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 年末が来て、加奈子は、少し片づけなければと重い腰をあげた。

「昔のものを捨てなきゃね。あなた幾つだと思ってるのよ。七十よ」

 まず、ごちゃごちゃ詰め込んでいる本箱の引き出しから始める。一段目の古い手紙などをゴミ袋に放り込む。

今日こそはとにかく捨てようと、気合を入れて二段目を開ける。その奥から、シミだらけの原稿用紙が出てきた。鉛筆の文字も薄れている。

「うわっ、懐かしい、中学一年のときの作文だ」

 加奈子は、老眼鏡をかけると、それを手に座り込んでしまった。

 

     くずやのおばあさん        

            一年四組  小林加奈子

 「おばあさあん、おばあさあん。」

 お母さんが、社宅の四階のベランダから大声で呼びました。

 くずやのおばあさんは、キョロキョロしていましたが、やがて声の主がわかったらしく、にこにこしながら頭を下げて

「へえ、すぐ行かしてもらいます。」

と又、大声で答えました。

 間もなく、ドアが開かれて

「ここだんなあ、今呼んでくれてでしたんは。」

と言いながらさっきのおばあさんが入ってきました。

「あっ、おばあさん来てくれてでしたん、高いとこまですみませんねえ。」

 お母さんはそう言って、ためていた物を取りに行きました。おばあさんは、ごちゃごちゃならべられた足もとの品物を見ながら

「ああ、ありがたいこっちゃ。」

と手を合わせてぶつぶつ言っていました。

「暑いのにおばあさんはいつもお達者でけっこうですねえ。」

とお母さんが言うと

「おかげでなあ、そのかわり奥さん、わて年よりだっけどたんと御飯食べまんねん。おいしいてなあ。」

 おばあさんはそう言いながら、からびん・古新聞・あきかん・ぼろと、それぞれ目方をはかっています。

「ほしたらこれ奥さん置きまっせ。」

と、長さ四十センチ位もある木綿のふくろから、十円や五円の硬貨をジャラジャラ出して

「へい、これが新聞十八円だっけど二十円、これがあきかん十円………。」

といちいち別々に、げた箱の上にならべました。

「ああおおきに。」

 お母さんは受け取りました。全部で八十五円ありました。私とお兄さんがお母さんの後ろで立っていると、

「ぼんに十円、ねえちゃんに十円。」

 と二人に十円ずつくれました。

「おばあさん、こんな大きい子に。」

 お母さんはことわりましたが、

「ええ、子供や子供や。キャンデーでもこうたらええわ。」

と言いながら、くるくるひもをふくろの口にまわしてしばりお金をふところにしまいました。こんな風にいつもどこの家ででも子供好きらしく、子供のすがたが見えたらお金をくれるのです。

 いつかこんなことがありました。

「おばあさん見かけたら来てもろてね。」

とたのまれていました。買い物の帰りおばあさんにあったので

「ちょっとうちへよってちょうだいか。」

と言うと、

「いつもおおきに。おねえちゃん、一つあげまひょ。」

と言って、十円くれようとしました。外だったし、まわりに四、五人男の子がいたので、

はずかしくなって

「うううん、ええわ。」

と言って断りましたが、

「まあええええとっときなはれ。」

と言って、くれるので、断りきれずもらったらまわりの子らが、

「うあ、ええのう。」

と言ってわいわいさわぐので、おばあさんはその子供たちにも十円ずつあげていました。こんな商売していても、たいへんきまえがいいのです。

 おばあさんは色々な布をつなぎあわせた大きなふろしきを出してくずを包みました。ふろしきの中に見おぼえのある布があります。たしか前に出した私の家のふとんだった布です。あとでお母さんに言うと、お母さんもきがついていたそうです。

 おばあさんが帰ろうとした時、お母さんが冷えた麦茶を出してあげると、

「やあ、おおきにおおきに。冷とうておいしおま。」

と言ってうれしそうに飲みました。

「おおきに奥さん、又たのんまっせ。」

と言いながら大きな荷物を背中へせおいました。小さい細い腰の曲がったおばあさんは、荷物にうずまっているようです。でも、しっかりした足どりで、下へおりていきました。このおばあさんは年をきいても、

「いや、もう年ですわ。」

と言うばかりではっきり答えてくれませんが、もう六十五は過ぎていると思います。それでも元気にリヤカーを引いてよくこの社宅へもやって来ます。あいそがよく、いつでもニコニコしているのでたいへん評判がよいのです。帰りにはいつもガラクタで山のようになります。

 おばあさんの家はここより三里も奥にあり、途中の「寄せ屋」まで荷物を持って行って、そこでお金にかえるのだそうです。なんでも家には、病気の娘さんとその子供がいるそうで、娘さんの主人は電気工事の事故でなくなられたとのことです。

 六十も過ぎると、ふつうの人ならのんきにくらしているのにこのおばあさんは、お正月とお祭りに休むだけで、一年中毎日重い荷物をせおったりひいたりして、自分の不幸にも負けず、ほがらかに元気に毎日をおくって、本当に偉いと思います。 

 

 ああそうだ、これは夏休みの宿題だった。この後大変だったんだ。『朗読会』で、全校生の前で読むことになり、ずっと胃が痛かったなあ。そんなことを思い出して、加奈子は、老眼鏡をはずして窓に目を向けた。葉を落とした庭木に、小鳥が一羽とまっていた。枝に刺したみかんをついばんでいる。それを見るともなく見ながら、六十年近い昔に心が漂った。

 

