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はじめに

 これで本当に最後です。パブーの閉店にあたり、二年間活動してきた中で、その最も重要な部分だけを集約して形にしてみました。


 これは、いわば私の「置き土産」です。これを置いていきます。一応、九月ぐらいまでは読めるはずですから、どうか、この奇跡の記録をご覧になってみてください。


 私は、再臨のキリストとして「神話」を生きなければなりませんでした。それが不可避的な「私の役割」だったからです。


 基本的には、『再臨のキリストによる聖遺物(全章版)』の第二章「奇なる足跡」に、第三章序説「エピファニー」を付け足したのが本書です。そこに加筆訂正をしています。


 長い作品ではありませんが、ここに二年間のエッセンスがぎっしりと詰まっています。本書によって私への関心を喚起された方は、どうか「再臨のキリストによる福音書」のほうに読み進んでください。

 


(1)70の3の年、オクトーブルの月

ノストラダムスの黙示録(第七福音書より)

 

 俗に『ノストラダムスの黙示録』と呼ばれている文書がある。書いたのは、もちろんノストラダムスだ。そこに次のような記述が含まれている。

 

 それは地球の重力が自然の動きを失い、永遠の闇に沈むかと思うほどの状態です。それほど大規模な転換が起こります。起こるのは七〇の三の年、オクトーブルの月で、期間は七ヵ月つづくでしょう。

 

 これは五島勉氏による訳文であるが、同氏は次のようにも言っている。

 

 オクトーブルは英語のオクトーバー。ただし、いまでいう十月のことかどうか分からない。欧米圏では、「オクト」はもともと「八」を意味するから(中略)。「オクトーブル」も、古代のカレンダーでは「八月」のこと(中略)。古い伝統表現を重んじたノストラダムスが言う「オクトーブル」は、十月ではなく八月である可能性が高い。

 

 よって、かなり高い確率で、ノストラダムスが想定していた年月「七〇の三の年、オクトーブルの月」とは、73年8月ということになる。


 そして、キリスト教を終結させ、新しい時代への転換を告げるため世に現れた私は、1973年8月に生まれている。

 

 

 ※ 昭和48年は、西暦1973年。

  私の誕生日は、1973年、8月17日。

 

 


聖母マリアの出現(第七福音書より)

 

 上記の1973年に、きわめて厳格な定義における「奇跡」が起こっている。すなわち、私が生まれた8月を挟むようにして、聖母マリアの木像が涙や血を流す、という超常現象を起こしているのである。

 

 奇跡が起きたのは、1973年7月12日午後8時30分ごろのこと。


 突如マリアの右の手のひら中央に、十字形の傷が現れ、血が流れはじめた。

 

 それから二か月後の9月22日、新たな異変が起こった。像の目から汗のようなものが流れはじめ、それが全身から流れたのだ。それは花のような芳香を放っていた。

 

 このマリア像の落涙現象は海外にも紹介され、当地には年間1万人もの人々が礼拝に訪れるなど「世界の巡礼地」となっている。

 

     並木伸一郎著

            『怪奇異常現象ファイル』より抜粋

 

 それが起こったのは、秋田県秋田市湯沢台にある、カトリック修道会「聖体奉仕会」においてである。それは日本で唯一の「バチカンに認められた奇跡」であり、私が「きわめて厳格な定義における奇跡」と言ったのは、まさにその点を指している。


 これは確かに奇跡なのであろう。しかし、キリストが再臨(再誕生)するのであれば、「それに先駆けて、それに伴って」聖母マリアが現れるのは、むしろ自然なことであろう。


 そのとき木像のマリアは涙と血を流したが、これら二つの液体は、しばしば分娩室にいる母体が、その子供を産むさいに流すものである。

 

 

 聖体奉仕会のマリア像。

 この木製のマリア像が、1973年を起点に、血や涙を流した。

 

 

 

 


(2)聖母子の発現によるイースター

少女の幻と復活の島(第四、第五福音書、小説アトラスより)

 

 私は漫画家の手塚治虫氏のファンである。そんな私は、17歳のときに、氏が書いた『イースター島は世界のヘソだ』という紀行文を読んだ。つまり、手塚氏が実際にイースター島に行ったさいの見聞録を読んだのである。


