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スイートルームのクリスマスイブ

シャイロックの部屋での仕事の打ち合わせはその後数時間も続いた末に終わった。

 カラ売りは米国のシャイロック2.0の会社の人を使って堀木が指示を出す。

 その内容についてはおおまかなトレンドを定期的に堀木とシャイロックが打ち合わせ。細かい売り買いの注文は堀木がパソコンから行う。そしてなぜか全体会議にはユキコもオブザーバーとして参加することとなった。

 資金は来週中に五億円の転換社債の手続きが完了とのことで、資金は当面問題ない。

 そうだ。問題はない・・・。


 

いや、ユキコには大問題がひとつあって、それは長い打ち合わせで終電がなくなってしまったこと。タクシーで帰ろうとしたがものすごい行列でいつ乗れるのかまったくわからない。通りに出てみたのだが空車は一台も通らないのだ。

 もう一度ホテルに取って返してフロントに掛けあってみたのだが、他の日ならともかく今日はちょっと空車はホテルでもすぐには手配できないかもしれないとのことだった。


 そう。


 今日はITバブル真っ盛りのクリスマスイブ。

 終電は終わっても人々は夜を徹して都会の森のイブを楽しんでいる。ホテルに泊まろうにも、タクシー以上にホテルに空室はない。今日は男と女にとってそういう日なのだ。

 ユキコは困り果ててシャイロックに電話をした。

「堀木くんは先にチェックインしてるよ。年寄りにはもう男女のことはわかりませんが、まあいいじゃないですか。スイートルームのベッドは一つじゃないしさ」

 シャイロックは心配してくれてるんだかからかっているのだかわからない、ビミョーな日本語でそう言った。




 実はシャイロックとの打ち合わせが終わったあと、シャイロックは終電がないことを確認すると、その場でフロントに電話をして部屋の空きを確認してくれたのだった。クリスマスイブにこのホテルに空室などあるわけないと思ったのだが、あっさり一部屋だけとれた。シャイロックの部屋と同じ階のスイートだ。

 シャイロックは別に意外そうでもなく、こういうホテルでは急なVIPのブッキング用に必ず部屋は用意してあるのだという。スイートを数カ月単位で借り切っているシャイロックがフロントを通せばそういう部屋はおさえられるらしい。

 



 シャイロックに聞いた部屋番号までたどり着いてチャイムを鳴らした。

 普通の一軒家のような落ち着いたチャイムの音がして、しばらくして堀木が「ようこそユキコ様」と執事のように言ってドアを開けた。


「なあ、すごいなあ。俺スイートルームに泊まるなんて初めてや」

 堀木が浮かれている。まだダブルベッドの上でトランポリンを始めないだけましだったけど、堀木のはしゃぎ様からするとそれも時間の問題のようにも思えた。

「クリスマスイブだったんやなあ。ここんとこ仕事のことで頭いっぱいでそんなこと全然気いつかへんかったなあ」



 ユキコはとりあえずコートと、仕事用の取材の資料がたくさん詰まった、ユキコの肩には少し大きめのトートバッグをソファに置いて部屋を見回した。
 すでに暖房は広い部屋に心地よく行き渡っていて、窓際にはクリスマス用に大きくて立派なツリーが飾ってある。




 堀木は今度は飾ってある大きな樅の木のオーナメントをいじって、すげーとかチョーかわいい!とか言ってさわいでいる。

 ユキコはもちろん堀木との突然のイブが嫌ではなかったのだけど、こんなに突然こういうシチェーションが訪れるとは思ってもみなかったので戸惑いを隠せなかった。

 どうせ今付き合っている人もいない。いればイブにライターの取材の仕事なんてしてないだろう。
 それに今まで男性と付き合ってきても、あまり長続きしなかったのは心のなかに堀木がいたからだと今日一日でそれを実感することができた。



