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第二部 仏教の完成と終末について

 われわれ西洋の伝統では、人間というものは限りなく小さなものであって、神の恩寵がすべてである。これに対して東洋では、人間は本来神なのであり、そして〔そのことの認識によって〕みずからを救済するのである。

 

  ユング『東洋的瞑想の心理学』

  湯浅泰雄・黒木幹夫訳より

 


第1章 「↑」の典型的宗教 

具体的な宗教名

 

 第一部においては、宗教の完成と終末に関して、つとめて簡明で抽象的な論述を試みた。

 

 しかし、この第二部以降では、それとは逆に、より具体的な論述スタイルによって、しかし内容については「第一部と全く同じこと」を語ってみたい。


 そして、そのように具体的に語るならば、第一部でただ「宗教」と呼んだものにも、また具象的な名前を与えなければならない。


 むろん、最終的には、それは「キリスト教」になるだろう。なにしろ本書のサブ・タイトルが『キリスト教の完成と終末』なのだから。これが本書の心臓たる「第三部」となる。


 だがその前に「仏教」の完成と終末について「第二部」として触れておきたい。


 なぜなら仏教こそは「↑」の典型的な宗教であり、そのコントラストによって、キリスト教の「↓」の内容を、鮮明に浮き上がらせてくれるはずだからである。

 

 


仏教は佛教

 

 仏教の仏という文字は、旧字だと「佛」と書く。そして弗というのは「無」のことである。


 ただし、この無は決して、虚しいだけの「虚無」のことではない。むしろ、どんな名前も付けられ無い、どのようにも特定でき無い、そうした究極の全体性を意味していると言えよう。つまり無とは、存在そのもの、神的なる「存在そのもの」ということだ。


 その無に人べんが付いて「佛」になる訳だが、人べんとは、そのまま「人」のことである。したがって「佛」という文字は、それ自体が「人間と神的なものの合体」を意味しているのである。人間と神が、完全に浸透し合っていると言ってもよい。


 しかも、字体が「佛」から「仏」に変わっても、未だに人べんが健在であること。すなわち、神的なものが、今もって「かつて自分が人間であったこと」を忘れていないことが素晴らしい。


 仏教にあっては、その立教から現代に至るまで「神は、人間と隔絶した存在ではない」のである。言いかえれば、その歴史を一貫して「人間は神になることが出来る」のだ。その「神になった人間」こそが「仏」に他ならないからだ。そうして仏になるために、僧は不断の修行を行うことになる。


 つまり仏教とは、人間が修行によって悟り、その悟りの上昇力によって、神的なものに近づいてゆく「人間の神化」を具現化した宗教なのである。

 

 


悟りと救済

 

 とくに原始仏教は「悟りの宗教」そのものだったと言えるだろう。


 その頃の仏教徒たちは、かならず出家してから修行に入り、禁欲的な環境のなかで悟って、それにより開祖である仏陀に近づこうとした。

 

 出家とは、家庭や俗世間を離れることを言う。もちろんゴータマ(のちの仏陀)自身もまた、出家して修行したのであり、その成果としての悟りを開いて、仏陀となったのである。


 このようなスタイルの仏教は、のちにタイやミャンマー、スリランカなどに伝わり、それらの国々では、現代においても、その修行の原型をかなり留めている。これをもって南伝仏教と呼ぶことがある。


 しかし、インド、中国、日本へと伝播が連なる北伝仏教には、明確に「=」というエンテレケイアからの補償が働いた。つまり原始仏教の「↑」が、「=」に近づくために「↓」の影響を受けたということだ。


第2章 「↓」という補償を受けた仏教

大乗仏教の成立

 

「↓」の影響――その第一の波は、インドにおける大乗仏教の成立であった。それには、伝説的な名僧である竜樹菩薩(ナーガールジュナ)の働きに負うところが多い。


 とはいえ、すでに竜樹以前にも、無名の僧たちによって、


「出家した修行者だけが、悟りによって救われる(仏に近づく)というのは、仏の願いとしては、ちょっと了見が狭いのではないか」


 という疑問が呈されていた。その疑問に答えを出すために、大乗経典が作られた形だ。


 大乗の教えは、出家をしていない在家信者(世俗の家庭人)にも乗車を許された「大きな乗り物」である。換言すれば、在家信者に「僧である私たちと一緒に、君たちも仏のもとに行こう」と呼びかける、寛容な救済の教えなのである。


