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目次

<目次>

 

 (1) 日本こそが作るべき新たな国際区分

 

 (2) 今一度、力を誇示する

 

 (3) あっ、裸の王様だぁ!

 

 (4) 永遠に生きると思って学びなさい。

 

 


(1) 日本こそが作るべき新たな国際区分

 

 axesという英語があります。

 

 数学で使うグラフの「軸」という意味であり、平面を等分する「中心線」であり、回転体の「軸」を表す言葉です。

 

 1936年、イタリアのムッソリーニが、手を振り、唇を尖らせて、演説をしました。

 

 「ドイツとイタリヤを結ぶ絆、ローマとベルリンを結ぶ線は、他国を隔てる隔壁ではない。協調と平和の意志を持つすべてのヨーロッパ諸国が、その周りを回ることができる枢軸(Axis)である」と。

 

 これが、のちに日本が参加した「日独伊三国同盟」を中心とする<枢軸>国の語源となっていくのです。

 

 そして、それに対抗し、同盟していったのが、alliance、つまり<枢軸国>に対する<同盟国>ということになり、世界は二分されていったのです。

 さらに、彼らは、自分たちをUnited Nationsと呼んで、<連合国>を形成したのです。

 

 私たちがよく耳にする『国際連合』も実は、英語ではUnited Nationsであり、日本語にある「国際」なる言葉はどこにもありません。

 大きな力を有する常任理事国は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五カ国で、、国連憲章が改正されない限り、この国々は、恒久的にその地位にあるのです。

 さらに、地位の恒久性に加え、拒否権も与えられ、大きな力を持っています。

 まさに、先の大戦の戦勝国の支配下に、世界はあると言ってもいいのです。

 

 あの時代、横暴な振る舞いをし、経済を振りかざして、世界を斜に構えて見ていた当時のアメリカに対して、日本は徹底抗戦しました。

 そして、戦後は国際社会の一員として貢献してきた日本が、今更のように、そこから脱退すべきだと主張するのではありません。

 

 国連憲章1条にあるように、国際平和・安全の維持、諸国間の友好関係の発展、経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決を目的とするという趣旨に与して、今後も、日本は大きな役割を果たしていくべきであると考えています。

 

 ただ、ソ連からその権利を受け継いだロシア、中華民国から転じ、権力を奪取した中華人民共和国がそこにあることで、この組織の問題解決力には限界が見えてくるのです。

 もっとも、これらの二国の体制の変更期に当たって、常任理事国を外せなかった甘さが、アメリカ、イギリス、フランスにあることも事実です。

 

 Group of Sevenというのが年に1回、持ち回りで開催されています。

 いわゆるG7というものです。

 そこには、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7つの国が参加しています。

 

 G7は、見解をいつにし、協調と進歩を理念とする、かつては連合国と枢軸国とに分かれていた国が、再度結集したグループです。

 

 今、世界をリードする7つの国であり、そこに日本が入って、中心的に活動する様を見ることは実に誇らかなことではあります。

 一時期、G8として、ロシアも入った時期がありましたが、クリミアへの侵攻、ウクライナとの対立から、その地位にふさわしくないと除かれました。

 

 つまり、G7というのは、開放された社会を持ち、自由と平等を享受し、人間の尊厳を重視するグループであり、その理念を広めていく責任を負っているということになります。

 

 ですから、軍事行動で他国の領土を奪い取るような行為に及んだり、人権を無視して、政権に不利な考えを持つ人間を痛めつけているロシアや中国には入る資格はないということになります。

 しかし、そのG7も内部では大きなうねりを帯びつつあります。

 確かに、トランプのアメリカ、EUを脱するイギリス、中国に殊の外接近するドイツと、G7内の乱れは見て取れるのです。

 

 これは、欧米のグループが、18世紀以降、自分たちがせっせと築き上げてきた開かれた社会のありようが変質したことに対する疑心暗鬼と自信喪失のあらわれなのです。

 しかし、だからと言って、欧米のグループがバラバラになっては困ります。

 

