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アンジェラの遺書~それぞれの 空と君の間

シャイロックは関西国際空港から東大阪市の堀木製作所へ向かうタクシーの中だった。

 ランプを降りてしばらく行くと街並みは一変する。

 子供が寒空の下で元気良く遊んでいる。あれは確か正月に日本の子供が遊ぶおもちゃだ。モーターで飛行機を飛ばすのではなく、その日吹いた風に、竹の骨組みに綺麗な日本製の紙を張った飛行物体を空の中に解き放つ。確か凧揚げと言ったっけな。不思議なおもちゃだ。まるで船から海底に錨を降ろすように、日本人は凧という錨を不確かな大空に放つ。ラジコンのように空を支配しようとするのではない。自分の今持っている浮力と、その時の風とに相談しながら、目の前に現れてくる風景の中に自然に身を任せる。日本人以外には、いや、少なくとも特に私には苦手な遊びだ。シャイロックはぼんやりとそんなことを思った。

 タクシーを降りると寒風がシャイロックの襟元に吹き込んだ。おもわずコートの襟を立ててコートのポケットに両手を突っ込む。
 年の瀬も押し迫っているが、この街にはウォール街のあの空疎な慌ただしさしない。機械油の匂いと工場で旋盤やプレス機を操作する音がこの街の静かな生命力を感じさせる。雑然とした下町に確かな生活の断片が漂っていた。



「シャイロックさん」

「ああ、堀木くん。ユキコさんも一緒だね」

 堀木とユキコは街並みのブロックの角を曲がってこちらに歩いてくるシャイロックを見つけると大きな声で手を振った。

「わざわざすいません。アメリカから」

「いやなに、構わんよ。こうなることがわかっていればいったん帰国したりなどせずに、一度堀木製作所に足を運んでおくべきだったと思ってるよ」

堀木は重ねて申し訳なさそうに頭を下げた。



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「何度も言うたけど、それは無理ですわ。従業員と油にまみれた工場とこの東大阪の空気。それが全部で堀木製作所やからな。儲かる部分だけ切り離してあとはゴミ箱に捨てるようにリストラだなんてことは最先端の経営学だかなんだか知らんがそんなことようできませんわ。アメリカからわざわざこの件で来ていただいたと聞いてますけどお引き取り願いますか」

 堀木製作所社長は初対面の挨拶もそこそこにシャイロックにいきなりこう切り出した。

「おっしゃることは考え方としてわからなくもありませんが、今ご子息がどういう状況に置かれているかはご存知ですか」

 シャイロックはいきなりのこの非礼な応対にも冷静に反応した。

「自分で撒いた種や」

「ご子息はあなたのためにもよかれと思ってされたことですよ」

 堀木の父親は露骨に嫌な顔をした。

「やり方が気に食わんのや。ほな言わせてもらいましょか。会社の効率をよくしてもっと利益が出せるようにする、これは当たり前のことですわ。しかしな、あんたらは儲からんものは人でもモノでも切り捨ててしまって涼しい顔しとる。そんなんしてまで会社の時価総額上げてどないしますの?あんたは本場のアメリカさんの金融マンやったそうやからわかってると思うけど、時価総額なんてもんは、あんたあれ本来会社を清算するときに破産管財人が残った会社の財産を債務者たちで分け合うために計算するもんでっせ、元々は。それをポッと出のわけわからんインターネットベンチャーのアホどもがはやり言葉のようにしてもうたけど、あほとしかいいようがないわ。」

 堀木は父親の口から時価総額などという言葉が出てきたのに驚いた。そんな言葉を知っているとは思ってもみなかったからだ。

 シャイロックはさらに驚いたようで、シャイロックの驚きは堀木と違って、堀木の父親のその時価総額という言葉の正確な理解だった。

「なるほど、確かに「時価総額」というのは、今懸命に生きようとしている肉親を前にして、死んだあとの財産の計算を始めるのと同じです。まあ確かにそういうニュアンスを知らずにその言葉を使って得意顔の日本人ベンチー起業家はまあ我々の間では、少々甘く見られているというか失笑を買っているというところはありますな。もともと米国の株価至上主義者が多少の露悪的なニュアンスを含んで使っていた言葉ではあります」



