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11月27日のおはなし「ダンス」

 春が近い。何とか生き延びたのだ。男は横たわったまま頭上に目をやる。芽吹き始めた若い緑が、朝日を浴びて柔らかい光を放っている。空気はまだ冷たいが、耐えられないほどではない。これでもう凍死する危険性は去っただろう。そう思いたい。あの転落事故から何もかもがひどいことになった。本当によく生き延びたと思う。餓死してもおかしくなかった。ある朝、凍死していたとしても何の不思議もなかった。悪化した怪我のせいで命を落とすことだってあったかもしれない。でも生き延びたのだ。

 男は目を見はるようにして木々のつぼみを見つめる。ふくらみ始めたつぼみを。今日は何月何日だろう。東京ではもう梅や桃が咲いているだろうか。いま振り返ると東京での暮らしが何か悪い冗談のように思える。服に金をかけ、食べ物に金をかけ、女に金をかけた。金をかけたものはいいものだと思っていた。だから本当のところのその服がいいのか悪いのか、食べ物がいいのか悪いのか、女がいいのか悪いのか、考えたこともなかった。

 そういえばよく通っていた、ショータイムのあるパブのダンサーの女にねだられて、外国から来た舞踏団だとかバレエだとかに一緒に足を運んだこともあった。その舞台を観に行きたかったからではない。それが1万円もするチケットだから買ってやったのであって、そいつらが飛んだりはねたりくるくる回ったりするのを見ても、だからどうしたと思っていた。人間がそんな風に動けることに単純に驚きはしたが、それを見て感動したり泣いたりするなんてさっぱりわけがわからなかった。連れていった女たちは感動したり泣いたりするのが好きだったけれど。

 飛んだりはねたりくるくる回ったり。そう考えて男は苦笑する。それから這いずるようにして身を起こす。右足首をやってしまってから、あちこちに負担がかかるのだろう、身体がうまく使えなくなってしまった。踊るどころではない。当たり前に歩くこともできなくなってしまた。傍らの木に上体をもたせかけて座ると、杖にしているイチイの枝を両手で握りしめ、ゆっくり立ち上がる。歩こう。うまくすると下草の間にキノコか何か口にできるものがあるかも知れない。

 泥を吸い込んでがちがちになったジャケットの袖が手首を痛める。着たきりのシャツは恐らくものすごいにおいを立てているはずだが自分ではもうわからない。におい? 男は笑う。においのことを考えたのなんていつ以来だ? 自分が臭いかどうかなんてもう何ヶ月も考えたこともなかった。秋。秋まではまだそういうことを考える余裕があった。できるだけ身なりをきちんとしていれば町中を歩いていても見とがめられないだろうと言うので、公園の水道や畑の脇の作業場にある簡易シャワーなどを使ってまめに身体や服を洗っていた。

 あの頃はコンビニの弁当を手に入れたり、野菜の即売所の野菜をもらったり、後にはちゃんとお金を払って買うようになったり、Tシャツや下着類を買ったり、図書館に通ってサバイバル生活の研究をしたりと、ずいぶんのんびりした生活をしていた。自分ではそれでも十分にサバイバルしているつもりだったが、今から思えば笑止である。あんなのはキャンプとも呼べない。文明への寄生生活だ。事実、夏の初めからから10月ごろまでのあの時期に命の危険を感じたことなど、一度もなかった。

 里の人の反感を買って山狩りされるのではないか、サラ金の取り立ての連中がここまで追いかけてきてまた簀巻きにされて海に投げ込まれたり、今度こそ捕まったその場で殺されてしまうのではないかとか、そういうことを考えておびえることはあったが、この山での生活そのもので命の危険を感じることはなかった。猪や蛇を見かけたことはあるが、至近距離で野生生物に出くわしてびっくりしただけで、別に取り立てて危ないことにはならなかった。

 突然食べ物が手に入らなくなった11月頃から状況は一変した。寒くなると公園の水など冷たくて冷たくて、身綺麗にするどころではなくなった。みるみる身なりが悪くなりそれでも重ね着をして暖かくすることが大事で、重ねられるものなら新聞でもボロ切れでもみにまとった。あのころがとにかくにおいを気にした時期だった。年末にかけて何度も寒さのために死ぬかと思った。でもまだコンビニなどを狙えば食べ物も手に入った。それから間もなく山中で転落事故を起こして、事態はさらに悪化した。歩き回ることが不可能になり、食べ物は山の中で手に入れるしかない。なのに山にはもう食べられるようなものは何もなくなりつつあった。よくわからず口にしたものが原因ですさまじい下痢と発疹と悪寒にのたうちまわったこともある。

 サバイバルというのはああいうことをいうんだ。男は杖をついて、お気に入りの斜面に向かう。そこにはかじれば食べられなくもない草が生えていて、何より晴れている日は一日中太陽をたっぷり浴びることができるのだ。口に入れても大丈夫な山菜をつみ、指定席と呼んでいる石に腰掛けると、杖を傍らに置き、男は大きく息をつく。そして景色を眺める。数カ月間にわたって這い松以外は緑もなく荒涼としていた斜面は明るい緑に覆われ始め、表情を変えつつあった。

 風がそよぎ伸び始めた草が一斉に波立つ。背の高い茎の野草がうんうんとうなずき、その間をテントウムシなのかハチなのかが単調な羽音を立てて通り過ぎる。暖められた空気がゆらゆら立ち上り始めて景色全体が身を揺するように見える。

 ああ。踊っている。

 春が来た喜びに斜面全体が踊っている。シジミチョウだろうか、小さな蝶々が何匹も草の間を見え隠れしながら飛んでいる。足元にはアリたちが行列を作り、行くアリ帰るアリ二列の群舞で命のパターンを見せている。斜面を吹き抜け風が吹く。木立の若い葉がひるがえり緑のいろいろな表情を見せる。男は胸が詰まる思いでそのダンスに見とれる。足が悪くなければ、と男は考える。そこに飛び出していって一緒になって踊りたいよ。春の訪れを喜びたいよ。 

(「ダンス」ordered by yuki-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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奥付



ダンス


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著者 : hirotakashina
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