 とりわけ、経済成長を遂げる中国による影響力が世界に広まっているからです。

 中国が、開らかれた理念を持ち、自由で平等な体制であれば、それは歓迎することで、彼らの優れた歴史と文化は世界を潤すに違いありません。

 が、今、中国を支配している政権は決してそうではありません。

 むしろ、世界はこの現中国政権の野望を見抜いて対応していかねばならないのです。

 

 日本は、今、支持率が落ちて、今にも政権が変わるかのようにマスコミは言っていますが、この混沌とした世界情勢の中で、中国に毅然と対抗し、ロシアとの応分の話ができ、そして、欧米のグループとも強い絆と信頼を結んでいるのが現政権なのです。

 

 21世紀の今、世界が、より開かれたものとなり、誰もが自由で、平等にあるという根本的な理念を守るには、国連、G7に加えて、新たな国際区分が必要だと思うのです。

 

 国連は、相反する志向を持ついくつかの陣営が集い、安全保障上の確認をするところとして、G7は、同じ志向を持ちつつも、一国に収斂する方向性の愚を改めて行く場として、時間を費やして行くのです。

 

 そして、新たな国際区分として、差別ではなく、多様性を認め、憎悪と不寛容さで分断を増長させる勢力を駆逐し、むやみに人を攻撃することを制限し、他人を尊重する社会を意図する国際組織を作るのです。

 

 私には、それができるのは日本だけのような気がするのです。

 日本が養い育ててきた美徳を、この際掲げて、新たな国際区分を作って行くのです。

 


(2) 今一度、力を誇示する

 

 私のiPhoneに入っている無料アプリの一つに、<Flightradar>があります。

 

 つくば上空は、旅客機の飛行機ルートになっています。

 時間帯によっては、連続して、航空機が上空を通過していくのです。

 そこで、気になるのが、その飛行機の行き先です。

 

 そういう時、この<Flightradar>が活躍します。

 飛行機の音がしてくると、早速、iPhoneを取り出し、アプリを起動させます。

 すると、そこには、私のいる位置が青い丸印で示され、黄色の飛行機が移動しているのです。その黄色い飛行機をタップすると、便名はもちろん、離陸した飛行場から到着する飛行場、それに、飛行機の速度や高度までも示されるのです。

 しばし、私はiPhoneと上空を飛ぶ飛行機を見比べます。

 

 そして、なんと、素晴らしい世の中ではないかと感心するのです。

 

 先日、CNNのサイトを見ていましたら、妙な記事に出くわしました。

 『非武装のロシア軍機、米首都を飛行 国防総省などを「監視」』という表題がつけられていました。

 

 非武装とはいえ、アメリカにとって、ロシアはもっとも注意を払うべき国家にちがいないはずです。

 そのロシア軍機がよりによってワシントン上空を、それも、米連邦議会議事堂や国防総省、中央情報局(CIA)、アンドルーズ空軍基地上空を飛行したというのです。

 

 きっと、アメリカ空軍が緊急発進して、一触即発の危機に陥ったと思いきや、これは、アメリカとロシアが、お互いに上空を監視することを認めた<オープンスカイズ条約>に基づく、合法的な飛行であるというから、さらに驚きでありました。

 

 ロシアは、使用した機体はツポレフ154で、上空3700フィートを飛行し、ワシントン上空、キャンプディビット、トランプ所有のバージニア州にあるゴルフ場、そして、万が一の際、アメリカ政府が移転先にしているマウントウエザーにも飛行を行ったと明らかにしたのです。

 

 私は恥ずかしながら、CNNの記事を読むまで、<Open Skies Treaty>という条約があることを知りませんでした。

 

 この条約は、1955年、アイゼンハワーが核を持つアメリカとソ連が、相互に疑心暗鬼になって、思わぬ事態に至らないよう、非武装の航空機を使って、相手国の領域内の軍事活動、施設を監視しあい、軍事行動の透明性を高めよう、そして、相互の不信を取り除くことを目的に提唱したというものなのです。

 

 しかし、50年代は冷戦の時代です。

 そんな条約が結ばれるはずもありません。第一、理解されるはずがありません。

 

