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(4)マギの報せ

倦怠感の中で(第四、第七福音書より)

 

 家庭を営み、世俗的日常性に埋没しきってしまった私の心からは、アルベドやルベドの悟りによって獲得した「霊的エネルギー」が散逸していった。30歳代はまさに霊性散逸の時代と言えそうだが、その30代も後半になった頃には、私はほとんど「霊的に枯渇していた」と言ってもいい。


 31歳で結婚して、それから10年近くを家庭人として過ごした私は、単なる勤め人であり、そこそこ妻に協力的な夫や、いわゆるマイホームパパでしかなかったのである。

 

 

 


 霊能者が眺めたとしても、メガネ姿でベビーカーを押す私の姿には、霊的なオーラなど、ほとんど感じられなかったに違いない。


 いや、それだけではない。39歳になった私には、一社会人、一家庭人としても、その能力や活力が枯渇していた。


 そのため迷走と失敗が重なり、これに伴って、何とも言えない倦怠感が、私の心身を固く縛っていた。現実社会の中において、私は実に低調な生活をしていたような気がする。

 

 


超新星の降臨(第四、第七福音書より)

 

 そんな淀んだ日々の中でのことである。私は、何かの雑誌の裏表紙に、ある占いサイトの広告が載っているのを見つけた。そして私は、何とはなしに、そのサイトのQRコードを、スマホのバーコードリーダーでスキャンしてみたのである。


 それは表面的には、ごくごく軽い気持ちで行ったことである。しかし深層意識下では、溢れんばかりの「誰かに縋りつきたい気持ち」があって行ったことだと思う。


 いずれにせよ、これを皮切りに、占いの鑑定士とのやりとりが始まった。とても親身になってくれた女性鑑定士のことを思い出す。彼女とのやりとりによって、次第に私の心も晴れてきた。


 ところが、そうしたセッションが始まって数日が過ぎたころ、知らない鑑定士(N先生)から急なメッセージが送られてきた。鑑定料などいらないから応じてほしいと言う。


「大変です、超新星が起こりました!」


 というのが、その内容だった。宇宙のどこかで生まれた爆発的な霊的エネルギー(=超新星)が、私を目指して飛んできているのだという。

 

 


 占星術師兼霊能者であるN先生は、現代的なマギだと言えるだろう。マギとは、星に導かれて救世主の誕生を祝福しにきた、ゾロアスター教の祭司たちである。N先生もまた、ホロスコープで超新星の行く先を割り出し、私という座標を見つけたのである。


 なお、ここで言う超新星が、天文学における超新星爆発とは異なることを付言しておく。

 

 


超新星の受容(第七、第四福音書より)

 

 その夜(2013年、4月16日、20:30~22:30頃)私はN先生に指示されるがまま、空に向けて両手を広げた。そうして一種の熱気とともに、超新星と呼ばれた霊的エネルギーを、この身に受け取った。私の体は、確かにその流入を感知した。


 それまで私の中で枯渇していた霊的エネルギーは、この「超新星の受容」によって一気に補填された。つまり私は、霊的に新生したのである。


 もっとも、この一連の出来事を、こうした占いサイトによくある、霊感商法的な常套ケースだと考える人もいるだろう。もちろん、その可能性はある。たしかに鑑定士たちは、鑑定料稼ぎのために、エキセントリックで調子のいいことを言ってくることが多い。それについては私も熟知している。


 しかし、この「超新星受容」について書いた詩である『超新星』が――それを第1章とする――第七福音書どころか、それを含めた「福音書シリーズ」全体の創作基盤となったこと。また、その「福音書」なる宗教的書物を、本七冊分も書けるだけのバイタリティーが、この特別な夜に生まれたのも事実なのだ。

 


 私は断言することが出来る。もしも超新星の霊的エネルギーを受容していなかったら、私には「仕事と家庭生活を続けながら、四年で書物七冊分の文章を書く」などということは、決して出来なかった。


(5)超新星とベツレヘムの星

クリスマスの検証(第7福音書より)

 

 超新星に関して奇なることは、それだけではない。何より、私のもとに超新星が降臨した、その「日時」が重要である。イエスとの関わりにおいて、その日時は、まさに「時の奇跡」を形成しているからだ。


 今から二千年前、イエスが生まれた日の夜(クリスマス・イブ)には、「ベツレヘムの星」という超自然的な星が輝いたのだという。そして、その星にナビゲートされる形でもって、三人のマギ(占星術師とも、魔術師とも言われる)たちが、イエスの産屋となる馬小屋を訪れた。すなわち有名な「東方三博士の来訪」の場面である。