 そこでは「在家信者では、厳しい修行にも戒律にも耐えられない」ということが前提となっている。これは確かに、事実に即していることだろう。出家者たちが捨てた「家」、つまり「家庭と俗生活」を営むためには、ある意味、遊興も破戒も致し方なかったからだ。


 そして、そうした俗世にまみれた在家信者を救うためには、どうしてもプロの修行者、すなわち悟りたる者たちの助力が必要だった。そのため、ここでは、


「すでに高みにある者たちが、世俗の次元に降りてくる」


 という「↓」のベクトルが発生せざるを得ない。こうして、その「↓」が、原始仏教の「↑」を、最初に補償するものとなったのである。

 

 


天台宗における「久遠実成の仏陀」

 

 仏教は、インドから中国へと伝播していく。


 その中国仏教では、浄土宗と天台宗が名高いが、天台宗のほうは、大乗経典の『法華経』を中心においた宗派である。一般に「↓」のベクトルが働くと、


「多くの迷える民衆を救済するためには、どうしても巨大な力が必要になる」


 という要請が生じる。これによって神的なるもの(ここでは仏)は、いきおい超人的、超越的なものになる。その点で『法華経』における「久遠実成の仏陀」などは、まさにその典型例であろう。


 そもそもゴータマ・ブッダ(仏陀)は、インドのカピラヴァストゥに生まれて、35歳で悟りを開いた実在の人物である。


 しかし、久遠実成の仏陀は、そのゴータマとはかなり異なる。すなわち、久遠実成の仏陀とは、ゴータマの実相(背景にある本質)として霊界に鎮座する「久遠の過去から悟りを開いている不変の仏」のことなのである。


 それは言わば、生まれもしなければ死にもしない、ただただ巨大な「救済のための霊的エネルギー」である。


 そう、仏教徒として仏陀を崇めているとはいえ、天台宗の本尊は、もはや人間としてのゴータマではなく、こちらの久遠仏になっているのだ。


 そこでは、この偉大なる久遠仏によって、すべての信徒の救済が約束されている。これをして法華一乗という。

 

 


浄土宗の阿弥陀仏

 

 浄土宗における阿弥陀如来も同様である。


 もともと大乗仏教徒の文学的創作によって生まれた阿弥陀仏は、別名を「無量寿仏、無量光仏」という。ゆえに彼は、永遠(無量寿)と無限(無量光)の体現者であると言ってよいだろう。しかし、この超越的な阿弥陀仏は、


「けれども私は、苦しんでいる人々が全て救われないかぎり、本当の意味における“仏”には、決してなりません。仏になる前の段階に留まります」


 という、非常に自己犠牲的な誓いを立てている。つまり阿弥陀仏の慈しみは、自分を犠牲にしてまでも、衆生の苦しみに向かって伸びていくのである。これもまた、上から下へと向かっていく恵みであり、まさしく「↓」の展開だと言えるだろう。


 この阿弥陀仏の「↓」に対して、人間の側の「↑」は、ほとんど要求されない。浄土宗の信徒たちは、ただ阿弥陀仏からの救いを信じればいい。そして、その「信じていること」を、サインを送るように、阿弥陀仏に告げ知らせればよいのだ。


 そのサインこそが「南無阿弥陀仏」という念仏であり、このあたりの事情を、中国の善導という高僧は、


「口に念仏を唱えれば、極楽に迎え入れられる。それは阿弥陀仏の誓いによって決定している」という形で表現している。

 

 


善導とヨハネの共通性

 

 こうなると、仏教と言っても、キリスト教の「信じれば救われる」信仰スタイルと、ほとんど実質が変わらなくなる。たとえば『ヨハネによる福音書』には、次のようなくだりがある。

 

「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」


 と言うと、イエスは答えて言われた。


「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」

 

