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悪魔のシャイロック

 午前中の取引はあっという間に終わった。

 最初に特許の発行済債権の51%を握ったのはテキサス・ルネッサンス・テクノロジーというアメリカの片田舎の会社だ。




 この会社は堀木の父親の町工場堀木製作所の重要な周辺特許を所有していた。実用化にあたってはここに巨額のライセンス料が発生している。現在は資力と交渉力のない堀木製作所に代わって世界に冠たる松上電器産業がそれを支払っているが、この調子で特許を買収して行けば、そうした力を松上電機産業に借りる必要は一切なくなり、堀木製作所は松上電器産業と対等に立場に立つことができる。

 現在は無振動シェーバーを世に出すためには、松上電器産業による周辺特許の押さえ込みが必要なわけだ。しかしシャイロックの資産とこの特許トレーディング市場を使えば、一介の町工場がその特許の莫大な恩恵を大企業を通さずに手中にすることが可能になるのだ。




 テキサス・ルネッサンス・テクノロジーは典型的なパテントトロール、トロール=妖精、妖怪という名前が付いているが、弁理士と弁護士、さらに資金の潤沢なベンチャーキャピタルなどが背後であやつる法廷闘争によって特許に難癖をつけ、和解金をせしめるパテントマフィアに他ならない。

 前日にシャイロックが国際電話をしたなかでは落ちなかった企業だが、もともと自分の保有する特許を高値で売買することにはやぶさかでなく、シャイロックの電話での交渉を拒んだのもこうして市場で特許が買われたほうがより高く売れることを見越してのことだった。

 売り買いの小競り合いが続いたが結局買収金額は合計7800万円。予算一億円の中に十分収まる金額だった。


 この調子で行けばあっという間に堀木製作所は大変身を遂げることになる。



「お昼の準備できました」

 ユキコがルームサービスで頼んであったサンドウィッチとコーヒーの簡単な昼食を並べた。

「上々の滑り出しだ。この調子で残りのあと残りを片付ければ来週中くらいには堀木製作所は松上電器産業を切ることができる」

 勝利の昼食のはずだったが、ことの重大さに堀木の口は重い。



「もう一度整理させてください」

 ユキコがシャイロックに問いかける。

「このシナリオはあくまでも堀木くんのお父様、堀木製作所が独自の特許戦略を取る、つまりシャイロックさんが提示してくれたシナリオに乗ることを大前提としていますよね」

「その通りだ。全ての鍵はは堀木社長が、父上の会社から特許を譲り受け、現在の大手家電メーカーとの契約を解消することだよ。」

 ユキコにはそこが心配でならなかった。堀木は父親は自分に頭があがらないから大丈夫だと言っているが本当にそううまく行くのだろうか。


「堀木製作所が堀木社長のソーシャルスマッシュに予定通り特許を売却する。その段階こちらのシナリオ通りだ。そしていったん無反動シェーバーはこの世からなくなるわけだ。松上電機産業ブランドのものとしてはね。なぜなら君のお父さんの特許なくしてあの製品はあり得ないからな」

「松上電器産業は怒り狂うでしょうね。」

 堀木が重苦しい表情で言った。


「なにかまうことないさ。これはビジネスだ。」


 シャイロック2.0は事もなげに言った。昨日もそして今朝もあったシャイロックの独特の親しみ深さはすっかり消えてなくなり、初めてあった時のような得体のしれない奥行きを持った恐怖のカラ売り王がそこにいた。


「松上が契約不履行で訴えるなら訴えればいい。その前に父上の会社をバラバラに解体して、金になりそうなところだけこっちで買ってしまえばいいのさ。かつてヴェニスで私のご先祖様がやろうとしたように、ナイフで人肉を切り取ったらいいのさ。法人は血を流しても死なないから現代の人肉裁判で私が敗訴することはないのだ。それは現代ではM&Aと呼ばれてることは知っているね。そして残った松上の契約もろとも掘北製作所は潰してしまえばそれでおわりさ。松上電機産業がいかに世界に冠たる巨大企業であろうとももうどうすることもできないよ」

 涼しい顔をしてサンドイッチを頬張りながらシャイロックはそう言った。

「その時従業員は…」

 堀木は沈痛な面持ちで言った。

「そんなことは堀木社長の知ったことじゃないさ。路頭に迷う者は迷うし再就職できるものは自分の手でまた未来を切り開くだろう。違うかね?たとえその従業員に難病を抱えたこどもがいて、父親が破産して病院を追い出されることになったとしてもそれはその人間の自己責任なのだよ。責任は有限なんだよ。会社は潰せば終わり。従業員はリストラすれば他人さ。」




