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天の梯子

 天の梯子

 

 むかし、神様がまだ信じられていた頃の話です。その頃は、科学者でも神様をないがしろにすることは、ありませんでした。ある所に、何とかして天にとどく梯子を作りたいと願っている、一人の老科学者がいました。一生をかけて、やっとのこと、その長い長い梯子を完成させたのです。ですが、なにせ、もう歳のために足腰が弱っていたので、自分で登って行くことができませんでした。そこで、自分に代わって天国に登り、そこの様子を観察し、報告してくれる者を、広告で募集しました。

 最初にやって来たのは、退役した将軍で、まだ足腰のしゃんとした人でした。老科学者の家の戸をたたいて、扉が開かれるなり、こう言いました。

 「天国へ登れるという梯子はどこだね。わしは長いこと、いろいろな国で戦争をしてきたのだが、もうこの地上での戦にはあきあきした。天国にはヴァルハラという所があって、そこではこの世界で立派な勲功をたてた兵士は、天使や神々と戦ができるというではないか。わしはまだ天国へ召される歳ではないが、その前にちとばかり、天国の戦の様子をのぞき見して来たいのじゃ。」

 そこで老科学者は、退役した将軍を実験室へ招き入れ、天国への梯子の前に立たせました。将軍は実験室に入ると、目をあちこちに走らせて、それらしい梯子を探しましたが、いろいろな実験装置や、器具や、薬品や、ガラス壜が目に入るだけで、天井にも、壁にも、床にも、人が足をかけて登れそうなものは見あたりません。いま科学者にうながされて、その前に立ったのは、三脚の上にのせられた、どう見ても望遠鏡にちがいないものです。

 「天国への梯子はどこかね。わしは実際に天国へ登りたいのじゃ。こんな望遠鏡で、天を覗いてみたところで、どうなるものかね。」

 老科学者はにっこり笑って、将軍の早とちりを手で払いのけるようにして、言いました。

 「天へ登るのは魂だけですから、実際の梯子は必要ないのですよ。ほら、こちらのアイピースから、ちょっと覗いてごらんなさい。長い梯子が見えるでしょう。」

 そこで将軍は、言われたとおりに接眼鏡に片目を当ててみますと、望遠鏡のように思われたものは、たちまち長い長い、どこまでも天へとかかっている、銀色の梯子に変わりました。将軍は喜び勇んで、その梯子を一段一段、どこまでも登って行きました。

 どれほど登ったことでしょう。最初は霧のような、雲のような中を、一生懸命登りました。やがて、あたりが青みを帯びた光に包まれるようになり、だんだんに視界が開けてきました。

 「もう一息だ!」将軍は、意外に早く天国へたどり着きそうなのに心躍って、大声に言いました。天には壮麗な宮殿があって、この世で勲功を立てたり、勇敢であった者たちが、天使に導かれて、そこに集っているはずでした。彼らはこの世で戦を職業として、殺したり、奪ったり、破壊したりすることに喜びを覚えてきたのですが、天国では同じことが、もはや死を恐れることなくできるのでした。というのは、天国では戦士たちは、毎日戦に明け暮れるのですが、翌日になると、殺された者たちはみな甦って、ふたたび戦に明け暮れることができるのです。

 やがて、将軍は顔や手に、何かふわふわした小さなかたまりが、ぶつかりだしたのに気づきました。見ると、小さいものは豆つぶほど、大きいものはジャガイモほどの、青い石が、あたり一面にただよっています。それらが天国に近づくにつれて、どんどん密集していって、どうやら天国の地面を造っているようなのです。その地面の端に、梯子は立てかけられていました。将軍は恐る恐る足を下ろしてみましたが、それは心配するまでもなく、地上の地面と同じくらい、しっかりしたものでした。

 将軍は最初、もの珍しげに、あたりを見まわしました。それから、失望した表情をその顔に浮かべました。地上にも、石や岩や砂だらけな地帯がありますが、将軍のたどり着いた天国は、いちめんに青い小石の敷きつめられた、いわば礫砂漠に似たものでした。それでも、この砂漠の果てに、目ざすものが見つかるかもしれないと、将軍は気を取り直して歩き始めました。歩いて、歩いて、一日歩きまわりました。どこまで行っても、青い小石の砂漠です。仕舞いに将軍は、立ち止まって大声にひとり言を言いました。

