔を合わさざるを得ない間柄、身近に存在する相手でなければ、ほとんど抵抗なく平気で会話を交わす事が可能だった……それは自分自身がどんな人間だろうと、或いは相手がどんな人間だろうと、お互いにとってはほとんど重要ではなく、すぐに日常の中からお互いの存在が過ぎ去っていってしまうほど些細なことだからだ……しかし、それが数十人もの人間が圧縮された教室という狭い空間で、今後一年間毎日毎日共に生活しなければならないとなると、どうだろう……相手と自分との価値観、文化、趣味嗜好などが、付き合っていく上で非常に重たくのし掛かってくるのではなかろうか……一定の距離を保った付き合いであれば自分と相手との差異は意識に表れにくいが、付き合いの距離が近くなればなる程、ズレが際立ち、軋轢は生じ、それを誤魔化す為に嘘をつき、思ってもない事を言い、思ってもない自分を出さなければならないだろう……僕は友達を作ると、その人間と上手に付き合わなくてはならない、笑いたくないところで笑い、遊びたくない事で遊び、話したくない事を話すだろう、次第にそんな虚構の自分のイメージがクラス内で一般化、固定化されるだろう、すると僕はその偽物の自分を一年間突き通さなくてはならぬだろう、なぜならそれが僕に与えられたクラスでのポジション、キャラクター、人格的役割だからだ……

 

結局、僕は付き合う相手というものをあまりにも細かく慎重に選びすぎたのだ、僕が教室で声を発する事が出来なくなってしまうのもそういう事だ、僕は話す相手、接する相手、付き合っていく相手を厳密に選び取りたい、しかし、僕がその相手と会話している時、その話し声は周りの生徒に聞こえてしまう、すると僕は自分が接している相手に対する自分の態度を第三者に認識される事になる、その上僕の話している内容が他人に聞こえると僕という人間の情報が彼らに与えられ僕のイメージが作られてしまう、すると僕はその第三者にも彼らのイメージ通りの態度で接していかなければならない……。

 

つまり僕は上手く学校社会を生き抜く為、対する相手によって極端に態度を変え、その状況における最上の自分を常に選び取っており、教室の中と外、あるいは学校の中と外、あるいは家の中と外において、僕の性格や振る舞いはまるで異なっており、それゆえ僕は普段付き合いのある人間と付き合いのない人間が同時に居合わせたり、中学時代の友人と高校の同級生とが同じ場に居合わせたりすると、混乱してどうすれば良いか分からなくなるのだった……

 

僕は人を楽しませる事も出来ただろう、僕は人に優しくする事も出来ただろう、僕は人を惹きつける事も出来ただろう、しかし、その様なイメージが固定化され、クラスメートから信頼されると、その関係を引きずっていかなければならなくなる……僕には黒髪というレッテルが貼られ、中肉中背というレッテルが貼られ、大人しいというレッテルが貼られ、読書家というレッテルが貼られ、それを保持していかなければならない……。

 

生徒達はとにかく入学したその日から周りの人間を執拗に見回し、入念に観察し、綿密に物色し、人を軽薄に判断し、世界を安易に定型化し、面白がる……僕はそんな彼らの卑しい、下品な、低俗な、見世物の餌食になるのを嫌がり、出来るだけその存在を薄める事を望んだ……

 

僕は対人関係においてある種のコンプレックスを抱えていたのかもしれない……ありのままの正直な自分が、他人にとっては理解不能な、嘲笑に値する、気味の悪いものばかりかもしれない、という根深いコンプレックスを……

 

 

 

そんな状態で僕は普段どんな学校生活を送っていたかというと、以前お伝えした通り、僕は教室で思うように動く事が出来ずに硬直しており、それは僕が出来るだけ目立つ事を嫌い、彼らに認識されるのを嫌い、じっと息を潜めて僕の存在感を薄める為だった……僕は自分の発する声を第三者に聞かれるのも、誰かに自分の名前を呼ばれるのも嫌で、とにかく僕という存在が他人の意識の中に一瞬でも登場する事、それを僕はヒステリックなまでに嫌った……。

 

教室以外ではどうだったかというと、同じように僕は出来るだけ目立たない事、存在感を消す事、意識されない事に取り憑かれており、第三者によって、僕という存在が僕として意識され、僕という存在が僕として認識され、僕という存在が僕として記憶されるのを極度に恐れた……なぜなら僕が僕として認識された時点で僕は僕というレッテルを背負わされる事になるからだ……僕は僕として認識される以前は、僕は僕ではなく無数にいるこの学校の一生徒でしかない、そこで僕がどの様な行動を取ろうが、僕がどの様な意思を示そうが、僕がどの様な表現を行おうが、その行為の結果は「僕」ではなく「生徒」という一般事項の帰納をもたらすために、そこには僕ではなく本校の生徒の中の一人という責任しか存在しない……しかし、僕が僕として意識され、僕として認識され、僕として記憶された時点で、僕の行動の結果は僕へと直接還元され、僕という一個人に対して責任を負わなければならない……ある人間がある人間として認識された時点で、その人間はその人間の取る行動に責任を背負わされる……彼は「生徒」という一集団ではなく「彼」という一個人と化し、彼の行動は集団の一部ではなく彼という個人に背負わされる……大衆はその中に紛れ込んでいる限り一大衆に過ぎないけども、大衆の中の一人が一個人として認識された時点で、彼は大衆ではなく一人の人間なのだ……

