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初日

 

" PM3:20 "

「 あのぉ、本日よりお世話になる"黒井(小鳥)"といいますが・・」

PM4:00が出勤時間と伝えられていた"小鳥"は、少し早めにカウンターを訪ねた。

「 はい、少々お待ちください 」

カウンターにいた女性スタッフがホールへと飛び出す。

( 誰かを呼びに行ったのか・・)

ホールをぐるりと見回すと、

( うぉっ!)

割と多くの客の視線が自分を見ている。瞬間にして緊張が走り、額に汗がじわりと滲む。

「 どうも初めまして、僕は主任の"竹本"です 」

女性スタッフと共に爽やかな笑顔の男性が現れた。

黒のベストに黒のスラックス、首元には黒の蝶ネクタイを付けている。その姿は、ホールで慌ただしく動いているスタッフと同じである。

「 ではこれから、制服に着替えてもらいますので、一緒に来ていただけますか?」

「 はい 」

"小鳥"は、爽やかな笑顔のまま歩き出した"竹本"主任に従って店舗の南側から外へと出た。

建物沿いを左に進むと、頭上に見えたのは外階段。東面に差し掛かる角が上り口になっている。

「 二階が休憩室と更衣室になってますから・・」

「 はい 」

" カンカンカン "
 
"竹本"主任が外階段を上って行く。ペンキが剥がれてサビが目立つ。

"小鳥"は、先を進む"竹本"主任の尻の辺りを目線にして二階へと向かった。
 
「 さっ、どうぞ 」

「 はい 」

二階へと入る。
 
靴を脱ぎ、2メートル程進んだ辺りで右を見て左を見る。正面は壁である。廊下が東西に延びていて、両サイドには同じ間隔で幾つものドアが並んでいる。かつては従業員の寮だった事を思わせる作りである。

廊下を左に進み、一番手前の北側のドアを"竹本"主任が開く。

「 ここが男性更衣室です 」
 
「 はい 」
 
6畳程の部屋の中には、鉄製のロッカーが壁際にずらりと並べられている。

「 "黒井(小鳥)"さんのロッカーはこちらになります、制服は中に入ってますから、着替えが終わったら教えてください、僕は向かいの休憩室で待ってますので・・」

「 はい 」
 
"竹本"主任が部屋から出て行く。
 
" 黒井 "

すでに自分の名前のシールが貼られたロッカー。

" ガチャッ "
 
その扉を開く。紙袋が一つ置かれてある。
 
制服が2セット入っているのを確かめ、Yシャツを着てスラックスを履き、ベストを羽織ってから蝶ネクタイを付けようとして、

( ん?)

これまでの人生で蝶ネクタイなど身に付けた経験は無く、その付け方に躊躇する。

「 "黒井(小鳥)"さぁ~ん、着替えの方はどうですかぁ~?」

それを見越していた様に、ドアの向こうから"竹本"主任の声がする。

" ガチャッ "

「 すいません、これの付け方がわからなくて・・」

「 あぁ、大丈夫ですよ、これは首に回して・・ そのホックに爪を掛けて・・ そうそう、そうです・・ はい、OKです 」

「 ははっ・・」

「 では、あっそうそう、"黒井(小鳥)"さん、タバコは吸われますか?」

「 はい 」

「 出勤時間までは時間がありますから、いっぷくして行きますかぁ 」

「 はい 」

"小鳥"は、タバコを持って更衣室を出た。
 
真向かいのドアを開いた"竹本"主任が、

「 ここが休憩室になります、あと、あちらはトイレになってますからご自由に使ってください 」

一つ右のドアを指差しながら中へと入る。
 
そして、造り付けの棚の上からタバコを手にして、

" シュポッ!"

爽やかな笑顔で煙を吐き出した。
 
それを見届け、

「 失礼します 」

" ジュポッ!"

"小鳥"が、でかい顔から煙を吐き出す。

休憩室の中央にはテーブルとイスが置かれていて、西側には流し台があり、その上には電子レンジとポット、それから幾つかのカップが並んでいる。おそらく5,6人は一度に休める。二人は立ったまま、まるで金魚の様に口をパクつかせ、二口、三口。

「 では、行きましょうか?」

「 はい 」

「 あっ、タバコはその棚の上に置いておいて結構ですよ、また休憩の時に・・」

「 はい 」

「 明日からは、5分前になったら下に降りてもらえば結構ですから・・」

「 はい 」

" トントントントン・・ "

"小鳥"は、第一ボタンまで締めたYシャツの首周りが落ち着かなかったが、

( この店を選んで良かった・・)
 
出だし好調の手応えを掴んで軽快に階段を降りた。
 
南側入り口からホールに戻り、

" 関係者以外立ち入り禁止 "

というプレートが貼られた扉の中へと入る。
 
ここは面接の時にすでに案内されている。倉庫的な使い方の一室を進むと、奥には更に扉があり、そこが事務所になっている。

「 "黒井(小鳥)"さん、タイムカードは此処にありますから、着替えを済ませて降りたら"出勤"を押して、"退勤"は着替える前に、いいですね?」

「 は、はい 」

事務所の扉の前方、パーテーションで仕切られた所に置かれたタイムカードを刻印する機械。"竹本"主任がパーテーションに掛け付けられたケースから一枚のタイムカードを取り出す。

「 では、これが"黒井(小鳥)"さんのタイムカードですから、どうぞっ!押してみて下さい・・」

「 は、はい 」

「 あっ、ちょっと待って下さい、その前にこれを確認して・・ ハイっ 」

" ピピッ "

タイムカードの差し込み口の少し上に見えたのは、左から"出勤"、"出"、"戻"、"退勤"という4つのボタン。"竹本"主任が押した"出勤"というボタンが赤く光る。

" ジジジジ~~ ジジッ "

差し込んだタイムカードが、31日の行の左端に"3:50"と刻まれて戻る。

「 はい、これで出勤扱いになります。もしも、ボタンを合わせ忘れて違う欄に刻印してしまうと、マネージャーの訂正印が必要になりますから気を付けて下さい・・」

「 は、はぁ・・」
 
始まりと終わりに記しのいらないトラック屋あがりの"小鳥"は、

( 面倒くせえなぁ・・)
 
やはり少々の抵抗を覚えた。

「 では、これから新人教育を始めますので、ここで少し待っていて下さい 」

「 はい 」

" トントン・・ "

「 失礼します!」

事務所の扉をノックした"竹本"主任がその中に消える。
 
そしてすぐに、

" ガチャッ "

事務所の扉から顔を出し、

「 "黒井(小鳥)"さん、ちょうど部長がいらっしゃるので、自己紹介をお願いします・・」

「 へっ? は、はい 」

"小鳥"は事務所の中へと入った。
 
「 し、ししし、失礼します 」
 
面接をして合格と告げてくれた"甘党"マネージャーは見当たらず、新たに現れた部長という存在に少しの戸惑いを感じていると、

「 さっ!」

"竹本"主任が自己紹介を促した。

「 あっ、ああ・・ 本日よりお世話になる事になりました"黒井小鳥"と言います、どうぞよろしくお願いします・・」

頭をペコリと下げる。
 
部長と呼ばれる男は座っていた椅子から立ち上がり、

「 "長嶺"です、よろしく 」

それだけ言うと、再び腰を下ろして机の上に視線を落とした。
 
「 では上に行きましょう !失礼しました 」

冊子を抱えて事務所を出ようとする"竹本"主任に習って挨拶をする。

「 し、ししし、失礼しゃした・・」
 
事務所の空気は重苦しい。緊張のせいか"小鳥"の舌はもつれていた。
 
再び外へと出る。

" カンカン、カカン・・"
 
階段を叩く足音が聞こえ、

「「 おはようございます・・ おつかれっす・・」」

幾つもの挨拶と共に、袖のボタンや襟首をいじりながら群れの様に現れたスタッフ。

(!?)

やや腰が引ける"小鳥"を、

「 えぇ、みなさん、本日初出勤の"黒井(小鳥)"さんです・・」

"竹本"主任がすかさず紹介する。

「 ども、よろしくお願いします・・」
 
定時(PM4:00)出勤の遅番スタッフとの事。

「 終礼の時に改めて自己紹介の場を設けますから・・」

二階へと上がり、

「 さっ始めましょうか・・ では、そこに座ってください 」

二人が向き合う形で腰を下ろしたのは、先程たばこを吸ったばかりの休憩室のテーブルだった。
 
「 ええとそれでは、"黒井(小鳥)"さん、こちらをどうぞ・・」

"竹本"主任が手に持っていた冊子のひとつを"小鳥"に渡す。

「 僕がマニュアルを読んで行きますから、"黒井(小鳥)"さんも一緒に見ていてください 」

「 はい 」

「 ではまず、表紙をご覧ください 」

(・・・)

「 "黒井(小鳥)"さん、この漢字は読めますかぁ?」

" 以身作則 "

「 えっ?あ、はい・・ え~~っと、イ ・ シ ・ ン ?」

「 そうですそうです、これはイシンサクソクと読みます 」

「 はい 」

「 ちなみに意味はわかりますか?」

「 いやちっと・・」

「 こちらは我が社の社訓でして・・」

「 へぇ・・」

「 これの意味はと言うと、身を以って規則を作る、要するに自分の行動を手本にするという事です 」

「 はい 」

「 ですから"黒井(小鳥)"さんにも、お客様から見られているという意識を持って本日より振舞って頂く事になります 」

「 はい 」

「 それでは、マニュアルを開いてください 」

「 はい 」
 
「 それではまず、身だしなみですが・・」

「 はい 」

「 髪型は耳に掛からない程度で、ロン毛は禁止です・・ 金髪、茶髪はもちろん禁止です・・ 強すぎる香水も禁止です・・ 禁止です・・ 禁止です・・ よろしいですかぁ?」

「 はい 」
 
"竹本"主任が読み上げるマニュアルは、ほとんどの締め括りに"禁止"というワードが伴っている。これと言って該当している事は無いにせよ、

(・・・)

何だか息苦しくなってしまう。

「 制服は二日に一回、廊下に回収用のコンテナがありますから、タグに名前を書いて、それを制服の分かり易い場所にホッチキスで止めて、戻って来た時に自分のモノだとわかるようにして出してください・・」

「 はい 」

「 接客業ですので、汗をかいた制服を何日も着続けてお客様に不快な思いを与えない様に、清潔感のあるホールスタッフに努めてください・・」

「 はい 」

「 では、これから遅番スタッフも休憩に入って来るので、"黒井(小鳥)"さん、急いでマニュアルを読んでしまいましょう・・」

「 はい 」

「 それでは最後に、接客七大用語を僕に続いて言ってもらえますか?」

「 はい 」

「 では・・ いらっしゃいませ~」

「 い、いらっしゃいませぇ 」

「 申し訳ございません~」

「 申し訳ございません・・」

「 かしこまりましたぁ~」

「 か、かしこまりましたぁ・・」

「 お待ちくださいませぇ~」

「 お、お待ちくださいませぇ・・」

「 失礼しまぁ~す 」

「 し、失礼します・・」

「 おめでとうございまぁ~す 」

「 おめでとうございます・・」

「 ありがとうございまぁ~す 」

「 ありがとうございます・・」

「 はい、結構です、"黒井(小鳥)"さん!これは毎日の終礼でも言う事になりますから、すぐにとは言いませんが暗記しといて下さい・・」

「 はい 」

「 ホールに出たら、これを活用して接客しますので・・」

「 はい 」

「 ではこれから、実際にホールに出てもらいます 」

「 えっ?」

「 大丈夫ですよ、僕も一緒に付いてますから・・」

「 はい 」
 
休憩室を間借りしてマニュアルを読み通すだけの意外にもシンプルな新人教育が終わり、

「 その前に、"黒井(小鳥)"さん!いっぷくしてから行きますかぁ~」

「 は、はい!」

"小鳥"は、右も左もわからぬままに店員として客前に出る事になった。
 
" ジャンジャカジャンジャカ・・ ズンズンドンドン・・ ッド ・ ッド ・ ッド ・ ッド ・・"

騒がしいホールミュージックで活気付く店内。
 
"竹本"主任が、カウンターでその足を止める。

「 "黒井(小鳥)"さん、出社したらまず、ここでリモコンを借りて下さい・・」

「 はい・・」

「 それから、これを付けてください 」

「 はい・・」

" 新人教育中 黒井 "

と書かれた名札。
 
それを"竹本"主任を真似てベストの左胸辺りに付ける。

「 はい、OKです・・ それからこちらは"大友"さんと言って、カウンター主任ですので、わからない事があったら聞いて下さい。優しく教えてくれますからぁ・・」

「 あ、はい・・ よろしくお願いします 」

挨拶をした"小鳥"に、カウンターの中から小柄で色白な"大友"がニッコリと笑う。

「 ここに名前を書いて下さい 」

「 はい・・」

受け取ったバインダーには、リモコンの持ち出しと返却を管理する用紙が挟まれている。

「 紛失が多いのでカウンターで管理する事になってますから、閉店作業が終わったら返却してください 」

「 はい 」

"小鳥"は持ち出しの欄に自分の名前を書いてリモコンを受け取った。

「 では、そうですねぇ・・」

島端から各島を一通り見て戻った"竹本"主任が言う。

「 "黒井(小鳥)"さん、今お客様の少ない4コースでリモコンの使い方を説明しますので、一緒に来てもらえますかぁ?」

「 はい 」

4コースは、カウンターから見て斜め前辺り。"大友"の視界に入る。そして、少ないとは言え遊戯をしている客もいて興味の眼差しが向けられている。
 
"小鳥"から緊張の汗が出る。
 
「 お客様が大当たりしたらですね、左後ろに立って、おめでとうございます!と言って下さい・・ あっ、ちょうど今あそこで大当たりしたので、僕がまずやって見せますので"黒井(小鳥)"さんはここで見ていてください 」

「 はい 」

" スタスタスタスタ・・ "

" ペコリ・・ "

" コジクリコジクリ・・ "

" ペコリ・・ "

" スタスタスタスタ・・ "

「 どうですか?」

( へっ?)
 