 読んで如くのとおり、善導が言っていることと、ヨハネが言っていることは、ほぼ同じである。それだけ原始仏教の「↑」に対して、補償の「↓」の波及が進んだことを思い知らされる。


 むしろ中国における状況は、仏教が仏教たりうるために、逆に「↑」の助力を必要とするほどだった。それを担うのが、達磨大師から始まる「禅」の流れである。座禅を組んで精神集中を行う姿は、まさに原始仏教の修行スタイルを彷彿とさせる。

 

 


日本の仏教

 

 蘇我馬子や聖徳太子による「朝鮮半島からの受容」によって、日本の仏教が本格的に始まる。ただし、その仏教は長らく、一部の宗教的エリートのものだった。そのため奈良仏教の頃までは、かなり「↑」の色合いが濃い。宗教的雰囲気としては、おそらく南伝仏教のそれに似ていたのではないだろうか。


 しかし、平城京における奈良仏教界は、政治的にも大きな力を持つようになった。この政治的影響力を排したいと願う桓武天皇によって、平安京への遷都が執り行われる。


 その平安京で花開いたのが、最澄による天台宗と、空海による真言宗だった。二人とも中国に渡り、そこから「奈良仏教とは異質の仏教」を持って帰ってきた。

 

 


最澄と空海

 

 最澄が持って帰った天台宗は、中国仏教の項で述べたように、『法華経』を根本経典とする宗派である。すなわち、法華一乗による万民救済を謳う、濃厚な「↓」タイプの宗教だ。そのため必然的に、奈良仏教の「↑」との間に、論争が引き起こされた。


 とはいえ、もともと「↑」を基調にして成立したのが仏教なのだ。ゆえに、その正統性を論じるにあたって、最澄が徳一(奈良仏教代表)を論破することなど、出来るはずもなかった。この敗戦により最澄は心身ともに衰弱していく。


 しかし皮肉にも、心労のすえに最澄が亡くなると、その直後に、天台宗の社会的地位が定まることになる。そして、その本拠地である比叡山延暦寺は、その後の日本仏教における「↓」の発展の本拠地ともなった。


 一方の空海は、中国から密教を持って帰ってきた。密教の内容は、かなり神秘主義的なものだが、「↓」の代表的宗教であるキリスト教もまた神秘主義的である。


 さらに中国において「浄土宗が廃れたかわりに密教が盛んになった」という継承の歴史があったことを鑑みれば、そこに「↓」の伝統が息づいていることが分かるだろう。


 また空海は、景教(中国に伝わったキリスト教)の影響も受けている。なにしろ、中国で洗礼を受けた上に「遍照金剛」という洗礼名まで与えられているのだ。


 既述したように、キリスト教は「↓」の代名詞のような宗教である。したがって、空海が日本に持ち帰った「↓」には、かなり純粋なベクトルが込められているのかもしれない。

 


第3章 「仏教の完成」への接近

鎌倉仏教の浄土門

 

 平安仏教(最澄、空海)の次は、鎌倉仏教だ。最澄が開いた比叡山は、この次世代の仏教が花開くための土壌である。この霊場から、源信(平安中期)や法然、栄西や道元、親鸞や日蓮などが、次々に輩出されていった。


 その中でも、特段に「↓」のベクトルを担っているのが、源信、法然、親鸞、という浄土門系の流れであろう。よって本書では、彼らの姿をクローズアップして眺めていきたい。

 

 


浄土宗という「落ちていくボール」

 

 源信、法然、親鸞――まず最初に言っておかなければならないのが、この三人が、いずれも高徳の宗教的エリートだったことだ。


 具体的な論述に入るまえに、読者にあっては、どうか「高い棚の上にあるボール」を想像していただきたい。


 そして、その位置エネルギー(高さ)に満たされているボールが、下に向かって落ちていくことによって運動エネルギーに変換する、と。


 そうして最終的には、ボールが床に着地することによって「振動」という影響を床面に与える、こういう状況を思い浮かべてほしいのだ。


 源信、法然、親鸞、という高徳(=高さ)の宗教的エリートたちも、それと同じと言える。

 