 「天国は何とつまらない所だろう。こんな所へ来るために、人々は神様を信じていたのだ!」

 将軍が落胆して、ふたたび梯子を下り、実験室に戻ると、幾人もの人が、天国への梯子の順番を待っていました。皆は好奇のまなこを将軍に向けました。一人の商人が進みでて、将軍に尋ねました。

 「天国はいかがでした。」

 将軍はうんざりした顔で、「よしときたまえ」と言おうとしましたが、興奮した人々の顔を見回して、思い直し、「百聞は一見にしかず、というものさ」と言って、さっさと部屋を出てゆきました。老科学者に報告する約束も、すっかり忘れてしまいました。

 次に、天国への梯子を登って行ったのは、将軍に尋ねた商人でした。彼もまた、最初は雲か霧のような中を、それから青い光の中をよじ登って、例の青い天の地面にたどり着きました。商人は抜け目ないまなこで、あたりを見まわしました。そして、あたりどころか、天国じゅうどこへ行っても、値ぶみするに値するどんな建物も、、生き物も、植物もないのを見てとると、最後に地面から青い小石を拾いあげて、それを値ぶみし、こうつぶやきました。

 「天国のことだから、宝石かと思えば、ただ青いだけのありふれた石だ。しかも、あまり固そうでないから、建物にも向かない。こんなものを地上に持ち帰ったところで、お金になりそうもない。まったく、商人にとって天国は用なしの場所だ。せめて天使でもいて、煙草の取り引きに応じてくれるといいのだが。」

 地上に戻ると、商人は、天国は石ころだらけの価値のない場所だったと、老科学者に告げて、家に帰りました。帰宅してから、天国の青い石を一つだけ、ポケットに入れて持ち帰ったことを思いだし、それを娘のシルクに、おみやげとして与えました。

 商人のあとにも、たくさんの人が天国への梯子を登りましたが、みな落胆して戻ってきました。農夫は広い田畑を求めて、牧夫は羊や馬を求めて、船乗りは宝の島や南洋の女たちを求めて、酒飲みはジンやウィスキーを求めて、探険家は険しい山や激流を求めて、哲学者は宇宙の神秘を探ろうとして、みな勇んで登ってゆきましたが、みな落胆して戻ってきました。特に最後にあげた哲学者は、天にこそ最高の真理と、善と、美とが、見いだせるはずだと確信していたのに、ただの石ころだらけの砂漠を前にして、恥ずかしくなるくらいの侮辱を覚えたと語りました。そして、今後は決して天のことにはかかわるまい、という決意をして、老科学者の研究室を去ると、この世でもっとも価値のある貨幣についての権威になりました。

 

 さて、商人が何げなくポケットに入れて持ち帰り、娘のシルクに与えた、天の青い小石は、どうなったことでしょう。

 その石を一目見たとたん、シルクはすっかり気に入ってしまいました。それは、薄青い無数の砂粒が固まってできたような、不思議な手触りのする、平べったい小石でした。正確に言うと、青い粒は灰白色の粒と混じりあっていて、この地上の砂岩とよく似ていました。けれども、その手触りだけは、なんともいえない心地よさを与えました。それは、ちょうど、柔らかな猫の毛を撫でているような感じがしました。けれども、それは小さなシルクだけに、そう感じられたのかもしれません。父親にとっては、ざらざらした、ただの青い小石にしか思われなかったのですから。

 小さなシルクは、その日一日、天の小石を手離さずに、食事の時にはお皿のそばに置き、お風呂にも一緒に入りました。お湯の中で、天の小石は透きとおった青さに輝きました。そして、寝る時になると、枕もとにおいて眠りました。夢のなかで、誰かのしくしくと泣く声が聞こえました。驚いて目を覚ますと、耳もとで小石が泣いているのでした。