客として何度と無くパチンコ屋に出入りしていたはずなのに、店員としての振る舞いが掴み切れない。

「 あのぉ、おめでとうございますって言っておじぎをするのはわかったんですけど・・」

躊躇する"小鳥"。
 
すると"竹本"主任は、ホールミュージックをかわす様に体をピッタリと"小鳥"に寄せ、

「 リモコンの此処、これですこれ、そうです、そうそう・・」
 
説明を始めた。

・・・
 
その後は立ち方歩き方、箱の持ち方や渡し方、おじぎの角度などなど、"竹本"主任は身振り手振りを交えて、時には胸元を"小鳥"の肩に押し当てて耳打ちをしたり、かなり近い距離での親切な指導を披露した。

閉店作業というものをこなし、何とか無事に初日の業務が終了となると、

「 では終礼を行いますので、事務所に集合してください~」

"竹本"主任から声が掛かった。
 
「 では、おつかれさまでしたぁ~」

「「「 おつかれさまでしたぁ 」」」

・・・

"竹本"主任は"甘党"マネージャーの横に、それ以外のスタッフはその二人と向き合う形で横一列に並び、

「 では本日の業務で気付いた事や反省点など、発表をお願いします・・ "天野"さんから・・」

"竹本"主任の司会進行で終礼が始まる。

「 はい・・」

横並びの端に立っていた"天野"という男が本日のアレコレを照れた感じで語り終えると、

「 はい、続いて"西村"さん・・ お願いします 」

発表が隣へと移る。
 
"天野"と反対の端に立つ"小鳥"は、

( く、来る・・ 俺の番、来る・・ 何を言えば良いズラか・・)

慌ててしまい、何を発表していいかが思い浮かばない。

あっという間に、すぐ隣のスタッフまで発表が終わった。

「 では"黒井(小鳥)"さん・・ こちらに来ていただけますか?」

「 はっ? は、はい 」

予想外な展開である。
 
前に呼ばれた"小鳥"は、横並びのスタッフ達から一斉に視線を浴びる事に。

" モジモジ・・ "

どこに視線を向ければ良いかがわからず、ニタニタしながら"竹本"主任を見つめる。

「 "黒井(小鳥)"さん、皆さんに自己紹介をお願いします 」

「 はい・・」

額に滲む汗を拭いながら、

「 あ、あのぉおぉ・・ 本日よりコチラで働かせて頂く事になりました"黒井(小鳥)"と言います、よ・よろしくお願いします 」

" ぺこり・・ "

精一杯の挨拶をする。
 
すると今度は、

「 はい、では皆さんも"黒井(小鳥)"さんに自己紹介をお願いします・・ "天野"さんから・・」

向き合うスタッフ一人一人から自己紹介を受ける事に。

「 あ、"天野"です、社員です・・ よろしくお願いします、フガフガフフフ・・」

変な笑い方をする"天野"は、くせっ毛でずんぐりむっくりの男で、どこか気持ちが悪い。

「 僕は、社員の"西村"です、ホール主任目指して、今は休憩回しもしています、よろしくお願いします・・」

やたらと図体のでかい"西村"は、整髪料で髪の毛をツンツンに逆立てて更にでかく見せようとしている様だが、色白の顔はヒゲ剃り跡が青みを帯びていて、話し方や仕草が鼻に付く男である。

「 僕は、バイトの"高橋"です、よろしくお願いゴニョゴニョ・・」

肉っぽさの足りない"高橋"は、サラサラヘアーの中分けも手伝って涼しげなイケメンだが、今一シャキッとしていない。

( 惜しい・・ )

「 私は、カウンター主任の"大友"です、よろしくお願いします、フフ・・」

"大友"は、正面から全体をよく見るとコブタの様な体にキツネの様な顔をしている。それでも細くて長い茶色味の強い髪の毛はサラサラとしている。

( 好きな人は好きかもな・・)

しかし、Yシャツの袖の中に手を隠している姿は、どこかに毒を秘めているかの様である。

「 私は、社員の"黒川"です、"大友"カウンター主任目指してがんばってます、よろしくお願いします・・」

営業中、内股でせわしくホールを動いていた"黒川"という女。時々カウンターにも入っていたし、どうやら"大友"の交代要員の様だが、主役を張る様な雰囲気は持ち合わせていない。

「 僕はホール主任の"竹本"です、よろしくお願いします 」

爽やかで笑顔が素敵で、とてもハキハキと話す"竹本"主任は、人当たりも優しく真面目が前面に溢れ出ていて、主任になるべくして成った様であり、そしてこれからも、どんどんと出世して行きそうな感じがする。

( なるほど・・)

"小鳥"はこの時すでに、これから目指して進んで行く道は、

( "竹本"の様に・・)

そんな風に思っていた。
 
「 それでは"甘党"マネージャーお願いします・・」

「 "黒井(小鳥)"さん、"甘党"です・・ 改めてよろしくお願いします 」

「 あっ はい、よろしくお願いします・・」

" ぺこり "

「 皆さん、お疲れ様でした・・」

「「「 お疲れ様でしたぁ・・」」」

「 えぇ本日より、新しいスタッフが加わりました・・ "黒井(小鳥)"さんは社員希望という事ですから、皆さんには良き手本としてがんばっていただきたいと思います・・ それから"黒井(小鳥)"さん!」

「 はい 」

「 ハクサイグループは、従業員をよく見ていると言われる位、頑張っていれば、その頑張りを・・ ちゃんと評価してくれる会社です、ん~あっですからぁ~・・ 社員と言わず、主任を目指して下からドンドン突き上げてください・・」

「 は、はい・・」

「 期待していますよ・・」

" ぺこり "
 
「 ん~あっですからぁ~ "天野"さん、"西村"さん・・ "黒井(小鳥)"さんに抜かれない様に、アナタ達には早くホール主任になってもらいたい・・ そんな風に"甘党"願っています・・」

「 フガフフ・・」 「 はい 」

"天野"と"西村"がやや笑いながら返事をする。
 
「 ん~あっですからぁ~」

・・・

「 ん~あっですからぁ~」

・・・

" ハイサッハイサッハイサハイハイ・・ "

"甘党"マネージャーは、沖縄を思わせるイントネーションでしばらく語り続けた。
 
その内容は、午後4時から午後10時まで中抜けをする"甘党"マネージャーの代行を"竹本"主任が勤めている事や、"竹本"主任がマネージャー的になる為に"天野"と"西村"が主任業務のフォローをしている事など。

「 マネージャー有難うございました・・ ではみなさん、お疲れ様でしたぁ 」

「「「 お疲れ様でしたぁ 」」」

「「「 失礼しましたぁ~ 」」」

" ジ~ガチャッ・・ジ~ガチャッ・・ジ~ガチャッ "

次々に押されるタイムカードの音が響く中、事務所から出ようとして"小鳥"が一歩を踏み出すと、

「 "黒井(小鳥)"さ~ん! どうでしたかぁ? 続けられそうですかぁ?」

まだ残る"竹本"主任を横にした"甘党"マネージャーから声が掛かった。

「 はい・・」

「 わからない事は、"竹本"さんにどんどん聞いて、早く一人前になってくださいね、期待してますから・・」

歯をむき出しにして笑顔を見せる。

言葉ひとつ、言い方ひとつ、それによって人間はいとも容易く感情を変化させてしまうものだが、この"甘党"マネージャーの声掛けによって、

( 一ヶ月、無遅刻無欠勤でがんばるぞ・・)

"小鳥"はやる気を更に高めて事務所を出た。
 
 

洗礼

 

終了予定の11時をやや過ぎて、

" ジ~ガチャッ・・ "

初日の就労時間を刻み終えた"小鳥"は、

( あっ、"イー(葵)"ちゃんが迎えに来てるはず・・)

"葵"に11時までと伝えていた事を思い出し、急いで自動ドアを飛び出て駐車場を眺めた。
 
" ボフボフボフボフ・・・ "

"葵"の乗ったY-31はすぐの所でマフラーの音を響かせている。

( 待たせたらかわいそうだ・・)

"小鳥"は階段を駆け上り、棚の上に置いたままのタバコを取る為に休憩室のドアを開いた。

" ガチャッ "

中では先に上がっていた面々が揃ってたばこをふかしている。

「 お疲れ様です・・」

そう言ってから、

「 すいません・・」

「 すいません・・」

遅番スタッフの間を申し訳無さそうにして進み入る。

とその時、

「 "黒井(小鳥)"さん!私物を置く場所は決まってますから、明日からは他の人の場所には置かないでください 」

"大友"が固い表情から言葉を発した。
 
それと同時に、幾つかの鋭い視線が自分にむけられている事に気付く。

よく見ると、"小鳥"がタバコを置いた棚板のそこには、

"西村"、"大友"、

二人の名前と、それをひとつに囲むハートの様な線が描かれている。

「 すいませんでした・・ そしたらどこに置けばいいですかねぇ・・」

「 どっか空いてるトコを自分で見つけてください・・」

(・・・)

「 あぁ、わかりました・・ じゃぁ、お先に失礼します・・」

( ムカムカムカムカ・・)

ドアを閉める間際、"小鳥"の視界が捉えたのは"西村"のニタッと笑う意地悪そうな面。

( 洗礼ってヤツかい?)

事務所やホール、上司や客の前とは違う姿を見せたスタッフの数名によって、

( あんな奴等と働くのか・・)

職場の印象が初日の最後で覆る。

階段を駆け下りて"葵"の元へと急ぐ"小鳥"の心模様は、駆け上がった時とは全くの別物になっていた。
 
" コンコン・・"

運転席の窓を軽くノックする。

" ウィ~~ン・・"

「 お疲れ様ぁ・・」

「 遅くなってゴメンね、"イー(葵)"ちゃん、帰りは俺が運転するよ・・」

「 大丈夫だっちことぉ、疲れてるだから、ささっ、乗った乗ったぁ~」

「 フフッ・・」
 
素直に従った"小鳥"が助手席へと乗り込む。

「 "リー(小鳥)"ちゃん、初仕事はどうだったでぇ・・」
 
"葵"は待ちくたびれた素振りも見せない。

「 主任が教育に就いてくれたから、取り敢えずは大丈夫だったよ・・」

「 へぇ~ ちゃんと面倒見てくれるだねぇ・・」

「 あぁ、マネージャーも声を掛けてくれてさぁ、「 主任目指してがんばってください 」 だって・・」

「 てっ、まだ社員にもなっちゃいんにねぇ・・」

「 まぁ一日でも早く仕事を覚えてさ、たくさん稼げるようにがんばるわ・・」

11時を過ぎた20号バイパスは渋滞も無くスムーズで、職場の話が尽きるよりも早くに二人は自宅に辿り着いた。

遅めの晩飯を用意し始めた"葵"。

「 遅番ってさぁ、4時からなんだけど、ホールに出てから最初の休憩が30分貰えるんだよね・・ 食事休憩って言って、みんなそこで晩飯を食うみたいなんだ・・」

「 えっ?そしたら"リー(小鳥)"ちゃん、今日はどうしたで?」

「 ん?ジュース飲んでたばこ吸ってたよ・・」

「 っていうか、ホールで動き回るだから腹も減るらぁ?」

「 うん、確かに・・」

「 ほいだら明日は取り敢えずおにぎりでも持ってけしぃ・・ そいで明日"リー(小鳥)"ちゃんが仕事に行ってる間にアタシはお弁当箱を買いに行って、明後日からは毎日お弁当を作ってあげるから・・」

