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 やはり死にかけの老犬と判断した伊達は、うまく説得できそうな気分になった。「やっぱりな。死にかけか。ひろ子さんも、ヨボヨボで、後、23年と言ってやれば、あきらめるさ。任せとけ」ちょっと心配だったが、沢富は引きつった顔でうなずいた。沢富はひろ子の考えていることが、さっぱりわからなかった。麻薬探知犬と言っても、散歩も危なっかしい老犬だから、麻薬探知の仕事はできないはず。それなのに、なぜ、そこまで欲しがるのか不思議でならなかった。「先輩、ひろ子さん、麻薬探知犬を飼って、どうするつもりなんでしょうかね~~。散歩もろくにできない老犬ですよ、麻薬探知の仕事は、できませんよ。さっぱりわかりません」

 

 伊達は、犬を飼ったことがなく、あまりピンとこなかったが、おいぼれで死にかけの犬を飼っても、大変な世話を強いられて、飼い主が困るだけのように思えた。沢富が言うようにいったい何のために老犬を飼う気なのか不思議だった。「まったく、サワの言うとおりだな。おそらく、麻薬探知犬としては、使い物にならないと思うな。まあ、たとえ、麻薬のにおいを覚えていたとしてもだな~、麻薬を発見させるには、優秀なハンドラーがいなくてはならないんだ。ハンドラーがいての麻薬探知犬だから、ひろ子さんが連れて回っても、意味がないってことだ。おそらく、ハンドラーのことがわかってないんじゃないか」沢富は、目を輝かせてうなずいた。「そうです。その通りです。僕も聞いたことがあります。確かに、犬も優秀でなければなりませんが、麻薬探知犬を活かすには、ハンドラーの腕にかかっていると。先輩、ガツンと言ってやってください」

 

 沢富は、伊達の説得に期待が持てそうで気分がよくなってきた。「ところで、クラブ・アリランのほうは、うまくいってますか?今日は、何時から仕事ですか?」ママがスタッフを管理していたため、伊達は、いつも8時過ぎにクラブ・アリランに顔を出していた。幸運にも3月には若くてかわいいホステスたちが入って来た。「俺は、いつも、8時過ぎに顔を出すことにしている。ママが取り仕切っているから、心配はいらん。今のところ、怪しいやつは現れていない。でも、きっと、北署内にマフィアとつながっている奴がいる。サワ、お前にかかっている。頼むぞ」

 

 


             失恋自殺?

 

 沢富も北署内に必ずいると思った。昨年、出口巡査長が謎の事故死をしたことを考えると、大村警察署から赴任してきた須賀巡査長は、必ず、密輸にかかわるとにらんでいた。新しく赴任してきた須賀巡査長は、かつて、長崎警察署時代、安倍警部補の部下だったらしい。当然、密輸は、何人かのグループでやっている。中国マフィア、韓国マフィア、国内の暴力団、日本の警察、が絡んだ大掛かりな密輸に違いない。いや、市会議員も絡んでいる可能性もある。彼らは、摘発されやすい旅客機や客船を使わないはず。きっと、漁船を使っている。漁船を使って持ち込まれた麻薬は、どこの港に運び込まれ、だれが、どこに運び込んでいるのか?対馬に運び込まれた麻薬をどのような方法で関東、関西に運び込んでいるのか?その時、警察がどのようにかかわっているのか?

 

 小さな漁船であればどこの岸にでも接岸できる。となれば、対馬沿岸だけでなく、長崎沿岸、佐賀沿岸、福岡沿岸、山口沿岸、島根沿岸、それら辺りであれば容易に接岸できるはず。いや、あまり広範囲に考えても手掛かりはつかめない。やはり、突破口は警察官とのかかわり。「先輩、今回赴任してきた須賀巡査長がにおいます。とにかく、彼と親しくなって情報をとってみます。ところで、マトリの鹿取さんと草凪さんから、何か情報は入ってますか」マトリの二人は、今のところ何一つ手掛かりがつかめないことに焦っていた。「いや、まったくこれといった手掛かりはない。密輸のプログループだ、そう簡単には尻尾を出すまい。今回の手掛かりは、何といっても、出口巡査長の事故死だ。必ず、警察内部に仲間がいる。警部か?警部補か?いや、警察署長か?疑えば、きりがないが、必ず、出口巡査長に指示を出していたやつがいるはずだ」

 

