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目次

a man with NO mission ③

 

21 鏡の中(860字)
22 上の階の住人(867字)
23 追憶の殺人(681字)
24 高原デート(335字)
25 火事(662字)
26 分かれ道(88字)
27 犬を介した再会について(1241字)
28 オフィスサプライ(1268字)
29 天地反転(632字)
30 耳垢(678字)

 

イラスト・いぬ36号

 

 


鏡の中

21 鏡の中

洗面台で髭抜きをしているとき、男はふいに不穏なものを感じた。何かおかしいと思って鏡を覗き込むと、そこに映った自分の姿が自分自身の動きに対応していないことに気がついた。

ありえないと思った瞬間、鏡の中の自分がこちらに手を伸ばしてきた。手が鏡をすり抜けて飛び出してきたのだ。男はあっと驚いて目をつぶった。目のすぐ上辺りを掴むようにされたと思った次の瞬間、ガムテープを勢いよく剥がすような音がした。

「眉毛はもらったぞ!」

我に返って鏡を見ると、そこには眉毛を片方なくした自分が映っていた。

男はしばらく片眉で過ごした。新しい眉毛はいくら待っても一本も生えてこなかった。眉毛が片方しかない顔はいかにも締まりがなく、そのせいでたびたび決まりの悪い思いをすることとなった。男は一生この顔で過ごさなければいけないのかと思い悩んだ。

数ヶ月後のある朝のことだった。

洗面台で髭抜きをしているとき、男はまたしても不穏なものを感じた。もしやと思って鏡をよく見ると、そこにいたのはあのときの男だった。そいつは男から奪った眉毛を自分の片方の眉毛の上に張りつけ、憎たらしげににやりと笑った。異様な顔だった。

男は盗られたものを取り返そうとして、本能的に鏡の中に手を伸ばした。鏡の中の男の方が一瞬早かった。男は手を払いのけられ、今度は鼻に掴みかかられた。栓が抜けるような音がして何かが引っこ抜けた。鼻だった。

その途端、男は激しい羞恥心に襲われた。眉毛が片方しかないのはまだ耐えることができる。しかし、鼻がなければどうにもならなかった。鼻なしの顔など恥さらし以外の何物でもなかった。

「はっはっは! お前の鼻はもらったぞ!」

鏡の中の男はそう言って右に消えていった。

男は逃がしてたまるかと鏡の中に飛び込んだ。思ったようにすり抜けることはできなかった。男は鏡に勢いよくぶつかり、床に落ちた。鏡は無残にひび割れてしまった。

男はやがて惨めな気持ちで立ち上がると、震える手で水をすくって顔を洗った。鼻があった部分から凹凸がなくなってしまい、指が滑り抜けるような変な感じがした。

 


上の階の住人

22 上の階の住人 

夜中だった。男は部屋の玄関ドアががちゃがちゃ鳴る音で目を覚ました。酔って帰宅した上の階の住人が、階を間違えてドアを開けようとしたのだ。

以前にも何度か同じことがあった。男は寝ぼけまなこで玄関へ行くと、階を間違えていることをドア越しに伝えた。

ドアノブを回そうとする音がやんだ。数秒の沈黙のあと、ドアの向こうの相手が玄関から離れていく足音が聞こえた。ず、ず、と引きずるような音だった。

数日後の夜中、またしても男は部屋のドアを開けようとする耳障りな音に眠りを妨げられた。

やはり上の階の住人だった。男は同じようにドア越しに対応した。また、ず、ず、と引きずるような足音が遠ざかるのが聞こえた。

同じことが何度か続いたあとだった。またしても部屋のドアを開けようとする音に起こされた男は、今度こそ面と向かって文句を言ってやろうと布団から飛び起きた。

勢い込んで玄関に向かい、鍵を開けてドアノブに手をかけた瞬間だった。男は唐突にあること思い出した。忘れていたことが信じられないくらい重大なことだった。

階を間違えているのはドアの向こうの相手ではなかった。男の方だったのだ。

ドアの向こうの相手こそ、実は今男がいる部屋の本当の住人だった。そして、男こそが上の階の部屋の住人だったのだ。

あんなに苦労して入れ替わったというのに忘れてしまうなんて――。男は自分の愚かさを呪った。

鍵を閉め直すにはもう遅かった。ドアは予想外の力強さで外から開け広げられた。男は抵抗を試みたが、無理やり廊下に引きずり出されてしまった。

すかさず、黒い影が入れ替わりに中に入り込んだ。ドアは男の目の前で閉ざされ、重い施錠音が廊下に響いた。

いくら叩いても反応はなかった。男はしばらく粘ったが、やがて諦めてドアに背を向けた。

階段をのぼる足取りは重かった。上の部屋に帰りたくなかったのだ。あの部屋には何か出るからだった。男は見るからにつらそうな様子で、壁に手をついてのぼっていった。

一段ずつゆっくりとのぼりながら、男は明日になったらまた部屋を替わってもらえないか交渉してみようと思った。たぶん夜中に。


追憶の殺人

23 追憶の殺人

ある夜、男は終電に近い私鉄の駅でホームの端をふらふら歩くスーツの中年男性を見かけた。かなり酔っているようだった。

電車が入って来ると、男は引き寄せられるようにしてその見ず知らずの相手に近づいていった。そして、何を思ったか、すれ違いざまに背中を肩で強く押したのだった。

中年はバランスを崩してあえなく線路に落下した。直後に急ブレーキの音が響いた。周囲に他に人はなく、男は振り返ることもなくその場を去った。

ほんの出来心だった。中年は轢死し、男は捕まることもなかった。

数年後、そのときのことはどちらかと言えばいい思い出として男の中で記憶されていた。なぜそんな風に記憶しているのか、自分でもよく分からないくらいだった。

あるとき、男は付き合いが深まりつつあった女と英国式庭園が見えるレストランに出かけた。ゆっくりできる窓際の席だった。結婚を申し込むつもりだった。

食事中、二人の間には常に笑いが絶えなかった。絶品のバジルソースのパスタに気をよくした男は、ふと数年前の駅での出来事について話しはじめた。
女は興味津々で話にうなずき、男も興に乗った。最後の部分まで話し終えると、二人で一緒に笑い合った。

男はプロポーズを切り出す前にいったんトイレに席を立った。用を足している間も上機嫌で、いい返事をもらえると確信していた。

席に戻ると女がいなくなっていた。彼女もトイレかと思い、男はエスプレッソのおかわりを注文した。自分のした話の余韻に浸りながら、男は一人にやけてそれを飲み干した。

三杯目を飲み終えたところで、男はようやく女がもう戻らないのだということに気がついた。男は四杯目を注文した。


高原デート

24 高原デート

初めてのデートで高原に牛を見に行ったときのことだった。男は自信満々で恋人に言った。

「好きな動物、当ててやろうか?」
「え?」女は不意打ちをくらったように言った。
「牛」
「違うけど」

会話はそれきり途絶えた。

二人は売店にソフトクリームを買いに行った。搾りたてのミルクで作った濃厚な一品だった。450円した。

男は遠くの牛を眺めながら、しばらく押し黙ってソフトクリームを舐めた。やがて、自ら沈黙を破った。

「分かった、羊だ」
「違うし。何決めつけてんの。バカじゃない」

その言い方にかちんときた男は、恋人の顔にソフトクリームを押しつけ、ぐりぐりした。相手の顔がべったりと、真っ白になった。

「お前、オペラ座の怪人みたいだぞ」

男は声をあげて笑うと、恋人を置き去りしてレンタカーで帰っていった。



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