どこと無く嬉しそうな"葵"の後姿に、

「 だけど、そしたら"イー(葵)"ちゃんと一緒に食えんくなるから俺いいよ、我慢出来るし・・」
 
と声を掛ける。

「 ほいだらアレじゃん・・ 帰って来たら軽い夜食を一緒に食べるようにしてさ・・ "リー(小鳥)"ちゃんは働いてるだから・・」

「 う、うん・・ "イー(葵)"ちゃんが大変じゃなきゃ良いけど・・」

「 大丈夫大丈夫・・」

新たなライフスタイル。直面する事態に順応しようとする"葵"の姿は、気のせいか何となく明るい。
 
数日間のピッタリ指導を経て、いよいよ一人でホールに立つ様になった"小鳥"。
 
"西村"や"天野"が行う休憩回しに従い、指示された島で、ドル箱を上げたり下げたり、島を出たり入ったり、慌ただしく点灯するコールランプを汗だくになって追い掛ける。

休憩回しとは、就労の中で一人に付き、30分、15分、15分の計3回の休憩を与える事と、誰がどの島を見るかの配置を指示する、いわゆるホールメーカー、かつタイムキーパー的な役割である。本来は主任がすべき業務となっているのだが、"竹本"主任はマネージャー業務の代行に当たる為、主要なスタッフがいずれ来る昇進に備えて少し背伸びをする形でそれを務める。
 
店内は、1コースから4コースまでがパチンコ台で、5コースとアーチと呼ばれる島がスロット台になっている。
 
1コースから5コースまでは片側18台ずつが平行に並ぶまっすぐな島だが、アーチだけは、その名の通りアーチ型の壁にスロット台が設置されていて、出入り口は一箇所、真ん中には外向きに座る360度作りのソファが置かれている。

基本各島に1人ずつ、それとカウンターに1人のスタッフ配置。どの島にも着かないフリーの休憩回しが程良い間隔でそれぞれに休憩を与えながら進む営業中は、ワイヤレスマイクを使って大当たり情報などを連呼するアオリや、ドリンクメニューを持って各席を訪ね歩くワゴンサービスも行われ、何にせよスタッフがアレコレ立ち回る。

6時30分頃になると、スタッフの1人は1時間半程いなくなり、その一人が戻って来た所で、"竹本"主任はホール業務から離れる。そして、マネージャー業務代行としてホールスタッフの中からボディガードを一人宛がい、布の袋を持って券売機から万札と五千円札を掻き集め、それと同時に千円札の束を補充する。

ホールスタッフの行ったり来たりが落ち着く頃にラストの休憩が廻され、その後にようやくスタッフ全員がホールに揃う。

22:00で遊戯終了となる案内放送の後は、確変中で打ち止めとなる客には出玉の補償として強制的に大当たり一回分の出玉をその台から払い出す作業がある為、アタッカーに注ぎ込む140発前後の玉をカップに入れてイスの後ろに用意する。これは、"甘党"マネージャーか"竹本"主任の役目である。

「 多数様、大勢様、本日も当ホール、ハクサイ8931ハクサイへとご来店頂きまして誠にありがとうございます・・ 只今御遊戯中のお客様へ営業時間のご案内を申し上げます・・ 大変残念ではございますが、この後間も無くの時間を持ちまして本日の営業は終了となります・・ 尚、確立変動中のお客様に付きましては、当店スタッフによりまして出玉の補償をさせて頂きますので、ハンドルより手を離しまして、お席にてお待ちくださいませ・・ また、明日も優秀機優秀台を多数取り揃えましてのお出迎えとなっておりますので、ご近所ご家族お誘い合わせの上、当ホールハクサイ8931ハクサイへとお足をお運び下さいますよう、スタッフ一同心よりお待ち申し上げております・・ それでは残り少々のお時間ではございますが、最終最後ラストの声が掛かりますまで、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さいませ・・ 本日のご来店、誠にありがとうございます・・」

緩く静かなBGMが流れ出し、それが、

" ブチッ "

と止まったら打ち止めの合図。

遊戯中の客に駆け寄り、

「 すいません、ここで終わりになりますので・・」

取り敢えずハンドルから手を離す様にお願いして廻った後に確変の補償を行う。全ての補償に対してスタッフが行き渡ると、手の空いたスタッフから出口の両サイドに八の字で並び、

「 ありがとうございましたぁ~」

帰って行く客を見送る。
 

それも終盤になると、


「「「 ありがとうございましたぁ~ 」」」
 

7人も8人ものスタッフが待ち構えている訳だから、客としても緊張を伴う様でリアクションは少ない。

"竹本"主任若しくは"甘党"マネージャーが付き添う最後の客が出終わった所で、

「 では皆さん、一列にお願いします・・」

横一列に並びを変え、その一歩前に立った"竹本"主任が、

「 ありがとうございましたぁ~」

と声を出す。

 

それに続いて、

「「「 ありがとうございましたぁ~ 」」」

残りのスタッフが頭を下げ、2,3秒程の静止の後に、

「 はい、では閉店作業をお願いします・・」

"竹本"主任はベストのポケットから小さな紙切れのメモを取り出し、そこにしたためた作業分担を発表する。

「 "天野"さんはポリ、"西村"さんはメンテ、"大友"主任はカウンターの閉め、"黒井"さんはスロット、"高橋"さんはメニュー、"黒川"さんは景品清掃とカウンターのフォロー、僕は現金回収の後にスロットに合流します・・ では皆さん、台開けをしてから・・ よろしくお願いします・・」

「「「 はい・・」」」

 
閉店作業とはその名の如く閉店後に行う作業で、それは要するに明日の営業の準備でもあり、翌日のお客様を迎える為に、各所朝一状態にリセットする事である。
 
"天野"や"西村"がまるで得意気に行う作業が一体何なのか、時々ヘラヘラとおしゃべりをしながら涼しげに振舞う姿は、力仕事だらけのスロットコーナーのメダル調整に大汗を流す"小鳥"には何とも羨ましく、まるでハズレを掴まされている様な割り振りに洗礼を受けた時の感情も手伝うと、

( 畜生・・ こっちはこんなに、こんななのによ~)

全てが敵に見える様な疎外感が付きまとう。

それでも、

「 お疲れ様ぁ~ これから僕も手伝いますから・・」

現金回収を終えて爽やかな笑顔で登場し、一緒に汗を流す"竹本"主任の姿には、

( 主任なのに下っ端の俺と同じ作業をするなんて、楽をしようとすればいくらでも出来るはずなのに・・)

尊敬か信頼か安心か、何にせよ、プラスの感情を抱いていた。
 
「 マネージャー!すいませんが、ちょっとお話出来ますか?」

「 いいですよ、どうしましたぁ?」

入社から一週間程経ち、一通りの流れもそれなりに把握した"小鳥"は、終礼が終わった後を狙って"甘党"マネージャーに、こんな報告をした。

「 彼女と籍を入れる事になったので・・ その報告をしておこうと思って・・」

「 あらぁ~ 良かったじゃない・・ おめでとう・・」

「 ありがとうございます・・」

「 ん~あっ、それでは~ 式はいつ挙げるんですかぁ?」

「 あ、式はちょっと挙げられないので、籍だけ・・」

「 んまぁ、それじゃ奥さんはかわいそうね~」

「 はい、本人はいいって言ってますけど、僕も本当はウェディングドレスを着せてあげたいんです・・ ただ今は金も無いし・・ だから社員になって生活が安定したらって事で・・」

「 そう、そうね、そうよね・・ ん~あっ、二人でしっかり力を合わせてがんばれば、きっと大丈夫ですよ・・」

「 はい、ありがとうございます 」

「 で?籍はいつ?」

「 えぇと・・ 今月の11日にしようってなりまして・・」

「 んまぁ素敵、それじゃぁ一日も早く社員になってがんばってくださいね・・」

「 はい、では失礼します・・」

「 お疲れ様~ んあっ、"黒井(小鳥)"さん・・」

「 はい?」

「 おめでとう 」

「 はは、ありがとうございます 」
 
平成11年11月11日。

"黒井小鳥"と"三田葵"は、一宮村役場にて婚姻届を提出し、めでたく夫婦となった。

「 "イー(葵)"ちゃん・・ 指輪も買ってあげられないけど、これからは俺の妻として改めてよろしくね・・」

「 うん、"リー(小鳥)"ちゃん、アタシこれからは"黒井葵"になるんだね?」

「 あぁ・・」

「 何だかさぁ、"クロイアオイ"って、"ヤブレカブレ"みたいだね・・」

「 ぎゃはは・・ どうも、ヤブレカブレです!」

「 ぎゃはは・・ どうも、ヤブレカブレです!」

「 ぎゃはは・・」

・・・

ツボに入ったらしい"葵"はしばらくの間、何かにつけてこの台詞を吐き出してはケラケラと笑っていた。

紙切れ一枚届けたかどうか、それを区切りに他人どうしが夫婦になり、

( これからは、大黒柱となって"イー(葵)"ちゃんを守るんだ・・)

そんな決意が生まれるのには不思議な感じもしたが、

「 じゃぁお仕事がんばってね、旦那様! キャハハ・・」

"葵"から旦那様などと呼ばれると、

" メラメラ "

内にみなぎるヤル気とでも言おうか、独身時代がセピアになってしまう様な心地で、

「 じゃぁ行ってくるよ、奥さん・・」

「 ギャハハ・・ケラケラ・・」

初めての夫婦を、指先で摘んで振り回す様にはしゃいでいた。
 
「 え~それでは皆さん、お疲れ様でしたぁ~」

「「「 お疲れ様でしたぁ~ 」」」

終礼後に真っ先に帰る事を覚えた"小鳥"は、

( さて、帰ろうか・・)

事務所から出てタイムカードを押し、

" スタスタ・・ "

先頭を切って歩き出した。

すると、

「 んあっ、"黒井(小鳥)"さん~ ちょっと待って・・」

「 はいっ?」

"甘党"マネージャーによって呼び止められた。

振り返ると、"甘党"マネージャーをはじめとして遅番スタッフ全員が笑みを浮かべている。

( 何だ?)

"小鳥"はそこに不気味さを覚えた。

「 "黒井(小鳥)"さん!」

再び"甘党"マネージャーに名前を呼ばれ、

( ギクッ!)

何を言われるのかと焦る。

「 奥さんは迎えに来ているのよね?」

「 は、はい、たぶん駐車場で待っていると思います・・」

「 そう、んあっ、それでは~ ちょっと呼んで来て・・」

「 へっ?」

「 ん~あっ、ですからぁ~ ちょっと呼んで来て・・」

「 は、はい・・」
 
今一理解出来ないが、従うしかない。

" スタスタスタ・・ "

" コツンコツン・・ "

「 どうしたで?」

驚く"葵"に伝える。

「 あ、あのね、マネージャーが"イー(葵)"ちゃんを呼んで来てくれって・・」

「 えっ どういで? 化粧も直しちゃいんに困るじゃん・・」

バックからファンデーションを取り出した"葵"が慌てて鼻筋を撫でる。

「 大丈夫だよ・・」

「 ほんなこん言ったって・・ どうで?テカっちゃいんけ?」

数分のロスの後に、二人は揃って中へ入った。

「 んあっ、あらぁ~ かわいい奥さんですことぉ~ オホホホ・・ さっ、こちらにいらしてぇ 」

「 こんな格好ですいません、いつも主人がお世話になりまして・・」

すっかり妻らしくなった"葵"の挨拶に続いて、

「 あ、あああ・・ うちの奥さんです・・」

"小鳥"がおぼつかない紹介をする。

「 んあっ、それでは~ ささやかではございますが、"黒井(小鳥)"さんの結婚を祝して、当店スタッフ一同から花束とケーキをご用意しましたので、"大友"さん!」

名前を呼ばれてどこかに走った"大友"カウンター主任は、しばらくしてホールケーキと花束を乗せたワゴンを押して戻って来た。

「 はい、奥様・・ 結婚おめでとう・・」

「 わぁ~、ありがとうございますぅ~ なんかすいません・・」

"葵"が、"甘党"マネージャーから差し出された花束を受け取る。

「 んあっ、ではでは~ "黒井(小鳥)"さん、ここで一言・・」

「 へっ?」

急な振りも、何も無いでは済まされない雰囲気。
 
"小鳥"は、

「 あのぉ、ありがとうございます・・ 一生懸命働きますので、これからもよろしくお願いします・・」

お礼と決意を述べた。

" パチパチパチ・・ "

「 んあっ、それでは~ 皆でケーキを頂いてから終わりにしましょう・・」

" ザワザワ・・ "

帰りの車中。

「 いきなりでびっくりしちゃった・・」

「 あぁ、俺もあんなんだと思わなくて・・」

「 でもさ、良いマネージャーだね・・」

「 あぁ、間違い無いね・・」

「 "リー(小鳥)"ちゃん、良い会社に入れて良かったね・・」

「 あぁ、たぶん間違い無いね・・」

お祝いの主動となっていたのは明らかに"甘党"マネージャーである。全員が心底祝ってくれていたとは思い切れ無い。しかし、それはそれで置いといて、喜ぶ"葵"に調子を合わせる。
 
以前ならばホールスタッフとして要求される一々に対して、

( 恥ずかしいっちこと・・)

( やっちゃいられなぁ~)

( めんどくせぇってこん・・)

などと感じていた事もあったが、

( 真面目に向き合わなくては・・)

と変わり始めたのは、やはり"葵"との入籍が大きく作用していたのだろう。

( 所得を増やして・・ 楽な暮らしをさせて・・)

出世を更に強く意識する様になっていた。

ホールスタッフの格を表すひとつには腰にぶら下げたカギの数があり、"竹本"主任ともなると、

" ジャランガチャン・・ ジャランガチャン・・ "

