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「ねぇ、彩香は歴史が強いし、千鶴は分析に長けてる。藤子不二雄みたいに2人で真の歴史検証をしたらいいんじゃない? でも、そうなると私の出る幕がないか」
「冬美は心理学があるじゃない。実は大きな声では言えないんだけどね」
「聴く。小さな声でも聞こえるから」と冬美が膝を乗り出した。
「1867年10月14日に朝廷に大政奉還、その2ヶ月後の12月9日が王政復古、その翌日の12月10日この日は奇しくも龍馬33回目の誕生日、近江屋で龍馬と中岡は暗殺された」
「へえ、誕生日の日に龍馬は殺されたんだ」
「そう。でもね、龍馬を暗殺してもしなくても利が生まれないんだよ」
「という事は、利もなく理でもない。恨み辛みの犯行だね」と千鶴が言うと彩香が頷く。
「私も、そう思う」
「どういう事?」と冬美が首を傾げた。
「リュックもない時代、今で言うパンツ、当時は褌を履く訳だけど龍馬は地球を1周するほど歩いている。褌は当然、汚れる。龍馬は西郷の妻のイトに『1番古い褌でいいきに』と頼んだ。イトは西郷の使い古した褌を龍馬に渡した。これを知った西郷はイトに烈火の如く怒って『国の為に命を捨てて掛かっている龍馬どんに、新しい褌を差し上げもんせ』と言ったの。温厚な西郷が『あんなに怒ったのは1度だけだった』と晩年にイトは言っている。この話から西郷が如何に龍馬を思っていたか龍馬がお龍と日本初の新婚旅行が出来たのも西郷のお陰もあるしね。だから西郷が龍馬を殺す筈がない。そして西郷の側には必ず大久保一蔵が居なければならない。でもドラマも映画も西郷と龍馬の親密振りは描いても龍馬と大久保が話しあうシーンが出てこないんだよ」
「じゃあ、意図的に大久保が? 目的は何?


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 だって西郷と大久保は親友でしょう」
「西郷は大久保と親友だった。その大久保から龍馬の話を聞いたとしたら大久保は面白くない。大久保は、そんなに料簡が狭くないと言われると困るけど」千鶴が
「嫉妬は女の専売特許のように言われて居るけど大久保に限らず大人物と言われる人でも料簡が広いとは限らないよ。気に入らないと直ぐに殺したがる世相の中で、日本人同士が殺し合う事を最も嫌ったのは龍馬だと思う。だから龍馬に嫉妬はなかったけど大久保にはあった可能性はあるんじゃないかな。それは大久保が小さいというより龍馬が大きすぎたと私は解釈している。そもそも大政奉還は龍馬のオリジナルではなくて松平春嶽の考え方だった。龍馬は誰の意見でも、これは卓見だと思うと直ぐにそれを推進した。西郷は暗殺者が誰であるのか調べられるだけの権限と実力があった筈。しかし、それをしていないんだよね。当時、岩倉具視と大久保は昵懇だった。この時代はケータイもメールもFAXもないから意思疎通を図るのが難しい。そこに多くの行き違いが生じた。運命の1867年の10月3日、土佐藩(龍馬)は徳川慶喜に大政奉還の建白書を提出。しかし土佐以外の薩摩、長州は倒幕が目的だった。それには天皇の詔勅を頂き、つまり錦の御旗を掲げて官軍となり、賊軍の徳川幕府を討幕する事にあった。10月13日、公卿・岩倉具視は薩摩の大久保と長州の広沢兵助を自宅に呼び幕府を倒せと密勅を下し更に京都守護職の松平容保と所司代・松平定昭の殺戮使命も出していた。でも後に密勅は岩倉が偽造したものだとも言われている。何と何と徳川慶喜は龍馬案を呑んで、その翌日の10月14日15代将軍、徳川慶喜は大政奉還を朝廷に上訴。龍馬の意志通り1滴の血も流れずに264年続いた徳川幕府は幕を閉じた。これを知った龍馬は男泣きしたらしい」
「どうして」と冬美が尋ねる。

