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1.曹操とは

 曹操(そうそう:155~220年)とは、中国後漢末期の武将で三国時代の魏の基礎をつくった人物である。中国での評価としては古来、悪智恵の働く奸雄(かんゆう)とされ、大衆受けをねらい、おもしろおかしく脚色された『三国志演義』の影響により、現代でも極悪人(ごくあくにん)の一人とされている。しかし、私が理解する曹操は、迷信や邪教を禁ずる理性的な人物である。また、曹操と争って敗れた五斗米道の総帥(そうすい)張魯が「金銀財宝、食料は国家の持ち物である」として燃やすことなく引き渡した際、曹操は張魯の無欲で誠実な人柄に感動し、侯爵位を授けたうえに、その娘を息子の嫁に迎えている。私は曹操にも無欲で誠実な一面があり、その心が共鳴したのであろう。さらに彼の詩作品から民衆や兵士の苦しみを憐れむ気持ちや乱世平定への志をも感じている。
 曹操はまた詩人としての才能も持ち、李白によって「蓬莱の文章 建安の骨」と気骨をたたえられ、さらには息子の曹丕と曹植や、建安年間(196~219年)を代表する詩人たちを意味する「建安七子(孔融・徐幹・応陽・陳琳・劉楨・阮瑀・王粲)」を擁する文学サロンのリーダーでもあった。


2.「歩出夏門行」とは

 曹操が烏桓(うがん:東胡とよばれた遊牧民)を征伐する頃に詠んだ詩は「歩出夏門行」という楽曲にあわせて五首作成された。その五首目は「亀雖寿(きすいじゅ)」と表記され、今回私があらたな解釈を加えた。曹操、五十三歳の作品である。
 曹操の作った詩は「楽府(がふ)」と呼ばれる型で、もともと音楽の演奏に合わせて歌われるもので、現代の民謡や流行歌に近いものであった。それが次第に文学的にも優れたものが作成されるようになり、当時を代表する詩型として定着したものである。曹操はその「楽府」の作者として代表的な詩人であった。ちなみに「夏門」とは洛陽の北面に位置する門のことで、楽曲にあわせて作成された詩なので題と詩の内容には関係がないとされている。
 西暦200年、曹操は、冀州(きしゅう:中国北部)から南下してきた袁紹(えんしょう)と戦い、大勝利をおさめた(官渡の戦い)。そして204年には袁氏の本拠地を陥落させ、207年に袁氏の残党とそれを擁護する烏桓を討伐するため出征した。征戦は5月から翌年の1月におよび、結果的に勝利したが大変な困難を伴った。冬の寒さのうえに日照りのため水不足となり、水を得るために三十余丈(約72メートル)もの地面を掘らなければならなかった。食糧も不足して数千頭もの軍馬を殺して兵糧としたという。


3.「亀雖寿」の解釈  ①私の新解釈

  まず私の解釈を紹介する。

 

神亀雖寿  神亀は寿(いのちながし)と雖(いえど)も
猶有竟時  なお竟(おわ)る時有り
騰蛇乗霧  騰(のぼ)る蛇は霧に乗れども
終為土灰  終(つい)には土灰(どかい)と為る
老驥伏櫪  老驥(ろうき) 櫪(れき)に伏すとも
志在千里  志(こころざし)は千里にあり
烈士暮年  烈(たけ)き士(おとこ)は暮年にいたれど
壮心不已  壮(さか)んなる心を已(とど)めあえず
盈縮之期  盈(なが)きと縮(みじか)きの期(さだめ)は
不但在天  ただ天のみに在らず 
養怡之福  怡(よろこび)を養い 福に之(いた)れば
可得永年  永年を得べし
幸甚至哉  幸(さいわい)甚(なははだ)しくいたれるかな
歌以詠志  歌いて以って志(こころざし)を詠まん

 

(訳)
神亀は長い寿命を持つといっても
それでも命の尽きる時がある
龍は霧に乗って飛び回るも
最後には土と灰に還っていく
しかし駿馬というものは老いて厩(うまや)で横たわっても
志は衰えることなく 千里の彼方を目指そうとする
熱い思いをもつ男は年老いても
若々しく元気な気持ちを失わないものだ
寿命が長いか短いかは
ただ天だけが支配するものではない
平和を保ち 幸福な世界を築けば
天寿を全(まっと)うすることができる
これ以上の幸福があろうか。
歌によせてわが志を詠った。

 

 私は、「亀雖寿」を読んで、「老驥 櫪に伏すとも 志は千里にあり」という文句に酔った。中国の毛沢東氏もこの詩を愛唱したと聞いている。
 この詩の「養怡之福 可得永年」の訳、「平和を保ち 幸福な世界を築けば 天寿を全うすることができる。」が私の新解釈である。ほとんどの研究者は次に紹介するように、「養生に努めれば、長生きできる」という趣旨に解釈している。


(2)これまでの解釈  ①竹田晃氏

①東京大学名誉教授の竹田晃氏の解釈
 竹田氏は著書「曹操 三国志の奸雄(講談社学術文庫)」の中で、

「盈縮之期 不但在天 養怡之福 可得永年」を


「長く短く定めなき命の期(かぎり)
 されどただ天運とあきらめむな
 身も心も安らかに養えよ
 永久(とわ)なる命得べからん」


と訳され、その解説にも
「・・・人間の寿命は天の定めのみによるのではない。人間の努力如何によっては、不老長寿の道をも会得することができるのだ・・・・・・まことに、曹操の意気盛んなり、というべきであろう。曹操という男は、その盛んな意気によって着々とその地歩(ちほ)を固め、野望を達成していったのであろうが、はたして、人生に対して終始このように、あたかも恐れを知らぬごとく強気に走り続けたのであろうか。」
とされている。
 竹田氏は著書名「曹操 三国志の奸雄」からわかるように、曹操を奸雄とみなしている。奸雄だから「養生次第では天寿をも変えることができる」と、天をも恐れぬ発想をするのだとしているのである。


(2)これまでの解釈 ②中村愿氏

 中村愿(すなお)氏は「三國志逍遥(山川出版社)」の中で次のように訳されている。

 

神亀(かめ)は寿(ながいきする)とは雖(いえ)、
猶(かならず)竟時(しぬとき)が有(やってく)る。
騰蛇(りゅう)は霧と乗(たわむれ)ても、
終(いつか)は土灰(つちくれにかえって)ゆく。
老驥(おいためいば)は櫪(うまや)に伏(ふす)とも、
志(こころざし)は千里(どこまで)も在(たか)く、
烈士(きがいあるじんぶつ)は暮年(おいさきみじかく)とも、
壮心(うつぼつたるきもち)を不已(おさえきれぬ)。
盈縮(ひとのいのちのちょうたん)は
不但在天(てんのおもうがままなのか)、
養怡之福(ようじょうをうまくたもてば)
永年(ながいき)も可得(きっとてにいれられよう)。
幸甚至哉(ああなんとしあわせ)、
歌以(うたって)志(おもいのたけ)を詠(あらわさ)ん。

 

 中村氏は曹操を奸雄とはみなさず、「献帝と曹操が心から願ったこと・・・それは単に権力や国家を奪う、奪われるという次元ではなく、“天下(よのなか)”を立派に治め“天下(よのなかのひとびと)”に平和と安定をもたらすということに尽きよう。」と曹操の壮大な志を好意的に紹介している。しかし、その中村氏も「養生すれば長生きできる」という趣旨に解釈されている。



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