歩けば音が鳴る程である。

"小鳥"はようやくパチンコ用とスロット用の台カギ二つを持たされたばかり。これはアルバイトでも一人前なら持っている。

( ひとつでも多くのカギを・・)

人知れず、そんな野心を抱き始める。
 
「 "黒井(小鳥)"さん、だいぶ分かってきましたねぇ~」

指示されるよりも早くに立ち回った事で"竹本"主任に褒められる。
 
"小鳥"自身、

( だいぶわかって来たかも・・)

そんな気持ちも確かにある。
 
すると閉店間際には、"甘党"マネージャーからこんな声が掛かった。

「 んあっ、"黒井(小鳥)"さぁ~ん・・ 体はキツくありませんかぁ?」

「 はい、だいぶ慣れてきました・・ 筋肉痛も無くなったし、大丈夫です・・」

「 そう!ん~あっ、それでは~ 明日から早出してみますか?」

「 えっ、早出ですか?」

「 そうですよ、一時間でも多く出れば、その分お給料も多くなるし・・ もし大丈夫ならお願いしたいのよ・・」

絶妙なタイミングである。

「 はい、でも僕なんかが早出をして、お役に立ちますか?」

「 アハハァ~ ん~あっ、いいわね"黒井(小鳥)"さぁ~ん、その謙虚さ・・」

"甘党"マネージャーが優しい笑顔になる。

「 大丈夫ですよぉ~ アタシは中抜けしてて遅番の時間帯はほとんど見ていませんが、"黒井(小鳥)"さんががんばって仕事をしている事は"竹本"主任からちゃんと聞いてますからぁ・・」

「 あぁ・・ はい 」

( なるほど、ちゃんと見ているってのは、こういう事なんだ・・)

要するに、"甘党"マネージャーが居ない間は、"竹本"主任がその目も含めた代行をしていて、報告、連絡、相談がしっかり行われている訳である。
 
「 では明日から毎日、2時からホールに出て下さい・・」

「 えっ、ずっとですか?」

「 嫌ですか?」

「 いえ、とんでもない・・」

「 "黒井(小鳥)"さん、期待してますから・・ 奥さんの為にもがんばるのよ・・」

「 はい、ありがとうございます 」

( この人・・ 俺の事好きなんじゃねぇの?)

そう思ってしまう程の気配りである。
 
早出をして早番スタッフと一緒に働く事も、
 
( マネージャーがいるなら・・)

何とかなる様な気持ちになる。
 
早出は、ある種のステップアップでもある。しかも、稼ぎも増える事になり"葵"も喜んでくれるはず。"小鳥"のやる気は更に高まった。
 
翌日。
 
早出の出社をした"小鳥"がカウンターにリモコンを受け取りに行くと、

「 "黒井(小鳥)"さん、おはようございます 」

「 あっ、マネージャー・・ おはようございます・・」

「 はい、ん~あっ、それではぁ~ これから2時休を回しますので、1コースに入っていただけますか?」

「 はい、了解っす・・」

主任の居ない早番では"甘党"マネージャーが休憩回しを行っていた。

茶色のスカートスーツで他のスタッフと同じ様に動き回っている姿は、一見紛れている様でありながら、非常に目立つ。

( マネージャーなのに・・)

以身作則という社訓を思い出し、

( 身を以って規則を作るか・・)

言葉で伝わるものがある一方で、姿で伝わるものがある。"小鳥"が感じる生き物である以上、"甘党"マネージャーの早番での姿は、上に立つ者の在り方として非常に好感が持てるものであった。
 
割り当てられた1コースは、 確変図柄で当たればその後2回の当たりが約束された3回権利と呼ばれる"8931ハクサイ"の看板機種一色の島で、遅番でもほぼ満席状態が長く続いてドル箱の上げ下ろしも激しいコースだが、そこを任されるのも期待値の現われだと思えば、むしろ喜ぶべき役目にもなる。

「 あっ、おはようございます・・ マネージャーから言われて、休憩だそうです・・」

「 はい~、ぜぇぜぇ・・」

燃え尽きた様な脱力のスタッフが、

( 助かった・・)

と言わんばかりにコースを離れる。
 
"小鳥"は目の前で点きまくるランプの処理に追われる事になったが、あっという間という表現がしっくり来る程、気付けば戻ったスタッフが反対の島端で右手を上げていた。

その姿に右手を上げ返し、

" スタスタ・・ "

"甘党"マネージャーが動くコースの島端でその姿を眺めながら、次なる指示を待つ。

大当たり中の席対応で、ドル箱をイスの後ろに積もうとしている"甘党"マネージャーが体を"小鳥"の方に向けて屈む。

( うぉっ!)

ちょうどパンツが見えそうな角度になった時、

( おえっ・・)

"小鳥"は、"甘党"マネージャーに対して異性としての魅力をまるで感じていない自分に気付いた。
 
待機している"小鳥"に気付いた"甘党"マネージャーは急ぎ足に寄って来て、

「 ん~あっ、それでは~ 次は2コースに入ってもらえますかぁ?」

「 はい・・」

こうして"小鳥"は、一通り休憩に入るスタッフの代行を務め終えた。

「 それではワタクシ休憩を頂きますから・・ "黒井(小鳥)"さん、ん~あっ、3コースと4コースを見ててもらえますか?」

「 はい・・」

客の着席状態が低い島が隣り合っている時、若しくはランプの処理能力の高い者に期待する時、こんな割り当ても行われていて、今回の理由は後者である事が歴然としていた。
 
"小鳥"は上手くランプ処理をこなす自信は無かったが、"甘党"マネージャーに出来ると見込まれたのだと解釈し、必死になってランプを処理した。

"甘党"マネージャーが休憩から戻ってからは、ワゴンサービスの案内が流れ、女性スタッフの一人がジュースを売り歩き、尚且つ一人のスタッフがホールから消えて慌ただしい時間が流れた。

そして、約30分のワゴンサービスが終わった所で、再び休憩を回す事となり、

( 交換が多くなって来たなぁ・・)

などと思いながら台車を忙しく動かしていると、遅番が一斉に現れて4時になったとわかった。
 
後になって知ったのだが、早番の休憩は、午前中に10分、昼に30分、2時に10分、3時に10分という配分だった。どうりで戻りが早いと感じる訳である。
 
心で備えていたとしても労働時間の増加によって早出初日の肉体は許容を超えたらしく、閉店間際になる頃には、

( 腹へったぁ~)

" フラフラ・・ "

汗で何度も湿った後のYシャツはヨレヨレになり、進もうとする足の動きは鈍くなっていた。
 
帰宅途中の車内。

「 "リー(小鳥)"ちゃん大丈夫けぇ?」

「 あぁ、全然平気だよ・・」

疲労感は多大でも、それを隠して弱音は吐かず、

「 それよりさぁ、"イー(葵)"ちゃんこそ毎日の送り迎え大変ズラぁ?苦労掛けてごめんね・・」

"葵"への労いは忘れない。

完全に昼夜逆転の就労となった"小鳥"の帰宅が世間一般と比べればだいぶ遅いにも関わらず、"葵"は"小鳥"が起きる時にはすでに化粧を済ませた状態でお弁当やら食事の準備をしていて、"小鳥"が何度、

「 "イー(葵)"ちゃん、昼間はゆっくり休んでていいだからね・・」

と言っても、

「 うん、でも"リー(小鳥)"ちゃんが働いてるのに、アタシだけ楽する訳にはいかないから・・」

それに甘えた返事をする事は無かった。
 
 暮らしに目を向ければ、あれもこれも、足りないものは数多い。洋服や下着は段ボール箱を加工した棚に収納してあるし、家具と呼べる物はほとんど無い。掃除機にしても洗濯機にしても、誰かから譲って貰った物で買った訳ではない。なのに、"葵"はそれに対しての文句を言わない。
 
"小鳥"は、感謝と申し訳無い気持ちでいっぱいだったのである。
 
 

信じた節目

 

それからの日々は、雨の日も風邪の日もめげる事無くひたむきに、

「 すいません、ちょっとトイレに・・」

「 えっ?またですか?」

なんてやり取りは人並み以上にありながらも、無遅刻無欠勤を守り抜き、いよいよ約束の1ヶ月目を迎える事となった。
 
いつも通りの出勤を済ませ、

「 おはようございます 」

"甘党"マネージャーに挨拶をする。

「 はぁ~ぃ、おはようございます・・ ん~あっ、それでは~・・」

いつもと変わらぬ指示が出る。

( いったい何時・・)

そんな疑問が浮かんだものの、どこか遠慮した"小鳥"は、

「 "黒井(小鳥)"さん、ん~あっ、明日から~ 正社員としてがんばってください・・」

こんな言葉が掛かる時を、浮き足立ちながら待った。

出社から一時間が過ぎる。しかし、何ら動きは無い。
 
スロットコーナーを任されていた"小鳥"は、

( 4時になってしまえばマネージャーは休憩に行くしなぁ・・)

焦りを覚え始めていた。

「 おちかれぇ~」
 
つい数日前に他のグループ店から移動して来た"砂糖"サブマネージャーが横に立つ。

「 あっ、お疲れ様っす・・」

「 "黒井(小鳥)"さん、何だか顔色が悪いけど大丈夫?」

サブマネージャーとは本来マネージャーの代行を務める役職である。今まで"8931ハクサイ"にその役職者がいなかった理由は不明だが、そのシフトは2時からラストまでとなっていて、奇しくも"小鳥"とはドン被りだった為、連日顔を合わせている内にホールでしばしば雑談を交わす様になっていた。

「 いや実は・・ 一ヶ月無遅刻無欠勤を続ければ社員になれるって言われてまして・・」

「 あぁ、僕も最初はそうでしたぁ・・」

「 それでですね、今日がその一ヶ月目なんですけどマネージャーからはまだ何も言われてなくて・・」

「 へぇ・・」

「 もしかして社員にはなれないって事ですかね?」
 
「 う~ん、そうだなぁ・・ 一回社員にしちゃうとなかなかクビに出来ないからねぇ・・」

「 えっ?」

一瞬ではあるが、"砂糖"サブマネージャーの表情に意地悪そうな笑みが見えた気がした。

「 ちょっと離れても良いですか?」

"小鳥"は、"砂糖"サブマネージャーの返事も待たず、咄嗟に"甘党"マネージャーを探して走り出していた。
 
1コースを覗き、

( 居ない・・)

2コースを覗き、

( 居ない・・)

3コースを覗き、

( 居ない・・)

4コースを覗き、

( 居ない・・)

「 すいません、マネージャーはどこにいますか?」

カウンターに尋ねる。

「 あぁ、たぶん事務所に行ったと思いますけど・・」

" スタスタスタスタ・・"

迷いも無く一目散に事務所を目指して走っていた。
 
" ガチャッ "

一枚目の扉を開けて、

" スタスタスタ・・"

そして、

" トントンッ "

二枚目の扉をノックする。

「 はぁ~ぃ、どうぞぉ 」

中から聞こえたのは、間違い無く"甘党"マネージャーの声。

" ガチャッ "

「 失礼します・・」

「 あらぁ~"黒井(小鳥)"さん、どうしましたかぁ~」

「 あの、すいません・・ 今日で約束の一ヶ月ですが、社員になれるのでしょうか?」

「・・・」

"甘党"マネージャーから出た言葉は、

「 あらっ、そうでしたっけ・・」

その瞬間、これから冬も本格的になろうかというのに、"小鳥"の額には汗が滲み出ていた。

「 ではこれで、辞めさせて頂きます 」

事務所を飛び出し、

" スタスタスタ・・"

出口に向かって足早に歩く。
 
「 "黒井(小鳥)"さん!待ってぇ~」

後方で聞こえる"甘党"マネージャーの声。

「・・・」

"小鳥"が立ち止まる事は無かった。
 
一枚目の自動扉を抜け、風除室を出ようとしたその時、

「 待ちなさい!」

今までに無い声を出した"甘党"マネージャーが、

「 悪気は無かったの・・」

その手で強く"小鳥"の肩を掴む。

「 俺を社員にする気は無いって事ですよね?」

「 いいえ・・ ん~あっ、そんな事は決してありません!」

「 俺は言われた通り、一ヶ月間無遅刻無欠勤で・・ 早出もがんばって、社員になれると信じてやって来ました・・」

「 えぇ、それは十分にわかっていますよ・・」

「 やれるだけの事はやったんで、ここで社員になれなければ、かみさんにも申し訳ねぇし、自分には向いてなかったって事ですから・・ すいません、失礼します 」

「 ごめんなさい、ホントにアタクシ、忘れてただけなの・・」

「 えっ?」

「 アナタを社員にする事は間違い無いのよ・・ ですから帰るなんて言わないでホールへ戻って・・」

「 いや、そんな気遣いはいいっす 」

「 ん~あっ、ですからぁ~ 明日から社員です、さっ戻りましょう・・」

何をどの様にすればこうなるのか詳しい事は何もわからなかったが、取り敢えず"小鳥"は思い留まった。

「 えぇ皆さん、"黒井(小鳥)"さんが明日から社員さんになります・・」

その日の終礼で、全員に告げられた"小鳥"の社員登用。
 
「 おめでとう!」

「 あぁ、ありがとう 」

"葵"は社員になった"小鳥"に喜び、"小鳥"は喜ぶ"葵"に喜んだ。

社員になると給料は時給制から月給制に変わり、基本給にプラスする形で残業代、皆勤手当て、食事代、交通費といった手当てが付き、毎週の定休に加えて通称"月一"と呼ばれる月に一回好きな日に取れる休みが与えられ、そして行く行くは、有給休暇が年間最大で七日貰えるとの事だった。