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「大政奉還がなされない。つまり建白書が通らなければ後藤象二郎が責任を取って切腹しなければならず、その時は龍馬が海援隊を率いて将軍と戦い、あの世で後藤象二郎と再会する約束があったの。時代だね。ここで現代の人が認識しなければならない事は、今で言えば薩摩は薩摩党、長州は長州党の2大政党の中、一挙に土佐勤皇党が与党に躍り出た。元々、龍馬は新政府で要職に就く事は考えていなかった。それよりも大海原に出て貿易をしたいと思っていたみたい。でも他藩からみれば土佐は与党になるのに大して血を流していない。逆に長州と薩摩は血を流し続けた。最後の最後で土佐が漁夫の利を得たように思えた。この当時の幕府は弱体化していて、天皇からの密勅が下れば幕府に負ける事はない。当然、江戸は戦場になるけど下々の事を考える時代ではないからね。いきり立った討幕軍は正にワールドカップの対イラク戦のドーハの悲劇以上だった。大政奉還さえさせなければ討幕が叶う。そんなバラ色の明日を、龍馬が潰したと思う気持ちはあったでしょう。特に策士の岩倉は天皇からの密勅を頂いたとしたのに、とんだ恥を掻かされた事になるから」
「そこで岩倉、大久保ラインが浮かび上がる。龍馬が暗殺されて、明治政府は主要所は全て薩摩と長州に押さえられ土佐勢は閑職におしやられた。龍馬が居てくれたら、こんな憂き目に遭わずにすんだのにと土佐勤皇党は思った」と彩香が説明した。 
「結局、龍馬を暗殺したのは誰なの?」と冬美が尋ねた。
「諸説あるようだけど、私は見廻組の今井信郎だと思う。今井が2階の部屋に入ると男が2人居た。どちらが龍馬か分からない。今井が正座して『坂本先生、お久しぶりです』と言うと『はて、どなたでしたかいのう』と片方の男が言ったので、脇差を抜くと龍馬の眉間に1刀、返す刀で中岡にも斬りつけたと言

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っている。意識朦朧とした龍馬が刀に手を伸ばした時、背後から再び太刀を浴びせ、ギャーというような嫌な声とともに龍馬は果てた。今井に見廻組隊長の佐々木只三郎が『早すぎて、俺の出る幕がなかった』と言ったという供述もリアルだし。今井自身は明治政府から死刑を言い渡されると思っていたらしいけど、西郷が動いて形ばかりの禁固刑で無罪放免になった」と彩香が言った。
「どうして西郷が動いたの」
「大久保が動くと拙い。だから西郷が動いた可能性はある」
「そうか、西南戦争で2人は戦うよね」
「そう、西郷と大久保の中を木戸孝允は取り持つ程の器量がなかった。龍馬なら薩長を同盟させた男だから西郷と大久保の仲違いを取り持てたと思う。でも、その2人のどちらかが龍馬暗殺に関わっているとしたら因果応報と言う事になるね。別の言い方をすれば、西郷は死に場所を探しに朝鮮征伐を言った。その中に『おいの思慮のなさから龍馬どんを殺してしまった』という感慨があったかも知れない。――実は西郷は若いとき僧侶・月照と供に入水自殺を試みるけど、何故か西郷だけ助かってしまい、その後も多くの知り合いを亡くした。龍馬の死も随分と西郷を苦しめたかもしれない。西郷の征韓論は、西郷だけが知る屈折した心理があったと思う」

 

  3日目の朝、3人は日の出を見ようと、白んでいく空を見上げていた。太陽の光の中で星が、その姿を消していく。夜から朝へ変わる瞬間。それは毎日、繰り返されているのに見る機会は少ない。やがて富士山の全容が見えてきた。3人は荘厳の音色を聴くように魅入った。その後、公園の水飲み場で洗面を済ませ、手分けしてキャンピングカーからせり出したフォローの下で珈琲の香りを楽しみながら千鶴はテーブルと椅子をセットした。トーストとハムエッグとキャベツが焼けた。醤


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油の香ばしい匂いが食欲をそそる。冬美が半熟卵が作れるグッズを出すと小さなカッターのような卵切りでカットしてスプーンで掬ってみた。
「出来た。半熟卵3つ、これで卵の上から少し下を輪切りにしてスプーンで食べてみて」
「――最高、これ大ヒットだ」と千鶴と彩香が言うと冬美が微笑した。冬美がトーストに醤油を数カ所に落とし再び焼いた。それをナイフで2等分して2人に渡し、その上にキムチを乗せて食べてみてと言ったので2人は言われるがまま口にした。
「和食トーストだ」冬美の料理は奇抜だが、どれも美味かった。
「これならマーガリンが切れた時にしてもいいし、珈琲が切れたり飽きた時に緑茶とキムチトーストでも合うね」 
「流石、冬美。チャレンジャーだね」と千鶴が言うと3人は笑った。冬美が富士急ハイランドで遊ぶかと言ったが、千鶴と彩香がヤマトを1匹にしたくないと言うと、それじゃあ、白糸の滝を見に行こうという事になり国道139号線を静岡に向かって走る事にした。木々が生い茂り、岩の間から滴り落ちる水が幻想的に見える。誰が付けたか白糸の滝と1句、捻りたくような見事な名前だと千鶴は思った。滝が生み出す荘厳なマイナスイオンは心の底まで洗い清めてくれるようだ。心なしかヤマトの鳴き声も木々に染み渡るように感じる。3人は無口になり、黙して自然と語り始めた。大きく広がる水のカーテンが、光りながら爽やかな音を立てて落ちる。水が柔らかく感じる。絹の滝とでも言いたくなるような繊細さとビロードのような滑らかさを感じた。数多くある日本の滝の中にあって、これほど幅広く大きな滝は異彩であった。広がる滝は、高さ210、幅は百メートル。富士の噴火が作った滝、地中の溶岩の層を流れ通ってきた水を今、見ている。それにしても富士は美しい5つの鏡の湖に囲まれ海を従える、



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