 幸せなハプニングのはずなのだけど・・・




「ねえ。堀木くん、すこし落ち着こうよ。」

「あ!ごめ~ん、せやったな。シャワー先浴びてくる?」

「あのね・・・。そこにあるコーヒーでも入れてくれたらいいじゃない。それになんで「先」なのよ、シャワーが。なんかいきなり変なこと考えてないでしょうね」

「おっと、そっかごめんごめん。そういうつもりじゃなかたんだけどさあ♪」

 楽しそうにジングルベルの鼻歌を歌っている。


 もうすこし最低限のデリカシーというか、奇跡のような再会のクリスマスイブにふさわしい雰囲気が欲しかったな・・・

 ユキコはなんだか少し悲しくなってくる。


 ユキコはちょっと一息入れようと思って、さっき脱いだばかりのコートをと財布を持って部屋の外に出ようとした。コンビニでコンタクトレンズの洗浄液とケースを手に入れたい。



「ちょっとコンビニ行ってくるけど、なんか欲しい物ある?」

「え?コンビニ?明日の朝用の下着でも買いに行くの?」





 ユキコはベッドルームの扉を思いっきりばったーんと閉めるとコンビニを探しに行った。


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最終更新日 : 2012-01-05 05:24:55

アスファルトに咲く花~ユキコの胸中

「ただいま」

「あ、おかえり」

 チャイムを鳴らすと堀木が開けてくれた。

 出かける前のようなはしゃいだ雰囲気はなかった。少しは反省したのかな。ユキコは思った。

「結局近くにコンビニがなくて新橋の方まで歩いたよ~。もうね~すごい人。」

堀木は有線放送のクリスマスソング特集を観ていた。

「あ、徳永さん大好き~」



「はい、どうぞ。コーヒー」

外から帰って体が冷え切っているところにこホットコーヒーが出てきた。堀木がポットでお湯を準備していてくれたらしい。ユキコの機嫌も少しずつ直ってきたようだった。

「もうさあ、いろんな難しい話出てきて疲れちゃったね」

「ああ、ほんまやな~。真剣勝負そのものだったしな。ユキコちゃんも疲れたやろ」

堀木は優しく微笑んだ。コーヒーの暖かさと一緒に、幸せな気分がユキコの心の中にも染み渡ってくる。

「どうしたの?出かける前と違って大人しくなってるぞ」

 堀木がテーブルの上のシャンパンクーラーを指さした。あの誰でも名前は知ってる高級シャンパンだ。

「シャイロックがさ、ユキコさん来たんだったらってことで、プレゼントしてくれたんだ。部屋に取りに行ったんだけど、ユキコちゃんもいなくて暇だからまたいろんなこと話しした」

「そっか。うん。途中からさ、なんか男同士のツーカーみたいな雰囲気あったよね」

「そっかな」

「うん、そうだったよ。すごくかっこ良かったし、なんだか羨ましかったよ」

「へえ」





 堀木はユキコかなにか話したがっている様子を感じとって、ナイフでシャンパンのキャップに切れ目を入れて乾杯の用意をした。

「いやあ、やっぱさ。マスコミって女性は限界あるわ。こんなこと言っちゃ頑張っている女性記者の人に怒られちゃうけどね。」

 ユキコはソファに沈んだずっしりと重たい自分のトートバックを一瞥した。取材にたくさんの資料を持ち運ぶのは半人前の記者の証拠だといつも先輩から言われている。

 確かに日本で最大部数を誇る新聞社の社会部の記者だったユキコの父親も、外出する時は会社で支給される小型の手帳とボイスレコーダーしか身につけていなかった。事件記者として新聞協会賞を何度も受賞したことのある父親はユキコがマスコミの世界にはいるのには反対だった。いや、反対というよりはむしろ、戯言としか考えていなかった。

 女には無理。

 女性が反発するその言葉をユキコの父は何度も使った。なぜ無理かは説明もしてくれなかった。ただ、「お前は社会部の記者になったら刑事と同じように張り込みをしたり、暴力団の事務所に組長に会いに行ったりできるのか」ということは何度か言われた。必要であればそういうこともする、とムキになって言い返したものだが、今になってわかることが少しだけある。

