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 沢富は、今でも、老犬を飼うことには賛成できなかった。でも、喜んでいるひろ子を見ていると老犬の病気の心配をするより、老犬の介護を真剣に考えるべきではないかと思えてきた。元気な犬はかわいがって、よぼよぼの老犬はかわいがりたくないと思っている自分が、なんだか恥ずかしくなった。よぼよぼのジ~さんになっても、かつては、国家のために働き、人をいやしてくれたかわいいペット。そんなことを思っていると、ひょっとしたら、麻薬探知に役立つかもしれない、とよからぬことを思ってしまった。というのも、ビヨンド号を連れて、警部のうちに遊びに行ってはどうか、と考えたからだった。「ひろ子さん、譲ってもらえるといいですね。もし、譲ってもらえたら、僕もかわいがりますよ」

 

 あれほど反対していた沢富の心変わりに、伊達は皮肉を言った。「さっきまで、飼うのを反対してたのに、どういう風の吹き回しだ。結婚前から、尻に敷かれるようじゃ、先が思いやられるな~~、ハハハ」皮肉を言われたが、なんとなく、老犬が事件の解決に活躍してくれそうな予感がした。「先輩、そう、からかわないでください。老犬介護も、老人介護と同じように、大切だってことですよ。ペットを飼うんだったら、最期まで面倒見てやるのが、ヒューマニズムじゃないかと思いましてね」伊達が、顔をしかめて、さらに皮肉を言った。「何が、ヒューマニズムだ。出世のことしか考えてないくせに。エリートというやつは、口だけは、達者だからな」

 

 左遷されてかなりひがみっぽくなってしまったと沢富はあきれてしまった。でも、出世の道のない地方公務員の刑事から見れば、キャリアは、妬みの対象でしかないのだろう。正義のため、庶民の安全のため、と大義名分を並べ立てたとしても、ヒラ公務員で一生を終えなければならないと思うとみじめだろう。しかも、どんなに事件解決の実績を上げても、それは、当然の任務であり、出世の評価には値しない。さらに、家族を守るために、若いキャリアにペコペコ頭を下げなければならないという宿命までも背負わされている。おそらく、今のままでは、伊達の警察署長は、夢で終わるだろう。伊達は、そのことを悟っているに違いない。今、自分の生きがいを見つけ出そうと必死に、もがいてるのかもしれない。組織というものは、非情なものだと思うが、生きるということは、その人の創造でしかない。必ず、その人なりの未来は創造できるはず。

 

 


 

 ナオ子は対馬に左遷された伊達の落ち込んだ気持ちを察していた。しかも、唯一の息抜きにしていたヤフオクドームでの野球観戦もできなくなって、不満のはけ口を失っていることも読み取れた。また、ナオ子に対馬の田舎暮らしをさせたことへの負い目を感じていることも直感できた。一方、ナオ子自身の気持ちとしては、対馬に来る前は、社会から脱落してしまうようで絶望感に陥ったが、いざ、対馬に住んでみると、都会生活では経験できなかったやさしい心を持てるようになったと感じた。世間の噂ばかりを気にして生きてきた人生が、なんだか味気なく感じてしまった。

 

 また、対馬には、農業や漁業を体験できる農泊というのがあることを知った。試しにと、3月に、ひろ子と二人で農泊に出かけた。ナオ子は、初めて農業と漁業に触れて、人生が一変するほどの感動を覚えた。自然と直接触れ合う農作業によって得られる充実感は、今までに味わったことのない心地よい気持ちをもたらしてくれた。ナオ子は、今の心境を伊達に伝えることにした。「あなた、ちょっと聞いてよ。この前ね~、ひろ子さんと二人で、農泊に行ってきたのよ。農泊って、農業とか漁業を体験できる小旅行なの。すっごく楽しかった。対馬が、こんなに素晴らしいところだとは、思わなかったわ。今度は、みんなで、農泊に行きましょうよ。あなたが好きな船釣りができるのよ。対馬だったら、何年いたって、いいって感じ。住めば都、ってよく言ったものね。対馬は、最高」