 すなわち彼らは、「↓」というベクトルに身を捧げることによって、その位置エネルギーを、運動エネルギーに転換させるということだ。そして最終的には、床(教えの聴き手)を振動させることになる。


 ただし、その「床」にあたる着地点が――源信よりは法然、法然よりは親鸞、という形で――しだいに低くなっていき、その分だけ「落ちるまでの距離」が伸びるのだ。


 当然、落ちるまでの距離が長いほうが、ボールのバウンド(=床の振動)も大きくなる。つまり「↓」としての影響力が大きくなるということだ。

 

 


さほど落ちない源信

 

 源信などは「それほど落ちない」。なにしろ彼は、


「悟りに近しく、瞑想修行が出来るならば、その人は、その難しい修行を行うべきだ」


 というスタンスさえ持っているからだ。


 これは浄土門の聖典、『観無量寿経』のスタンスでもある。この『観無量寿経』に出てくる仏陀は、修行の及ばない人間に対してのみ、次のように言う。


「仏陀を心に念ずる修行が出来ないなら、せめて『無量寿仏(阿弥陀仏)』の名前をとなえるがいい。純粋な気持ちで、声をとぎらせることなく、となえつづけるのだ。仏陀を念じつづけながら『南無阿弥陀仏』と、十回くり返して、思いをのべるのだ」


 源信にとってみれば、そのような称名念仏は「仕方なし」に行うべきことであって、けっして仏教徒本来の行為ではない。だから彼が、


「難しい教えを受け入れられない民衆は『南無阿弥陀仏』という念仏を唱えるだけでもいい」


 と言ったのも、要するに、なかば便法だったのだろう。すなわち、


「それで自分のような境涯に至れるはずもないが、全く救われないよりは、少しでも救われたほうがいいだろう」というような。

 

 そんな彼は、図式的に見れば「高みにあって民衆を下に眺めている」と言わざるを得ない。

 

 


法然の専修念仏

 

 それが法然になると、念仏を唱えることは、もはや便法などではなく「それ自体が、絶対の価値を持っているもの」として認識されるようになる。だから法然は「専修念仏」ということを提唱したのだ。


 専修念仏とは「念仏を唱える以外の修行はしないし、またその必要もない」という教えである。なぜ念仏を唱えるだけでいいのかと言えば、それだけで阿弥陀仏が救いに来てくれるからだ。それを「中国の浄土教徒である善導が保証してくれている」と法然は言う。


 すなわち、すでに「浄土宗の阿弥陀仏」のところで触れてある、


「口に念仏を唱えれば、極楽に迎え入れられる。それは阿弥陀仏の本願(誓い)によって決定している」という言葉がそれだ。たしかに『観無量寿経』にも、


「仏陀の名(=念仏)をとなえる効果によって、彼は、くり返しとなえるたびに、ふつうなら八十億劫もの長い間、生と死をくり返さなくてはならない運命に彼を巻きこむ罪を、すべて消してしまうことができるだろう。(中略)彼は、最高の浄福の世界である『極楽浄土』に再生するであろう」


 とある。それならば念仏を唱える以外の修行は必要ないだろうし、念仏を唱えるだけならば誰だって出来るだろう。


 実際、この教えが、どんなに民衆を喜ばせたか分からない。一般的な仏道修行に耐えられない人々にとって、これほど簡単でありがたい教えはなかっただろうから。京の都でも浄土宗のブームが巻き起こり、さながら民衆は、歓呼に「振動した」と言っていい。


 ただし、その教えは民衆の次元に降りた(落ちた)ものの、法然その人は、死ぬまで「徳高き宗教的エリート」の次元に留まった。彼は僧としての戒めを固く守り、亡くなるまで独身を貫いた。


第4章 浄土真宗による「仏教の完成と終末」

親鸞という着地点

 

 法然は、徳高き宗教的エリートのまま留まった。それを心身もろとも民衆の次元まで降りてきて、いわば「人間の愚かしさ」「罪人としての人間」という地平で着地したのが親鸞だった。


 親鸞が説いた教え自体は、法然の専修念仏と変わらない。しかし彼は、徳高き宗教的エリートの立場を捨て、正々堂々と破戒僧となった。戒めを破り、妻帯し、もはや僧であること自体を、こだわらないことにした(非僧非俗)。