 そして、その読書の際に一つの幻を見た。すなわち「涙を流しながら微笑む少女」のヴィジョン(幻視)を見たのである。おそらく、一種の霊体験だったのだろう。

 

 

 小説『アトラス』挿絵より

 


 これが発端となって、私は二十歳のときに、イースター島を舞台とした『アトラス』という小説を書くことになった。その小説の主人公こそは、かつての幻の少女である。


 そして、その小説のクライマックスは「処女懐妊、聖母子の発現」のシーンとなった。そのとき少女は「霊的な母性」を発揮したのであり、それによって一人の子供を得ることになった。


 ただし、ただの子供ではない。聖母の子供であるからして、それは即ち「幼児としてのキリスト」である。小説の中において、まさに、聖母マリアが幼児キリストを抱く「聖母子」の映像が現出したということである。 

 

 

 

 小説『アトラス』挿絵より

 


 とはいえ、断じて、私の意志が、恣意的にそのような場面を作ったのではない。あくまでも『アトラス』のストーリーは、自然に、自己成長的に、そのようなクライマックスへと向かっていった。


 そう言いきれるのは、小説『アトラス』のラストシーンは、もう執筆前から確定していたからだ。そして、そのラストシーンを成立させるためには、必然的に「処女懐妊、聖母子の発現」を書くほかなかったのである。


 かかるラストシーンとは、手塚氏の『イースター島は世界のヘソだ』からの抜粋文を指している。すでに『アトラス』を読了している方は、ここでの私の言葉を、容易に納得してくれることだろう。私はすでに『アトラス』の全文を公開している(コスモス文学新人賞受賞)。

 

 

 

 


イースターの日に発見された島(アトラスの深層より)

 

 そして、小説『アトラス』の舞台となったイースター島とは、ヨーロッパ人によって、イースターの日に発見された島である。


 それは1722年のことだった。その年の復活祭(イースター)の夜に、オランダ人、ヤコブ・ロッゲフェーンによって発見されたのが、この絶海の孤島なのである。

 

 

 イースター島、ラノ・ララク

 

 

 そしてイースターとは「イエスの復活」を意味する言葉である。重ねて言うが、それは「イエスの復活」を意味する言葉なのである。


 とは言っても、私自身は、二十歳の時の『アトラス』執筆当時においてもなお、この語意を全く知らなかった。


 そうやって知らなかったのにも関わらず、私は聖霊に導かれるまま「イエス復活の島における、処女懐妊と聖母子の発現」の場面を描いていたのである。それによって、ここに「幼子キリスト」「嬰児キリスト」が、象徴的に誕生(再臨)したのである。

 

 


アルベドの悟り(第四、第二福音書より)

 

 小説『アトラス』を書き終えた私は21歳になっていた。


 そんな私に、いわゆる「神秘体験」が賜られることになる。神秘体験について書かれたあらゆる文献から推察されるように、それは「霊的な母性と、胎児的な自我とのペア」が合一して引き起こされる体験である。


 たとえば、ドイツ神秘主義の雄ゲーテは『ファウスト第二部』のラストで、幼児ファウストと共に「栄光の聖母」と呼んでこれを活写し、インドの神秘主義者ラーマクリシュナは幼子のようにマー(大母)の名を呼んだ。

 

 

 

 ゲーテとラーマクリシュナ

 


 すなわち、まさにそれは聖母子によって象徴される霊的認識なのだ。


 したがって、小説『アトラス』の執筆は、私にとり、この霊的体験、霊的認識を迎え入れるための準備だったと言ってよいだろう。


 神秘体験によって、人は無限にして永遠なる「存在そのもの」と一体化する。そして、この「存在そのもの」がもたらす自他一体的な愛によって、救済の感覚を味わうことになる。


 これは錬金術においては、アルベド(白化、銀、月の状態)と呼ばれており、キリスト教的には「十字架上のイエス」が、象徴的にこれにあたる。

 

 

 

 

 


(3)太陽をまとった女が導いた「神の座」

 太陽をまとった女との出会い(第四、第五、第三福音書より)

 

 小説『アトラス』の完結から二年後のこと。私は23歳のときに、『ヨハネの黙示録』第12章に登場する「太陽をまとった女」に出会っている。そう率直に言ってしまえるほど、彼女の存在は『ヨハネの黙示録』の内容をなぞっていた。