 堀木製作所社長はその言葉を聞き流しさらに言葉を続けた。

「リストラっていう言葉も気楽に使わんで欲しいわ。俺たちまっとうな経営者が仲間の従業員の雇用を守るためにどれだけ血みどろの苦労をしているか。」

「それはわかりますが一般論ですな。あなたの会社の場合、あなたの経営戦略ではあなたの素晴らしい特許は完全に宝の持ち腐れというものです。私がプロデュースすれば、無振動シェーバーどころかあの特許が潜在価値として秘めている宇宙産業への転用だってできるのです」

「大きなお世話や、そんなもんは。そのために堀木製作所や亜細亜電算をリストラして解体だと?ふざけるな。株式投資に有限責任はあっても自分の子供に対する責任に有限責任なんてないんだよ。従業員は自分の子供とおんなじや。子供に対する責任はすべて無限責任なんだよ。あんたは子供がいないからわからんだろう。子供がぐれたからといってリストラできるか?あんたは一体誰のために働いとるんや。あんたはいったい誰を守っとるんや。聞けばあんた自分の子供をどもを自分の不甲斐なさで死なせたそうやな」



 空気が完全に凍りつく。

「おやじ、なんぼなんでもそこまで調子に乗るのはやめてくれへんか」

 堀木がこわばった表情で凍った空気にアイスピックをたてた。

「親父かてさんざん家族に迷惑かけておいてその言い草はないやろ。従業員守っても家族は守られへんかったやろが。おふくろと弟たちのこと棚にあげて何カッコつけてんねん」

「堀木くんやめようよ、今そんな話してもしょうがないよ」

 ユキコが悲鳴のように割って入る。

「いや、いいんだ。アンジェラだって一番肝心な時に破産するような間抜けな父親じゃなければ14歳で命を落とすことだってなかったのさ」

 シャイロックが寂しそうにそう言った。

 堀木の父親もさすがに言い過ぎたと思ったのか、バツの悪そうな顔をしてそっぽを向いてしまった。




 堀木製作所の応接室はこの上なく重たい空気に覆われて、中にいる人間はそれぞれ窒息寸前だった。

 完全に手詰まりだ。

 このまま話は決裂したまま夕方の記者会見の時刻を迎えてしまうのだろうか・・・




「ここにお嬢さんの、アンジェラさんの遺書があります」

 その時ユキコがカバンの中からスヌーピーのイラストのついた古い封筒を取り出した。

「何だと?なぜそんなものを君が持ってるのだ」

「あなたの古い知り合いの一人、ジュイスマール・スウィットナーさんから頂いてきました」

「やっぱりあいつが持ってやがったのか」

「ジュイスマール・スウィットナーさんのことはお忘れではなかったんですね」

「ああ、忘れるものか。私が先物市場で失敗した時の債権者だ。強引極まりないやつでね。アンジェラも死んでしまって一人残されて再起をかけている時にある日家に帰ってみると家財道具一切がなかった。あいつが裁判所の差し押さえの前にその筋の者を雇って私の家じゅうの金目のものを持ち去ったんだ。私が仕事で再起を果たしたら開けてくれということで未開封だった、死期の迫ったアンジェラの遺言状も金庫ごと運ばれてしまったというわけさ。あいつはそんなものは知らないと言い張っていたが」

 ユキコは頷いた。

「あなたのことを親会社の新聞社のニューヨーク支局で調べてもらったんです。今回のこの事件は日本の中小企業の特許戦略を変えていくかもしれない事件なので、私が記者をやっている雑誌で特集を組む予定です。その取材の一環としてニューヨークであなたのネタを拾っているうちにジュイスマール・スウィットナーさんの名前が出たんです。たまたま彼に取材した経験のした記者がいたのでこんな資料に行き当たりました。」