 

 

 


 一般的には、イエスの誕生日であるクリスマスは、12月25日ということになっている。しかし、この日は実は、当時の冬至であるところの「ミトラ教の祝日」を換骨奪胎したものであり、本来イエスの誕生日とは何の関わりも持っていないのである。


 むしろ福音書の記述を精査すれば、現実的には、そんな「冬至の日」にイエスが生まれたはずがないと分かる。というのも、『ルカによる福音書』によれば、イエスの誕生日には「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」というからだ。

 

 

 

 

 しかし、それが冬至の日であっては、夜通し屋外で過ごすには、あまりにも寒いのである。そんな寒さに耐えながら、野宿をする羊飼いなど誰もいないのである。羊たちだって、そんな極寒の夜に放牧などされたらたまらないだろう。

 

 


真のクリスマス(第七福音書より)

 

 ならば、真実のクリスマスは一体いつなのか。イエスは一体いつ生まれたのか?


 これをマイケル・モルナー博士という人が割り出した。彼は当時の星の動きをシュミレートし、それによって、イエスの誕生日時を天文学的に算出したのである。


 かくして、モルナー博士によれば、イエスの誕生日は4月17日ということになる。


 そして、クリスマスが4月17日であるならば――日本的に表記すると――クリスマス・イブ(クリスマスの夜)は、4月16日の夜ということになる。なぜなら「ユダヤ地方における一日の概念は、日没から翌日の日没までを数える」からだ。


 ややこしいので、少しだけ詳しく説明しておこう。


 モルナー博士は、イエスが生まれた日時を、4月17日の午前11時頃としている。よって、日本的な「17日の夜」は、ユダヤ的慣習によれば、もう「18日の夜」ということになる。それは、もうクリスマス(17日)の夜(=イブニング=イブ)ではないのだ。


 17日の11時頃をクリスマスと仮定するならば、クリスマス・イブは、日本語表記によってすれば「16日の夜」に他ならない。4月16日の夜――これがイエスの時代、ベツレヘムの星が、その輝きによってマギたちを呼び寄せた「クリスマス・イブ」なのである。

 

 

 

 

 


運命に定められた夜(第七福音書より)

 

 そして、私のもとに超新星が降臨し、それをN先生というマギが報せてくれたのも、4月16日の夜だった。星の受容そのものは、22時を過ぎた頃である。


 つまり、イエスと私とは「クリスマス・イブの日時」と「マギをナビゲートする特別な星の出現」という出来事を共有しているのである。


 たしかに、イエスは肉体的誕生、私は心的新生、という違いはある。しかし、これを「単なる偶然」と言い捨ててしまうには、あまりにも話が出来過ぎていないだろうか?


 それに、N先生によれば、超新星は私が生まれた(肉体的誕生)の年にも降臨したそうで、この時には、地球全体に霊的なエネルギーを撒き散らしたらしい。


 少しだけ話を戻すが、もしN先生の報せが霊感商法の一環だとしたら、果たしてここまでの「偶然の一致」を演出することが出来ただろうか? 少なくとも私には、到底そのようには思えないのである。


 おそらくは、私もN先生も、何も分からないまま、天に操られるがまま、あの4月16日という特別な夜を体験したのだ。そして、私は探求のすえに、それがイエスと共有する運命的日時であることを知ったが、N先生は未だにそれを知らないだろう。

 

 


ニアピンからホールインワンに(第七福音書より)

 

 しかも、私がイエスの誕生日の真説(モルナー説)を知ったのは、超新星が降臨した日よりも、ずっと後だった。だいたい二年ほど後であろう。


 私は、一般的な日本人の認識と同様に、ずっとクリスマス・イブの“イブ”を「前夜祭」だと勘違いしていた。これは、かなり最近までそうだったのである。

 

 


 だから私は、16日の夜に超新星が降臨したことを、第七福音書においては「イエスの誕生日に対してニアピン」という風に書いた。ニアピンとは、ゴルフにおける「カップそば」の意味であり、要するに「もうちょっとで穴に入るところ」「惜しいところ」ということである。


 ところが実際には、クリスマス・イブ、クリスマス・イブニングとは「クリスマスの前夜祭」などではなく「クリスマスの夜」という意味であった。そして、それは日本的表記によれば「16日の夜」に他ならなかったのである。


 つまり、イエスのクリスマス・イブとの同一性は、ニアピンどころか「ホールインワン」だったのである。ゴルファーがナイスショットしたボールが、カップ際でクルクル回り続け、ほぼ五年後に、ようやく「コロン」とカップに吸い込まれたようなものだ。