 ジャーナリストが、取材対象から一歩距離を置いて客観的で公正な記事を書くのはもちろんだ。しかしそれは記事を実際に文章にする段階であって、取材の過程においては時には捜査一課の刑事のような、時にはマル暴の捜査四課の刑事と同じような視点を持たねばならない。そしてある程度は行動もだ。その中で取材源の刑事たちや容疑者たちとの信頼関係も生まれ、他社では取れないスクープが自分の周りに集まるようになるのだ。

 ユキコが身を投じたのは社会部ではなく経済関連だったが、父の言っていた認めたくない事実はやはり感じざるを得ない。トートバッグの中身の重さは、その重みの分だけユキコが取材対象先から重きをおかれていれていない証左であるように感じることも最近多くなってきた。

 そして今日それを痛切に感じた。

 たぶんいろんな知識の量では、堀木よりも自分のほうがトートバックの重さの分だけ勝っていただろう。でも、そうじゃない。堀木は完全にシャイロックの信用を勝ち得ていた。



「いいよね。すごいと思う。お互い警戒しながら、お互いの腹の中も探りながら、でもお互いの利益になるところや、お金だけじゃない信頼関係の接点になりそうなところを短い時間ですごい勢いで確かめあって形にしていってた」

堀木はさあどうかなといった表情で優しく微笑んだ。

「とりあえず奇跡の再会に乾杯しよ」

 堀木が栓を抜くか?とシャンパンを渡そうとしたが、ユキコは内心のたくさんの思いと裏腹にうまく言葉が出てこず、これだけしゃべっただけで少し疲れてしまい、そっと首をふった。



 ポン、という乾いた大きな音がユキコ胸に響いた。



 不思議な成長の仕方をしたね、堀木くん。

 人懐っこさにちょっと拗ねたところが加わって、大人の世界を自分なりにちゃんと横切って、そしてまたぐるっと回ってここに戻ってきている。軽薄なふりして自分の懐に入り込もうとしてるって、あのシャイロックがそう評価してたね。あたしもそう思う。すごいよ。


 素敵になったよ、とっても。


「どないしたん。泣いとんのか」


 なんの涙だかわからない。

 再会の喜びと、仕事の疲れと、自分の能力のこと・・・。そして堀木くんが素敵になったこと。自分にはとてもかなわないこと・・・。でも、だからこそ余計に好きになったこと。




 

 堀木は昼間のためらいのある態度とは違い、ユキコのシャンパングラスをとりあげてテーブルに置くと、その手をとって引き寄せ自分の胸に強く抱きしめた。

 二人はまっすぐに見つめ合った。

 堀木はユキコの頬の涙を指でそっと拭いて優しく唇を重ねた。


12
最終更新日 : 2012-01-05 05:25:45

世界市場の9割を独占する堀木製作所

「ユキちゃんまだ半分寝てるんちゃう?」
堀木くん?
あれ、いつもと違う呼び方。
一瞬だけ、堀木くんのやつ今朝から呼び捨てにしやがったなと思った。違うみたいだ・・・