「 夏と冬にはボーナスがあるんだよ・・」

そんな情報も飛び込み、これからに対して期待は膨らんだ。
 
「 はい、"黒井(小鳥)"さん、これが保険証です 」

社員になってしばらく経った頃、"小鳥"は"甘党"マネージャーから保険証を渡された。

「 あれっ、かみさんの分もあるんすか?」

「 だって奥さんだもの・・ 専業主婦なんでしょ?」

「 は、はい・・」

「 結婚して扶養しているんですもの、当然じゃない~」

「 は、はぁ・・」

扶養家族という言葉を初めて知る。

学校の授業で学ぶ機会が無かった事が何とも腑に落ちない。
 
しかし、

( まっ、いいか・・)

若さか馬鹿さか曖昧に、これからの未来に期待する"小鳥"の心はどこかで広かった。

「 "イー(葵)"ちゃん、保険証だよ・・」

「 わぁ、ありがとう・・ これで病院にも行けるね・・」

「 う、うん・・」

「 この前手術した時は国民保険だったからさぁ・・」

「 ふ、ふ~ん・・」

物心付いてからこれまで、

( 病院に行こう・・)

などと思ったためしが無かった"小鳥"は、社会保険の保険証がどれ程のものか、その価値をジャストに感じるには至っていない。

「 "リー(小鳥)"ちゃんはまだ若いから・・」

そんな台詞を"葵"が何度と無く口にしていても、

( 歳の差を気にしている・・)

と思うばかり。

" 世間知らず "

というメッセージがほんわりと投げ掛けられている事に気付く事は無い。 
 
「 はい、"イー(葵)"ちゃん・・」

「 あっ!お給料日だっただねぇ 」

「 うん!開けてみてよ・・」

初めての社員給を封を切らずに持ち帰り、中身を確認する"葵"を見守る。

「 ジャンッ!」

・・・
 
ハイテンションで明細書を取り出した"葵"から、

「 "リー(小鳥)"ちゃん、すごぉ~い!毎日長時間労働で、本当にご苦労様でしたぁ!」

こんな言葉が掛かるのかと思いきや、

「 えっ?・・ 社員ってこれだけなの?」

返って来たのは予想外な言葉。

「 あのさぁ、俺だって一生懸命やってるんだからさぁ・・」

思わず苛立つ。

"小鳥"一人に頼らざるを得ない一月の収入がトラック屋だった頃に及んでいないとなれば、家計を預かる"葵"にとっては上辺のお世辞所では無い。

「 "リー(小鳥)"ちゃんはまだ若いから・・」

とよく口にしているのは、"小鳥"の甘さと言うか、まぁこういう所である。

それ以来、その後の給料日が二人のテンションを持ち上げる事は無かった。

「 はい、給料・・」

「 はぁい、おつかれさまぁ・・」

封を切らずに持ち帰る給料袋を片手で受け取る"葵"に、

(・・・)

"小鳥"は不満を募らせる様になる。

とは言っても、水準を下げた暮らしの中で、"葵"が実家の広告から切り抜いて来たスーパーのポイント券を財布に詰め込んで何とかやり繰りをしている姿を見れば、

( 申し訳無い・・)

不自由を掛けている事を認めない訳にはいかず、その不満は何と無く沈静化されていた。
 
「 "リー(小鳥)"ちゃん、あのね・・」

「 ん?」

「 送り迎えはガソリン代が掛かるから、出掛ける用事が無い時は家で待ってようと思うんだけど・・」

「・・・」

確かに、距離をベースに算出した通勤手当の額は二往復分が出ている訳では無い。単純に考えても生活費を圧迫している事になる。

「 だけどさぁ、一日中ここにいたら・・」

「 いいのいいの、洗濯したり掃除したり、やる事はいっぱいあるから・・ 買い物したい時は車を使いたいけど、それ以外は大丈夫だし・・」

「 うん・・」

"小鳥"は、その提案を素直に受け入れていた。
 
19歳にして30万を超える給料を手にしていた"小鳥"は、生活に対しての考え方はまるで甘く、働いて手にする賃金は、

( この先どんどんと増して行くに違いない・・)

一時の低賃金も巻き返しに要する時間はそれ程掛からないと思っている。

( そのうち・・)

( 今にきっと・・)

お気楽主義者の様な台詞で会話を埋める事も多く、そんな台詞の数々を"葵"はどんな気持ちで聞いていたのか。
 
テレビを見つめる"小鳥"の横で考え込む事が多くなった"葵"から笑顔は減り、喧嘩をした訳でも無いのに二人の普通はだいぶ静かなものになった。

根拠無き夢物語ばかり語る"小鳥"の横で、"葵"は白けた思いで安堵からは遠い現実を見つめていたのである。
 
一人での通勤は店側に知らせた訳では無いが、

「 "黒井(小鳥)"さん、最近送り迎えじゃないみたいですけど、車で来てるんですか?」

"竹本"主任の知る所になった。

「 はい、かみさんが車を使う時以外は・・」

「 そうですかぁ~ それじゃ人数取りをお願いしても大丈夫ですね?」

「 人数取り?」

毎日3時と7時付近にスタッフ一名がホールから離れて近隣店の客数を数えて書き込んで来る業務を行っているのは既に知る所である。
 
"竹本"主任が加えて説明したのは、その業務を行うスタッフにはマイカーを使って貰う為、一回に付き250円の手当てが付くと言う事。

(!!)

その手当てに付いては知らなかった"小鳥"は、

( 2時出して・・ 仮に2回も行っちまった日にゃぁ・・)

「 500えん!」

思わず声が出ていた。

「 そ、そうです、二回行けばそうなりますね・・ 車で来た時だけでいいので、"黒井(小鳥)"ちゃん、行ってみますかぁ?」

「 はい!」

夕方6時付近、"小鳥"はホールを離れ、"西村"に同乗する形で立ち寄る店舗とルート、振舞い、そしてバインダーに挟めた用紙への記入方法の説明を受けた。
 
そして翌日。
 
"小鳥"は一人で人数取りに向かった。
 
「 これで250円か・・」
 
まるで貯金箱に小銭を貯めている様な気分になる。
 

すっかりと専業主婦になった"葵"から一ヶ月の小遣いとして渡されるのは5千円。

弁当と水筒を持たせて貰える分、その使い道はたばこと休憩中に飲む缶コーヒー位だが、財布の中身を気にしながら、たばこを吸う事もコーヒーを飲む事もなるべく抑えている今、お金を使う事に対しての感覚はトラックに乗っていた頃と比べるとだいぶ違う。

 
「 100円稼ぐのがどれ位大変か考えなさい!」

幼い頃に近所の八百屋でガチャガチャをやり過ぎて母親から叱られた事をこの頃良く思い出す。

( なるほどなぁ・・)

今更ながらその言葉の意味を理解しても、親とは絶縁して戸籍まで抜いてしまった。
 
あれは"大蛇"との関係が崩れる前か後か。電話で何度と無く金をせびり続けていた"小鳥"に、
 
「 アンタ、パチンコで使ったんでしょ!」
 
「・・・」
 
その日の母親は、こう言い放った。
 
"小鳥"にしてみれば、"山野"との付き合い、"大蛇"のパチンコ通いの同行など、その時々で何ともし難い事情というものがあった。その度に母親は、"小鳥"の適当な理由を疑う事もせず、
 
「 お母さん、明日には送ってあげれると思うけど、アンタ、今日のご飯代はあるのかい?」
 
そんな風に言って必ず助けてくれていたのだが、その日は違った。
 
" 売り言葉に買い言葉 "
 
厳しい言葉が飛び交った末、
 
「 ならもういいわ!てめぇとは縁を切るからよぉ~」
 
「 親に対してそういう言葉を使うのかい?」
 
「 関係ねぇだろ!」
 
「 そう・・」
 
「 役所に行って手続きしろよ」
 
「 本当だね?」
 
「 あぁ!」
 
戸籍謄本が届くのは意外にも早く、除籍となった"小鳥"は、本籍地を山梨県の一宮村に移した。
 
当時の自分が、"つぼみ"を母親の様に錯覚して強気だったのか、それとも"大蛇"に弾かれて自暴自棄だったのか、その辺の記憶は定かではない。それでも、一宮に引っ越してから起きた出来事である事は間違いない。
 
それ以来、"小鳥"は、親に頼るという選択肢を失った。

( がんばれば報われる・・)

そう信じて踏ん張るしか無いのである。
 
「 "黒井(小鳥)"さん、今日は車ですか?」

「 はい 」

「 では、他店人数取りをお願いします・・」

「 はい・・」

店に入る時と出る時、着席してる客数を数える為に通過する各島での始めと終わり、その店のスタッフとすれ違う時、必ず一礼を行う様に指導された他店人数取りは、常に観察されている様で、肉体的には優しくとも精神的にはかなり疲れる。気が進まない時も勿論ある。

しかし、沈黙で過ぎる時間が増えてしまった二人の暮らしを何とか良い方向に修正するには、少しでも収入を増やす必要がある。

( 来月の給料日は、"イー(葵)"ちゃんも喜んでくれるはず・・)

"小鳥"は、そう信じて他店人数取りの依頼を可能な限り受けた。
 
 

苦悩

 

そして迎えた給料日。

他店人数取りの手当てが付いている事を知らない"葵"に給料袋を手渡した"小鳥"は、明細書を眺め出した"葵"がどんな喜びを見せるのか期待してその時を待った。

「 "リー(小鳥)"ちゃん・・」

「 はいよっ 」

( ドキドキ・・)

「 はい、今月分・・」

"葵"は、いつも通りに五千円の小遣いを渡すだけだった。

「 えっ?」

思わず、その反応の無さに驚く。

「 えっ?どうかした?」

「 んっ? ううん別に・・ あ、ありがとう・・」
 
( ぜんぜん喜んでくれねぇし・・ 小遣いも増えねぇし・・)

密かな憤慨が、

( 畜生・・ もっともっとがんばってやる!)

やや投げやりながらも前向きに変わる。
 
"葵"がこれを狙っていたとすれば、手の平で上手くコントロールしていた事にもなるのだろう。

しかし、

「 "イー(葵)"ちゃん・・」

「 ちょっ、やめて・・」

「 いいじゃん・・」

「 ホントマジでやめて・・ 疲れてるだから・・」

「 すぐ済むから・・」

「 しつこい!」

「・・・」

若気の盛りである夜の営みに対しても厳しく拒絶を示した事は、"小鳥"の心に隙間を作る事になった。
 
切り付ければ流れ出る赤い血液の様に、がんばればすぐにでも出て来る結果ならば、二人の暮らしもきっと、これ程までに落ち込む事も無かったかもしれない。
 
暮らしの質というものはやはりその稼ぎなりで、一人の頃よりも減った稼ぎで二人が暮らすとなれば、今までの当然事も、見事に贅沢に化した。

ぶらっと出掛けようかと"葵"を誘っても、

「 ガソリン代がもったいないじゃん・・」

と言われ、

「 じゃぁ、歩いてどっかに行くけ?」

と言ってみても、

「 どこに行くで?」

「・・・」

沈黙となって話が終わる。
 
故に休日は、

「 はい、ご飯出来たよぉ・・」

"葵"が作る朝昼を合わせた食事を済ませてしまうと、"小鳥"は肘を付いて横になるしかなかった。

ぼんやりとテレビを眺めていると、金を持たなくても無邪気に遊び回れていた日々が懐かしく蘇り、

( もう戻れねぇ・・)

今の二人の暮らしを充実させるには何より金が必要で、その難しさに悩む様になった。
 
そんなある日の事、

" プシュッ "

缶ビールを飲みながら何かしらの家事をこなす"葵"の姿をぼんやりと眺めていると、"小鳥"の携帯が、

" ピピピ・・ ピピピ・・ "

( ん?)