 沢富は、ドリッパーにブラウンのペーパーフィルターを押し込むと、タッパーウェアのキリマンジャロコーヒーの粉をメジャースプーンで約20グラムほどすくって入れた。次に、ドリップポットで小さな”の”の字を書くようにゆっくりとお湯を注ぎ、サーバーに落とした。二つのコーヒーを淹れると一つを伊達に差し出した。「どうですか、キリマン。おいしいでしょ」伊達は、コーヒーを淹れるのが面倒くさくて、いつもお茶を飲んでいた。「サワは、まめだな~~。確かに、うまい。いい香りだし、プロみたいじゃないか。いつも、こうやって飲んでいるのか?」サワは、ドヤ顔で返事した。「はい。コーヒーを淹れるのが、趣味みたいなもので。コーヒーの香りをかぎながら、ゆっくりと淹れていると、心が落ち着くんです」伊達は淹れたてのコーヒーがおいしいことに納得したが、自分で淹れて飲む気にはならなかった。「対馬にいる間は、サワのコーヒーが飲めるということだな。感謝するよ」

 


 沢富は、香りをかぎながら一口すすり伊達に話しかけた。「先輩、大胆な仮説ですけど、こんなのはどうでしょう。漁船に積み込まれた麻薬なんですが、その麻薬は、警部の自宅に運び込まれている。そして、その麻薬をゴルフクラブのヘッドの中に隠す。警部は巡査長をメンバーとしてゴルフに誘い、ヤクザとゴルフをする。そして、ラウンド中に麻薬が詰め込まれたゴルフクラブをヤクザに渡す。どうでしょうか?こんな手口」伊達は、大きくうなずくとコーヒーをすすった。「なるほど、仮に、麻薬が警部の自宅に運び込まれていたのだったら、これほど安全な場所はないな。かなりしっかりした情報がないと、家宅捜索はできんからな。ゴルフクラブのヘッドか。意表を突いたアイデアだな。考えられないこともない」

 

 伊達は、沢富の仮説をヒントに改めて出口巡査長の死について考えてみた。出口巡査長は、正義感の強い青年だったに違いない。ということは、警部に指図されたからといって、麻薬の仲介などしないはずだ。ということは、麻薬の仲介だとは知らずに麻薬を仲介していた。ところが、何かのきっかけで、偶然、自分が麻薬の仲介をしていることに気づいた。それで、警部にそのことを確かめた。麻薬の仲介のことに気づかれた警部は、将来の昇進を条件に麻薬の仲介について黙っているように説得したが、逆に、出口巡査長は麻薬の仲介をやめるように警部に進言した。このままでは、出口巡査長は自首する可能性があると思った警部は、事故に見せかけて、ヤクザに殺させた。仮に、麻薬の仲介拠点として、警部の自宅が使われていたとしたならば、かなり厄介なことになる。伊達は、大きなため息をついた。

 

 沢富も内部犯行だったら、困難極まりないと考えていた。「先輩、そう、暗い顔をしないでください。とにかく、警察署長の家にも、警部の家にも、警部補の家にも、何とか口実を作り、遊びに行って、家の中を探ってみます。きっと、何か手掛かりをつかんで見せます。今、警察内部に巣くったガンは増殖しているのです。一刻も早く、切り取らないと警察の正義がなくなってしまいます。でも、焦っても、ことを仕損じます。腰を据えて、じっくりとやりましょう」伊達は、国家のための特別任務とはいえ、対馬に左遷されて憂鬱になっていた。将来、二度と福岡に帰れないのではないかと不安になっていた。「お前はいいよな。キャリアなんだから。1年、対馬で冷や飯を食らっても、警察庁での出世というご馳走がある。俺には・・」

 

 


 

 キャリアの沢富は、警察内部の腐敗を調査するために、警察署勤務を命じられていた。いずれは、警察庁に戻り、警察庁での出世が約束されていた。それに比べ、3流大学卒で地方公務員の伊達には、出世の道はなかった。奇跡的に警部になれたが、いつでも左遷される身分だった。伊達には、警部昇進の引き換えに、対馬勤務を命じられたように思えた。もしそうであったなら、警部補のままでいたほうが、よっぽどましのように思えてならなかった。マトリに協力することは、警察官としては、誇りに違いない。でも、これは、左遷するための口実ではないかと思えてきた。また、聞くところによると、政府は公務員を減らす方針を打ち出している。そのことを考えると、落ち込んでしまい、やる気も出なかった。

 