「ユキちゃん」


「あ、おはよう。うわなんだこれ」

「いやあ、気分出るかな~と思ってさ、前なんかの映画で見たんだけどアメリカ人って休みの日はベッドで朝ごはん食べるんだろ。おれよく知らないけど」

 堀木がまだガウンを羽織ったままいそいそとコーヒーを入れたりしている。



 ユキコはまだベッドの中にくるまっている。目を開けると目の前に朝食のプレートがあったのだった。

「ああ、それで堀木くんが頑張って運んできたのか。そーだなー。そういえばそうなのかなあ。よく知らないけど」

「ま、いいじゃん、せっかくだからこうしようぜー」

「うん」

「ユキちゃんこういうの好きでしょ」

「まあ、気分でていいかな。ところで今日からどうしてユキちゃんなの?」

 堀木はにやにやした。

「だってさあ、いきなりユキコとかだと、なんかアホみたいやん、調子こいてるっつーか」

「・・・」

「だけど同じユキコちゃんっていうのもあれだなあ・・・とか思って間をとってユキちゃんにしてみてん。どう?」

「・・・。誰からもそんな呼ばれ方されたことないからもとに戻して」

「・・・あっそう?」

 堀木は少し残念そうだった。




 わかってないなあ。ユキコはすこし気の毒になった。

「違うよ。中学校の時からユキコちゃんだったでしょ。その呼び方で呼んで欲しいんだよ」

 堀木の顔が明るくなる。単純で可愛い。

「あ!そっかそっか、じゃあユキちゃんはまだ10回も使ってないけどおしまいだー」

 ベッドの横に堀木が滑りこんできた。



 悪くない朝ごはんだ。




「ねえ、ところでさ。お父さんの特許ってどんな特許なん?ロケット飛ばせるって言ってたけど。ホントに飛ぶの?」

堀木はニヤニヤしながらユキコを見た。

「なによ」

「いや、可愛いなと思って」

「は?」

「ロケットが飛ぶとか言ってなんか子供みたいやーん」

「だってそーでしょーが。お父さんの特許についてかいつまんで教えなさい」



 考えてみれば何億円もの話を聞いておきながら自分は特許の中身について何も知らなかった。


「実用化されているものだと電動シェーバー」

 堀木はオムレツのケチャップをきたなくかき混ぜながら口に運ぶ。




「ああ、髭剃りかぁ。ちょっと縁ないけどあれと宇宙ロケットってもっと縁がないというか、関係ないやん」

「縁はあるで。ユキコちゃんにも、ロケットにも」

「え、どんなん?教えて」

 ユキコはさっき堀木が言っていたように、自分が小学生になって人気のある理科の先生に質問をしているような気がした。

 これも悪くない。




「うん。まずさユキコちゃんに関係のあるのは、なんちゅうーかー、まあそのビキニをつけたりする時に大事なところまず剃ったりするというかあ…」

ダメだ。一夜明けたらまた元の堀木に戻ってる。ユキコはため息をついた。

「そんで」

「うわ。ユキコちゃん怒ったんか。ちゃうねん。ほんまにそれ松下幸之助の会社で製品化されて売ってるねんで。ちょっとものがものだからテレビCMはないけど」

 ユキコの顔が少し顔が怖かったのかも知れない。堀木は怯えながら慌てて釈明した。



 そういえば、女性向けの通販雑誌なんかでは定番で載ってる。あれの重要な技術を堀木君のお父さんが作ってたのか。

「あーわかった。あれか。じゃあロケットとどう関係すんのよ」

「うん。毛のデリケートさなんだよね、要するに。今世界のシェーバー市場はフィリップスとブラウン二社だけで70%くらい占めてるんだけどさ、女性用のその製品だとうちの親父の特許が絡んでるのが世界の9割なんだよな」

!9割?

 完全な独占市場じゃない。ユキコは驚いた。

「というのもな、男性欧米人の髭の濃さがだいたい平均200ミクロンなんだけど、日本人は120ミクロンしかないんだ。これが日本人女性で、しかもあそこの部分の話になるとなんと20ミクロくらいしかない。だから、フィリップスやブラウンのをそのままユキコちゃんが肌に当てると大変なことになるわけ。朝のラッシュなんかでさ、出かける前の髭剃りで肌が剃刀負けしてもうて、ほっぺたに髭剃りの剃り傷作ってもうてるサラリーマンとか見たことないかな。」

「それあるわ!見たことあるよ。何度も!」

 ユキコの頭の中で何かがはっきりつながった。関係大ありだ!