 ですから、両国とも、高高度を飛行する秘密偵察機を飛ばしたり、時代が進むと、宇宙空間から相手国の動向を探ったりして、警戒を強めていったのです。

 その間、撃墜事件があったり、正真正銘の<スターウオーズ>が現実性を帯びるなど、その危機的状況に警鐘が鳴らされたことが記憶にあります。

 

 それを1989年にアメリカ大統領のブッシュが,この構想を米ソ2国間から多国間のものとして再提案したのです。 

 そして翌年、カナダのオタワで北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構(WTO)の間で話し合いが持たれ、1992年、ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)で、調印に至ったというものです。

 

 冷戦時代に、それを提唱するアメリカの大統領の見識も素晴らしければ、時代を経て、それを相対峙するヨーロッパの二大勢力が受け止めたことも素晴らしいことです。

 

 さて、素晴らしいと諸手を挙げて喜んでいるのではなく、アジアにおいても、それができないものか、そして、それを日本が提言できないものかと思案するのです。

 

 アメリカ海軍は航行の自由作戦を展開しますが、中国は領有権のある島々への挑発行為であると厳しく批判をします。

 また、一方、日本の領土である尖閣には、自国領土であると強弁し、定期的に公船を派遣してきます。

 さらに、習近平は自国の領土領海は力づくでも守り抜くと解放軍相手に演説を行う始末です。

 

 韓国では、政権が変わるたびに日本に対する要求が突きつけられます。

 国際法、国際常識はもちろん、慣例など守る気さえもありません。

 

 日本はアジアでいち早く近代化を成し遂げ、それゆえの行き過ぎた政策もありましたが、日本が行動することで、アジアの国々はその多くが独立をしたことも事実であります。

 そして、今、アジアでもっとも国際常識のある行動を取れるのは日本しかいないのです。

 

 <Open Skies Treaty>という条約は、困難な時代に提唱したからこそ、価値を持って、受け止められ、後任の大統領によって実現へと導かれたのです。

 

 ここは自分の領土と、部分的にラインを引いての自己主張とか、70年も前の出来事を蒸し返して、それを金科玉条のごとく喧伝していく、そんな了見の狭い考えではなく、オープンに物事を考えて、両手を広げていかないと、アジアはそれぞれの国の妄想と我欲で滅亡することになるのではないだろうかと心配するのです。

 

 そうならないためにも、日本が今一度、アジアに向かって、その正当な力を誇示する時ではないかと思うのです。

 


(3) あっ、裸の王様だぁ!

 

 トランプがその放言で悶着を起こそうが起こすまいが実際のところ私には興味がないのです。

 

 SNSで発信される彼の言葉の薄っぺらさを見ると、この男がアメリカ大統領であることに対して、アメリカ国民に同情すら覚えるのです。

 

 君たちは、とんでもない大統領を選びましたね、あなた方は今こそ民主主義のシステムについて再考をすべきですよ、そして、世界の人たちがアメリカという国はすごい、行ってみたい、暮らしてみたいと再び思えるようになることを希望しています、と私は同情を込めて言うでしょう。

 

 先だっての、いわゆる白人至上主義者とそれに対立するグループとの間で衝突が起きた件でも、アメリカでは、大統領が人種差別に対して明確な姿勢を示さなかったとブーイングの嵐となりました。

 そして、トランプは彼らの意に従い、一つ一つ白人至上主義者のグループの名を挙げて批判をしたのです。

 でも、すぐに、そうは言っても、相手方にも暴力を振るった悪い奴がいると返して、いったん収まったかに見えたブーイングは、火に油をそそぐ形で燎原の火のごとく燃え広がっていったのです。

 

 でも、ここまでくると、トランプは自分の主張を貫き通すという点で評価されるものの、同時に、アメリカ大統領としてはその器ではないと批判されるべき存在であることが鮮明になったと言えます。

 

 そして、むしろ、私はそのニュースのもう一つの側面に注目するのです。

 