 伊達の落ち込み様は今まで見たことがないものだった。沢富は、少しやつれ気味の伊達の表情を見て、慰めることにした。「先輩らしくないですよ。人生、野となれ山となれ、じゃないですか。対馬の任務をやってのければ、一気に、先輩の株は急上昇ですよ。対馬赴任も、僕たちの運命だと思って、対馬を守りましょう。そうだ、春日神社にお参りしましょうか。春日神(かすがのかみ)は日本の守護神といわれているんです。僕は、東京にいた時も、京都にいた時も、福岡にいた時も、春日神社にお参りしていたんです。そうすると、いいことが起きるんです」伊達は、ここ最近、藁(わら)をもすがる思いだった。このままだと、対馬で殉死するんでないかと不安に駆られていた。「おい、春日神社って、どこにあるんだ。俺に取りついた悪霊を取り払ってもらいたい。おい、どこだ。教えてくれ」

 

 沢富は、マジになった伊達を見て笑いが込み上げてきた。「先輩、春日神社って、全国に、1000以上もあるんです。対馬にもあるんですよ。国道382号線沿いにあります。ドライブがてら、行ってみましょう」ほんの少し気が楽になったのか、伊達は子供のような笑顔を浮かべると殉死した出口巡査長について話し始めた。「おそらく、出口巡査長は事故死だと思うんだが、どうも、すっきりしない。比田勝の人たちから、出口巡査長についてのうわさを聞いたんだが、彼らのほとんどは、自殺だというんだ。島育ちの青年が、事故死するとは、考えられないそうだ。いわれてみると、自殺が正解かもしれんな。俺も、事故死っていうのは、ちょっと納得がいかん。仕事のことで悩んでいて、自殺したのかもしれん。サワは、どう思う?」

 

 


 

 ふんふんと沢富は、うなずき、同調した。「僕も、事故死じゃないと思います。自殺か殺害でしょう。いずれにせよ、何らかの事件が引き金になっていると思います。今のところ何の手掛かりもありませんが、これからという青年警察官が自殺したと仮定すれば、よほど深刻な悩みがあったに違いありません。まあ、恋愛の悩みで自殺する男性もいないとも考えられませんから、失恋しての自殺ってこともあり得ますね」ちょっと首をかしげた伊達だったが、沢富のような考えもあるような気がしてうなずいた。「なるほどな。失恋か。俺には、考えられないことだが、平成の若者には、そういうのもいるかもしれんな。結婚を親に反対されて、手と手を取り合って心中した話を聞いたことはあるが、男子が失恋して自殺したという話は、聞いたことがない。でも、可能性を無視してはいけない。俺たちは、デカだからな」

 

 出口巡査長の死が自殺と仮定することもできるが、沢富は、殺害という可能性を捨て去ってはいけないように思えた。まだ、死の真相ははっきりしていない。密輸に絡んだ殺害ということだって考えられる。「何事も、決めつけるのはよくないですね。今のところ手掛かりがないわけですから、いろんな可能性を考えてみましょう。でも、意外と、失恋による自殺だったという結末もあり得ますけどね」伊達は、麻薬の密輸に絡んだ殺害というより、むしろ、失恋による自殺であってほしかった。正義感の強い青年警察官が、人間の屑のようなヤクザに殺害されたと思うと悲しくてやるせなかった。「失恋か?そうだ。ひろ子さん、言ってたよな。出口巡査長は幼馴染で、高校のクラスメイトだったと。ホッホー、意外や、意外、なんと、彼の失恋の相手とは、ひろ子さんだった。ひろ子さんに失恋して、自殺した?あり得るんじゃないか?」

 

 沢富は、口をとがらかせて反論した。「ちょっと待ってください。それはないでしょう。僕は、ひろ子さんと結婚する身なんですよ。冗談にもほどがあります。そんな、縁起の悪い憶測はやめてください」伊達は、冗談のつもりで話し始めたが、もしかしたら、これこそ、真実ではないかと思え始めた。目を輝かせた伊達は話を続けた。「女性の過去というものは、ミステリアスなものなんだ。あんなに出口巡査長の死について関心があるということは、間違いなく、出口巡査長は、元カレだ。きっと、元カレの仇をとる気なんだ。そう考えれば、ひろ子さんの行動につじつまが合う。間違いない」疑うのが刑事だからといっても、ここまで相棒を傷つけるとは心外だった。「先輩、やめてください。そこまで言うんだったら、確かめてみます。まったく、人が悪いんだから」

 

 



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