「でさ、その肌が傷つかないように振動を無振動とも言えるほど小さくして、なおかつ欧米人男性の十分の一の濃さのものを処理するには激しい金属運動に耐えられる専用の装置の台、つまり特殊な金型が必要になる。毛は柔らかくて細いほど剃りにくいから逆に運度量は何倍にも増やさないといけない。この製造技術はフィリップスやブラウンには当然ないわけ。もともと彼らには必要なかったから」

「それを堀木くんのお父さんが?すごい!それがロケットの振動の吸収とかにも関係する!?」

 ユキコは思わず叫び声をあげた。
あり得るな、その特許は。素人でもその特許が製品の根幹部分だということは直感的に理解できる。



「それがな、こっからがまあシャイロックが俺に近づいてきた理由だとオレは考えてるんだけど、親父のところにはこれまで一円の特許料も支払われてないんや」


 ユキコのブロッコリーを刺したフォークが宙で止まった。

「そんなバカなことって」



「あるんだなこれが」

 堀木がフォークの先のブロッコリを手で掴んで自分の口に放り込んだ。

「実際に特許は取得したんや。でも所詮特許での金儲けは素人の親父がやったことや。りっぱな浄水器作っても水道の蛇口ひねるような部分の周辺の特許押さえられてしもて、全部その辺り大企業にまかせてしもた。周辺特許への特許料の支払いを大企業が肩代わりする代わりに親父の特許はただで使われてるんやな。どう考えても周辺特許への支払いが親父の特許の価値と相殺になるはずないんやけど、まあ、うまく納得させられてるのかもしれへんなあ」


なるほど。特許は持っているだでお金を生むと考えるのは素人なんだな…。

ユキコは頷いた。


13
最終更新日 : 2012-01-05 05:26:33

一億円の特許トレーディング

「おはよう」

 シャイロック2.0は朝食後仕事部屋のスイートルームを訪れた二人ににこやかに言った。

「よく眠れたかね」

 シャイロックが尋ねると堀木は一瞬間を置いてから頷いた。
 それを見たシャイロックは、ちらっとユキコの方を見て、少し訳知り顏で

「うむ。結構」

 と頷いた。

 昨日の晩のベッドでのことを思い出してユキコは少し顔が赤くなりそうだった。
 堀木はとぼけた顔で頷いている。




「され、では具体的にここでトレーディングをやってもらおう。」

 アンジェラが今にもピザを食べようとしているパソコンの壁紙の上に、シャイロックが特許トレーディングソフトを立ち上げた。アンジェラの顔が行ってらっしゃいと玄関まで見送った後のようにすっと背後に隠れて株式ソフトのようなグラフや数字がたくさん並んだ画面が出てきた。



「仕組みをもう一度おさらいする。基本的にこの特許トレーディングはアセットファイナンスだ。つまり株式や社債のような企業全体の時価総額ベースのコーポレートファイナンスと違って、特定の資産、つまりアセットを本体の格付けとは別の尺度で証券化したものだ。」

 シャイロックの言葉に ユキコが頷きながらさらに言葉を加える。

「つまり本体の会社の格付けが投資不適格のダブルBとかでも、この特許市場ではトリプルAということがありうるわけでしたよね」

「その通りだ。だから銀行や株式市場で資金を調達することが困難ではあるけれど、大企業に負けないような特許を保有している会社は、私の創設したこの特許トレーディング市場に自社の特許を債券化して流通させるわけだ。ズバ向けた特許を持っていれば銀行や通常の株式市場が相手にしなくてもここで莫大な資金が調達できる。」



 堀木が少し自信なさそうに頷く。

 堀木はユキコのようにはまだ完全にこの市場の仕組みを理解していないらしく、ユキコに確認するような目を向けた。

 ユキコは昨日深夜夜勤の同僚記者に不動産などのアセットファイナンスの仕組みについて大量のファックスを送ってもらっており、堀木が自分ベッドの隣で寝息を立てたあと、明け方までその資料に目を通していたのだった。

 今自分にできることはトートバッグの重さが増えることを厭わず、手順や背景知識を正確に整理して堀木を助けることだと思っていたからだ。それを素直に自分の役割だと感じることができたのは堀木のおかげだと感謝しながらユキコはさらにシャイロックに確認する。

