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 (やれやれ・・・まったくもってパソコンというのは・・・魔法の箱だよ。 
 俺には絶対に手が届かない ・・・そんな魔法の箱なんだ! )
 
 人生の長きにわたって、俺は密かにずっとそう思いながら生きてきた。
 ただしそれは、ついほんの、1週間ほど前までの話だったんだけれど  ----
 
 
 今、まさに勢いよく社長室のドアをノックしようとしている俺は、そんな呪縛からもようやく解き放たれようとしている 生まれ変わったばかりの俺なのだ!
  この魔法の箱の『宝が持ち腐る前』に、そのことにやっと気づけたことはラッキーなんだなぁと、今はそう素直に思っている俺がここにいる。
 
 
 申し遅れたが、俺はとある会社の中堅社員である。
名前を聞けばきっと誰もが一度は耳にしたことがあるかもしれない、そんな大会社に勤めあげて早20年もの年月が過ぎた まさに働き盛りである。俺には部下もほどほどにいて、部下達はみな一様に俺のことを仕事が出来るスーパー上司だと信頼もしてくれている・・・そんな理想の上司の仮面をかぶり続けているのが、会社においての俺の立ち位置なのである。
 
 営業を任せても企画書を書かせても、俺の右に出る社員などはこの部署にはいないはずだ。
そう自負して出世街道をかけあがって結果を残し、俺の上司であるボスからも仕事ぶりは高く高く評価されているはず・・・それが、俺なのである。
 
 しかし、そんな自他ともに認める「スーパー社員」であるはずの俺にも 唯一のウィークポイントがあることを 初めてここで白状しようと思う。
 
  何を隠そうこの俺は「パソコンスキル ZERO!零!ゼロ!」なのであり、それこそが本当の俺なのだ!!
 
 
 
 
 

1
最終更新日 : 2019-02-09 14:09:07

 いやぁ、パソコンだけはダメだ。 え?何がダメかって?
俺はもともと家電そのものが嫌いなのだ。 え?何でかって?
嫌いになった理由としてただひとつ思いあたることといえば、家電についてる説明書を読むのが大嫌いな人間なのであった。あれを読むと脳の何かのスイッチが作動して、とたんに恐ろしいほどの眠気に襲われるので、家電の説明書なんて最後まで読めたためしは一度もない。しかし説明書を読まないで勘でなんとかなるほど器用な人間でもなかった。家電の見当違いなところを触ったり変なところを押したりして壊したり、人から笑われるたびに、俺の気持ちはどんどんと家電からは遠ざかっていったのだ。
 
 そもそもこの家電音痴は、親からの負の連鎖でもあった。
両親も家電に疎く、購入にいたるまでには多大な時間をいつも要していた。購入のための決心をいつも先送りしていたために、我が家ではあらゆる家電が他人様のご家庭よりも圧倒的に少なかったし、あってもひどく型遅れの品物ばかりだったのだ。
 
 今思えば家庭内はいつも時代と逆行していたのだが、それでもまぁ、住めば都とは言ったもので・・・家では電磁波がほとんど生まれない爽やかな快適空間であったわけだ。
そしてこの状態がいかに家電鎖国であったのかを思い知るのはずっと後のことで、遊びに来た友達がびっくりして引いていくのを見るうちに、俺にもだんだんと我が家の家電鎖国の酷さがわかってきたのだが・・・もう時すでに遅し!で、家電音痴のスキルとコンプレックスをかかえたまま、現在に至るのである。
 

2
最終更新日 : 2019-02-09 14:03:26

    このような生育歴を持っている俺は、家電の革命児的存在で目ざましい進歩を日々遂げる『家電キング』のような「パソコン」に対しては全く手も足も出ないどころか、むしろめまいすらするというのは、みなさんにもわかっていただけたことと思う。
 スーパー社員のはずなのにパソコンの前では無能の子羊のようになってしまい、形無しのでくのぼう社員になるのがオチであった。
しかしスーパー社員のプライドにかけて、会社の中では絶対に「俺はパソコンスキルがゼロゼロな人間である」ことは、誰にも知られるわけにはいかないのだ。
 
 パソコンが使えないことは唯一のコンプレックスでありトップシークレットなのだ!
 
 幸いこのことを知っているのは妻とひとり息子、そして家電音痴の年老いた親だけだ。
 でもパソコンを使う以外のことでは会社に対しては大きく貢献をしてきたし、パソコンスキルくらいはゼロのままでも まぁ別に、まぁいいじゃないか・・・と、今までの俺はず~~~っと思ってやってきたのさ。
 
 
 
 
 しかし会社員たるもの、どうしてもパソコンを使う必要がある緊急事態も事務処理ではあるのでそういう時は、どうするかって?
その答えは簡単至極。俺は部下達にその仕事を上手に割り振るだけなのさ♪
部下達は、尊敬するスーパー上司の俺から仕事を任されたという責任感から、期待を裏切らないようにと迅速によく働いてくれる。彼らは、あんなことやこんなことも、パソコンを使って華麗にさばいてくれるので、俺はまるでマジックショーを見せられているかのようであった。
 そんな時は俺にとってのパソコンは、まさにありがたい「魔法の箱」なのだ。
俺が頼むどんな困難なリクエストでも、その箱は部下たちの操作によって的確な答えを導きだしてくれる。パソコンは長時間疲れも感じず働くことが出来て、そこいらの社員よりもよっぽど頼りになる存在だとも思う。
 こんな風にパソコンを頼りにしているくせに俺はこの「魔法の箱」をさっぱり使えない人間なので、「魔法の箱」が使える部下を俺が使うことで、この問題を解決してきたのだ。
 
今ではパソコンを使える社員なんて俺のまわりでウジャウジャといるので仕事を割り振る分には困らないし、パソコン絡みの仕事はこのようになんとかやり過ごして丸く納めてこれたから、パソコンなんてものは未来永劫 俺には使えなくてもいいのだ!!
 
