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耳垢

30 耳垢

「ちょっとこっち来て」

男は心なし浮き立った声で女を呼んだ。見たこともないほど大きな耳垢が取れたのだ。

女が部屋の戸口のところに姿を現した。何か作業を中断してきたらしく、ゴム手袋をはめたままだった。やらなきゃと言っていた風呂場の排水溝の掃除かもしれない。

「耳垢、すげーでかいのが取れた」

男は耳垢の乗ったティッシュを手のひらに乗せ、得意気に女に見せた。

女は汚れがつかないように手のひらを外側に向けて腰に手を当て、すがめた目をちらりとティッシュに向けた。

「で?」女が言った。

で、と言われてもこれだけだった。でかい耳垢。男はもっとよく見てと言うように、手をもうひと押し前にやった。

女は感情のこもってない目でティッシュを一瞥すると、ものも言わずに行ってしまった。

男は、女のその態度にまた何か間違えてしまったらしいと気がついた。「捨てるから」男はあとを追うようにして言った。

しかし、一人になって改めて耳垢を前にすると、やはり捨てるには忍びないという気持ちが沸いた。それほどの大きさだった。

その日、男は耳垢の乗ったティッシュを机に広げたままにして布団に入った。

翌朝目が覚めると、男は真っ先に机のところに行った。ティッシュはそのまま置いてあったが、肝心の耳垢は消えてしまっていた。

男は焦って辺りを見回した。耳垢はどこにもなかった。這いつくばって床をしらみつぶしに探したが、見つかるのはゴミだけだった。

風に舞うとか虫に食べられるとかしてしまったのだろうか。男はしばらくくよくよ考えた。はっきりしたことは何も分からなかった。

午後になって、男はようやく女にあれは捨てたと報告した。


この本の内容は以上です。


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