 トランプは、産業界と密接な連携を維持するために、政権内に二つの評議会を設けて、そこに産業界のリーダーを据えて、意見を聞くというスタイルを取りました。

 仮に、それが形だけのものであったとしても、功を遂げた人材に政権にものを言える機会を与えているということは民主主義のシステムとしては大切なことです。

 ちなみに、この形態はトランプが始めたものであり、歴代大統領にはなかったことです。

 

 その評議員たちが、今回のトランプの言動に対して、異を唱え、その職にあることを辞退したのです。

 

 性別・宗教・国籍、そして、人種は、アメリカ社会で企業が存続していく上で最重要とする性質のものです。いや企業ばかりではなく、アメリカ社会そのものが存続していくために必要なそれは要素でもあるのです。

 

 評議員となったアメリカ企業のトップたちにも、女性がいて、アフリカ系がいて、様々な宗教信仰者がいて、そして、彼らは移民の国ならではの多彩な文化背景を持っています。

 自分たちの素性をとやかく言われたり、まして、トランプが批判されると同じような立場にトップが与するということであれば、それは企業の存立基盤に危機をもたらすことになるのです。

 

 ですから、その任から身を引くことは最善の策であるのです。

 たとえ、トランプから攻撃を受けたとしても、彼の任期が過ぎれば、それはすむことです。

 しかし、人々から愛想をつかされたら、半永久的に立ち直れなくなるのです。

 

 その彼らもまたSNSで意見を発信しました。

 

 <憎悪と不寛容は米国の裏切り者>

 <我々を分断させる者は孤立させよ>

 <世界には人種差別主義が存在する余地はない>

 <米国のリーダーは偏狭な至上主義の言動を明確に拒否し、米国の多様性を尊重すべきだ>

 <我々が支持するのは人を攻撃することではなく、平等と他人を尊重する米国の価値だ>

 

 これらの言葉こそは、アメリカがアメリカたるの考えであり、アメリカがすべての面で世界の頂点に立つことのできた原動力となっている考えなのです。

 

 そればかりではありません。

 グーグルは、ネオナチサイト「デイリー・ストーマーズ」のドメイン登録を拒否しました。

 決済会社ペイパルは、人種差別運動の資金調達に自社サービスを使えないようにしました。

 民泊のエアビーアンドビーは、白人至上主義者のデモに参加した顧客を締め出したのです。

 さらに、米軍幹部にもそれは波及し、彼らは自分たちの最高指揮官の言葉にもかかわらず、それに異を唱えたのです。

 

 まさに、裸の王様です。

 それはおとぎ話の世界ではなく、リアルタイムで、一枚一枚衣服を剥ぎ取られていく様を、今、私は見ているのです。

 

 こう見ていくと、アメリカはやはりアメリカであると思うようになります。

 つまり、先ほど羅列したトップたちの言葉にあるような考えがないと、そして、意見表明がないと、この国ではやっていけないし、成功もできないということなのです。

 

 そんな中、ツイッターが一つのトピックを発表しました。

 

 「肌の色や出自、信仰を理由に、生まれながらに他人を憎む人などいない」というネルソン・マンデラの言葉の引用したツイートが史上最多380万件オーバーの「いいね」を集めたと。

 

 発信したのは、オバマです。

 

 彼は、トランプにより、彼の業績を丸裸にされつつありました。

 が、いや、そうではない、丸裸にされつつあるのは、トランプ自身であったのです。

 

 それにしても、人の放つ言葉というのは、いかなる兵器よりも甚大な被害をもたらし、同時に、多くの人に救いの手を差し伸べるものだということを、私は知るのです。

 


(4) 永遠に生きると思って学びなさい。

 

 ガンジーの言葉です。

 人間は所詮限りある命を与えられた生命体の一つにしかすぎません。しかし、その限りある命を持つ人間には、「学ぶ」力が、他の生命体よりも多く備わっています。

 そういう意味で、この言葉は、人が生きる上で、大切なことを語っていると思っているのです。

 

 学んだ人間というのは、当たり前のことですが、その言葉や立ち居振る舞いに、深さとか、重さとかをうかがい知ることできます。

 学問を学んだ人も、実生活で学んだ人も、それは共通して伺うことができるのです。

 

