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高原デート

24 高原デート

初めてのデートで高原に牛を見に行ったときのことだった。男は自信満々で恋人に言った。

「好きな動物、当ててやろうか?」
「え?」女は不意打ちをくらったように言った。
「牛」
「違うけど」

会話はそれきり途絶えた。

二人は売店にソフトクリームを買いに行った。搾りたてのミルクで作った濃厚な一品だった。450円した。

男は遠くの牛を眺めながら、しばらく押し黙ってソフトクリームを舐めた。やがて、自ら沈黙を破った。

「分かった、羊だ」
「違うし。何決めつけてんの。バカじゃない」

その言い方にかちんときた男は、恋人の顔にソフトクリームを押しつけ、ぐりぐりした。相手の顔がべったりと、真っ白になった。

「お前、オペラ座の怪人みたいだぞ」

男は声をあげて笑うと、恋人を置き去りしてレンタカーで帰っていった。


火事

25 火事

ショッピングモールで買い物をしていたとき、男は突然腹を下した。お昼に食べたものが当たったのだ。

あわてて近くのトイレに駆け込むと、個室はすべて埋まっていた。空くのを待っている余裕はなかった。男は大急ぎでフロアの反対側にあるトイレに向かった。

「避難した方がいいな」

すれ違いざまに誰かが言うのが聞こえた。その言葉に続くようにして、他の買い物客たちがぞろぞろと出口に向かいはじめた。

火事だって。その中の誰かが言った。

男はちょうど人波に逆らうような格好になった。むしろ都合がよかった。これなら絶対にトイレは空いているはずだ。

「そっちはダメだ!」

誰かに呼び止められたが、構っている余裕などなかった。もう出かかっていたのだ。

男は脂汗をにじませながら、トイレマーク目指してテナントを突っ切って走った。

思った通り、トイレには誰もいなかった。男は便座に座ると同時に大量の便を放出した。際どいところでセーフだった。

ふおお、むう。

誰もいないと思うとつい声が出てしまった。少し間を置いて第二弾と第三弾が出ると、ようやく危機は去ったように感じた。

男は大きく息を漏らし、その場でぐったりとなった。

ふと見ると、備えつけのサイドボードに雑誌が読み捨てられていた。

何気なく手に取ると、男の好きなゴシップ記事満載の週刊誌だった。おまけに袋とじも未開封だった。男はほくほく顔でアイドルの密会記事から読みはじめた。

すぐに夢中になり、次に気がついたときにはもう手遅れだった。

翌日、男は焼け焦げた週刊誌を手にしたままの状態で消防隊員に発見された。袋とじは開けられていた。


分かれ道

26 分かれ道

一本道を進んでいくと、道が二手に分かれていた。

右の道は地獄行きと案内が出ていた。

左の道には案内はなかった。

男は左の道を選んだ。

地獄よりもっと悪かった。

それが新たな基準となった。


犬を介した再会について

27 犬を介した再会について

男は今でも小学生のときの苦い記憶を思い出すことがあった。

ある日、一緒に遊んでいた同級生のFが目の前で犬に咬まれたのだ。自分と同じくらい大きな体をした凶暴な野良犬だった。

男は怖くなって、泣きわめくFを見捨てて逃げたのだった。Fは腕に十針以上縫う大怪我をした。

後にも先にもあんなに怖い思いをしたことはなかった。

その一件のあと、男は例の野良犬以上にFの存在を恐れるようになった。Fと目が合うと、あのとき逃げたことを責められているような気がしたのだ。自分の意気地のなさを。

男は、残りの学校生活をFを避けるようにして過ごしたのだった。

それから二十年以上が経った今でも、男の心には当時のことが引っ掛かっていた。

ある日、男は一言謝りたいという抜き差しならない思いに駆られて衝動的にFを訪ねた。本当はずっとそうしたかったのだ。

今も実家で暮らしていたFは、突然の訪問に面食らい、いくらか警戒した様子で門扉越しに対応した。

それも最初だけのことだった。男が昔のことを謝りたいと言うと、相手の態度も心なし和らいだ。

ところが、門扉を開けて敷地に通してくれたかと思うと、Fは突然態度を翻した。敵意もあらわに男を罵りはじめたのだ。

卑怯者。根性なし。お前のせいで大怪我をした。お前のせいでおれは不具者だ。一生が台無しだ。

男はすっかり萎縮して批判されるままになった。どれだけ責められても当然の報いだと思った。

突然、Fが勝ち誇ったような笑い声をあげた。もしやと思って振り返ると、男の後ろに放し飼いの大型犬がいた。罠にはまったのだ。

大型犬は今にも咬みつきそうな様子で牙を剥き出しにして唸り、飼い主の命令を待ち構えていた。

「このときを何年も待っていたぞ。この傷の恨みを忘れるはずがないからな。そいつは羊を何頭も噛み殺したこともある凶暴なロットワイラーだ。今こそ復讐を果たしてやる。行け、ソルティ!」