 シャイロックは微かに震える手でユキコから遺言状を受け取った。

「未開封です。私もどんなことが書かれているのかは知りません。でもきっとあなたに必要なことが書いてあると思うんです。シャイロックさんとはまだ短いおつきあいですけど、私も堀木くんもあなたが時々見せる狂気が入り混じったようなあなたの非情さは本当のあなたじゃないと思っているんです。」

 堀木が頷きながら言葉を次ぐ。

「あなたはお嬢さんの運命を変えられなかった自分、高額の手術を受けさせてやる気とができなかった自分を、自分でも気がつかないほどに罰し続けているんだと思います。ご自分ではわからなくても、僕たちを仲間と認めてくれたあなたが時折見せる闇、あなたの何とも言えない深い人間的な魅力の影の部分があなたを誰も止ることのできない悪魔の空売り王にしてしまう。」

 再びユキコが言葉を引き継ぐ。

「きっと今のシャイロックさんに必要なことが書いてあると思うんです。そして私たち全員にも。ここにいる私たち全員が、今の自分とそうありたい自分の間で引き裂かれそうになってます。理想と現実の間で引き裂かれようとしています。シャイロックさんはそれをお金で埋め行く事を私と堀木くんに勧めました。」

シャイロックは静かに頷いた。

「空、そうありたいと手を伸ばす未来を強引に支配するんだとあなたは教えてくれました。そして将来の富を今この手に強引に引き摺り下ろすことでそれが具体的に可能になると。でもそれは、アンジェラさんを救えなかった自分が許せなかったあなたが作り出した、もしかするとアンジェラさんも望んでいなかった方法なんじゃないんでしょうか」

