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第一場

何もかもが嫌になっていたあの日、彼女と出会った。

 

「オジサーン、人生やり直す方法教えてあげようか」
声をかけてきたのはポケットティッシュを配っていた少女。
ちょうど息子くらいかなと想像する。

「そんな事出来るのか?」
私は少し意地悪な心持ちで返事をした。

「あー信じてない。じゃあちょっと試してみない? 大丈夫、サービスだからさー。

ね、いい?

オジサンはね、今から、全然意味ないと思っていた自分の過去と現在を、全部認めて許してあげるの。

それが人生をやり直す秘訣。

ね、イメージして。

そういう、なんか何もかもが許されちゃった穏やかな気持ち、なんだか懐かしいホッとする感じ…冷え切ったお腹に温かいココアが染み渡って行くような…ほら!

…オジサンの人生には意味があった、

つまらない仕事も出来の悪い部下も自己保身しか考えてない上司も意味があった、文句ばかり言う奥さんも口を利いてくれない子どもも、ぜーんぶ意味があった…だから、許しちゃお、許しちゃえばほら!

違った未来が見えてきた!」

「あれ? あれれ…変だな、不思議だ。なんか本当にやり直せるような気がしてきたんだけど、これは何故?」
「でしょー」
「き、君はいったい!」


少女はにこりと微笑むと、ティッシュを私のワイシャツの胸ポケットに押し込み、

人混みを目指して去っていった。


第二場

次の日、私はその道を三往復した。


「もしかしてわたしのこと探してた?」
振り返るとあの少女だった。

「お店の方に来てくれればよかったのに」
「いやいやいや。そうじゃなくてそういうわけじゃなくて」
これではまるで出勤前のキャバ嬢との会話だ。

「まーいいけど。じゃあ今日はね、待っててくれたお礼。

特別に人生を画期的に変えるヒントを教えてあげる」
「またまたー都合のいい話をー、というか待ってたわけじゃないんだよいやホント」
「いいじゃんそんなこと」


 

そうだよねと相づちを打ちながら実は気持ちは弾んでいた。
未だかつて経験したことのない、たとえばジェットコースターのような眩暈。

 

「けっこう簡単なんだよ。

人間って口にした言葉で行動や情動が左右されちゃうわけ。

だからネガティブな言葉を使わない。

たとえば…これから『疲れた』と『忙しい』を禁句にするとかね。

どんなに疲れていても、どんなに忙しくても、もちろん一人きりの時でも。

最初はたったこれだけ。

でもたったこれだけで、オジサンの人生いずれ恐ろしく一変するから」

 

私は呆気にとられた。
こんなに重要なことを、こんな少女に、

しかも立ち話で教わっていることが不思議でならなかった。

「うん、えっとね。すごい勉強になったよ。というかかなり驚いてる。あのその、君は何者なの?」
「占い師だよティッシュに書いてあるよー」
「あごめんごめん、占い師なんだよね。実は、実はね。えへん。ここは一つ相談なんだが、実は私、吐き出しようのないストレスがもうすでに全身に溜まっていて、このストレスをどうにかしないと、なんだか先に進めないような気がしておりましてねー」
「うんいいよ、占えるよ。

でもね、この続きは無料ってわけにはいかないよ。正式な鑑定はお店の方で3万円。

どうする?

オジサンの好きでいいよ」

どうするかと問われて、しかし自分に拒否権や選択権があるとは考えられなかった。
これは罠かもしれない。
連れ行かれる先はぼったくりバーか、もっといかがわしい店かもしれない。

 

しかしもはや、そんなことはどうでもいいことだった。


第三場

あの日連れ行かれた先はキャバクラでもいかがわしい店でもなかった。


そして私は占い館の常連になった。
いったいいくらつき込んだことか。
それでもいい。彼女と過ごす一時はジェットコースターより刺激的だった。
そして何よりも仕事に対人関係に、驚くほど役立つノウハウを手にすることができたのだから。

 

「オジサン、いらっしゃい」
いつもの狭くて暗い部屋で彼女は私を待っていた。

「いつものコミュニケーションスキル講座の前に、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど」
彼女は屈託のない笑顔で先を促す。
「いやね、上級コースにあがるとき、まず無料お試し講座を受けてから有料コースを受けるかどうか決めるじゃない。でね、えーとちょっと言いづらいんだが、有料コースは何というか拍子抜けというか、いやはっきり言うと無料お試し講座の方が圧倒的に面白いのは何故なのかなって。いやあれだよ、結果トータルで満足しているから、別に文句が言いたいわけじゃないんだからね」
「おめでとう!]
「え?」
「ようやく気づいたんだね。うん、でもちょっと時間かかったかな。