 シャイロックは一瞬狂気を帯びたような目をした。

 すっとシャイロックが向こうを振り向いてパソコンの壁紙に目を移した。

 アンジェラがピザを持って笑っている。

 三十秒ほども沈黙があっただろうか。

 こちらを向き直った時のシャイロックはまたもとの表面上は紳士的なシャイロックに戻っていた。





「もう一つ確認なのですけど、シャイロックさんの儲けは今回どのあたりにあるのですか」

「今回の私の儲けはその手数料もさることながらこれから仕掛けてもらうカラ売りに便乗することによって巨額の売買益を得ることなのだ」

 シャイロックはユキコに対し、いい話を振ってくれたとばかりに満足気に微笑んだ。



「テキサス・ルネッサンス・テクノロジーの周辺特許は押さえないと製品の実用化が無理だ。しかし例えばこの亜細亜電算という日本の会社、どうやら松上電器産業の資本が入っているようだが、この会社に現在松上電器産業が支払っている周辺特許料は、別の会社振り替えるこもできる。他にも同様の周辺特許を持っている会社は調査したところたくさんあった。もっと安くすむところがね」

「松上電器産業は自分の息のかかった会社の方が都合が良いとかあったのでしょうか」

 堀木が尋ねた。

「それもあるだろうが、天下の松上電器産業が特許戦略で情実で取引相手を選ぶことはないだろうから、コスト面でのメリットなどは当然あるだろう」



「しかしこの会社の特許は紙くずにしてしまおう。バタバタするならめんどうだから亜細亜電算ごと廃業に追い込んでしまえばいい。同じく路頭に迷う人間が発生しようが知ったことじゃない。」

 部屋に緊張の空気が走った。




「無論その空売りの過程で大儲けができる」

 二人はシャイロックの説明を無言で待った。



「現在債券価格が一口56000円だ。しかし…これが暴落して0円になったとする。いや、するのだよ。1億くらい使ってとりあえず買いを入れておくわけさ。そして買いの気配を煽るだけ煽っておいて、その中で目立たないようにカラ売りを小口でかけていく。価格が堅調ならばこちらのカラ売りはすぐに買いによって吸収されるからすぐに暴落は起きないだろう。玄人が見れば異様に売買高が膨らでいる異常性が見て取れるわけだが、そんなところまで市場の数字を読める人間はそうそういないさ。そしてタイミングを見計らって堀木製作所は君の会社つまりソーシャルスマッシュに対して、現在松上電器産業に供給している無振動シェーバー関連の特許の権利を譲渡するといきなり発表するわけだ。」

「・・・・・・」

「煽るだけ煽っておいて、堀木製作所は君の会社つまりソーシャルスマッシュに対して、現在松上電器産業に供給している無振動シェーバー関連の特許の権利を譲渡すると電撃発表する。そして今後亜細亜電算の周辺特許は他の会社の特許で代替すると堀木社長自ら記者会見で発表するのだ。わかるかね?その瞬間松下との取引あっての亜細亜電さんの特許および会社の株価が大暴落するのは必至となる」

「・・・・・・」




「流動化している亜細亜電算の特許債権を調べたところ4万株が空売りできる状態だ。つまり、21億1600万円分の空売りができる。亜細亜電算のあの特許が松上電器産業の無振動シェーバーの周辺特許であることは市場も知っているから、この株は買気配の中であっという間に売れるだろう。」

「ということはつまり、堀木くんが社長のソーシャルスマッシュは一瞬にしてその21億1600万を手にできるということになるわけですか」

 ユキコが深呼吸しながらそう言った。

「その通りだ。一気にミリオネラ、億万長者の仲間入りだね」


「もし何らかの理由でカラ売りによる最終的に亜細亜電算シナリオがうまく行かなかったら」

「例えば、私と堀木社長が仲違いするとか、堀木製作所の社長がソーシャルスマッシュの社長と、つまり血を分けた親子関係がうまくいかないとかの場合かね?それは心配ないだろう。市場の思惑は今渡しが見切ったとおりに動くことは間違いない。それは仮にもカラ売りの帝王シャイロック2.0がいうのだから間違いない」