 「まあ、石が泣くなんて。」

 小さなシルクは恐がりではありませんでしたから、ただ不思議に思ってそう言いました。すると青い小石は、

 「ああ、シルクさん、起こしてしまって、すみません。つい悲しくなったもので。」

 「こんなに可愛がってあげてるのに、何が悲しいの。」

 「シルクさんのせいではありません。ただちょっと、故郷(ふるさと)が恋しくなったもので。」

 「お国はどちら。」

 「お父さんから、お聞きになりませんでしたか。わたしの故郷は、お空のずっと上の方にある、サマルカンドという青い砂漠なのです。あなたのお父さんは、今朝そこへやって来られて、わたしたちを値ぶみしたすえに、ふん、こんなつまらないもの、と言って立ち去りましたが、その時、気まぐれにも、わたしをポケットの中に入れて、地上までつれてきてしまったのです。わたしはひとりでは、もとの場所に帰れないのです。」

 「それは、かわいそうなことをいたしましたわ。」

 小さなシルクは、小石の口ぶりにつられて、ややませた口の利き方をしてみました。

 「それでは、わたしからお父様にお願いして、あなたがお国に戻れるようにしてあげますことよ。」

 「でも、あなたのお父さんは、二度とサマルカンドへは登りません。せめて煙草好きの天使がいてくれたらなあ、と言っていましたから。わたしたちは、煙草の煙をかぐだけで、灰色に変わっていくのですよ。この地上へ下りて来てからも、まだ一日ですが、だいぶ灰色になってしまいました。さきほど、一緒にお風呂へ入れていただいて、すっかりきれいになったので、おかげでもとの青さを取り戻せました。」

 天の小石は、うやうやしくお辞儀するような口調で言いました。小さなシルクには、目の前の小石がお辞儀する姿が、ありありと見えるようでした。

 「そういうわけですから、わたしは悲しくなって、泣いてしまったのです。」

 「では、どうしたらあなたを、天国に帰すことができるのですか。」

 シルクは同情して尋ねました。小石はちょっと小首をかしげて、考えているようでした。少なくとも、シルクの目にはそう見えたのです。 

 「いますぐには思いつきません。」

 「それでは、天の梯子を発明なさった、科学者の博士に相談したらどうでしょうか。きっともう一度梯子に登って、あなたを天へ戻してくれるでしょう。朝になったら、博士のところへゆきましょうよ。」

 小石はやはり、ちょっと考えてから、

 「わたしの声が聞こえるのは、シルクさんや小さな子供たちだけなのです。おとなには、ただの石にしか見えないのです。しかもシルクさんに見えるような、青い透きとおった石ではなく、ざらざらした、くすんだ青石でしかないのです。博士はあなたの話を信じないでしょうし、もし信じたとしても、科学者ですから、わたしの成分を調べようとして、割ってみようとするでしょう。わたしは普通の石ではないので、割ることなどはできませんし、そうされたら、それはそれは苦しいことでしょう。大地の下の暗いところでは、そんなふうに苦しめられている、灰色の石たちが、たくさんあるということです。」

 「それでは、お母様に相談しましょうか。お母様は今、おなかに子供がいらっしゃるので、きっとあなたの話を信じてもらえますわ。」

 天の小石は、これまでよりもずっと長く、考えこんでいるようでした。それから、

 「あなたのお母様も、やはりわたしの声は聞こえないと思います。それに身重では、わたしを天まで運ぶことはできないでしょう。シルクさんはまだ、博士の作った梯子を登るには小さすぎて、途中で疲れてしまうことでしょう。一つだけ方法があるのですが・・・」

 小石は口ごもりました。なにか言いたくなさそうでした。シルクはじれったくなって、

 「その方法というのは、なんでしょうか。遠慮しないでいいのよ。教えてください。」

 「それはですね、あなたのお母様の、おなかのお子様に頼むことなのです。でもちょっと、問題がありますので・・・」

 「それはどういうことなのでしょうか。」

 シルクはちょっと驚いてたずねました。

 「生まれてくる子供には、天から一つずつ青い小石がさずけられます。シルクさんも、わたしの声が聞こえて、わたしの姿が見えるのも、生まれたときに授かった青い小石のおかげなのです。でもたいていの小石は、下界の空気にさらされて、すぐに灰色になってしまいますから、天のふるさとのことを忘れてしまいます。シルクさんのように、青い石のままでいるのは、特別なケースです。」