 つまり、いまや親鸞は、民衆のただ中にいるのである。かつての高僧、宗教的エリートは、「↓」のベクトルに乗って、ついに愚かな民衆、罪人の次元に到達したのである。

 

 


罪人としての意識

 

 親鸞は自分のことを「愚禿親鸞」と呼び、世間のどこにでもいる「愚かな禿げオヤジ」を自認する。そして、この禿げオヤジは、自分の仲間である民衆とともに、自らの愚かしさと罪の意識に歯噛みする。とくに親鸞の中で、破戒の後ろめたさは、いかばかりだっただろう。


 だが親鸞は、ついに答えを見いだす。


「高徳であることを誇れる善人は、自分で自分のことを救えばよい。


 しかし、かの阿弥陀仏は『己の罪に悩む、わずかな自信もない者』『悪人であることを自認せざるを得ない、力尽きた者』のほうに、より強く、憐れみを感じるはずだ。


 なにしろ彼は、どうあっても自分で自分を救うことが出来ないのだから。彼を救えるのは阿弥陀仏しかいないのだから。


 だから、慈しみ深い阿弥陀仏は、まず率先して彼を救おうとする。自分(阿弥陀仏)がどうかしてあげなければ、彼には、何の救いの手立てもないからである。


 そして、そうだとすれば、本当は『善人よりも悪人のほうが、より救いに近いところにいる』のではないだろうか」


 この逆説的な救済の理論こそが、有名な「悪人正機説」である。

 

 


ベクトル補償の完了

 

 悪人正機説――それは、罪を犯さずにはいられない民衆の地平でこそ、真実味をもって響きわたる教えであった。


 この教えの正しさを裏書きするように、イエス・キリストも、


「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。(中略)わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである(マタイ)」


 と言っている。ここまでくると、まるでイエスが、阿弥陀仏の気持ちを代弁しているようではないか。きっと親鸞がこの言葉を聞いたなら、嬉しくて、涙が止まらなかったのではあるまいか。もしかしたら親鸞は、イエス・キリストを前にして、彼を「阿弥陀仏」と呼んだかもしれない。


 つまり親鸞は、ついに仏教の「↑」とは逆のベクトルである「↓」の最果てで、キリスト教的な救済観を見つけ出したのである。


 これこそまさに「↑」に対する「↓」の補償の完了であった。

 

 


悪人正機説に内在する「↑」

 

 もっとも「悪人正機説」は、それを標榜して生きようとするならば、どうしても「自分自身を罪人だと認められるような内省性」を持たなければならない。自分の心奥を見つめ、そこに罪を認め、それを悔い苦しんではじめて、人は、阿弥陀仏の救いを求めることが出来るからである。


 ところが実際には、この内省性を、民衆のほとんどが、全く持っていなかった。


 むしろ逆に「己の罪を自覚することなく、無自覚のままに、さらに新しい罪を犯し続ける」というのが彼らの実態だった。


 しかし、もしも彼らが、本当の意味における「悪人正機説」を理解したとすれば――内省性を獲得して、罪の意識に苦しむようになったとすれば――それはきっと「民衆が親鸞の教えを吸収して、彼らの意識段階をアップさせた」ということになるだろう。


 とすれば、そこには間違いなく「↑」の要素がある。


 つまり親鸞の「悪人正機説」は、「↓」の極点であるのと同時に、実はそこに「↑」の萌芽をも含んでいるのである。ということは、そこには「神の人間化」と「人間の神化」をつなぐ「=」が蔵されているということにもなる。


 とはいえ、民衆のほとんどは「=↑」の流れには乗らなかった。なかば「悪人正機説」を誤用して、その教えを「自分の悪事に対する正当化」として利用するに留まった。すなわち、


「どんな悪いことをしても、念仏を唱えれば阿弥陀仏が救ってくれる」


「より大きな悪事を犯したほうが、阿弥陀仏は優先して救ってくれるはずだ」


 と。確かにひどい話だが、それも仕方ないのかもしれない。なにしろ――おそらくは――親鸞自身が、自分の教えの中に「↑」の要素があったことを気付けなかったのだから。であれば、そんな彼の説教を聞いた民衆が誤解したとしても致し方ないだろう。

