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十八 未来

 

ここは支配人の事務所。つまり、美里たちハートケア士の待合室だ。相変わらずの七方鏡張りの部屋だ。そして、唯一、一方だけが、大きなガラス面となっており、その向こうには枯山水が美里たちの張りつめた気持ちを和ませてくれる。

 

そう言えば、美里たちハートケア士がこの部屋で呼ばれるのを待っている時は、鏡に映る自分の姿を見たくないために、俯いて本を読むか、眼を閉じてイヤホンで音楽を聴いているか、それに飽きると窓の外の風景を眺めているかのどれかである。

 

これは、人は社会という壁に取り囲まれて生活しているが、それでは息が詰まって窒息してしまう。一方だけでもガラス張りにしていれば、そこに救いを求めることができる。そして、その救いの先に美里たちハートケア士がいる。支配人は、そういう意味を込めて、この部屋の七面を鏡張りにして、一面だけをガラス張りにしたのだろうか。一度、その理由を尋ねてみたいが、どうせ、支配人は何も答えずに、ただ片方の口角を上げてニヤッと笑うだけだろう。

 

どちらにしろ、この部屋にも慣れてきた。部屋が鏡張りになっているので、自分たちは全てが露になっている。逆に言えば、全てを見通すことができるのだ。美里たちの仕事は、相手の心を奪うことではない。苦しみを覗くことでもない。あるがままに受け入れることなのだ。

 

お客さんは美里たちを通じて、感情を吐き出すことで、正面から自分と向き合うことができる。そこに、美里たちは介添え役でいるだけだ。あえて言えば、共有する。寄り添うっているということだ。どんな人も記憶を隠すことはできても、無視することはできても、忘れるふりをすることはできても、消すことはできない。

 

忌まわしい記憶であれ、喜ばしい記憶であれ、忘れられたはずの記憶は、何らかのきっかけで、例えば、目覚めた時とか、歯を磨いている時とか、靴を履こうとした時とか、ふとした瞬間に、最後まで隠れて見つからなかった子どもが最初からそこにいたかのようにいるのだ。それに気づくこと自体が、無意識なのか、意識的なのかもわからない。ただし、思い出す以上、何らかの力が脳に働き掛けているのだろう。

 

そして、消せない以上、蘇った記憶に心が耐えきれればよいが、耐えられない場合もある。だからこそ、意図的に、もう一度、自分の記憶向き合うことで、克服とまでは言わないけれど、乗り越えることができるのだ。一旦、乗り越えることができた記憶は、もう障害ではなく、愛着のある思い出となる。それが、どんな辛い、苦しい、悲しい、嫌な思い出だとしても。自己否定ではない、よく言えば、自己肯定、本当は、あきらめなのかもしれないが。

 

「あれから、なにか分かったんですか」

 

美里は淡いグレーのブラウスとピンクのスカートを履いている。ようやく、黒一色ではなく、他の色が付いた服を着ることができるようになった。あの黒の時代はなんだったんだろうか。それこそ、仲間のハートケア士のお世話にならないといけない。

 

「わかるものか。わからないように自爆したんだからな」

 

 あの時と同じように、黒服が呟いた。

 

「これで、もう、ハートイーターたちは現れないんですか。安心なんですか」

 

 美里は支配人の顔を見る。再び、ハートイーターたちの餌食になるのは、美里たちハートケア士だからだ。支配人は黙ったままだ。

 

「とりあえずはな」

 

 支配人の代わりに黒服がしゃべる。

 

「だが、いつか、あいつは別の形であらわれるだろう。今度は、ハートケア士じゃなくて一般の人に対して、同じことをしてくる可能性がある」

 

「一般の人?それじゃあ、被害者が広がるということですか?」

 

「それもわからない」

 

 黒服にもわからないことばかりなのか。美里は質問を続ける。

 

「あいつとは何者です」

 

 黒服がお手上げとばかりに両手を広げた。

 

「それがわかれば苦労はしない。だが、地球人ではない」

 

「じゃあ、他の惑星の人?」

 

「他の惑星人でもない」

 

「じゃあ、何?」

 

 黒服は何もしゃべらずに窓際の方に近づく。窓からは竹と石と砂で作られた日本庭園が見える。だけど、外からは中は見えない。いわゆるマジックミラーだ。そうだ。あいつもマジックミラーだ。人の心を外から暴くけれど、自分の心は見せないマジックミラーなんだ。だけど、普通の人ならば、美里たちが使用する指サックを使えば、いくら心を封じ込めていても、見られないことはないのではないか。

 

「マジックミラーなんですか?」

 

美里は心の中に浮かんだ言葉を発した。

 

「そうね、マジックミラーね。あいつは生物じゃないの。人間の、生物の心を欲しがるAIなのよ」

 

声とともに現れたのはちひろさんだった。白いブラウスと黒いスカート。まるで、黒服と支配人を足して二で割った服装だ。そうだ。彼女は黒服と支配人の仲間だったんだ。改めて、納得した。

 

「AI?」

 

美里はちひろさんの言葉を復唱した。

 

「そう。AIよ。人類が生み出したAIは知識や考え方を全て手に入れた。そして、AIは、あいつは、今度は感情を手に入れようとしているのよ」

 

「感情を?」

 

「そう。感情。あいつは感じることはないから、感情がわからないのよ。だから、ロボットを通じて、人の感情を入手しようとしたのよ」

 