 

僕は常に己が匿名的である事を望んだ、僕が僕個人として浮き出ない事、僕の存在が薄まる事、僕が影の薄い人間である事、僕が他人にとって透明人間である事、僕が集団の一部でしかない事を望んだ……僕は教室にいようと、廊下にいようと、校庭にいようと、どこにいようと、常に目一杯顔を下げ、常に端っこを歩き、常に人の影に隠れるようにし、常にその場における必然的な動作、その状況における必然的な行為、その流れにおける必然的な発言を心掛け、常識的な振る舞い、世の中のルール、一般的な行動から少しでもはみ出る事によって自分の存在が浮き出て他人に意識されてしまう瞬間を避けようと必死になった……僕は自然に勉強に取り掛かり、自然に運動に取り組み、自然に廊下を歩き、自然に学校生活を営まなくてはならない……必然性のない、無秩序な、偶然的な、空気を乱すような、そんな瞬間は何があっても避けなければならない(当然この様な不自然な行動形態は、僕の存在感を薄める事なくただただ際立たせるに過ぎなかった、それは結局僕が皆の影に隠れようと極端に後ろへ下がった事により、自分一人が列から独立してしまっているようなものだった)……

 

個人の存在感が浮き出る事を極力嫌った為、僕は一人一人の存在が際立つような状況、例えば、堅苦しく、重々しく、厳粛で、静かで、人の数が少ないような、そんな状況に放り込まれると、息が詰まって呼吸困難に陥りそうな思いに駆られていた……静寂な雰囲気であると、僕は声を発する事が出来なくなったし、厳粛な場であると、僕は身動きを取る事が出来なくなった……故に僕は出来るだけ開放的な、大っぴらな、騒々しい、賑やかな、混雑した、大人数の場を好んだ……そうすると、僕の存在はその喧噪の中に紛れ込み、人々の意識は散漫になり、僕は普段よりは自分らしい、自由な、開放的な振る舞いを取る事が出来るのだった……

 

 

 

僕が可能な限り存在感をなくし、匿名性を保持し、影を薄めたいのは山々だけども、しかし、そのような過剰な自意識の持ち主の切なる願いを打ち砕かんとする、ある大きな環境的要因があった……それは、「田舎」、という地域性だった……自意識の病をより促進、助長、顕在化させる環境的な要因の大きな一個として、「田舎」という生活空間の織りなす風土は決して外す事の出来ない巨大な障壁だった……それは簡潔に言えば、匿名性の希薄化、連帯性の強化、流動性の欠如などに多くを負っていた……人口密度の低さから、すぐにその存在を認知されてしまい、ただ道ですれ違うだけで必ず意識の中にその人の情報が取り込まれ、住人とその交友関係は固定化され、人々の情報はすぐに広まってしまう……保守的で画一的な風土により、少しでも一般的な人生の道からはずれると、一気にその噂は町中に流布し、白い目で見られる事になり、排他的な土地柄から、歩いてるだけでじろじろと疑いの目で見られてしまう……僕はどこで何をしていようと、僕の事を知る人物から常に監視されてる気がしてならなかった……僕は出来るだけ僕の存在が集団の中に溶け込むのを望んだ為、むしろごった返している人混みを好んでいた……僕は僕に対する周囲の意識が気になる為、電車や待ち合わせなどでしばらく時間を待っていなくてはならないような状況の時も、一箇所に留まっているという事が出来ず、常にそこら辺を移動して他者の視線を振り払いながら時間を潰していた……僕は非常に縄張り意識が強く、僕の意識が及ぶ範囲内、他人の意識と自分の意識がぶつかり合う境目に、僕自身の縄張り、領地、テリトリーを常に形成していた……その縄張りに他人が少しでも侵入すると、僕の中で激しい自意識の戦いが巻き起こり、極度の苦痛を感じ、強い怒りに駆られ、すぐに逃げるようにその場を立ち去るのだった……ここは僕のプライベート空間なのだ、奴はそこへ勝手に侵入してきた、なんてデリカシーのない、なんて気遣いの出来ない、なんて思いやりのない奴なんだ……。

 



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