 ユキコと堀木はゴクリとつばを飲み込んだ。





「まあ、最悪の場合、堀木社長は21億1600万の借金を負うことになるね。特許債権が暴落しなかくて現在の水準を保った場合、堀木社長は来月の支払い時までに21億1600万を闇金融から借りてでも用意しなければならない。」


「・・・・・・」

 ユキコは堀木の表情を探ったが、堀木は能面のように無表情だった。

「シャイロックさんの儲けは?」




 ユキコがもう一度確認をした。

「株式市場においてカラ売りというのは証券会社から借りるのだよ。この債券市場のオーナーは誰かね。私の債権を堀木社長に貸してそれを運用してもらうのだから丸儲けだ。」

「でもれって完全にインサイダー取引になるんじゃないんでしょうか」

「そうさ。だから私は一切表に出ない。21億1600万の資金運用はあくまでも堀木社長の責任でやってもらうことになる。利益は折半がこの業界のこのケースの場合の相場だね」


!?やはりそうか。


「だから堀木社長は全てうまくいったあと、10億8000万円をコンサルティング料金として私の会社に支払ってくれたらいいわけさ。これに関しては成功報酬で構わないよ。21億1600万の借金を背負った人間に10億8000万円の支払い能力がないのは明らかだからね。私と堀木社長の友情に免じてそれ以上の責任は問わないこととしようじゃないか」




 「さて、話の全貌が見えた。

 いつものように、乾杯しようじゃないか。」



 シャイロックはスイートルームに響き渡るように上機嫌で笑いながら、仲間の証である棚のブランデーを取りに行った。


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最終更新日 : 2012-01-05 05:28:29

あなたはいつ、夢をみますか

「最悪や。記者発表明日の夕方やのに親父のやつ取り付く島もあれへん」

 堀木製作所の近くのファミレスで堀木はユキコを前にしてうなだれた。

「お父さんやっぱりダメだって?」

ユキコは憔悴顏の堀木を気遣うように言った。


「ああ、頑として無振動モーター特許売却には首を縦に振らない」


「お父さんとちゃんとお話できてる?特許売ると億万長者になれるとか、もし売らないと…」

 ユキコは売れなかった場合堀木が背負うことになる20億の借金のことを考えると、目眩がしそうになった。

「もちろんや。あそうかでおしまいや。所詮他人事や。自分でなんとかせえいうことやろ。今まで散々好きかってやってきて俺に家族の尻拭いばかりさせてきやがって。そんでもそれを負い目に感じて俺が社会人になってからは何でもおれの言うことに従ってきたのになんでこの特許のことだけは自分の我を通すんや」

 堀木は吐き捨てるように言った。



「明日夕方の堀木くんの正式な記者発表の前の世間での反応はむしろ、大企業と対等にパートナーシップを求める新時代の町工場ってことで評判上場よ。」

 この一週間シャイロックの仕掛けたシナリオは芸術的と言っていいほどうまく運んだ。無振動モーターの周辺特許はすべて買収を完了した。さらに松上電器産業を切る総仕上げとしての亜細亜電算のカラ売りはも九割九分成功していた。

 堀木製作所が松上電器産業とのこれまでの隷属的な関係を解消した上で、特許そのものを息子が社長を務めるソーシャルスマッシュに売却し、亜細亜電算の特許は今後使わない旨を近日中に正式発表するらしいとの観測で亜細亜電算の特許債権は大暴落し、堀木とシャイロックはただ同然で空売りの決済をできそうであった。

 しかし土壇場にきて、このシナリオの成否を握る鍵である堀木製作時の社長、つまり堀木の父親がシャイロックのシナリオに乗ることを拒否し、堀木は一気に空売り失敗による20億の負債を抱える直前の状態に追い込まれたのだった。




「そんなビジネスは堀木製作所じゃないとかいいよる。今さらなんの話や」

「シャイロックはなんて?」

「明日直接親父と話をすることになってるけど望み薄や。そもそもシャイロック本人に強烈な不信感を抱いとる。万事休すやな。不細工な話やで。血を分けた親子の意思疎通の問題で人生破滅や」