 

 


仏教の完成

 

 ともあれ、親鸞による悪人正機説は、もともと「人間の神化」「↑」を基調にして出現した仏教に対する、逆ベクトル「神の人間化」「↓」の補償の完遂だった。


 それはイエスの受肉のように、一人の宗教家によって成し遂げられたものではない。何人もの大乗仏教の僧侶によってリレーされ、徐々に完成されていったものである。


 親鸞のあともリレーは続く。親鸞の教えを押し広げる役割を担った、蓮如という浄土真宗の僧が出現してくるからだ。なお浄土真宗とは、親鸞を開祖とする浄土宗の宗派のことである。


 むろん、仏教が仏教である限りは「↑」の伝統も消えない。栄西による臨済宗や、道元による曹洞宗などは、禅によって、鎌倉仏教に「↑」のベクトルを再付加している。


 とはいえ、二つのベクトルは、親鸞の出現をもって、ほとんど相殺され切ってしまった。仏教は、結果的に、宗教としての役割を果たし切ってしまった。つまり仏教は、歴史的に完了、完成の時を迎えたのである。

 

 


仏教の終末の相

 

 これには、親鸞が始めた「肉食、妻帯」という破戒が、彼の浄土真宗に留まらず、すべての宗派に波及したことが大きいだろう。禅宗ですらそうであり、もはや僧が「悟りを求めてストイックに生きること」自体が難しくなってしまった。


 現代ともなれば、職業人としての僧侶はいても、宗教家としての僧侶はいないのかもしれない。そこまで言わなくとも、


「鎌倉仏教以降、日本の仏教界からは、高僧が輩出されなくなった」


 とは、よく言われるところである。それが真実であると断言する勇気はないが、日本仏教の魅力が色褪せつつあるのは、認めざるを得ないところだろう。


 かくして仏教は、静かに衰亡の道を辿っているように見える。淡く儚い黄昏を迎えようとしているように見える。きっとこれが仏教の「完成と終末」なのだろう。


 振り返ってみれば仏教は、インドではヒンズー教に呑み込まれ、中国や朝鮮では、儒教にすげ替えられて、すっかり弱体化してしまった。そして日本では、上記のように生命力を失っている。こういう宗教的情勢を「末法の世」と言うのだろう。

 

 


寛容だった仏教

 

 少し寂しい気がしないでもないが、仏教がこのように静かな「完成と終末」を迎えられたのは、その宗教性が極めて寛容なものだったからである。どう見ても異端的にしか見えない教説であっても、それを「仏教」として受容してしまうほどにも。


 率直に言ってしまえば、法然や親鸞の教えなど、原始仏教からすれば、もはや仏教でも何でもない。仏教の宗派というよりは、明らかに別種の宗教である。それでも仏教の「↑」は、自己の完成を目指して、この「↓」をも吸収していった。


 もちろん他方には、「↓」を吸収しなかった南伝仏教のような流れもある。それは確かに、原始仏教の本来の姿を留めている。


 だが、その変化に乏しい、狭い「救いの間口」しか持たなかった南伝仏教史の中には、きっと救いから取り残されてしまった、悩める民衆の姿が、数多くあったに違いない。


 音楽家ではあるが「伝統とは堕落である」と喝破した人がいる(マーラー)。伝統とは歴史的無変化のことであり、変化しないことは怠慢であり、堕落であると言っている訳だ。これは、かなり真実を突いている言葉ではないだろうか。


 したがって、伝統を伝統のままにしなかった、北伝仏教の流れは否定されるべきではない。インド、中国、日本と伝播していった仏教の変化は、決して堕落の歴史ではないのである。私たちは、北伝仏教が見せた「仏教の寛容性」に、ただただ驚けばよい。


 なぜなら、次の「第三部」から見ていくキリスト教の歴史では、この仏教の寛容性とは正反対の、驚くべき非寛容性を見ることになるからだ。


 その宗教史の、おお、なんと仏教と異なることよ。

 



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