「会社の株式と同じようにあるパーセンテージを握った場合、特許に対する権利が行使できるということでしたね。」

「そう。頼もしい参謀だね。今は冷やかしではなくて本当にユキコさんが堀木社長のコンサルタントのようだな」

 シャイロックがそういうと堀木は真面目に頷いた。



「この仕組みの場合発行債権の過半数を握ると株式の会社乗っ取りと同じように、特許そのものを乗っ取ることができるわけですね。」

「そうだ。10%を握れば独占ではない使用権、34%で独占使用権、そして51%を握ると株式の権利の譲渡や廃止も可能になる。今回は堀木くんの父上の無振動モーターの行使を意図的に邪魔する周辺特許を叩き潰すことが目的だから、リストアップした企業の特許の51%を奪取して支配権を奪うまで金に糸目を付けずに徹底的にやる」



 二人は頷いた。

「そもそも堀木くんの父上のあの革新的な特許は、こういう周辺特許を押さえて真に革新的な特許の行使を妨害して和解金や法外な使用料を払わせようとするパテントマフィアの存在がなければ、すでに巨万の富をすでに君にもたらしているんだよ。わかっているとは思うが。その本来手にするはずだった富を君は取り返すんだ。わかるね」



 堀木は頷いた。

 これがさっきブロッコリを食べながら堀木くんが言っていたことか・・・。ユキコは合点が行った。

「早速午前中に一本落としてみよう。軍資金は一億。私が横についているから二人にやってもらいたい。」


 堀木とユキコは緊張の面持ちでトレーディングを始めた。


14
最終更新日 : 2012-01-05 05:27:16

悪魔のシャイロック

 午前中の取引はあっという間に終わった。

 最初に特許の発行済債権の51%を握ったのはテキサス・ルネッサンス・テクノロジーというアメリカの片田舎の会社だ。




 この会社は堀木の父親の町工場堀木製作所の重要な周辺特許を所有していた。実用化にあたってはここに巨額のライセンス料が発生している。現在は資力と交渉力のない堀木製作所に代わって世界に冠たる松上電器産業がそれを支払っているが、この調子で特許を買収して行けば、そうした力を松上電機産業に借りる必要は一切なくなり、堀木製作所は松上電器産業と対等に立場に立つことができる。

 現在は無振動シェーバーを世に出すためには、松上電器産業による周辺特許の押さえ込みが必要なわけだ。しかしシャイロックの資産とこの特許トレーディング市場を使えば、一介の町工場がその特許の莫大な恩恵を大企業を通さずに手中にすることが可能になるのだ。




 テキサス・ルネッサンス・テクノロジーは典型的なパテントトロール、トロール=妖精、妖怪という名前が付いているが、弁理士と弁護士、さらに資金の潤沢なベンチャーキャピタルなどが背後であやつる法廷闘争によって特許に難癖をつけ、和解金をせしめるパテントマフィアに他ならない。

 前日にシャイロックが国際電話をしたなかでは落ちなかった企業だが、もともと自分の保有する特許を高値で売買することにはやぶさかでなく、シャイロックの電話での交渉を拒んだのもこうして市場で特許が買われたほうがより高く売れることを見越してのことだった。

 売り買いの小競り合いが続いたが結局買収金額は合計7800万円。予算一億円の中に十分収まる金額だった。


 この調子で行けばあっという間に堀木製作所は大変身を遂げることになる。



「お昼の準備できました」

 ユキコがルームサービスで頼んであったサンドウィッチとコーヒーの簡単な昼食を並べた。

「上々の滑り出しだ。この調子で残りのあと残りを片付ければ来週中くらいには堀木製作所は松上電器産業を切ることができる」

 勝利の昼食のはずだったが、ことの重大さに堀木の口は重い。



「もう一度整理させてください」

 ユキコがシャイロックに問いかける。

「このシナリオはあくまでも堀木くんのお父様、堀木製作所が独自の特許戦略を取る、つまりシャイロックさんが提示してくれたシナリオに乗ることを大前提としていますよね」

「その通りだ。全ての鍵はは堀木社長が、父上の会社から特許を譲り受け、現在の大手家電メーカーとの契約を解消することだよ。」

 ユキコにはそこが心配でならなかった。堀木は父親は自分に頭があがらないから大丈夫だと言っているが本当にそううまく行くのだろうか。


「堀木製作所が堀木社長のソーシャルスマッシュに予定通り特許を売却する。その段階こちらのシナリオ通りだ。そしていったん無反動シェーバーはこの世からなくなるわけだ。松上電機産業ブランドのものとしてはね。なぜなら君のお父さんの特許なくしてあの製品はあり得ないからな」