 堀木はもうどうにでもなれといった投げやりな表情でそう言った。




 ユキコはそんな堀木の目を真っ直ぐに見た。

「あたしも同席していいかな」

「え?」




「電話で聞いたお父さんの、堀木製作所社長の言葉の意味を会ってどうしても確かめたいの」

「いいけど、どんな?でも明日はそれどころじゃ・・・」

「ジャーナリスト生命かけて聞きたいことがあるわ」

 ユキコは真剣な面持ちで堀木に言った。



 ファミレスの窓からあの日と同じような綺麗な夕焼けが見える。

 これが明ければもう運命の明日だ。
 
 成功することなんてもうどうでもいい。

 明日の夕方の記者会見までにお父さんを説得できないと堀木くんは亜細亜電算カラ売りの精算代金21億1600万を用意しなければならない。多分ビジネスマンとしての人生も普通の人生もその時一瞬で終わってしまうだろう。



「ねえ、ホテルの窓から夕焼けを見た時明日は誰にでも来るって言ったよね。あたしにも堀木くんにも、頑張ってるサラリーマン全員にも、そしてあの時は極悪人かと思っていたシャイロックにもちゃんと来るんだって堀木くん言ってた」

 堀木はユキコがなんの話を始めたのかわからず無言で頷いた。

「あなたのことずっと好きだったんだって、あの時はっきり思えたよ」





「お父さん、どんな明日でもいいってわけじゃないんだよ。」


『オレは夜夢を見る時間がないから昼間見てるんや』


「なんやそれ」


「電話であたしがお父さんに取材したときにお父さんが言っていた言葉よ。シャイロックの前でこの言葉の意味をあたしが聞いてみるわ。もしかするとそれで何かが変わるかもしれない」



 ユキコはそこまでしか言わなかった。

 堀木は初めて見るユキコの表情に、ユキコの言うジャーナリストとしての命をかけたプライドを感じだ。

「あなたが好きよ、堀木くん。あたしが守ってあげるわ」

 ユキコは自分の胸をおどけて叩いてみせた。


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最終更新日 : 2012-01-05 05:29:20

アンジェラの遺書~それぞれの 空と君の間

シャイロックは関西国際空港から東大阪市の堀木製作所へ向かうタクシーの中だった。

 ランプを降りてしばらく行くと街並みは一変する。

 子供が寒空の下で元気良く遊んでいる。あれは確か正月に日本の子供が遊ぶおもちゃだ。モーターで飛行機を飛ばすのではなく、その日吹いた風に、竹の骨組みに綺麗な日本製の紙を張った飛行物体を空の中に解き放つ。確か凧揚げと言ったっけな。不思議なおもちゃだ。まるで船から海底に錨を降ろすように、日本人は凧という錨を不確かな大空に放つ。ラジコンのように空を支配しようとするのではない。自分の今持っている浮力と、その時の風とに相談しながら、目の前に現れてくる風景の中に自然に身を任せる。日本人以外には、いや、少なくとも特に私には苦手な遊びだ。シャイロックはぼんやりとそんなことを思った。

 タクシーを降りると寒風がシャイロックの襟元に吹き込んだ。おもわずコートの襟を立ててコートのポケットに両手を突っ込む。
 年の瀬も押し迫っているが、この街にはウォール街のあの空疎な慌ただしさしない。機械油の匂いと工場で旋盤やプレス機を操作する音がこの街の静かな生命力を感じさせる。雑然とした下町に確かな生活の断片が漂っていた。



「シャイロックさん」

「ああ、堀木くん。ユキコさんも一緒だね」

 堀木とユキコは街並みのブロックの角を曲がってこちらに歩いてくるシャイロックを見つけると大きな声で手を振った。

「わざわざすいません。アメリカから」

「いやなに、構わんよ。こうなることがわかっていればいったん帰国したりなどせずに、一度堀木製作所に足を運んでおくべきだったと思ってるよ」

堀木は重ねて申し訳なさそうに頭を下げた。



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「何度も言うたけど、それは無理ですわ。従業員と油にまみれた工場とこの東大阪の空気。それが全部で堀木製作所やからな。儲かる部分だけ切り離してあとはゴミ箱に捨てるようにリストラだなんてことは最先端の経営学だかなんだか知らんがそんなことようできませんわ。アメリカからわざわざこの件で来ていただいたと聞いてますけどお引き取り願いますか」