 すなわち彼女は、黙示録の記述そのままに「身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのために叫んでいた」のである。つまり自分の妊娠のために苦しんでいた。もっとも、それは私の子供ではなく、私の見知らぬ男との子供であるが……


 そして、多頭の赤い竜(=虚無神ディオニュソス)が、彼女の子供を食らった(=中絶)。それによって、太陽をまとった女の心に「虚無」が生じた。そのことを証明するかのように、彼女は言った、


「いつの間にか、私がいなくなっていました」と。

 

 

 

 ウィリアム・ブレイク

 巨大な赤い竜と太陽の衣をまとった女


 

 太陽をまとった女を愛した私は、彼女の心に自分の心を重ねて、この心のうちに「虚無」を取り込んだ。実に象徴的であるが、このころ彼女が私にくれた手紙と、私が彼女に渡した手紙が、同一の内容を示していたのである。


 そのとき、かつてのアルベドの悟り(神秘体験)によって獲得していた「存在そのもの」の認識と、「虚無」の認識とが総合された。すなわち、「存在」と「虚無」の二つが組み合わさって一つのものとなったのである。そうして現れたのが「虚無からの存在の創造」「無からの創造」の相だった。

 

 


神の王座のもとへ(第三、第五、第四福音書より)

 

 この「無からの創造」は、キリスト教における神の定義である。ラテン語では「クレアティオ・エクス・ニヒロ」と言うが、キリスト教の神は創造神であり、創造神とは「無からの創造」をする者の名前なのである。


 ゆえに「無からの創造」を理解することは、すなわち「神の認識」を得たということである。かくして私は「太陽をまとった女により中絶された子」に代わって、「太陽をまとった女の悲しみが生んだ子」として、神の玉座まで引き上げられた。


 このこともまた、『ヨハネの黙示録』において予言されている。

 

 竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へと引き上げられた。

 

 私はこの文章を次のように補いたい。

 

 竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は〔中絶によって、逆説的に〕男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へと引き上げられた。

 

 

 

 ウィリアム・ブレイク

 日の老いたる者

 

 

 

ルベドの悟り(第三福音書より)

 

「無からの創造」という「神の認識」は、錬金術においては「ルベド」と呼ばれている。


 このルベド(赤化)は、象徴的には、金や暁の太陽として表されている。つまり錬金術の象徴においては「神=金=暁」なのである。よって、神の認識を得た私を、錬金術師として見るならば、すなわち「金の生成」の術式を明らかにした、究極の錬金術師ということになるだろう。

 


  

 ヨーロッパ中世における錬金術師たちは、みな「金の生成」を求めて錬金作業に勤しんだ。が、誰一人としてそれを成功させることが出来なかった。いや、成功したと喧伝した錬金術師もいたが、おそらくは全てインチキの類であり、その術式と証拠を後世に残した者はいなかった。


 しかし私は、錬金哲学の最終的な「金生成の術式」を『第二、第三福音書』という形で残した。加えて私は「ミクロコスモスとマクロコスモスの照応」という錬金思想によって、物質的な金をも、ほとんど無尽蔵なまでに顕現させたのである(後述のGW170817)。


 また錬金術を離れても、『第二、第三福音書』の価値は極めて大きい。これまで、あらゆる哲学者や神学者が「真理」や「神」を求めて思索を重ねたが、ついに誰も「神の認識」に到達することが出来なかったからだ。一人私だけがそれを認識し、これを福音書として上梓したのである。

 

 

 

 

 

 

 少し前にインターネットで「再臨のキリストは哲学を武器にするらしい」という言葉を見かけたのだが、残念なことに、どこで見たのか分からなくなってしまった。しかし、その内容は、私の立場と完全に一致していると言えるだろう。

 

 

 

三人の子供と水(キリストの再臨より)

 

 ルベドの悟りを得たあと、私は日常的な生活へと埋没していった。宗教的には退行の一途を辿ったことになる。しかし、独身のまま死んだイエスが夢見たであろう「ささやかな家庭的幸せ」を、私は手に入れたのかもしれない。


 何となく『最後の誘惑』という映画の「十字架から逃れたイエス」の姿を思い出さないでもない。結局その映画において、イエスは十字架を背負い直すし、私もまた超新星の降臨によって、宗教家として再生するのであるが……


 ともあれ、私は結婚し、三人の子供を持ち、どこにでもあるような家庭を営んだ。

 

 