「松上電器産業は怒り狂うでしょうね。」

 堀木が重苦しい表情で言った。


「なにかまうことないさ。これはビジネスだ。」


 シャイロック2.0は事もなげに言った。昨日もそして今朝もあったシャイロックの独特の親しみ深さはすっかり消えてなくなり、初めてあった時のような得体のしれない奥行きを持った恐怖のカラ売り王がそこにいた。


「松上が契約不履行で訴えるなら訴えればいい。その前に父上の会社をバラバラに解体して、金になりそうなところだけこっちで買ってしまえばいいのさ。かつてヴェニスで私のご先祖様がやろうとしたように、ナイフで人肉を切り取ったらいいのさ。法人は血を流しても死なないから現代の人肉裁判で私が敗訴することはないのだ。それは現代ではM&Aと呼ばれてることは知っているね。そして残った松上の契約もろとも掘北製作所は潰してしまえばそれでおわりさ。松上電機産業がいかに世界に冠たる巨大企業であろうとももうどうすることもできないよ」

 涼しい顔をしてサンドイッチを頬張りながらシャイロックはそう言った。

「その時従業員は…」

 堀木は沈痛な面持ちで言った。

「そんなことは堀木社長の知ったことじゃないさ。路頭に迷う者は迷うし再就職できるものは自分の手でまた未来を切り開くだろう。違うかね?たとえその従業員に難病を抱えたこどもがいて、父親が破産して病院を追い出されることになったとしてもそれはその人間の自己責任なのだよ。責任は有限なんだよ。会社は潰せば終わり。従業員はリストラすれば他人さ。」




 シャイロックは一瞬狂気を帯びたような目をした。

 すっとシャイロックが向こうを振り向いてパソコンの壁紙に目を移した。

 アンジェラがピザを持って笑っている。

 三十秒ほども沈黙があっただろうか。

 こちらを向き直った時のシャイロックはまたもとの表面上は紳士的なシャイロックに戻っていた。





「もう一つ確認なのですけど、シャイロックさんの儲けは今回どのあたりにあるのですか」

「今回の私の儲けはその手数料もさることながらこれから仕掛けてもらうカラ売りに便乗することによって巨額の売買益を得ることなのだ」

 シャイロックはユキコに対し、いい話を振ってくれたとばかりに満足気に微笑んだ。



「テキサス・ルネッサンス・テクノロジーの周辺特許は押さえないと製品の実用化が無理だ。しかし例えばこの亜細亜電算という日本の会社、どうやら松上電器産業の資本が入っているようだが、この会社に現在松上電器産業が支払っている周辺特許料は、別の会社振り替えるこもできる。他にも同様の周辺特許を持っている会社は調査したところたくさんあった。もっと安くすむところがね」

「松上電器産業は自分の息のかかった会社の方が都合が良いとかあったのでしょうか」

 堀木が尋ねた。

「それもあるだろうが、天下の松上電器産業が特許戦略で情実で取引相手を選ぶことはないだろうから、コスト面でのメリットなどは当然あるだろう」



「しかしこの会社の特許は紙くずにしてしまおう。バタバタするならめんどうだから亜細亜電算ごと廃業に追い込んでしまえばいい。同じく路頭に迷う人間が発生しようが知ったことじゃない。」