 

 

 

 


           ひろ子への尋問

 

 ナオ子が対馬を気に入ってくれたことで、少しは伊達の気持ちは楽になったが、伊達にしてみれば、対馬の釣りより博多の屋台が恋しかった。博多に戻るためにも、一刻も早く、麻薬密輸ルートを摘発しなければならなかった。できることなら、出口巡査長の死の謎をも解明したかった。「ひろ子さん、話は変わるけど、出口巡査長とは高校のクラスメイトだったんだろ。ちょっと、彼の死が気になるんだ。彼について、聞かせてくれないか?なんでもいいんだ」ひろ子は、出口巡査長の死に疑問を持ってくれている警察官がひとりでもいると知ると、犬死した出口巡査長が浮かばれるように思えた。でも、出口巡査長が神への懺悔として残した手紙の内容を決して他言しない、とドギャン・シタトネ神父と交わした約束をひろ子は破るわけにはいかなかった。

 

 伊達は出口巡査長の経歴と家族構成を調べると同時にひろ子の過去も調べていた。ひろ子は上対馬高校卒業後、対馬南警察署に採用され、3年間の交通課勤務後、21歳の時に結婚を理由に退職。その後、23歳で離婚すると、福岡に転居し、タクシー運転手として勤務。なぜ、ひろ子は警察官であったことを隠していたのか?退職理由は、結婚とあったが、果たして、それは本当なのか?伊達は、ひろ子の過去を探りたくなかったが、出口巡査長の死を解明するためにはやむを得ないと心を鬼にした。伊達は、黙っているひろ子に取調室で被疑者を尋問するかのような口調で話しかけた。「なんでもいいんだ。ひろ子さん、話してくれないか?手掛かりが欲しいんだ。付き合っていた時も、あったんじゃないのか?」

 

 黙っていると伊達の心証を悪くすると思い、当たり障りない程度のことを話すことにした。「出口君とは、幼馴染で、高校のクラスメイトよ。単なる友達。出口君とは、3年前の同窓会以来、会ってないし、突然の死で、びっくりしてるんだから。こっちのほうが、知りたいぐらい」伊達は、腕組みをしてうなずいたが、長年の刑事の感から、何か隠していると直感した。「それだけですか?ほかに、何か、つかんでるんじゃないですか?ひろ子さんには、悪いと思ったが、ちょっと、調べさせてもらった。ひろ子さんは、かつて、対馬南署の警察官だったんですね」沢富とナオ子は、え~~~、と大声をあげて、驚いた。沢富が確認した。「本当ですか?ひろ子さん」

 

 


 

 ひろ子は隠すつもりはなかったが、自ら知らせることでもないと思っていた。「別に、隠すつもりじゃ。なんとなく、言いそびれたというか、何というか・・まあ、そんなこと、どうでもいいじゃないですか。わかりました。とにかく、出口君のことで、何かわかったことがあれば、必ず、伊達さんに報告します。黙ってたことは、ごめんなさい。サワちゃん、ごめんね」沢富は、納得いかない顔で返事した。「水臭いじゃないですか。僕に隠し事するなんて。出口巡査長との関係も、洗いざらい白状してください。どんなことを言われても、驚かないから」出口巡査長との関係を疑われたひろ子は、面食らってしまった。「何、言うの。出口君とは、高校の単なるクラスメイトよ。それ以上の関係はないわよ。変な勘繰りはやめてよ。まったく、これだから、デカって、嫌いなのよ」

 