 シャイロックはかすかに笑って封書に目を落とし、そっと指でそれを開封した。




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パパ。久しぶりだね。

これを読んでいるということは、
パパはまた昔のパパみたいに大きなお金を動かす
自信満々のパパに戻っているんだと思います。

体には気をつけてね。


最近よく夢を見るの。

もうすぐ死んじゃうのに夢を見るなんておかしいでしょ。

それはね、夢から醒めた夢なんだ。

楽しい夢。

でもね

すぐに醒めちゃうんだ

ああ、夢だったんだってがっかりするんだ

でもまたすぐに楽しい夢が始まる。

あたしは悲しかったことを忘れてまたそれに夢中になるの

でも・・・

またそれがすぐに夢だって分かっちゃう

そしてだんだん、夢が始める瞬間に、
あ、これはどうせ夢なんだって思っちゃうの

そしてどの夢も全然楽しくなくなっちゃって、退屈な夢だけが永遠に続くの

醒めない夢

覚めても覚めても醒めないトンネルみたいな夢なんだ。



あたしは大好きなパパがどんなお仕事をしているのかとても知りたかった。

大人にならないとわからないとってもむずかしいお仕事みたい。

でもアンジェラは少し想像してみました。

パパのお仕事は、夢の中にあるのだと思いました。
そして次から次へ人に夢を見させ続けるお仕事。

株式というパパの商売道具は未来の幸せのための切符だって、
いつかパパはそう言ってたよね。

すばらしいお仕事だと思います。

今ない夢の世界に連れていってくれる切符を売る仕事



でもさ、パパのお仕事はそこまでで、
その夢を具体的に完成させることは他の人がやるんだよね。

だからパパ、怒らないでね。

パパのお仕事はきっと次々と醒めない夢を見るのと似てると思う。

夢が終わりそうになると、また次の夢をパパが用意する。

でも、パパは永遠に夢の中にいても、
その夢を本当に生きることはないんじゃないかな。


時々は夢から醒めてパパがその切符を持って列車に乗ってってみてください。

今生きている人生を楽しんでみてください。

パパがお仕事がうまく行かなくて、
アンジェラと一緒にいてくれた時のパパは、
あたしがそれまで知っていたパパとは全然違ってたよ。

それまでのパパはとってもかっこ良かったけど
どこか現実の世界にはいないみたいだった。

生意気言ってごめんなさい。


それと・・・

パパは自分がお仕事がうまく行かなかったから
ママと離婚することになったと思ってたみたいだけど、
それは違うんだよ。

ママは醒めない夢を見続けるようになって
どんどんどんどんお金持ちになっていったパパについていけなくなったんだよ。

これはママにから直接聞いた話だから間違いないよ。

ないしょなんだけどね

でももう、あたしもこの世にはいない。

あたしからママにいつか謝っておくね。


さよなら

大好きなパパ


アンジェラより

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「金融ビジネスは醒めない夢か」

 しばらくたってからシャイロックが深いため息と共に言葉を発した。






「夜夢みることができないから昼間夢を見るんだ」


 ユキコの言葉に、堀木、堀木の父親、シャイロックが反応する。


 「堀木くんのお父さんの言葉です。

 来る日も来る日も旋盤やフライス盤を触って、夜は疲れてぐっすり眠って夢を見る暇もない。でも昼間自分自身のその手触りの中で新しい技術を仲間たちと作っていく。とても地味でシャイロックさんのお仕事のような派手な夢はないかもしれません。そして仮に宇宙ロケットという夢があったとしてもその根幹技術を作った当の堀木製作所の社長はロケットの夢よりも旋盤の手触りや機械油の確かさを優先すると言っています。



 ユキコは深呼吸をしてシャイロックと堀木製作所社長を見た。

 でもお二人の夢って本当に別の夢なんでしょうか。」


 シャイロックと堀木製作所社長は顔を見合わせる。先ほどまでとは違ってなにかお互い接点を探ろうとしている眼だ。




「まだ時間がある。一番最良の方法を探してみませんか。私もどうやら強引すぎたようです。」

 シャイロックが堀木製作所社長に語りかける。

 堀木の父親は渋々、しかししっかりとシャイロックの目を見て頷いた。

「私もちょっと言い過ぎました。私も従業員もロケットの夢がこのまま日の目を見ることなく野ざらしになっているのは嫌やったし、いつかは日々の現実だけが永遠に続くだけではない仕事がしたかった」


 堀木とユキコは頷きあった。


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同日夕方東大阪市商工会議所内プレスルーム記者発表



堀木製作所はこれまで通り松上電器産業に製品を供給し、特許の売却を含む特許の独自活用戦略を破棄。

同時にシャイロックはインターネットベンチャー企業ソーシャルスマッシュに対する20億1600万円のデッドエクイティスワップを実施。会社の借金を株式に振り替えることでソーシャルスマッシュはシャイロックの100%支配下となった。

堀木はソーシャルスマッシュのオーナーの座から降りることとなったが、引き続き代表取締役として職務を果たす。

 堀木個人に対する債務は株式に転換されて消滅したのだった。




 ソーシャルスマッシュの定款が再度書き換えられた。

 登記所で閲覧すると、東大阪にあるソーシャルスマッシュ株式会社定款にはこう記されている。

「宇宙開発事業における技術開発及び次世代への職人の基盤技術継承、および開かれた特許戦略コンサルティング」



 堀木製作所はこれまで通り無振動シェーバーを供給し、シャイロックの20億の資本で技術ベンチャー企業ソーシャルスマッシュ株式会社が堀木の父の特許をベースにした宇宙開発事業を行うこととなったのだった。





 【追記】

 それから半年後、ビジネス書で久々のミリオンセラーが書店の平積みになっていた。

 岸田由紀子 著『東大阪からロケットを飛ばす。~下町の技術屋とニューヨークの金融屋のコラボ』

 表紙のソーシャルスマッシュ代表取締役堀木武雄のすこしはにかんだ笑顔が印象的な本だった。



シャイロックのいた風景 完


17
最終更新日 : 2012-01-07 23:49:53

奥付



シャイロックのいた風景


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著者 : tweetyukky
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/tweetyukky/profile


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最終更新日 : 2012-01-11 14:56:22

この本の内容は以上です。


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