珍しく鳴り出した。

「 よぉ、もしぃ~・・ 俺だけどわかるかぁ?」

「 ええっ! "イズミ"さんっすよねぇ?」

事故を起こしたと聞いて以来、初となる"イズミ"本人からの連絡。

「 おぉ、元気してたかぁ?」

「 はい!俺は大丈夫っすけど・・ "イズミ"さんこそ大丈夫だったすか?」

「 おぉ、何とかなぁ・・」

不意に"小鳥"の心は明るくなった。
 
つっかけを履いて外へ出た"小鳥"は、出掛けに掴んだタバコに火をつけて、

「 フゥ~~」

音を伝えぬ様に煙をひとつ吐き出した。
 
そして、

「 "イズミ"さん・・ とにかく良かったっす 」

「 おぉ、心配掛けたなぁ・・ ところでよぉ、"とんぼのおやじ"とは連絡取ってんのか?」

「 いや今はまったく・・」

「 そっかぁ・・」

「・・・」
 
「 なぁ・・」

「 はい・・」

「 俺と一緒に商売しねぇかぁ?」

「 えっ?」

「 今、宇都宮にいんだけどよ・・ "小鳥"もこっちに来ねぇかと思ってよ・・」

「・・・」

「 お前だって、いつまでも山梨にいるって訳じゃねぇだろ? 俺も"もぐら"もトラック降りちまったし、栃木に戻るって話もたぶんねぇぞ?」

「 えっ・・ "もぐら"さんも辞めちまったっすか?」

「 何だ、お前何も聞いてねぇのか?」

「 は、はい・・」

「 実はなぁ、俺が事故を起こすちょっと前辺りから、俺ら給料が貰えなくてなぁ・・」

働いて給料が貰えないなどという経験の無い"小鳥"は、"イズミ"の話を急には飲み込めなかった。

「 寝る間も惜しんで飛び回って金が貰えねぇじゃ支払いも出来ねぇし・・ 何回か催促はしたんだけどよぉ・・」

最初の未払い分を手にする頃には、次の給料が未払いとなっていて、それでもしばらくは借金をしながらなんとか走り続けたと語る"イズミ"。

「 俺は独身だがらいいけどよぉ・・ "もぐら"は家庭があったべ?」

「 はい、一度泊めて貰った事がありました・・ 」

「 それで"もぐら"は集金のバイトをやり出してなぁ・・」

「 集金?」

「 おぉ、飲み屋の集金だけどよ・・ 割と貰えるらしくてなぁ・・」

「 そうっすかぁ・・」

「 だけどなぁ・・ 集金の金を持ったまま、バックレちまってよぉ・・」

「 えぇっ?」

「 おまけに通ってた風俗の女も連れてっちまってよぉ・・」

「 はっ?」

「 しかもソイツが、又別の組のお偉いさんの女だったってんで、二つの組織から追われてんだ・・」

" ズコッ!"

「 まぁ、どっちにしたって無事じゃ済まねぇだろうなぁ・・」

「・・・」

それは、"もぐら"が家庭を守る為に必死でがんばっている話では無く、必死で逃げている話だった。

「 まっ、話戻すけどよ・・ どうだ?こっちに来ねぇか?」

「 あぁ!あの・・ 実は俺・・ 好きなヒトが出来ちまって、カカシ(商運)を辞めたっす・・」

「 おぉ!それで?」

「 はい、今は一緒に暮らしてて、つい最近パチンコ屋の正社員になれまして・・」

「 ははっ、そっかそっかぁ、そいつは良かったじゃねぇかぁ・・ 俺はてっきり、まだお前が小汚ねぇ格好で苦労してんじゃねぇかと思ってたからよぉ・・ だったら今の話は無しだ・・ 幸せになんだぞ!」

「 あ、ありがとうございます・・ でも"イズミ"さん、せっかく誘って貰ったのに、すいません・・」

「 ばぁか、気にすんなぁ・・ 俺は気ままに生きっから大丈夫だぁ、ははっ・・」

「 すいません・・」

「 また電話すっからよぉ・・ お前は真面目にがんばんだぞ・・」

「 はい・・」

最終的に"イズミ"は、まるで祝福をする為だったかの様にして電話を切った。
 
"小鳥"は茶の間に戻ると、不思議と"もぐら"に意識は向かず、改めて"葵"との日常を振り返っていた。

( ありゃぁ、今日生理だな・・)

( 便秘だな・・)

無口に振舞う"葵"にアレコレと理由を宛がっていた今までが、結局の所、思い込みでしかなかった事に気付く。
 
目を凝らしても耳を澄ましても、本人以外にその明確な心理はわからない訳で、本人の心は本人に聞くのが一番早い。
 
"小鳥"は、

「 ねぇ、俺の事好き?」

と"葵"に尋ねてみた。

すると"葵"は、

「 何言ってるでぇww 」

と返すだけ。

「 だから俺の事好き?」

と再び尋ねても、

「 何で急に?」

とやはり好きだとは言わず、

「 いや、別に理由はねぇけどさ・・」

「 つうかさ・・ そんなこん、わざわざ言わんきゃわからんだけぇ!馬鹿じゃん!」

しまいには不機嫌になった。

「 はっ?今何つった? 好きなら好きって言えるらぁ!」

「 だからさぁ!もしも嫌いだったら一緒にいっかないじゃん!ほんなこんもわからんだけぇ!」

「 ごめん・・」

引き下がる"小鳥"。

・・・

しかし、気になるものはやはり気になるもので、

「 ねぇ・・」

「 何?」

「 俺の事、好きって事だよね?」

「 またけぇ?」

「 いや、昔は言ってくれたし・・」

「 だからさぁ、10代じゃあるまいし、いい歳こいて好き好き言ってりゃ良いってこんけ?」

「 わかったよ、ごめん・・」

・・・

「 ねぇ・・」

「 何でぇ?」

「 いや、ごめん・・」

・・・

「 ね 「 しつこい!」

「 いや、まだなんも言ってねぇし・・」

・・・

何かと"葵"からの拒絶が続いていた"小鳥"は、この一件で完全に今までの根拠無き自信を失い、

( はぁ・・)

いきなりにも弱気になった。
 
今回の様に何かが気になって仕方が無い症状は、"小鳥"が小学生の低学年だった頃に、すでに一度現れていた。

「 ねぇねぇ~」

「 何だい"クロキン( 小鳥 )"~」

「 ちっと見てほしいんだけど・・」

「 いいよぉ、どこ?」

親切に答えてくれた同級生に、

" クルッ!"
 
と向きを変えて屈んだ"小鳥"は、ケツを突き出してこう尋ねた。

「 俺のケツやぶっちねぇ( 破れてない )?」

「 やぶっちねぇよ・・」

「 いや、もっとよく見でよぉ・・」

「 ん?だって、どこもやぶっちねえって・・」

「 もっかい見でよ・・」

" ぐりぐり・・ "

これでもかという程にケツを押し付けられたその同級生は、

「 うわっ!ちょっと"クロキン(小鳥)"・・ マジでやぶっちねえがら・・」

「 んがい( そうかい )・・」

あからさまに嫌悪感を示した。
 
しかし、制服のズボンの股下には継ぎ目があり、例えば何かしらの力が集中的に掛かった場合、

" ブリッ・・ "

それに沿って裂けてしまう事は確かにある。

普通に下半身を動かしている限り、そう簡単に破れる様な事は無いのだが、何故に"小鳥"がこんな質問をしつこく同級生にしたのか、それには理由があった。
 
ある時、"小鳥"が一人で下校していると、

" テクテク・・ "

気付いた時には、すぐ前方におしゃべりをしながらタラタラと歩いている同じ小学校の女生徒の一団が見えた。

このままでは追い付くに違いない状況で、急に歩くスピードを緩める事もわざとらしい。
 
"小鳥"は、

" テクテクテクテク・・"

明らかな早歩きでその横を通り過ぎた。

すると、

「 ヒソヒソヒソ・・」

「 ぎゃははははは・・」

(?)

気のせいには出来ぬタイミングで、女生徒達の甲高い笑い声が聞こえた。

それが何故なのか気軽に尋ねる事が出来ず、そのまま帰宅して制服を脱いだ時、

(!)

女生徒達の笑いが、やはり自分に向けられていたと確信する事になった。
 
「 あ・・ やぶっちる・・」

紺色の制服のズボンの尻の辺りが、ブリッと豪快に裂けていたのである。

「 うそだべした( 嘘でしょ )?」

と問い掛けてみても、目の前の破れた生地に嘘は無い。
 
"小鳥"が頻繁に気にする様になったのは、それからである。

「 ねぇねぇ、俺のケツやぶっちねぇ?」

「 やぶっちねぇよ・・」

「 ちょっ、よっぐ見でよ~」

「 見たって・・」

「 何だぁ?それでよっぐ見たのがい?ここまでだよ?」

足を開き、頭を屈め、股下から右手の中指で気になる所を指差す。

「 "クロキン(小鳥)"・・」

「 んだい( 何 )?」

「 自分で見えっぺした・・」

逆さまに映る同級生から外した視界は、確かに一番見て欲しいと思っていた所のすぐ手前辺りをしっかりと捉えていた。

しかし、そこから先に続く割れ目の始まりが見えず、

" ぺちぺちっ "

「 ここだよここ・・ ここはやぶっちねえがい?」

何とも無様な格好で、尻を叩く。

破れていないものを見せられて、破れていないと答えれば、

「 本当かい?」

と疑われ、それが何度も何度も続けば、嫌にならない方がおかしい。
 
はじめこそ親切に答えてくれた同級生達も、

( また来たぁ・・)

そんな表情をする様になり、

「 何だオメ~、ひとがせっかく聞いてんのによ~」

「 だ、だって、やぶっちねぇべした・・」

「 何でわかんだよ~」

「 えええ~~」

それに対して"小鳥"は、逆切れとも言える理不尽な怒りをぶつけて、同級生を更に苦しませた。
 
ほんの些細な事がきっかけとなり、予想もしなかった事が気になって仕方が無くなる事は、実は人間誰しもに備わっている精神構造であり、それはむしろ驚く事では無い。

傍から見れば何の違和感も感じぬ所がどうにも解せない悩みとなり、整形手術まで考えてしまう事も、まるで何とも思っていなかった異性を急にも気になりだす恋心も、きっかけはそれこそ誰かに言われた一言だったり、チラッと見えた別の一面だったり、何が何という概念は無く、

" 気になれば気になる "

だけの話なのである。

問題なのは、その攻略法というか処置法というか、陥ってしまった状況から抜け出す術を"小鳥"が具体的に心得ていなかった事で、

「 ホントしつこい!」

"葵"の怒りを何度も何度も浴びた事は言うまでも無い。
 
そして、

「 "リー(小鳥)"ちゃんはまだ若いから・・」

定番だった"葵"の決め台詞には、

「 "リー(小鳥)"ちゃんはしつこいから・・」

が加わる事になり、更には、

「 "リー(小鳥)"ちゃんは寝っ屁するから・・」

「 "リー(小鳥)"ちゃんは足が臭いから・・」

「 "リー(小鳥)"ちゃんの後のトイレは臭いから・・」

などなど、レパートリーが増え、

( こんなはずじゃなかった・・)

夫婦の関係は、出会った頃とはだいぶ変わっていた。
 
仕事帰りの深夜。
 
国道を走る"小鳥"の携帯が鳴る。

てっきり"葵"だと思って出ると、その相手は"もぐら"だった。

「 おぉ、元気してたかぁ・・」

「 えっ?」

「 何だ、忘れちまったかぁ?」

「 あ、あぁ!お久しぶりっす 」
 
「 すいません、今運転中だったもんで・・」

「 そうか、話せるか?」

「 はい、大丈夫っす 」

「 あのなぁ、俺は今、長野にいるんだ・・」

「 長野っすか?」

「 あぁ、トラックも降りちまってなぁ・・」

「 えっ、まじっすか?」

"イズミ"から聞いているとは言えなかった。

「 おぉ、それでお前にも忠告しておこうと思ってよ・・」

「 どしたっすか?」

「 いいかぁ、アイツは金に汚ねぇから、お前は戻るなんて考えねぇで自分の道を探せ・・」

「 アイツって・・」

「 "おやじ"だよ 」

「 あぁ・・」

「 ろくに寝ないでこっちが一生懸命稼いだって給料なんて出ねぇんだがんな? すっかり食われて終わっちまった・・」

「 そんな事があったっすか・・」

「 取引先から支払われねぇとか何とか言ってよぉ、ベンツだなんだを乗り回してんだがらよぉ、付いて行けねぇべ?」

「 そ、そそ、そうっすねぇ・・」

「 まっ、そんな話はどうでもいい・・ お前が戻って来たら皆で楽しくって思ってたけどよ、ちっと追われるハメになっちまってなぁ・・」

「・・・」

「 これから山梨を通って逃げるけどよ・・ お前だけには連絡しておこうと思ってなぁ・・」

「 そうだったっすかぁ・・」

"イズミ"の情報は確かだった。

「 いいかぁ、絶対に誰にも言うなよ・・」

「 はい 」

「 ちゃんと済んだら連絡するからよ・・」

「 は、はい 」

「 お前は幸せになれよ・・」

「 はい・・」

そう言い終えた"もぐら"は一方的に電話を切った。

( "イズミ"さんに伝えるべきか・・)

"小鳥"は一瞬迷ったが、自分を救ってくれた"もぐら"を裏切る真似は出来ないと思い直し、"葵"にも話さず、ひとりの胸にしまっておく事に決めた。
 
二州連合への帰還は"もぐら"に言われるまでも無く、すでに目指す所では無くなっている。
 
しかし、仮に"小鳥"が二州連合に戻っていたとすれば、やはり"イズミ"や"もぐら"の様に耐える事は出来ないだろう。生きる事に金は掛かるのである。

働く者は、事情はそれぞれでも金を稼ぐ事が目的で、それがいざ給料日になって、

「 お金は払えません 」

では、"とんぼのおやじ"が恨まれるのは当然の結果に思える。

かつては一枚岩の様にも見えた男達の分裂は、とても悲しい現実だった。
 
 