 堀木製作所社長は初対面の挨拶もそこそこにシャイロックにいきなりこう切り出した。

「おっしゃることは考え方としてわからなくもありませんが、今ご子息がどういう状況に置かれているかはご存知ですか」

 シャイロックはいきなりのこの非礼な応対にも冷静に反応した。

「自分で撒いた種や」

「ご子息はあなたのためにもよかれと思ってされたことですよ」

 堀木の父親は露骨に嫌な顔をした。

「やり方が気に食わんのや。ほな言わせてもらいましょか。会社の効率をよくしてもっと利益が出せるようにする、これは当たり前のことですわ。しかしな、あんたらは儲からんものは人でもモノでも切り捨ててしまって涼しい顔しとる。そんなんしてまで会社の時価総額上げてどないしますの?あんたは本場のアメリカさんの金融マンやったそうやからわかってると思うけど、時価総額なんてもんは、あんたあれ本来会社を清算するときに破産管財人が残った会社の財産を債務者たちで分け合うために計算するもんでっせ、元々は。それをポッと出のわけわからんインターネットベンチャーのアホどもがはやり言葉のようにしてもうたけど、あほとしかいいようがないわ。」

 堀木は父親の口から時価総額などという言葉が出てきたのに驚いた。そんな言葉を知っているとは思ってもみなかったからだ。

 シャイロックはさらに驚いたようで、シャイロックの驚きは堀木と違って、堀木の父親のその時価総額という言葉の正確な理解だった。

「なるほど、確かに「時価総額」というのは、今懸命に生きようとしている肉親を前にして、死んだあとの財産の計算を始めるのと同じです。まあ確かにそういうニュアンスを知らずにその言葉を使って得意顔の日本人ベンチー起業家はまあ我々の間では、少々甘く見られているというか失笑を買っているというところはありますな。もともと米国の株価至上主義者が多少の露悪的なニュアンスを含んで使っていた言葉ではあります」



 堀木製作所社長はその言葉を聞き流しさらに言葉を続けた。

「リストラっていう言葉も気楽に使わんで欲しいわ。俺たちまっとうな経営者が仲間の従業員の雇用を守るためにどれだけ血みどろの苦労をしているか。」

「それはわかりますが一般論ですな。あなたの会社の場合、あなたの経営戦略ではあなたの素晴らしい特許は完全に宝の持ち腐れというものです。私がプロデュースすれば、無振動シェーバーどころかあの特許が潜在価値として秘めている宇宙産業への転用だってできるのです」

「大きなお世話や、そんなもんは。そのために堀木製作所や亜細亜電算をリストラして解体だと?ふざけるな。株式投資に有限責任はあっても自分の子供に対する責任に有限責任なんてないんだよ。従業員は自分の子供とおんなじや。子供に対する責任はすべて無限責任なんだよ。あんたは子供がいないからわからんだろう。子供がぐれたからといってリストラできるか?あんたは一体誰のために働いとるんや。あんたはいったい誰を守っとるんや。聞けばあんた自分の子供をどもを自分の不甲斐なさで死なせたそうやな」



 空気が完全に凍りつく。

「おやじ、なんぼなんでもそこまで調子に乗るのはやめてくれへんか」

 堀木がこわばった表情で凍った空気にアイスピックをたてた。

「親父かてさんざん家族に迷惑かけておいてその言い草はないやろ。従業員守っても家族は守られへんかったやろが。おふくろと弟たちのこと棚にあげて何カッコつけてんねん」

「堀木くんやめようよ、今そんな話してもしょうがないよ」

 ユキコが悲鳴のように割って入る。

「いや、いいんだ。アンジェラだって一番肝心な時に破産するような間抜けな父親じゃなければ14歳で命を落とすことだってなかったのさ」

 シャイロックが寂しそうにそう言った。

 堀木の父親もさすがに言い過ぎたと思ったのか、バツの悪そうな顔をしてそっぽを向いてしまった。




 堀木製作所の応接室はこの上なく重たい空気に覆われて、中にいる人間はそれぞれ窒息寸前だった。

 完全に手詰まりだ。

 このまま話は決裂したまま夕方の記者会見の時刻を迎えてしまうのだろうか・・・




「ここにお嬢さんの、アンジェラさんの遺書があります」

 その時ユキコがカバンの中からスヌーピーのイラストのついた古い封筒を取り出した。

「何だと?なぜそんなものを君が持ってるのだ」

「あなたの古い知り合いの一人、ジュイスマール・スウィットナーさんから頂いてきました」

「やっぱりあいつが持ってやがったのか」

「ジュイスマール・スウィットナーさんのことはお忘れではなかったんですね」

「ああ、忘れるものか。私が先物市場で失敗した時の債権者だ。強引極まりないやつでね。アンジェラも死んでしまって一人残されて再起をかけている時にある日家に帰ってみると家財道具一切がなかった。あいつが裁判所の差し押さえの前にその筋の者を雇って私の家じゅうの金目のものを持ち去ったんだ。私が仕事で再起を果たしたら開けてくれということで未開封だった、死期の迫ったアンジェラの遺言状も金庫ごと運ばれてしまったというわけさ。あいつはそんなものは知らないと言い張っていたが」