 「それははじめて聞くお話ですわ。でも、天の小石のあなたとお話ができているのだから、信じなければいけませんね。」

 「もしシルクさんのもとに来れなかったら、わたしもただの灰色の石として、道ばたに捨てられていたことでしょう。」

 小石はうやうやしくお辞儀をしました。それから、

 「さっきの話をつづけますと、あなたの妹さんにたのんで、わたしを受け入れてもらえば、いずれ天国に帰れるでしょう。」

 「まあ、もう妹であることが分かるのですか」

 「はい、わたしは純粋なたましいですから、身体にはまどわされません。妹さんは、あなたのお母様のおなかの中で、すこやかにお育ちです。」

 シルクは喜んで言いました。

 「あなたが私の妹になるなら、こんな楽しいことはないわ。ずっといっしょにいられるのだもの。」

 「はい」

 と小石はは答えましたが、どこか考え深げでした。

 

 それから数か月して、シルクの妹が生まれました。それまで、いつもいっしょに、ベッドのかたわらに置かれていた、青い小石が、妹の生まれた朝には消えていました。でも、シルクは、青い小石が、アメシスタと名前のつけられた、妹のたましいになったことを知っているので、少しも悲しくはありません。

 アメシスタは、宝石のように透きとおった肌をしていて、とてもかわいらしい赤子でしたので、両親からも、シルクからも、たいへん愛されました。立ち上がれるようになり、片言がしゃべれるようになると、三人の喜びは天にも昇るほどでした。特にシルクは、家にいるときは、アメシスタのそばをいっときも離れませんでした。アメシスタの片言は、あの天の小石とのしゃれた会話にくらべると、じれったいくらい、たわいのないものでしたが、いつか大きくなって、生まれる前のことを思い出してくれるでしょう。そして二人で天国のことを、話し合ったりできるでしょう。そんな愉しみを、シルクは想像していました。

 ある日のこと、学校へ通うようになったシルクが帰宅してみると、なんとなく家のなかがあわただしく、父親も母親も沈んだ顔をしています。アメシスタが病気になったのです。白髯の医者が、大きな鞄をもって、往診にきました。高熱を発したアメシスタの小さなベッドのまわりを、心配げな顔がのぞきこみます。医者は風邪の診断をして去りましたが、高熱はひと晩つづいて、その次の日も下がりません。夜になって、とうとう白髯の医者は頭を横にふりました。その頃町にはやっていた、原因不明の熱病に命を奪われてしまったのです。

 両親とシルクの嘆きは言うまでもありません。シルクは、その夜は一晩中、妹のベッドに寄りそって、泣き明かしました。そして次の日は、シルクもまた熱を発して、床につきました。高熱のうわ言のなかで、アメシスタの名をなんども声に出しました。そして、今度はシルクのベッドのそばで、心配そうに見まもる両親には、なんのことか分かりませんでしたが、「わたしの青い小石はどこ」と叫びました。

 シルクは高熱のなかで夢を見ました。青い服を着た小さな子供が、女子か男子か分かりませんが、しきりに済まなさそうに、お辞儀をしているのです。そして、言いました。

 「ごめんなさい。わたしが悪いのです。わたしが天国へ帰りたかったばかしに、アメシスタさんを、道づれにしてしまいました。」

 それは、まぎれもない、天の青い小石の声でした。シルクは悲しくもあり、嬉しくもあり、複雑な気持ちでしたが、

 「それなら、わたしもいっしょに、天国へ連れていってちょうだい。三人で、天国でなかよく暮らしましょう。」

 

 あくる朝、悲嘆にくれる両親に見まもられて、シルクもまた息をひきとりました。

 

 (了)


この本の内容は以上です。


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