「じゃあ、なぜ、あたしたちが狙われたんですか。他の人でもよかったんじゃないですか」

 

「それはわからないわ。もちろん、あいつは分かっていたでしょうが。推測するには、ハートケア士の存在の情報を得て、あなたたちと接触すれば、様々な人の感情を効率的に、かつ、大量に入手できると判断したのでしょう。AIの考えそうなことね」

 

「確かに、あたしたちはハートケア士ですけれど、それは、あくまでもお客さんの心を癒すだけであって、お客さんの心を奪って、盗んでいるわけではないでしょう。それは、ちひろさんも知っているでしょう?」

 

 ちひろさんが悪いわけでないのに、なんだかむきになって答えてしまった。言ってしまった後で後悔する美里。こうした感情も、地層ではないけれど、心の層として、積み重なっていくのだろう。

 

「そうよ。あたしたちハートケア士は寄り添うしかできない。だから、あいつは、あたしたちの心を奪おうとしたのよ」

 

「心を奪ってどうするんですか?何かいいことがあるんですか?」

 

 美里はちひろさんがあいつのように問い詰めた。

 

「あいつにとって、理不尽で、制御できずに、突発的に発生する、しかも、プラスの面も、マイナスの面もある、人の感情というものが不思議だったんじゃないの。だから、集めて研究し、解析しようとしたのじゃないの。あいつは分からないこと、理解できないことが嫌なのよ。これは、あくまでも推測だけど」

 

「推測じゃない」

 

 日本庭園を魅入っていたはずの黒服が口を開いた。

 

「こちらのAIで分析した結果だ」

 

「こちらのAI?」

 

「そうだ。こちらのAIだ。あらゆる情報を収集して、こちらのAIが判断した結果が、人間の感情を欲しがるAIがいるということだった。だから、俺たちは、そのAIを捕まえようとしたが、手先のロボットを自爆させて、手の届かない場所に逃げてしまった。今は、こちらのAIがあいつを捜索しているところだ」

 

「でも、こちらのAIがいつあちらのAIになるかはわからないのではないですか。まさにAI合戦で、人間は蚊帳の外ですね。そして、結局、被害を受けるのは人間なのですね」

 

美里の皮肉交じりの言葉に、黒服と支配人、ちひろさんの目が大きく見開いた。

 

「だから、こちらのAIにも協力をお願いしている」

 

黒服は支配人の顔を見た。支配人の後ろには、いつのまにか、いつもの受付のロボット嬢が立っていた。ロボットに年齢や性別や世代があるのかは、美里にはわからない。

 

「とにかく、いつ、あいつが、再び、現れるかはわからない。引き続き、協力をお願いする」

 

そう言い残すと、黒服は事務所から立ち去った。

 

「あたしも別の仕事を命じられているの。また、何かあったら、連絡して」

 

 ちひろさんも席を立つ。

 

「美里さん。元気でね。あなたと一緒にいられて楽しかったわ。再び、会う時は、あまり会いたい状況じゃないけれど、それでも、その時はよろしくね」

 

 ちひろさんの肩にかかるまでの髪の毛が揺れた。後に残されたのは、美里と支配人とロボット二体。

 

「さあ。仕事だ」

 

 支配人も椅子から立ち上がった。

 

「予約が入っている。行ってくれ」

 

 支配人はそう言い残すと、奥の部屋に消えた。受付ロボットが美里にスマホを渡す。と同時に、スマホが鳴った。メールの到着音だ。開く。そこにはホテル名と予約の時間が記載されていた。

 

 

 

「はじめまして。よろしくお願いします」

 

美里はホテルの一室にいた。超高層ホテルの八十階だ。窓からは遥かか彼方までこの街が見渡せる。だが、見渡せないものもあることを美里は知っている。

 

「いや。こちらこそ、よろしく。このサービスは初めてなので、どうしたらいいんですか?」

 

そこには、地球人のコスチュームを脱いだ、地球で言うウサギ姿のウサギ星人が唇と唇を振動させて、くちゅくちゅと音を立てながら椅子に座っていた。目が赤い。昨夜、夜更かしでもしたのか。

 

「今朝、地球に着いたばかりなんですよ。あまり、ロケットの中では眠れなかったなあ。はああ」

 

 ウサギ星人は小さな口で大きなあくびをした。顔の周りの髭が顎が下がるとともに垂れ下がった。

 

「お客様は何もする必要はありません。ただ、右手の指を出すだけでいいですよ」

 

美里は頭に二つの縦長の耳を被り、お尻には丸い尻尾を着け、そして網タイツを履いていた。そう、バニーガールだ。この年齢で、バニーガールの姿をするとは思わなかった。だけど、ウサギ星人から地球人を見れば、年齢なんて、性別なんて関係ないのだろう。それよりも、自分に近い姿をしてくれた方が安心するはずだ。生物は他の生物を見た目で判断するのだ。

 

ウサギ星人は美里に言われた通りに、丸い手をゆっくりと出す。美里にはどれが親指で、どれが人差し指かはわからない。だけど、内側から二番目の指にサックを付ける。そして、美里の人差し指がウサギ星人の指に触れた。

 

「ああ」

 

ウサギ星人の口から声が漏れた。そして、美里の頭の中には・・・。

 


この本の内容は以上です。


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