 確か、十月の初め、『朗読会』をなんとかやり終えて、先生に褒めてもらった。教室の片隅の子にスポットライトが当たったごく短い時間だった。

  その翌日、見知らぬ子が靴箱のところで加奈子を待っていた。

「一緒に帰ろ」

 その子は、さっさと歩き始めた。

「えっ、誰?」

 びっくりしたけれど、黙って少し後ろを歩いた。いつも一人帰っていた道だし、方向は同じだから特に問題もない。

「私、柿木美穂」

「あ、わ、わたし、小林加奈子」

「知っとお」

「なんで?」

「昨日、作文読んでたやん」

「そうかあ。柿木さん何組?」

「九組、一週間前に転入してきてん」

 加奈子の肩までしかない小さな細い子だった。加奈子だって、クラスでも中ほどの背丈なのだけれど。九組とは校舎も離れてるし、知らないはずだ。学校から家まではかなり遠く、稲の穂が実った田んぼの中の一本道を、その子の横を気づまりなまま歩いた。車も通らない静かな道を歩く二人を、かかしがにらんでいた。

「あんな、あの作文のおばあさん、私のおばあちゃんなんや」

「えっ、えっ、なんで?うわ、どないしょ!ごめんなさい」

 加奈子は、脳天に雷が落ちたような気がした。この間習った『青天のへきれき』とはこのことだと、深く納得した。

「別に謝ってもらわんでええ。一緒に帰りたいなあって思ってん」

「わ、わたし、こっちやから」

「うん、私の家はずうと向こう。遠いんや。じゃ、さいなら」

「さいなら」

 そう言って小さく手を振ったけれど、加奈子は首をうんと傾けた。

 公立の中学には校区というものがある。『ずうと向こう』は、校区ではない。加奈子の家の辺りが校区のはずれだ。

 それからも、柿木さんは靴箱のところで待っていることがよくあった。小学生のような体格で、後ろで結んだ髪は、いつもぐちゃぐちゃになっていた。制服も薄汚れていて、自分からは、ちょっと近づきにくかった。

「うちの家の横に大きな柿の木があるねん。それで柿木とはちゅうけどな」

「柿と木の間にのを入れて『かきのき』って読むんや」

 その柿木さんは、加奈子と帰るときは、ずっとしゃべっていた。クラスの女子の話す芸能人とかテレビや雑誌の話ではなく、かんじんのおばあさんやお母さんの話ですらなく、山の話ばかりだった。

「面白い鳴き声の鳥がいてん」

「家の裏の彼岸花きれいで」

 といったような。何日かするうちに、加奈子は、『山奥の藁ぶきの一軒家に住んでいる不思議少女』の設定で、昔話の絵の中に柿木さんをはめこんでいた。

 自分でいろいろ話さなくても、ただ聞いていればいいのが、心地よかった。加奈子は、柿木さんとの帰り道を結構楽しみにしている自分に驚いていた。九組の一人からは、すごい勉強が遅れていてスポーツも苦手、だれも相手にしないと、聞いた。

 あるとき、学年での遠足があった。字の通りの、ただひたすら歩くという苦痛だけの行事だった。山を登っていると、クラスもバラバラになって、加奈子はどんどん抜かされていった。先生に、

「ほらー、最後尾急げ!もう弁当食べる時間やぞ」

 はっぱをかけられても、足はいうことをきいてくれなかった。

「ぜーぜーぜーぜー」

 そんなとき、後ろから苦しそうな声がして、ぎょっとふり向いた。胸に縫い付けた『柿木』という文字が見えた気がした。立ち止まって声をかけようとしたけれど、柿木さんは、ふっと岩陰に隠れてしまった。それから、柿木さんの姿を目にすることはなかった。

 三日ほどして、靴箱のところで、柿木さんは待っていた。

「遠足のとき、だいじょうぶやったん?」

 腑に落ちなかったけれど、あの苦しそうだった声がやはり心配で、加奈子は尋ねた。

「まあいつものことやし。人のいるとこでしゃべりたないねん」

 素知らぬ顔でさっさと歩き出した柿木さんの後ろ姿を、加奈子はあきれて見つめた。

 日暮れが早くなり、風も冷たくなった。手袋は許可されていたのに、柿木さんははめていなくて、ひびわれた手を見るのが、加奈子にはつらかった。

 

 三学期になって登校し、靴箱のところで柿木さんを待っていても、姿を見ることはなかった。しばらくして、転校したと聞いたけれど、先生に尋ねる勇気もなく、そのまま日が過ぎていった。あのくずやのおばあさんに尋ねたいとずっと気を付けていたけれど、現れることはなかった。

 そのうち、加奈子にも友だちができ、下校もいつも誰かと連れ立つようになり、柿木さんのことは誰の口にも上ることもなく、加奈子も思い出すこともなくなってしまった。

 

 

 端が折れ曲がった原稿用紙を手に、加奈子はまだ窓を見ていた。もう小鳥はいなくて、日も陰り寒々としていた。

 柿木さんも七十歳だ。どうしておられるんだろう?お元気だろうか?

 あれから全く思い出さなかった自分を恥じた。あのくずやのおばあさんの顔は、今でもはっきりと思い出すことができる。小さな顔、愛らしい口元、きっとお若い頃には『なんとか小町』って評判だったのではないかしら。でも、柿木美穂さんの小さなシルエットと少し低い声は思い出せるけれど、顔の表情が、モノクロの影絵のようで思い浮かばないのだ。でも、そうだ。あごの左に小さなほくろがあった。なぜかそれはくっきりと加奈子の脳裏に残っている。

今頃、うふふ、お孫さんと大掃除とかしてらっしゃりして……

 

「あっ、ちょっと、あなた、何してるの」

 我に返った加奈子は自分に言った。そこで、片づけていたということを思い出し、「エイッ」とかけ声を出すと、ごちゃごちゃの引き出しの中身を全部ゴミ袋に入れた。でも、原稿用紙は床に置くと、ていねいにしわをのばした。


この本の内容は以上です。


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