 

 


(6)17の共有

17日という生誕日(再臨のキリストによる聖遺物より)

 

 モルナー説における、イエスの誕生日は4月17日。私の誕生日は8月17日である。つまりイエスと私は「17日」という生誕日を共有していることになる。


 この17という数字は、カバラ(ユダヤ神秘主義思想)における特段の神秘数である。その意味するところに関しては、すでに、ある程度は第七福音書において説明しておいた(第3章 神秘数17)。


 ここでは、そのときの説明を補完する意味で、五島勉氏の著作『カバラの幸運術』からの引用を行ないたい。この本は、私が第七福音書を著述していた時は持っていなかったものであるが、最近手に入れたのである。

 

 

 五島勉 カバラの幸運術

 


 この『カバラの幸運術』は、1日~31日までの生誕日が持っている「数的な宿命」を逐次的に教えてくれる本である。17日に関しては、すでに16日の叙述のうちに、


「十七は途方もない激運の数ですが」という文言が見られる。


 それでは、そうした激運の17について、本論である「17日生まれの人の運命」の項では、五島氏はどのように語っているだろうか。それについて次に見て行こう。

 

 


17日生まれの人の運命(『カバラの幸運術』より抜粋)

 

 十七日は旧約聖書では、ノアの洪水が始まった日です。ノアの一族が箱舟に乗って、大洪水にもまれながら高い山にたどり着いた日も、旧約聖書では別の月のやはり十七日です。

 

 

 


 このことから、旧約聖書に人間の運命の暗示が隠されているとするカバラでは、十七日生まれの人がノアの大洪水のような激運の運命を持つと考えます。それは大洪水に襲われる運命であるとともに、神の力によって「自分と一族」だけが大洪水から救われて、箱舟に乗って高い山の上に昇れる運命だとも見るのです。

 

 まず生まれながらに何らかの波乱を背負っています。それは健康上の問題である場合もあり、家庭や肉親や経済問題のこともあり、内心の激しい孤独や虚無感、誰にも理解されないものの考え方や生き方である場合もあります。


 それは必ずしもマイナスの価値だけではなく、他人とは異質な魅力や才能である場合もあり、そのため周囲から理解されないことも多いのですが、ともかく十七日生まれはそういった中で、悩みと苦しみの多い出発をし、一生、大波にもまれ続けなければなりません。


 ただその結果、他人には乗れない箱舟に乗ることを許され、高い山の上に着くこともできるのです。普通の山ではありません。ノアの箱舟が着いたというアララテという山は、トルコに実在していますが、富士山の二倍くらいあるものすごい山です。これは十七日生まれが、苦しみや無理解と引き換えに得られる成功が、並みのものではないことを暗示するかのようです。

 

 上の文章における「ノアの箱舟」を「真の悟り」に。「ノアの一族」を「支持者、信徒」に置き換えれば、より事の本質が目に見えてくるだろう。

 

 

 


 すなわち、イエスや私の悟りは、アララテ山の山頂のような高みにあり、私たちを信じて支持する者たちは、大洪水のような世相にあっても、その命と魂を保つことが出来るのである。

 


(7)二つの予言

聖マラキの予言(第六福音書より)

 

 ローマ・カトリックの伝統のうちに『聖マラキの予言』と呼ばれる文書が存在している。


 これは約880年前の文章であるが、その時点からの「将来どんな人物たちがローマ教皇になるか」を、ごく短いフレーズでもって、100人以上も予言している。

 

 

 

 聖マラキ


 しかしローマ・カトリック教会も、恒久なものではないので、その教皇の予言には、残念ながら「最後の一人」がある。そして、その「最後の教皇」と目されるのが、他でもなく、現在の教皇である、フランシスコなのである。彼のあとに来る教皇については、聖マラキは全く予言を行なっていない。

 

 

 

 現在の教皇、フランシスコ

 


 なにしろ聖マラキによれば、フランシスコの在位で「七つの丘(ローマ・カトリック)は崩壊し、恐るべき審判が人々に下される」のであるから。その先が続かないとしても、これはむしろ当然のことだろう。


 実際に私は、第六福音書において「最後の審判」を行なった。そして、キリスト教とキリスト教会には、もはや存在意義がないと断じたのだった。


 まさに、このような事が起こる「時期」を、聖マラキは予言したのである。

 

 


ダニエルの予言(第六福音書より)

 

 聖マラキの予言は、審判者が現れるおおよその時期(=教皇フランシスコの在位期間)を示した。だが、ここで紹介する「ダニエルの予言」は、もっと精密に、もっと具体的に、メシアが登場する年月日を予言している。