それからの日々

 

変わってしまったのは二州連合だけなのか、と考えてみる。

歌手を目指して上京し、生活力の無さから、

( カスになっちまった・・)

と挫折した自分は、

( 生きていたい・・)

と願って二州連合の世話になり、山梨で奉公しながら栃木帰還を目指して励んでいたはずだった。
 
しかし、"葵"と出会い、

( 一緒になりたい・・)

と思ってからは、

( 幸せにしたい・・)

と結婚を望み、

( 出世したい・・)

パチンコ店に就職してタイムカードに縛られながら働く道を選んでいる。

「 え~本日も多数様大勢様、当ホール、"ハクサイ8931ハクサイ"へとご来店くださいまして誠に有難うございまぁ~す、さぁ本日も当店、1番台2番台と上がり目に上がりましてぇ~、最終310番台に至りますまでぇ~、全機種全台~、優秀機優秀台を取り揃えましてのお出迎えとなっておりまぁ~す・・ パチンココーナーにつきましてはぁ~、当店自慢の1コースは~、さぁ本日も全台、設定オール1となっておりますよぉ~、空き台お探し中のお客様ぁ~、いらっしゃいましたら当店自慢の1コースまでお回り下さいませぇ~・・ さぁお客様ぁ、お時間許します限りぃ~ 最終最後ラストのお声が掛かりますまで、どうぞごゆっくりとぉ~、御遊戯お楽しみくださいませ~、本日も当ホールへとご来店くださいまして誠に有難うございやぁ~す 」

今ではアオリマイクを流暢にこなして、福島を出る時には想像も出来なかった姿になっているではないか。

福島を出る時に見送ってくれた仲間が今の自分を見れば、

「 アイツは変わっちまった・・」

と言うのかもしれないし、言われても仕方が無い。
 
不意に、変わって行く誰かを責める事など出来ない様な気持ちになって来る。
  
「 まぁ、今更栃木には行けないしな・・」
 
"小鳥"は家路を急いだ。
 
「 昔つるんでた仲間にお寺の息子がいるんだけどさぁ、ソイツも親と上手くいってなくて・・ まっそれはいいけど、今度さぁ、そのお寺の息子が居酒屋を始めたって"ラン"から連絡が来てさぁ・・」

"葵"が言う。

「 へぇ・・」

「 それでね、"リー(小鳥)"ちゃんも一緒に皆で飲もうって話になってさぁ・・」

「 俺?」

「 うん、前から何度も言われてたんだけど、皆に紹介してくれって・・」

「 俺はいいけど・・ 迷惑じゃねぇのかい?」

「 何で?」

「 いや、俺からしたら目上だしさ・・ 変な気を使わせても悪いかなってさ・・」

「 なでほぉでぇ~ ほんなこんありっかねぇじゃん、気にし過ぎズラァ・・」

「 ほぉけ・・」

「 ほいだら今度の休みに予定しとくね・・」

「 あぁ・・」
 
"小鳥"が勤める"ハクサイ8931ハクサイ"は毎週火曜日が定休日である。

最近の生活は昼夜逆転ばかりか、二人で外に出掛ける事も無い。

( 久々のお出掛けかぁ・・)

そんな風に思った"小鳥"は、

「 知り合いの店だから安く飲めるし・・」

いささかテンションの高い"葵"につられて、その日を楽しみに待った。
 
夜中の帰宅は、眠りから目覚めれば昼に近い。

「 おはよう・・」

「 おはよう、起きたけぇ~」

「 あぁ・・」

" カチチチッ・・カチチチッ・・"

台所からガスコンロに火を付ける音がする。

" ヒュルルル~・・"

やかんはすかさず蒸気の音を鳴らし、

「 はい!コーヒー 」

「 サンキュッ 」

"葵"がコーヒーを運んでくれる。
 
"小鳥"は、舌をかばい気味に一口すすり、

" シュポッ・・"

「 ふはぁ~~」

とたばこを吸う。

そして"葵"は、

" プシュッ "

「 ゴクゴクッ・・ふは~」

"小鳥"の休日に限って昼からビールを飲む。

" ガヤガヤ・・"

視線をテレビに向ける二人。いつもなら、このまま時が過ぎて行く。

「 "リー(小鳥)"ちゃん、6時位に出るから・・」

そう言ってベランダに出た"葵"に、

「 あぁ・・ 」

と返事をする。
 
予定があると会話は増えるものだと感じながら、"小鳥"はテレビを無感動に眺めた。

毎月毎月の給料日に出る"葵"のため息もそうだが、買い物の時も山梨が地元である"葵"は"小鳥"の選ぶルートに不満を見せ、減ってしまった笑顔の代わりに増えたのは、ささいな喧嘩だった。

「 なんで"リー(小鳥)"ちゃんは無理と遠回りするで?」

「 バカいっちょぉ、こっちの方が早いら・・」

「 何言ってるでぇ、絶対遠回りだって・・」

「 なんでわかるだ・・」

「 もういい・・」

そして、"葵"が普段から口にするのは、

「 酒とタバコを辞めるくらいなら死んだ方がマシ・・」

という言葉。
 
( 俺の為には生きてねぇって事だよなぁ・・)
 
"小鳥"はついつい考え込んでしまうのである。
 
「 そろそろだけど大丈夫け?」

「 あぁ、俺はいつでも・・」

テーブルに座ってから一時間程になる"葵"から声が掛かり、肘を付いて横になっていた"小鳥"は上体を起こした。

"葵"は置き鏡を前にして化粧に集中している。こんな時は語り掛けてもまともな返事が来る確率は極めて低い。

気の抜けた相槌かスルーを定番にする"葵"に、それ以上を求めようものなら、

「 ちょっとうるさい!」

と言われる事はすでにわかっている。
 
"小鳥"は二口程吸ったたばこを灰皿に置くと着替えに取り掛かった。
 
10代の時に着ていた服を掘り返そうものなら、

「 何でそんな格好するでぇ・・ 一緒に歩きたくないんだけど・・」

"葵"が買ってくれた服をチョイスすれば、

「 いいじゃん、いいじゃん・・」

かぶれた時代のジャージならば、

「 まっ、いいか・・」

出掛ける格好に対する"葵"の反応もすでに知っている。着替えに要する時間は少ない。

"葵"は、テレビにコテコテの強面俳優が映る時、

「 かっこいい・・」

などと反応を示す。
 
散髪代を気にした末の"小鳥"のオールバックは受けが良く、要するにやや悪い感じのする男が好みなのである。

"小鳥"はある時、"葵"の指摘に抵抗を覚え、

「 俺って良いトコどこもねぇみてぇだな・・ 足は臭いし、糞は臭いし、顔はでかいし無愛想だし・・」

いじけた少年の様な台詞を漏らした事があったが、それに対して"葵"は、真顔でこう言った。

「 何言ってるで"リー(小鳥)"ちゃん・・ 全部本当の事だっちことぉ・・ 他人は心で思っていたってさぁ、誰も面と向かっては言ってくれないだよ?自分の旦那がそんな風に思われて影で笑われてたら困るから、言いたくない事だってアタシは言うよ・・」

( なるほど・・)

"小鳥"は妙に納得してしまい、それ以来、流行も気分も無く、ただただ"葵"が認める格好をする様になった。
 
「 どうで?」

「 どれ・・」

仕上げの付けまつ毛に接着剤を塗っていた"葵"が顔を上げる。

「 上はいいけど、下は違うら・・ 何で"リー(小鳥)"ちゃんはそこでそれを選ぶかなぁ・・」

「 そう?」

「 ほら、アレがあったじゃん・・ こないだ買ってあげたスラックス、アレならバッチリだよ・・」

「 へい!」

おとなしく煙を上げるたばこを口に戻しながら、ダメだしを受けたズボンをすばやく脱ぐ。

「 ちょっと・・」

「 ん?」
 
「 ちゃんとたたんでよ・・」

「 へい!」

恥ずかしげも無くズボンを下ろした所で、"葵"は最早照れもしない。つくづく人間は慣れる生き物である。

"小鳥"が言われた通りの身支度を終えると、

「 いいじゃんいいじゃん! さぁ行くけ?」

「 あぁ・・」

"葵"はなかなかのテンションで缶ビールを片手にバッグを抱えて立ち上がり、二人は久方ぶりの外食にいよいよ出掛ける事となった。
 
「 そこを右に曲がって・・ 次を左に・・」

"葵"の指示に従い、一宮の細道を進む。

「 あったあったぁ~ ほらっアレ・・」

"葵"が指差した先には、"居酒屋イカおやじ"というどっからどう見ても居酒屋とわかる看板が見えた。

" ザザザザ・・"

敷き詰められた砂利を鳴らしながら敷地に車を入れると、小さな子供達とその保護者と思われる大人達が戯れていた。

「 あぁ~ "ラン"じゃん 」

"葵"はその一団の中に、連絡をして来た"ラン"という女性を見つけていた。
 
そして、空いているスペースに止めた車からすかさず降りると、その一団へと駆け寄り、"小鳥"が少し遅れて歩み寄った時には、

「 おぉ~"カズマ"ぁ~ おっきくなったじゃん~ お姉ちゃんのこん覚えてるけぇ?」

遊んでいた男の子に、笑顔で屈んで声を掛けていた。
 
男女合わせて5,6人位の大人達が自然と取り巻きを作る。

「 やぁ~だぁ~ "葵"ぃ~ えらい久しぶりじゃん~」

「 ほうじゃんねぇ "カズマ"がえらいでかくなっちゃってびっくりしたさぁ・・」

「 ほうけぇ?」

「 "ラン"と前に会った時は、"カズマ"はこんなちっちゃかっただから、ヤダヤダ・・ 歳は取りたかねぇじゃんねぇ~」

「「 ギャハギャハ・・」」

その会話から、"カズマ"が"ラン"の息子である事がわかる。

「 それより"葵"ぃ~ 旦那を紹介しろしぃ~」

「 あっ、ほうだ!ウチの旦那の"リー(小鳥)"ちゃん・・」

「 どうも・・」

"小鳥"は取り巻く大人達のそれぞれと自己紹介を交わし、その途中で、

( ん?)

男衆の視線がぎこちなく一箇所に集中している事に気付いた。
 
その先がどこなのかと目で追ってみると、

( うぉっ!)

「 "イー(葵)"ちゃんっ!」

「 えっ?」

「 パンツ見えてるっ!」

「 ヤダ・・」

黒のミニスカートに黒のストッキングで"カズマ"と目線の高さを合わせる様に屈んでいた"葵"は、男衆の視界に無意識にパンチラをプレゼントしていた。

これが"小鳥"と無縁の美女だったなら気付いても気付かぬ振りをして、少しでも長く拝もうとしていたのかもしれないが、それが"葵"となると、

( 畜生~~)

平常心ではいられなかった。

"小鳥"が声を掛けた事で"葵"はすかさず立ち上がったが、せっかくのお出掛けも出だしで起きたこの出来事によって、"小鳥"の心はまるで煮え切ったなべの様にグツグツとなり、場所を店内に移してからも、

( アイツら・・ 俺の嫁のパンツを黙って見て居やがった・・)

普段なら無意識の無愛想も、この時ばかりは意識的な無愛想になり、

「 へぇ~、"葵"ちゃんの旦那さんけぇ? まだ若いじゃん~」

その場には居合わせていなかった店主の言葉にも、

「・・・」

まるで答える事はなかった。

誰しもに判る不機嫌な旦那を取り繕う様に、"葵"はいつも以上に明るく振舞い、完全に上機嫌に成り変るタイミングを失った"小鳥"は、結局店を出るまで不機嫌を貫く事となった。

そして、

「 せっかく誘ってくれたのに、あんな態度とってさぁ、みんなに気を使わせて・・」

「 つぅかさぁ、おまんのパンツが見えてるのに黙ってる様なヤツらと楽しく酒なんか飲めねぇわ 」

「 あのさぁ、誰もアタシのパンツなんて見てないってぇ!」

「 いや、アレは絶対見てたさ・・」

「 "リー(小鳥)"ちゃんがそういう人だから、そう見えちゃうだけでしょっ!」

( ドキッ )

「 んなこたぁねぇんだよ!」

「 もういい!」

・・・

帰りは車に乗った途端から喧嘩になっていた。
 
"小鳥"が唯一、"葵"という女性に夢中になっていればこそ、集いの誰がしにどんな印象を与えようとも、ただただ"葵"を独り占めしたいだけの簡単な話である。
 
幼い頃、遊びに来た友達に大切な玩具を貸せずに、

「 こらっ! ○○ちゃんにも貸してあげなきゃ駄目でしょっ! それじゃお友達に嫌われちゃうでしょ?」

母親から叱られた記憶がしっかりと残っていようとも、"葵"は決して玩具ではない。
 
この件をきっかけにして、

( 俺の女・・ 俺の妻・・ 俺の・・ 俺の・・)