・・・・・と、ついこの間までは調子のってそう思っていたはずなのに・・・・はずなのに、・・・・だ。
 
 実は、とうとう人生最大のパソコン危機が、俺にやってきてしまったのだ!
それというのも先日 社長から直々にある命令が出たからなのだ。
 
 俺が部下を使ってパソコンで作成させた素晴らしい出来ばえの書類を目にされた社長が、俺の(実は部下の)パソコンの腕前を信じて、社長直々にお声がかかってしまったのだ。
 

3
最終更新日 : 2019-02-09 14:25:29

 
    ~~~ 最大の危機の訪れというのは、1週間前へと遡る ~~~~
 
 それはよく晴れ渡った青空の 身も心も踊るような朝であった。
よりにもよってそんなすがすがしい日に、俺は社長室にひとり 呼ばれたのだ。
 
 軽く深呼吸をしてノックをした俺は、思い切って社長室のドアをあけてみると、威圧的な社長の風貌がすぐに視界へ飛び込んできた。
 
 
 
「やぁやぁ、君を待っていたよ。さぁさぁ、そこへ座りたまえ!
実は君の将来のポストを見据えて、今日はいい話があるんだが・・・手短に言うよ。
 我が一族およびその有力関係者の顧客管理を、パソコンを使って君に引き受けてもらいたいのだよ。
我が一族の相関図は実に膨大なデータであり、散らばっているグループ会社やその役員の親類縁者などがそれぞれの企業やVIPな顧客としても複雑に絡み合っているために、外部には絶対に漏れてはならない極秘資料であるのだ。あすの株価の乱高下にもつながるやもしれないこの極秘の顧客管理資料を任せられるのは、もはや我が社のスーパー社員である君しかいないのだよ。 ワシはこの件では君に大いに期待しているよ!
 そういうわけで1週間後の月曜日には、君専用のパソコンを持って、またひとりでこの社長室へと来てくれたまえ。ワシの側近としてしばらくのあいだ、こちらが提供する住所録や顧客資料のデータを使って、パソコンでの顧客管理を秘密裏にこの社長室で行ってもらいたいのだよ。
  これは今後 君の任務であり、一応わかっているとは思うが、このことは社内の誰にも絶対に言ってはならないトップシークレットプロジェクトの仕事だぞ。
とにかくワシは、優秀な君には大いに期待しているんだよ、 ワッハッハッ! 
それでは1週間後に またよろしく頼むぞ、ワッハッハ
 
 

4
最終更新日 : 2019-02-09 14:30:21

 
 俺はあまりのビッグプロジェクトに困惑したが、その場は深々と頭を下げて静かに社長室のドアを閉めた。これが、俺の精一杯のスーパー社員としての立ち居振る舞いだった。
それから何事もなかったかのように自分の所属部署へと続く廊下を歩いてくうちに、今度はなぜだか 壁、廊下、ドア、人・・・次々にそういった周りの風景が、グニャグニャと歪んで折れ曲がって見えてきた。何人もの通りすがりの社員たちからは
「お顔の色がすぐれませんけれど、どうかされましたか?」
「ご気分がとってもお悪そうですが、大丈夫ですか?」
などと覗き込まれたが、スーパー社員たるもの この程度で他人に弱みを見せるわけにはいかないのだ。
 やっとの思いで自分のデスクに辿りついた頃には、俺の頭の中は「破滅」の二文字だけがグルグルと渦巻いているような有様だった。
 
「このプロジェクトで・・・俺は間違いなく 破滅する。来週には、パソコンが全く使えないことを社長の前で俺は告白して平謝り、ドロップアウト社員へと成り下がるしかないよなぁ。もしも寛大な心で社長が許してくれたとしても、俺のパソコンダメダメスキルは、部下の耳にもすぐに入ってしまい、スーパー上司の名も今後は返上しなければならなくなって、どのみち俺は破滅するのだ。 あぁ、無念・・・」
 
 
 
 
 この日の俺は、入社以来初の早退届をボスに出すと、どこをどう歩いたかわからないおぼつかない足取りで家路へと向かい、気がついたら自宅リビングのソファーにポツンと影を落として座っていた。
 
 カチャ、カチャ、カチャ・・・聞きなれたパソコンの音が、リビングから聞こえてくる。いつもならば気にならないキーを打つ音が、ダメージをくらった俺の心をさらに絞めつけてくる。
あのパソコンは・・・妻が使っているのだろうか?それとも息子か?
 
あぁ・・俺と違ってふたりとも、パソコンの魔法が使える人だものなぁ。
いつのまに家族にも差をつけられたんだろう?会社では部下が、家では家族が、いっつも俺の代わりに俺の知りたい何かを調べたり、どこかへの行き方を教えてくれたり、手に入らないものを探してくれたり・・・俺のためにその答えをパソコンで導き出してくれてたっけ。いつも俺は、パソコンを使える人間をただ使っているだけでよかったんだ。
 他人に頼めば頼むほど、俺はいっそう(パソコンは魔法の箱だよなぁー)と強く感じたし、この魔法の箱が優れているのも感じてた。
魔法の箱の使い方さえ覚えれば俺もマジシャンになれるかもしれないのに、挑戦することは最初から もう諦めていたっけ・・・
 
「自業自得・・・」
 
「破滅」の二文字にさらにこの四字熟語も足されると、グルングルンと俺の頭の中を占領していく文字数は、ますます賑やかになっていった。
 
 
 

5
最終更新日 : 2019-02-09 14:40:37


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