 ユキコは頷いた。

「あなたのことを親会社の新聞社のニューヨーク支局で調べてもらったんです。今回のこの事件は日本の中小企業の特許戦略を変えていくかもしれない事件なので、私が記者をやっている雑誌で特集を組む予定です。その取材の一環としてニューヨークであなたのネタを拾っているうちにジュイスマール・スウィットナーさんの名前が出たんです。たまたま彼に取材した経験のした記者がいたのでこんな資料に行き当たりました。」

 シャイロックは微かに震える手でユキコから遺言状を受け取った。

「未開封です。私もどんなことが書かれているのかは知りません。でもきっとあなたに必要なことが書いてあると思うんです。シャイロックさんとはまだ短いおつきあいですけど、私も堀木くんもあなたが時々見せる狂気が入り混じったようなあなたの非情さは本当のあなたじゃないと思っているんです。」

 堀木が頷きながら言葉を次ぐ。

「あなたはお嬢さんの運命を変えられなかった自分、高額の手術を受けさせてやる気とができなかった自分を、自分でも気がつかないほどに罰し続けているんだと思います。ご自分ではわからなくても、僕たちを仲間と認めてくれたあなたが時折見せる闇、あなたの何とも言えない深い人間的な魅力の影の部分があなたを誰も止ることのできない悪魔の空売り王にしてしまう。」

 再びユキコが言葉を引き継ぐ。

「きっと今のシャイロックさんに必要なことが書いてあると思うんです。そして私たち全員にも。ここにいる私たち全員が、今の自分とそうありたい自分の間で引き裂かれそうになってます。理想と現実の間で引き裂かれようとしています。シャイロックさんはそれをお金で埋め行く事を私と堀木くんに勧めました。」

シャイロックは静かに頷いた。

「空、そうありたいと手を伸ばす未来を強引に支配するんだとあなたは教えてくれました。そして将来の富を今この手に強引に引き摺り下ろすことでそれが具体的に可能になると。でもそれは、アンジェラさんを救えなかった自分が許せなかったあなたが作り出した、もしかするとアンジェラさんも望んでいなかった方法なんじゃないんでしょうか」