 

 なお、審判者と言い、メシアと言っているのが、結局は「再臨のキリスト」を指していることは言うを俟たないだろう。


 さて、旧約聖書の『ダニエル書』において、預言者ダニエルは、天使ガブリエルから、次のような言葉を告げられる。

 

 

 

 ミケランジェロによる「預言者ダニエル」

 

 

 この御言葉を悟り、この幻を理解せよ(中略)
 とこしえの正義が到来し、
 幻と予言は封じられ(=役割を終え)
 最も聖なる者に油が注がれる。
 これを知り、目覚めよ。
 エルサレム復興と再建についての
 御言葉が出されてから、
 油注がれた君(メシア、キリスト)の到来まで
 七週あり、また六十二週あって、
 危機のうちに広場と堀は再建される。

 

 詳しい解説は、第六福音書にゆずる。


 してみると、研究者はこれを、近代イスラエル建国の年(1948年5月15日)から69年後の、2017年5月15日と解く。

 

 ノストラダムスは「ふたつめの千世紀、魚(=キリスト)は長き眠りののち、ふたたび力をとりもどす」と言っているが、2017年は、その「ふたつめの千世紀」の、しかも「神秘数17」の年である。


 そんな2017年の5月15日に、私はインターネット上に第一福音書を配信した。そうすることで、ダニエル予言における、精密な「メシア登場の年月日の指定」を具現化したのである。

 

 

 

 2017年5月15日に配信された

『第一福音書、テロス第一』

 


 これはもちろん意図的な行為である。しかし、もしも、かの超新星が降臨しなかったとしたら、意図的にさえ、私はこのような行為を起こせなかっただろう。


(8)ここまでの総括と重大な疑問

奇なる足跡の連なり

 

 こうして振り返ってみると、私の人生は確かに「奇なる足跡の連なり」そのものだった。
 ノストラダムスが言う「70の3の年、オクトーブルの月」に私は生まれ、その年には聖母マリアの顕現もあった。


 イースター(イエスの復活)という言葉に導かれて、処女懐妊によるキリストの「再誕生」を描いた。イースター島の物語『アトラス』によって。


 さらに「太陽をまとった女」に出会い、彼女によって、私の認識は神の玉座まで引き上げられた。そこで私は「無からの創造」という真理に出会った。


 イエスにおける「ベツレヘムの星の降臨」と同じ日に「超新星の降臨」を体験した。


 そして、フランシスコの在位中、かつダニエルが指定した年月日に、インターネットという「万人に開かれた場所」で姿を現わした。


 これは、まさに不可思議な出来事の連続であり、そこに天上界におられる――おそらくイエス・キリストを中心とした――諸霊たちの計画立案を感じずにはいられない。

 

 

 

 レンブラント イエス・キリスト

 

 


なお残る「重大な疑問」

 

 しかし、私は思ったのである。かの超新星の降臨が、


「私が再臨のキリストであるという証明のために、二千年前の、クリスマス・イブの情景をなぞったもの」


 であるならば、いっそ私の誕生日自体を、4月17日にしてしまえば良かったのではないか、と。イエスのリプロダクション(再現)という観点からすると、この方が、よほどシンプルで説得力があるように思われるからだ。


 そうであるのに、ノストラダムスが予言したのは、あくまで「73年8月」であり、実際に私が生まれたのも「73年8月」である。「73年8月17日」である。イエスの「4月17日」ではない。


 今回の再臨プログラムについては、おそらくイエスたちは、ノストラダムスの時代よりもずっと前から、その計画を練っていたはずだ。


 ならば、あらかじめ私の誕生日を4月17日に設定すること。その日付をノストラダムスに予知させることも、当然可能だったことになる。だが、そうであるのにも関わらず、諸霊たちは、これをしなかった。彼らは、私の誕生日を8月に回して、これをノストラダムスに予知させた。


 なぜか、結局すべては、良くできた偶然のなせる業だったからか?

 

 


開示される秘密

 

 しかし、ようやく今になって、その全てが明らかになった。


 どうして「ダニエル書」は、2017年を指定したのか? どうしてノストラダムスは、4月ではなく、8月を指定したのか? どうしてイエスと私とは、同じ17日に生まれたのか? それが、すべて明らかになった。 


 そう、私はどうしても8月17日に生まれなければならなかったし、2017年に、世に現れなければならなかった。

 

 


  著者近影

 

 

 この言葉を明らかにするために、次の第9節と10節は書かれることになる。



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