いずれにしても、これでオジサン、ようやく本コースの受講資格が得られました。

おめでとう!」
「まったく意味不明なんだけど」
「オジサンがこれまで学んできたのは、実はネットビジネスとかセミナー商法の禁断のノウハウなのでした。

無料お試しとか言ってるけどね、セミナーやネット商材では、それ以上の中身なんかないって場合がけっこうあるんだ。

それなのに有料コースはもっとすごいぞと思わせる。

素人はね、ここで逆のことしちゃうんだよ。

商品サンプルがもの足りなかったらさ、誰もお金出して製品を買わないでしょ?

これと同じ。

オジサン今までいったいいくら使ったか分かる?

無料お試しで興味を抱かせて、有料コースで飢餓感を煽る。

この繰り返しが上手に決まると、お金の方からどんどん飛び込んでくるの。

オジサンみたいにね。

いい勉強になったでしょ?」

 

私は開いた口がふさがらなかった。
「会社で高い研修受けても身に付かないのはそういうわけだったのか!」
「そうそう、オジサンがバカってわけじゃなくてね」
「もうあそこのコンサル二度と使うまいと思うのに、新たにプレゼンされると滅茶苦茶すごい研修に思えるのはそういう仕組みだったのか!」
「そうそう、でももう騙されないで済むね」
「でも…同時に私は君のいい鴨になっていたと」
「そ。こういうスキルはね、鴨になってはじめて本物になるの。痛みを知らない奴に本当のことはわからないってあれね。

ごめんね。

でも、もういいでしょ、わかったでしょ。もう、ここに来ちゃだめなんだからね」

 

珍しく彼女は笑わなかった。


第四場

それでも私は通い詰めた。

仕事は順調で、誰もが私の変身に唖然とした。

もちろん家族も。

 

「ねえオジサン。もし最愛の人に裏切られたら、どうする」


来月の企画会議についての実践的なテクニックをあれこれ伝授されたあと、

ふいに彼女がそんなことを口にした。


「家族のことか?」
「ううん、オジサンが思う『最愛の人』だよ」

俺が思う?
誰だろ、家族じゃないのか?
「オジサンの心だもの、オジサンが決めればいいんじゃない」
唐突に欲望が顔をもたげてきた。
これはもしや。これはもしかしてー
「・・・たぶん」
「ストーップ!」
彼女は両手をクロスさせて私の言葉を遮った。
そしてため息をつく。
ひどくあからさまな、ため息を。
「つまらない。

すごいつまらない。

『最愛の人』の定義なんてこんなものなのかあ。

ふんふん、なるほどね」

 

彼女は水晶玉をのぞき込みながら独り言のように言う。

「こんなことで家族とか子供とかも簡単に裏切れちゃうんだ。すっごい安直だよねー」
「あ、いや、今のはその」
あわてて言い繕う私を彼女は水晶玉を透してじっと見ていた。

 

「ねえ、何十万もわたしにつぎ込んで、それでいったい何を得たの?

どんないいことがあったの?

会議でいいとこ見せて役員に褒められた? 来年は部長さん?

それなのに、本心では全く別のことも考えてたってわけか。

為になるとかもっともらしいこと言っちゃってさ。

ねーねー、百万くれたら一回つきあってもいいよって言ったらどうする?」
「え?いやそんな」
「ほらほら妄想拡大中ですよー。あは、でもあんたなら出しそ。ばっかみたい」


 

突然彼女は水晶玉を思い切り床に叩きつけた。
右脚に鋭い痛みが走る。


 

「その痛みがわたしの痛み。

あんたの体の中奥深くに潜り込んで、たまに思い出させてあげるね。嬉しい?」
「あ、いや、あの」
「今日は続きはないよ。もう帰って」


 

そして呆然とする私を残し、ニコリともしないで彼女は奥へと消えた。


終幕

翌日、どうしても待ちきれずに早退をして占い館へ向かった。


しかし占い館にはたどり着けなかった。
というか、占い館は跡形もなく消えていた。

 

「俺、あの子の名前聞いてなかったよ」
右足の傷が疼いた。
どこかでティッシュ配りの声がする。



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