 シャイロックはかすかに笑って封書に目を落とし、そっと指でそれを開封した。




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パパ。久しぶりだね。

これを読んでいるということは、
パパはまた昔のパパみたいに大きなお金を動かす
自信満々のパパに戻っているんだと思います。

体には気をつけてね。


最近よく夢を見るの。

もうすぐ死んじゃうのに夢を見るなんておかしいでしょ。

それはね、夢から醒めた夢なんだ。

楽しい夢。

でもね

すぐに醒めちゃうんだ

ああ、夢だったんだってがっかりするんだ

でもまたすぐに楽しい夢が始まる。

あたしは悲しかったことを忘れてまたそれに夢中になるの

でも・・・

またそれがすぐに夢だって分かっちゃう

そしてだんだん、夢が始める瞬間に、
あ、これはどうせ夢なんだって思っちゃうの

そしてどの夢も全然楽しくなくなっちゃって、退屈な夢だけが永遠に続くの

醒めない夢

覚めても覚めても醒めないトンネルみたいな夢なんだ。



あたしは大好きなパパがどんなお仕事をしているのかとても知りたかった。

大人にならないとわからないとってもむずかしいお仕事みたい。

でもアンジェラは少し想像してみました。

パパのお仕事は、夢の中にあるのだと思いました。
そして次から次へ人に夢を見させ続けるお仕事。

株式というパパの商売道具は未来の幸せのための切符だって、
いつかパパはそう言ってたよね。

すばらしいお仕事だと思います。

今ない夢の世界に連れていってくれる切符を売る仕事



でもさ、パパのお仕事はそこまでで、
その夢を具体的に完成させることは他の人がやるんだよね。

だからパパ、怒らないでね。

パパのお仕事はきっと次々と醒めない夢を見るのと似てると思う。

夢が終わりそうになると、また次の夢をパパが用意する。

でも、パパは永遠に夢の中にいても、
その夢を本当に生きることはないんじゃないかな。


時々は夢から醒めてパパがその切符を持って列車に乗ってってみてください。

今生きている人生を楽しんでみてください。

パパがお仕事がうまく行かなくて、
アンジェラと一緒にいてくれた時のパパは、
あたしがそれまで知っていたパパとは全然違ってたよ。

それまでのパパはとってもかっこ良かったけど
どこか現実の世界にはいないみたいだった。

生意気言ってごめんなさい。


それと・・・

パパは自分がお仕事がうまく行かなかったから
ママと離婚することになったと思ってたみたいだけど、
それは違うんだよ。

ママは醒めない夢を見続けるようになって
どんどんどんどんお金持ちになっていったパパについていけなくなったんだよ。

これはママにから直接聞いた話だから間違いないよ。

ないしょなんだけどね

でももう、あたしもこの世にはいない。

あたしからママにいつか謝っておくね。


さよなら

大好きなパパ


アンジェラより

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「金融ビジネスは醒めない夢か」

 しばらくたってからシャイロックが深いため息と共に言葉を発した。






「夜夢みることができないから昼間夢を見るんだ」


 ユキコの言葉に、堀木、堀木の父親、シャイロックが反応する。


 「堀木くんのお父さんの言葉です。

 来る日も来る日も旋盤やフライス盤を触って、夜は疲れてぐっすり眠って夢を見る暇もない。でも昼間自分自身のその手触りの中で新しい技術を仲間たちと作っていく。とても地味でシャイロックさんのお仕事のような派手な夢はないかもしれません。そして仮に宇宙ロケットという夢があったとしてもその根幹技術を作った当の堀木製作所の社長はロケットの夢よりも旋盤の手触りや機械油の確かさを優先すると言っています。



 ユキコは深呼吸をしてシャイロックと堀木製作所社長を見た。

 でもお二人の夢って本当に別の夢なんでしょうか。」


 シャイロックと堀木製作所社長は顔を見合わせる。先ほどまでとは違ってなにかお互い接点を探ろうとしている眼だ。




「まだ時間がある。一番最良の方法を探してみませんか。私もどうやら強引すぎたようです。」

 シャイロックが堀木製作所社長に語りかける。

 堀木の父親は渋々、しかししっかりとシャイロックの目を見て頷いた。

「私もちょっと言い過ぎました。私も従業員もロケットの夢がこのまま日の目を見ることなく野ざらしになっているのは嫌やったし、いつかは日々の現実だけが永遠に続くだけではない仕事がしたかった」


 堀木とユキコは頷きあった。


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同日夕方東大阪市商工会議所内プレスルーム記者発表



堀木製作所はこれまで通り松上電器産業に製品を供給し、特許の売却を含む特許の独自活用戦略を破棄。

同時にシャイロックはインターネットベンチャー企業ソーシャルスマッシュに対する20億1600万円のデッドエクイティスワップを実施。会社の借金を株式に振り替えることでソーシャルスマッシュはシャイロックの100%支配下となった。

堀木はソーシャルスマッシュのオーナーの座から降りることとなったが、引き続き代表取締役として職務を果たす。

 堀木個人に対する債務は株式に転換されて消滅したのだった。




 ソーシャルスマッシュの定款が再度書き換えられた。

 登記所で閲覧すると、東大阪にあるソーシャルスマッシュ株式会社定款にはこう記されている。

「宇宙開発事業における技術開発及び次世代への職人の基盤技術継承、および開かれた特許戦略コンサルティング」



 堀木製作所はこれまで通り無振動シェーバーを供給し、シャイロックの20億の資本で技術ベンチャー企業ソーシャルスマッシュ株式会社が堀木の父の特許をベースにした宇宙開発事業を行うこととなったのだった。





 【追記】

 それから半年後、ビジネス書で久々のミリオンセラーが書店の平積みになっていた。

 岸田由紀子 著『東大阪からロケットを飛ばす。~下町の技術屋とニューヨークの金融屋のコラボ』

 表紙のソーシャルスマッシュ代表取締役堀木武雄のすこしはにかんだ笑顔が印象的な本だった。



シャイロックのいた風景 完


17
最終更新日 : 2012-01-07 23:49:53

奥付



シャイロックのいた風景


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著者 : tweetyukky
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最終更新日 : 2012-01-11 14:56:22

この本の内容は以上です。


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