それからの"小鳥"は何かに取り憑れた様に変わった。
 
「 "リー(小鳥)"ちゃん・・」

「 何だい?」

「 町田に居た時の友達から連絡があってさ、あっちで同窓会みたいなのをやるからって誘われたんだけど・・」

「 あっ?」

「 "リー(小鳥)"ちゃんが駄目って言うなら断わるけど・・」

「 行きたいの?」

「 えっ? そりゃぁ、何度もあるものじゃ無いし・・」

「 それって男も来るの?」

「 えっ?」

「 いやだから、男も来るの?」

「 それってどういう事?」

「 別に・・」

「 じゃぁさ、女だけなら良いって事?」

「 そうは言ってねぇけど・・」

「 あのさぁ、もうみんないい歳でさぁ、結婚して子供だっているんだよ? それが久しぶりに集まろうってだけじゃん!」

「 ああ、わかったわかった! 勝手に行って来ればいいらぁ!」

「 何それぇ・・ もういいよ断わるから 」

「 いいから行けよ!」

「 もういいって!」

「 何だぁ?」

「 だってそうでしょ!"リー(小鳥)"ちゃんが嫌っていうのに、それを放って行ける訳ないじゃん・・」

「・・・」

批判されるべき愚行である事は"小鳥"自身も判っていたが、"居酒屋イカおやじ"の一件以来、この世の男衆に対しての疑念は増すばかりで、願わくば"葵"を縛り付けて置きたい程にまでなっていた。

自己中心的な八つ当たりやへそ曲がりが"葵"をどれほど苦しめているかも真には計れず、静まり淀む時こそ、

「 ごめんね・・」

などと顔色を伺うものの、何かをきっかけにして豹変する事を繰り返す。

次第に"葵"は、

「 何に対してごめんなの?」

ごめんねの精度を追求する様になり、

「 だからさっきの・・」

「 アタシが何に怒ってるかわかってる?」

「 もちろ 「 何? 」

「・・・」

「 "リー(小鳥)"ちゃんはさぁ、アタシの事を信用してないんだよ 」

「・・・」

こんな言葉を冷たく漏らすまでになった。
 
あれは、パチンコ屋で働き始め、二人で楽しく夜を過ごすばかりだった頃の事。

「 "シン( "小鳥"も顔を知る前の前の彼氏 )"ちゃんのアパートに置いたままの私物を取りに行きたいんだけど・・」

という"葵"の申し出を"小鳥"は快諾し、

「 "リー(小鳥)"ちゃん、今日さ、荷物を持って来ただけど、アルバムが出て来たからそこの棚を使わせてもらったよぉ~」


「 おぉ、いいよいいよ 」

 

"葵"は、さっそくそれを実行に移した。

「 ねぇねぇ、昔のアタシ・・ 見たい?」

( むむっ? ム ・ カ ・ シ ・ ノ ・ ア ・ タ ・ シ?)

「 うんうん 」

数冊に及ぶアルバムの一冊目。

 

最初の方は、

「 山梨の高校を中退して町田の親戚宅に預けられて・・ 編入したけど結局辞めちゃって・・ 暴走族に入ってからは・・」

馴れ初めの頃に"葵"が語った事のある町田に住んでいた頃の写真だった。

「 おぉ、これがあのラズベリー時代?」

「 そうそう、ラズベリーの支部が増えすぎちゃって、ラズベリーがラズベリーを食い潰す抗争時代でさぁ、アタシのアパートも襲撃されて大変だっただよぉ・・」

「「 ぎゃははは・・」」

「 竹やり持って襲って来てさぁ、けっこうパクられて、新聞にも載ってさぁ・・」

「「 ぎゃははは・・」」

「 これは誰?」

"葵"の横に密着して写っている男を指差すと、

「 この時付き合ってた彼氏っ 」

「 へっ!へぇ~」

ページはどんどん捲られて行き、今度は大人の女性になった"葵"が登場した。

 

スパンコールが輝くワンピースと背景が、水商売である事を嫌でも伝える。

( もしかして・・)

"小鳥"はこの時、うっすらと嫌な予感を覚えたが、キャピキャピと昔を振り返ってご機嫌な"葵"を止める気にはなれなかった。

「「 ぎゃははは・・」」

そして、

( ? )

ソファに座る男の膝の上に座り、後ろから腕を回されている"葵"の写真が登場する。

「 これは誰?」

「 それはアタシ・・」

「 いや、ほうでなくて、後ろの男・・」

「 あぁ、これはこの時付き合ってた彼氏・・」

「 へっ!へへぇ~ 格好良いじゃん・・」

「 でしょぉ!」

ページは進み、

「 これは芸者仲間と・・」

「 石和のスナックで・・」

「 10年付き合った彼氏・・」

「 これは"シン( "小鳥"も顔を知る前の前の彼氏 )"ちゃん・・」

11年先を生きる"葵"の過去は分厚く、けれどその過去は捲るページの順番通りでも無く、

( どの辺りで10年付き合ったのだろうか?)

( 山梨に居て・・ 町田に行って・・ 帰って来たとして・・ じゃぁ彼とはどこで・・)

"葵"にしてみれば整然と理解していたとしても、初見の"小鳥"にはてんでまとまる余地など無く、いっぺんに見せられた過去をすんなりと受け入れるのは不可能だった。

 
もしかすると、この時まで"小鳥"には、嫉妬も束縛も抜きん出たものなど無かったのかもしれない。

愛する女の過去に、別の男がいたとしてもそれは当然で、仕方が無い事を解らぬ"小鳥"でも無かったはずである。

ならば何故?

実はこの後、更に衝撃的な出来事が起こっていた。

それは、最後になった思い出のアルバムの何ページ辺りだったろうか、

「 これはカカシ(商運)に行きながら夜はスナックで働いてた頃だと思うけど・・」

" パラッ・・パラパラ・・ "

( ドキッ!)

一瞬、いや数分、時が止まってしまった様だった。

真っ白なグランドピアノを弾く白いバスローブ姿の中年男の写真。それを撮影しているのは"葵"だと察知する。するとやはり二枚目の写真には顔を近付けた二人がアップで写っていて、そこに映る"葵"の表情は、これまでの"小鳥"が見た事の無いものだった。

( こんな表情をする事があるのか・・)
 
完全に惚れてしまっていると思える程、とろんとした感じなのである。

そして、三枚目の写真には、バスローブ姿の"葵"が一人で佇んでいて、

( ラブホテル・・)

そう思うには十分だった。

これがもし、それだけの事であったのなら、

「 これは誰?」

と聞いた後で、

「 あぁ、これはこの時付き合ってた彼氏・・」

とでもなって、

「 へ、へへへぇ~」

でかろうじて済まされたのかもしれなかった。

しかし、そこに写る男こそ、

「 ウ、"ウズラ"・・」

石和で水商売をしていた頃に出くわし、

( かっけぇ・・)

と遠いお空のお月様の様に見上げた男が、"葵"の過去に思いも寄らぬ形で残されていたのである。

「 ぐぅ・・ ぐぐ・・ ああ・・ ああああ~~~」

感情を言葉で表す事も隠す事も出来ずに、ただ唸り散らしていた。

( 仕方の無い事さ・・ 仕方の無い事さ・・ 仕方の無い事さ・・)

唱えても唱えても、何度唱えたって沈静化などは出来ず、

「 何なんだよ! テメェは"ウズラ"と付き合ってたのかぁ~」

「 えっ、前に言ったじゃん・・」

「 うるせぇ~」

確かに、その男のベルトをご機嫌で使っていたし、とっくに知っていたはずなのにもかかわらず、ただただ取り乱した。

「 昔のアルバムをここに置くんじゃねぇよ 」

「 "リー(小鳥)"ちゃんが自分で良いって言ったんじゃん!」

「 うるせえ!てめえはアバズレだろ!」

「・・・」

「 何とか言えや!」

「 "リー(小鳥)"ちゃんがそう思うなら、そうなんじゃない?」

「・・・」

他人が自分の人生を知った気に語る事を嫌っておきながら、"葵"の人生を勝手知った気に決め込んでいたが故の跳ね返りに打ちのめされた"小鳥"は、最終的には今にどれ程の努力をしても、過去はどうにもならないと受け入れざるを得なかった。

それからは、この件に関して敢えて意識を向けないようにして来たのだが、"居酒屋イカおやじ"での一件は、再び"小鳥"を、そこに引き戻してしまった。

( 俺が年上だったら・・)

( もっと早くに産まれていれば・・)

"葵"と繋がりを持つ年上の男達に沸々と対抗心を抱いては、追い抜く事の出来ない歳の差に苛まれ、それがどうしようもない事だと言い聞かせては諦める。それを何度も繰り返す。
 
結果。
 
変える事の出来るこれからに対しては、異常な警戒心を向けたのである。
 
「 あのさ・・ ミニスカートやめてくんない?」

「 えっ?」

"小鳥"は"葵"の服装に口出しをするようになり、

「 おいっ、"葵"~」

「 えっ?」

加えて呼び捨てにする様になった。

豊かな想像力とは時に残酷で、

( 俺が働いている間に・・)

一人で出歩く"葵"が、どこかで誰かにいやらしい視線を浴びているのではなかろうかと考えると、

「 もしもし・・ 今何してたぁ?」

「 えっ?」

休憩時間に電話する回数も増えた。

「 "リー(小鳥)"ちゃんが嫌っていうなら・・」

はじめこそミニスカートを履かない事に同意してくれた"葵"も、

「 これは?」

「 ダメ!」

「 これは?」

「 ダメ!」

・・・

「 あのさぁ、もう着る服無いんだけど・・」

という所まで来てしまうと、

「 誰も"リー(小鳥)"ちゃんみたいにパンツを見ようなんて思ってないし、っていうかさぁ、ちょっとおかしいんじゃない?」

言い返す様になる。

「 お前は・・」

「 お前って呼ばないでくれる?」

「 あぁ?」

「 アタシの方が歳が上なんだし・・」

「 俺は旦那なんだよ!お前は妻だろ? しゃしゃってんじゃねぇよ 」

「 あぁぁ、もううっさいねぇ、このクソビク!」

( クソビクだと・・)

"葵"が怒るのも無理は無いが、そんな冷静はどこへやら、

「 何様だぁ、なら出て行けばいいらぁ~」

病気の療養を妨げる様な言葉は、つまりは暴力。

望まずして働けなくなった"葵"に対して、

「 出て行け・・」

その言葉が与える破壊力は大きかっただろう。

「 もういい、さよなら・・」

" ドサドサ・・ "

" ダダダダ・・ "

" バタンッ・・ "

" ブルルルル~ シュポシュポ・・ "

バッグを乱暴に抱えた"葵"が玄関を飛び出し車の排気音が遠くなると、

( あぁ、やっちまった・・)

こんな展開は、思えば頻繁になっていた。

"小鳥"は"葵"を嫌っていた訳では無く、故に出て行って欲しかった訳でも無い。

( 好きだから・・)

が行き過ぎてしまえば束縛の類に嫌でも身を落とし、

( 好きなのに・・)

望まぬ結果を作ってしまう。
 
「 もしもし・・」

「 なに!」

「 今どこにいるで・・」

「 どこだっていいじゃん!」

「 よかねぇわ・・」

「 だって出て行けって言ったのは自分でしょ!」

「 いや、アレはつい、売り言葉に買い言葉っていうか、本気で言った訳じゃないんだ・・」

「・・・」

「 ごめん、戻っておいでよ・・」

「 アタシはさぁ、何もパンツを見せたくてスカート履いてる訳じゃ無いんだよね・・」

「 あぁ、わかってる・・」

「 もう30を越えてるし、いつまでも履ける訳じゃ無いし・・ それに洋服を買う余裕なんか無いから持ってる服を着てるだけだしさ・・」

「 あぁ、わかってる・・」

「 ていうかさぁ、"リー(小鳥)"ちゃんの事が嫌いだったら、言われなくてもとっくに出て行ってるしさ・・ 何でそんなさ、ちっこい事をいちいちいちいち気にするか、アタシにはわからんさ・・」

「 あぁ、わかってる・・」

「 わかってないっちことぉ!」

「 あぁ、わかってない・・」

「 ほうズラァ?」

「 おぉ、もう言わない・・」

「 ホントに?」

「 あぁ、早く帰ってこぉし・・」

「 うん 」

「 気をつけてこぉし・・」

「 うん 」
 
"葵"が出て行ってしまうと、静まり返ったアパートは無性に寂しく、

" ほとぼりが冷める頃 "

とは良く言うが、その寂しさに耐えられなくなる頃、決まって"小鳥"は電話を掛けた。

カァっと燃え上がった感情も、

( 事故でも起こしたら・・)

( これっきりになったら・・)

( "イー(葵)"ちゃんが居ないこの部屋なんか・・)

アレコレと心配が浮かんで来ると、独りの空間に居心地の良さはこれっぽっちも無かったのである。
 
 


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