 部屋に緊張の空気が走った。




「無論その空売りの過程で大儲けができる」

 二人はシャイロックの説明を無言で待った。



「現在債券価格が一口56000円だ。しかし…これが暴落して0円になったとする。いや、するのだよ。1億くらい使ってとりあえず買いを入れておくわけさ。そして買いの気配を煽るだけ煽っておいて、その中で目立たないようにカラ売りを小口でかけていく。価格が堅調ならばこちらのカラ売りはすぐに買いによって吸収されるからすぐに暴落は起きないだろう。玄人が見れば異様に売買高が膨らでいる異常性が見て取れるわけだが、そんなところまで市場の数字を読める人間はそうそういないさ。そしてタイミングを見計らって堀木製作所は君の会社つまりソーシャルスマッシュに対して、現在松上電器産業に供給している無振動シェーバー関連の特許の権利を譲渡するといきなり発表するわけだ。」

「・・・・・・」

「煽るだけ煽っておいて、堀木製作所は君の会社つまりソーシャルスマッシュに対して、現在松上電器産業に供給している無振動シェーバー関連の特許の権利を譲渡すると電撃発表する。そして今後亜細亜電算の周辺特許は他の会社の特許で代替すると堀木社長自ら記者会見で発表するのだ。わかるかね?その瞬間松下との取引あっての亜細亜電さんの特許および会社の株価が大暴落するのは必至となる」

「・・・・・・」




「流動化している亜細亜電算の特許債権を調べたところ4万株が空売りできる状態だ。つまり、21億1600万円分の空売りができる。亜細亜電算のあの特許が松上電器産業の無振動シェーバーの周辺特許であることは市場も知っているから、この株は買気配の中であっという間に売れるだろう。」

「ということはつまり、堀木くんが社長のソーシャルスマッシュは一瞬にしてその21億1600万を手にできるということになるわけですか」

 ユキコが深呼吸しながらそう言った。

「その通りだ。一気にミリオネラ、億万長者の仲間入りだね」


「もし何らかの理由でカラ売りによる最終的に亜細亜電算シナリオがうまく行かなかったら」

「例えば、私と堀木社長が仲違いするとか、堀木製作所の社長がソーシャルスマッシュの社長と、つまり血を分けた親子関係がうまくいかないとかの場合かね?それは心配ないだろう。市場の思惑は今渡しが見切ったとおりに動くことは間違いない。それは仮にもカラ売りの帝王シャイロック2.0がいうのだから間違いない」

 ユキコと堀木はゴクリとつばを飲み込んだ。





「まあ、最悪の場合、堀木社長は21億1600万の借金を負うことになるね。特許債権が暴落しなかくて現在の水準を保った場合、堀木社長は来月の支払い時までに21億1600万を闇金融から借りてでも用意しなければならない。」


「・・・・・・」

 ユキコは堀木の表情を探ったが、堀木は能面のように無表情だった。

「シャイロックさんの儲けは?」




 ユキコがもう一度確認をした。

「株式市場においてカラ売りというのは証券会社から借りるのだよ。この債券市場のオーナーは誰かね。私の債権を堀木社長に貸してそれを運用してもらうのだから丸儲けだ。」

「でもれって完全にインサイダー取引になるんじゃないんでしょうか」

「そうさ。だから私は一切表に出ない。21億1600万の資金運用はあくまでも堀木社長の責任でやってもらうことになる。利益は折半がこの業界のこのケースの場合の相場だね」


!?やはりそうか。


「だから堀木社長は全てうまくいったあと、10億8000万円をコンサルティング料金として私の会社に支払ってくれたらいいわけさ。これに関しては成功報酬で構わないよ。21億1600万の借金を背負った人間に10億8000万円の支払い能力がないのは明らかだからね。私と堀木社長の友情に免じてそれ以上の責任は問わないこととしようじゃないか」




 「さて、話の全貌が見えた。

 いつものように、乾杯しようじゃないか。」



 シャイロックはスイートルームに響き渡るように上機嫌で笑いながら、仲間の証である棚のブランデーを取りに行った。


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最終更新日 : 2012-01-05 05:28:29


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