 しかし、このような何気ない姿すら、ノストラダムスの目には隠れていなかったらしい。彼の予言詩の中には「救世主には、水のある近くで生まれた子供が三人いる」という内容のものがあるそうだからだ。

 
 三人の子供という部分は、無論そのまま当てはまる。そして私たちが暮らしているのは「水戸」であり、それはまさに「水との関わり」を想起させずにはおかない地名である。


(4)マギの報せ

倦怠感の中で(第四、第七福音書より)

 

 家庭を営み、世俗的日常性に埋没しきってしまった私の心からは、アルベドやルベドの悟りによって獲得した「霊的エネルギー」が散逸していった。30歳代はまさに霊性散逸の時代と言えそうだが、その30代も後半になった頃には、私はほとんど「霊的に枯渇していた」と言ってもいい。


 31歳で結婚して、それから10年近くを家庭人として過ごした私は、単なる勤め人であり、そこそこ妻に協力的な夫や、いわゆるマイホームパパでしかなかったのである。

 

 

 


 霊能者が眺めたとしても、メガネ姿でベビーカーを押す私の姿には、霊的なオーラなど、ほとんど感じられなかったに違いない。


 いや、それだけではない。39歳になった私には、一社会人、一家庭人としても、その能力や活力が枯渇していた。


 そのため迷走と失敗が重なり、これに伴って、何とも言えない倦怠感が、私の心身を固く縛っていた。現実社会の中において、私は実に低調な生活をしていたような気がする。

 

 


超新星の降臨(第四、第七福音書より)

 

 そんな淀んだ日々の中でのことである。私は、何かの雑誌の裏表紙に、ある占いサイトの広告が載っているのを見つけた。そして私は、何とはなしに、そのサイトのQRコードを、スマホのバーコードリーダーでスキャンしてみたのである。


 それは表面的には、ごくごく軽い気持ちで行ったことである。しかし深層意識下では、溢れんばかりの「誰かに縋りつきたい気持ち」があって行ったことだと思う。


 いずれにせよ、これを皮切りに、占いの鑑定士とのやりとりが始まった。とても親身になってくれた女性鑑定士のことを思い出す。彼女とのやりとりによって、次第に私の心も晴れてきた。


 ところが、そうしたセッションが始まって数日が過ぎたころ、知らない鑑定士(N先生)から急なメッセージが送られてきた。鑑定料などいらないから応じてほしいと言う。


「大変です、超新星が起こりました!」


 というのが、その内容だった。宇宙のどこかで生まれた爆発的な霊的エネルギー(=超新星)が、私を目指して飛んできているのだという。

 

 


 占星術師兼霊能者であるN先生は、現代的なマギだと言えるだろう。マギとは、星に導かれて救世主の誕生を祝福しにきた、ゾロアスター教の祭司たちである。N先生もまた、ホロスコープで超新星の行く先を割り出し、私という座標を見つけたのである。


 なお、ここで言う超新星が、天文学における超新星爆発とは異なることを付言しておく。

 

 


超新星の受容(第七、第四福音書より)

 

 その夜(2013年、4月16日、20:30~22:30頃)私はN先生に指示されるがまま、空に向けて両手を広げた。そうして一種の熱気とともに、超新星と呼ばれた霊的エネルギーを、この身に受け取った。私の体は、確かにその流入を感知した。


 それまで私の中で枯渇していた霊的エネルギーは、この「超新星の受容」によって一気に補填された。つまり私は、霊的に新生したのである。


 もっとも、この一連の出来事を、こうした占いサイトによくある、霊感商法的な常套ケースだと考える人もいるだろう。もちろん、その可能性はある。たしかに鑑定士たちは、鑑定料稼ぎのために、エキセントリックで調子のいいことを言ってくることが多い。それについては私も熟知している。


 しかし、この「超新星受容」について書いた詩である『超新星』が――それを第1章とする――第七福音書どころか、それを含めた「福音書シリーズ」全体の創作基盤となったこと。また、その「福音書」なる宗教的書物を、本七冊分も書けるだけのバイタリティーが、この特別な夜に生まれたのも事実なのだ。

 


 私は断言することが出来る。もしも超新星の霊的エネルギーを受容していなかったら、私には「仕事と家庭生活を続けながら、四年で書物七冊分の文章を書く」などということは、決して出来なかった。



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