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江戸時代、初期

 

 

豊臣方に対抗するために、徳川家康は征夷大将軍になりました.

 

支配者としての正当性を天皇の権威に求めたのです.


江戸時代

 

 

家康が東照大権現となった後は、東照大権現の権威が、徳川家の支配の正当性を支えました.

 

家康が、神州日本の神になったのです.

 

ひとたび徳川家に正当性が確立したら、天皇の権威は不要となった.禁中並びに公家諸法度により、天皇は徳川家の支配下に置かれた.


明治大正

 

 

薩長土肥の官軍による軍事政権が、明治政府です.

 

明治政府が、国家を支配しました.

 

明治天皇は維新に巻き込まれてビックリしただろうが、天皇の権威が明治政府の正当性を支えました.

 

武士層だけではなく、国民全体に対して徴兵を開始するには、平民にも天皇の権威を信じさせる必要が出て来ました.

 

天皇の赤子たる臣民は、天皇のために兵隊になって戦えと教育したのです.

 

国家神道がまるで日本の伝統であるかの如き様相を呈していました.釈迦とか基督とかの権威が天皇の権威を超えては政権運営に支障をきたすので、宗教は度々弾圧されました.

 

首都をなぜ東京にしたのでしょうか.薩摩だって長州だって西日本の出身なんだから、京都か大阪の方が利便が良かったと思いますけどね.不思議です.


戦前

 

 

段々と明治の元老がいなくなる隙をついて、軍部が国家を支配するようになった.

 

昭和天皇は、ロシア革命にショックを受けていました.革命が起きたらロマノフ王朝と同じ運命を辿ると考えて、防共思想に染まりました.そこに軍部が付け込み、天皇の権威を利用して議会や政党を抑えて、軍部の権益拡大を目論んだのです.天皇はソビエトに怯えて、軍部の満州進出を諒解し、対米戦争中も自身の延命を図る目的で講和を先送りし、何百万人の国民の生命が犠牲になった.


占領期

 

 

マッカーサーが来日すると、駆けつけて行って握手した.

 

進駐軍に占領の正当性を与える見返りに、自身の保全を確保した.責任は東条以下二十数名が負いました.

 

マッカーサーに昭和天皇が挨拶する写真は、日本国民に新しい支配者は進駐軍であることを認識させた.

 

日本の植民地化を正当化するために、進駐軍は天皇の権威を利用した.進駐軍は憲法を米国の都合よく改正すると共に、米国産小麦粉を日本に売り込む目的で製粉会社の後押しをした.やがて米の消費量は減り、鯨を食べなくなりました.代わりにパンや米国産牛肉を食べるようになりました.



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