Fは犬をけしかけてきた。

男はわっと目をつむり、飛びかかってきた犬を無我夢中で払いのけた。

宙を舞った犬は、庭の隅にあるDIY用具がまとめられた一角に突っ込んだ。板や工具が大きな音を立てて犬の上に崩れ落ちた。

犬はそれらを自ら押しのけて立ち上がったが、その胴体には芯材で使うような鉄の棒が二本突き刺さっていた。犬はなおも立ち向かってこようとしたが、もう脚が言うことを聞かなかった。

Fは犬に駆け寄り、歯軋りしながら男を振り返った。

「おれに何の恨みがあるんだ!」

男はうろたえて許しを乞うた。決してこんなことをするつもりではなかった。

Fは絶対に許さないとわめきながら殴りかかってきた。男は甘んじて殴られながら、ただひたすら頭を下げた。

Fは何度も殴った。途中からは角材を使って殴った。

次第に、男はいくらなんでもやりすぎだろうという気持ちになって、思わず一発殴り返した。

Fの歯が折れた。

Fは血相を変えて再び掴みかかってきた。

男は今度は受けて立った。二人は狭い庭先で上になり下になりの大乱闘を演じた。

そうこうしているうちに犬は死んでしまった。


オフィスサプライ

28 オフィスサプライ

昼食から戻ると、男はさっそく午後の仕事に取りかかった。書類がきちんと規定に沿っているかどうかを確認する単調な業務だった。

はかどりはじめた頃、デスクの隅に押しやるように置いてあった水色のテープカッターが男にもそもそ語りかけてきた。

「たまには埃くらい拭いてくれよ」

昔ながらの重量のある卓上型テープカッターだった。男はまさかと思って手を止め、辺りを見回した。こんなものが喋るはずがない。

同僚たちはそれぞれ自分の仕事に従事しており、誰も話しかけてきてなかった。でも、まさか。

男はそっと手を伸ばし、テープカッターの水色のボディを指先でつついてみた。反応はなかった。指の関節のところで軽く叩いても反応はなく、少し持ち上げて揺すってみても同じことだった。

「そうじゃねぇよ。掃除だよ、掃除」

男は驚いて声をあげそうになった。やはりこいつだったのだ。しかも、なんだか品の悪い感じだ。

男は少し腰を浮かせて重い台座を両手で掴むと、テープカッターを目の前に持ってきた。椅子に座り直して、そのどっしりとしたボディを改めてじっくり眺めた。

埃をかぶっていることはときどき目についていたが、掃除をしたことなど一度もなかった。

数年前の配置換えでこのデスクを使いはじめたときから置いてあったものだが、業務で使う機会がほとんどないせいもあり見て見ぬふりをしてきたのだ。

よし、一丁やるか。

男は軽く腕まくりをし、デスクの一番上の引き出しから使い捨てのお手拭きを取り出した。

男には、喫茶店やファミレスでもらったお手拭きを使わずに持ち帰って溜め込む癖があった。何ヵ月も放置して乾燥させてしまうのがいつものオチだったが、今こそ役に立つときが来たのだ。

男は開封したお手拭きを指でつまみあげると、もしやと思って一瞬それを見つめた。これも喋るかもしれないと思ったのだ。

残念ながら、お手拭きは喋らなかった。

それでも、男はこのときのために自分はお手拭きを集めていたのだと何か合点が行くところがあった。

男はテープカッターの拭き掃除をはじめた。いったんはじめてしまうと、もう隅々までやらないではいられなかった。

お手拭きはすぐに真っ黒になり、二袋目三袋目と開けなければならなかった。使用済みのものは足元のゴミ箱に捨てた。

リールを外して溝の部分を掃除することも忘れなかった。もちろん、リール自体の汚れもきれいに落とした。

男はお手拭きを惜しまず、ひたすら丹念に部品を磨いた。磨きながら、セロテープとテープカッターの単純で無駄のない構造に思いを馳せた。

これを考えた人間は天才に違いない。

結局十枚以上のお手拭きを使った。すべて終わったときには、テープカッターは新車のような輝きを放っていた。

男は満足げな表情でそれを愛でると、その文具が何か言うのではないかと思って少し待った。もしかしたら、お礼か何かを。

テープカッターは何も喋らなかった。

少し残念に思ったが、男はこれでいいのだと自分を納得させた。それからその文具をもとのデスクの隅に戻した。

ちょうど終業を知らせる音楽が流れた。男は爽やかな気分で職場をあとにした。



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