 しかし、学ぶということが幾分軽薄化している、もっと、具体的に言えば、学ぶことで資格を与えられ、それが利益に繋がると考えている嫌いが見えている気がしてならないのです。

 

 その例にお坊さんをあげることにいささか恐縮するのですが、でも、お坊さんがますます学びに没頭していけるようにという思いを込めてあえて語りたいと思います。

 

 哲学も、理念も、人の心を救う説教も、それを語ることのできないお坊さんが多くなっている、と私は思っているのです。

 哲学や理念をもち、深い思慮を持つお坊さんは、何も語らなくても、そのお姿を見るだけで、自然と頭がさがるはずです。

 しかし、今、お坊さんの言動に、利欲を垣間見てしまうことが多いのです。

 

 人から尊敬され、一目置かれる立場にある人に必要なのは、何かに取り憑かれたように「学ぶ」という姿勢です。

 さすれば、その姿だけで、多くの人の敬愛を受けることになるのです。

 

 実は、それは、教師についても言えます。

 

 教師というのは、生徒の目線にあって、指導することが肝要であることは言うまでもありませんが、生徒と同じ場にあってはならないのです。

 生徒の目線でものを見て行く上で、教師は腰を落としますが、生徒と同じようにその場に腰をかけてはならないのです。

 何故ならば、教師は生徒を指導し、学ばせる人間だからです。

 そのために、教師は学ぶ生徒とは異なる次元で存在をしていなくてはならないと生徒に思わせなくてはならないからです。

 そうすることで、生徒の教師に対する敬意が示され、学びは深まるのです。

 

 あの先生がいるだけで、生徒たちがピシッとするとよく言われますが、それはその教師が放つ学びの姿がそこにあるからです。

 生徒たちは、その姿に畏敬の念を抱くのです。

 そうした教師がいるところでは、バカな事件は起きません。

 

 生徒と同じ場に腰を下ろし、生徒を指導できなくなってしまった教師のところで問題は起こるのです。

 

 お坊さんも先生も、学びをしないものは淘汰されていかねばなりません。

 でないと、日本から仏教の教えも、教育の真髄も消えてなくなってしまいます。

 

 実は、「永遠に生きると思って学びなさい。」の前に、「明日死ぬと思って生きなさい。」と言う言葉を、ガンジーは語っています。

 

 これも含蓄のある言葉です。

 

 でも、実際のところ、明日死ぬなんて、人間は誰も思わないでしょう。

 病を得て、病院のベットに横たわっている私、明日には、いや、数十分後には、亡くなるとは決して、思わないと思うのです。

 

 昔、トルストイの『戦争と平和』に執心して、熱心に読んていた時期があります。

 

 その中で、どうしてもわからない部分がありました。

 それは、死の床についた老人の前に、ロシア正教の牧師がやってきて、振り香炉を揺らしながら祈祷します。それを後ろで悲しそうに眺める家族がいます。

 人は、そうやって、自らの死を受け止め、死に行くものなのだろうか、と若い私は思っていたのです。

 

 私は、父や母をおくりましたが、父も母も、自分が死ぬとは思っていなかったような気がしてならないのです。

 明日には家に帰れる、帰ったら、あれをしなくてはいけないと語っていたことが、そう思わせるのです。

 

 自らの命の限りを悟り、粛々として、死の床につけることには、キリスト教特有の死生観がそこにあるらしいと、私は思っているのです。

 自分は死に、神の元に行く。

 それは素晴らしいことで、これまでの生きてきた時を懐かしみ、愛する人に感謝を捧げるのです。

 

 そういう心境を、キリスト者ではない、東洋人のガンジーが持てたことは素晴らしいと思うのです。

 

 私たちは、いつかは死ぬ身です。

 その時を蕭蕭として迎えられるように心構えをしておく、そして、その心構えを作る学びをしっかりとしてくというのが、肝要だと思っているのです。

 できるならば、引導を渡してくれるお坊さんに恵まれること、学びの真髄を伝えてくれる先生に会えることも人生では大切だと思っているのです。

 



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