 肝っ玉の小さい沢富に、ナオ子はあきれた。女に一つや二つの隠し事は、あって当たり前、何もかも過去をばらせば、結婚なんてできっこない、と沢富に説教してやろうかと喉元まで声が出かかったが、これ以上二人の仲が険悪になっては、仲人が水の泡になると思い、グッと口をつぐんだ。「サワちゃん、そう、むきにならずに。ひろ子さんだって、悪気はなかったんだから。サワちゃん、結婚というのは、相手のすべてを信じることなの。ひろ子さんを信じてあげて」興奮が収まらなかったが、大人げない発言をしたことは、謝るべきだと感じた。「いや、僕って、バカですね。ひろ子さんを疑うなんて。とにかく、出口巡査長について、力を合わせて、調べてみましょう。きっと、手掛かりがつかめるはずです。本当に、申し訳ありませんでした」

 

 頭を下げて謝った沢富が気の毒になった。ひろ子は、隠し事をしていることに罪悪感を感じたが、死の謎が解決するまでは、懺悔の内容はしゃべることができなかった。沢富に笑顔を送ったひろ子は、そっと、心の底でごめんなさいと謝った。「サワちゃん、謝るのは、私の方よ。隠し事して、本当に、ごめんなさい。これからは、包み隠さず、話すから。出口君のことなんだけど、友達が言うには、職場での人間関係がうまくいかなくて、自殺したんじゃないかって。でも、出口君らしくないのよね~~。出口君は、野球部のキャプテンだったし、卒業してからも後輩たちの面倒を見てたらしいの。事故死する数日前まで、バッティングピッチャーやってたんだって。武田監督も、首をかしげていたのよ」

 

 


 伊達が、大きな声で問い詰めた。「ひろ子さん、調べてるじゃないですか。知ってることは、すべて、話してもらわないと。まったく」伊達は、ひろ子がしゃべったことをメモするように沢富に指示した。「サワ、今のをメモれ。ほかに、わかってることは?すでに、聞き込みをやってるんでしょ。包み隠さず、話してください。今、約束したでしょ」ひろ子は武田先生の話を思い出してみた。「そう、出口君、何か、悩んでたみたいだって。武田監督が言ってた」沢富が、即座に口をはさんだ。「悩んでいたんですね。仕事の悩みでしょうか?仕事の悩みで、自殺ってことも。う~~」伊達が、話を促した。「そのほかには?さ~~、全部、吐き出して」ひろ子は、首をかしげながらあの時のことを思い出してみた。「あ、そう、練習の帰り際に、武田監督が、また、頼むな、って言ったのよ。そしたら、出口君、ハイって答えたんだって」

 

 伊達は、出口巡査長には、母親と妹がいたことを思い出した。すでに、ひろ子が二人にも聞き込みをしたのではないかと思い、誘導尋問をした。「そのほかには?母親にも会ったんじゃないのか?」母親から、特に手掛かりになるような情報を得られなかったが、母親が言った気になったことを話すことにした。「はい。一度、会いました。お母さんも自殺かもしれないといっておられました。そう、出口君から電話があった時に、困ったことが起きた、と言っていたそうです。内容について聞き出そうとされたんですが、出口君は、話さなかったそうです」”悩んでいた”、”困ったことが起きた”、と言う言葉から、伊達の頭は自殺説が濃厚になっていた。さらに、伊達は話を促した。「妹は、何と言ってた?」妹とは会っていなかったひろ子は、即位座に返事した。「妹さんには、一度もあっていません」

 

 メモを書き終えた沢富も自殺説に偏り始めていたが、何か、しっくりいかなかった。確かに、何か事件が起きて、そのことで悩んでいたことは、ひろ子の話から推測できた。だからといって、自殺したと決めつけるのは、あまりにも短絡的すぎると思った。伊達は、かなり聞き込みをやっていることに感心したが、万が一、出口巡査長の死が殺害であったならば、非常に危険な聞き込みをやっていることになると不安になった。彼の殺害に麻薬密輸マフィアが絡んでいたならば、お金で殺しを請け負うプロのヒットマンが殺害したと考えていい。今回の任務で最も警戒しなければならない相手は、プロのヒットマンなのだ。これ以上、ひろ子に聞き込みをさせることは危険極まりないと判断した。

 

 

 



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