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販売価格1,500円(税込)
『覚りの境地』 』 『 『観』 』 『 『功徳』 』 『 『信仰』 』 『 『仏道の真実』 』 を購入した方は 1,000円(税込)
カテゴリー 小説・ノンフィクション ノンフィクション 作者 SRKWブッダ
価格 1,500円(税込)
『覚りの境地』 』 『 『観』 』 『 『功徳』 』 『 『信仰』 』 『 『仏道の真実』 』 を購入した方は 1,000円(税込)
タグ 仏道仏教解脱阿羅漢長老ニルヴァーナ
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状態 完成 ページ数 30ページ (Web閲覧)
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 人は、覚って仏となることができる。あるいは、阿羅漢となり、また長老となる。それぞれの違いは、解脱の違いである。と言うのは、解脱には三つあるからである。それらは、慧解脱、身解脱、および心解脱と呼ばれる。

 本書は、実体験にもとづき、解脱の真実を明かしたものである。解脱はどのように訪れるか。解脱の瞬間には何が起こるか。そもそも、解脱とは何か。解脱した人はどうなるのか。 本書は、すべてを記した。

 本書を著した一つの動機は、余りにも解脱を果たす修行者が少ないことである。この千年間で言えば、解脱を果たした人が数人いるかどうかというほど稀である。このため、解脱は一種恐ろしいもの、危険性があるものという誤った考えも見られるようになった。そこで、解脱の真相について人々に知らせたいと思った。解脱は、危険性も、恐ろしいことも何もないからである。実際には、人は栄えと楽しみとともに解脱を果たすことになるのである。

 安らぎを求める人は、本書を読んで解脱の真相を知り、さらに精進する心を起してほしい。 「読者登録」・「手紙」歓迎します。


【おしらせ】

 ホームページ『覚りの境地』(→ http://www.geocities.jp/srkw_buddha)の涼風通信のパスワードは、本書の目次の次のページに最新版が記載されています。

コメント一覧

『特殊な感動』のお話が面白かったです。『刀』と『串』のお話が面白かったです。この「面白かった」という表現は、可笑しいとか楽しいとかそういう意図ではありません。とても深く、静かに考えさせられた、智慧を喚起させられる面白さという意図で書きました。
kanabunn : 2014-07-27 16:00:23

 衆生を観ずるというのは、自分が衆生であることを観ずることではなく(その必要はなく)、純粋に、衆生とは何かを観ずることに他ならない。  断じれば、衆生は愚かであるということに尽きる。しかしながら、そのような(究極の)衆生を目の前にしたとき、彼に対して慈悲喜捨の心を起こすならば、観(=止観)は完成を見る。そのように観が行われたとき、観は正しく行われたのであると認められる。  この道に、「それでよい」などということは言えない。覚りの道は、最初から最後まで各自のことがらだからである。道は自ら見い出し、しかもその道が正しいものでなければならず、さらに正しく歩まなければならない。 ***
SRKWブッダ : 2012-10-21 15:37:39

ありがとうございます。 わたしはつい凶悪な無差別殺人の犯人も世俗的成功者や人格者といわれている人間も同列に悲惨であると観じてしまいます。 衆生が衆生に操られている流れにおいて私となんら変わるところがないと。 「観」なるものにおいて、いったいどちらのどの程度の自覚を持った衆生を想定すべきであるのか疑問でしたのでお尋ねしました。 『観ずべきは(究極の?)愚者である。』ならば、世俗的に操られる私を延長拡大誇張するだけです。『それを押しとどめて、そんなことは微塵もないと思わせるだけのこと』を本来のわたしであるべき心で観ずるという理解でよろしいでしょうか?
bon : 2012-10-21 11:34:05

 衆生を外に完成させるとは、衆生の真のすがたを観において想起してその本質を見極めることを意味している。この見極められるべき衆生とは、最も悲惨な人のすがたであり、それが衆生に他ならない。したがって、この見極められるべき衆生が世間において幸福感を感じていることはあり得ないこととなる。(もちろん、現実には幸福感を感じている衆生は多く存在しているであろうが、それは完成されていない衆生と位置づけられ、ある意味では現実的にはもっとも衆生らしい典型的な衆生である。しかしながら、この典型的な衆生は単に能天気な衆生に過ぎず、衆生の真のすがたを示すものではない。馬鹿と愚者の違いのようなものである。もちろん、観ずべきは愚者である。)  この観において見極められるべき衆生は、自分が悲惨な状態にあることを感知しつつある。それを押しとどめて、そんなことは微塵もないと思わせるだけのことを観の実践者は為さなければならない。そうでなければ、衆生は完成せず、観もまた完成しないからである。 ***
SRKWブッダ : 2012-10-20 13:37:52

>衆生を外に完成させるとは、衆生の真のすがたを観において想起し、... ------<以下これに関する質問>------ それは、その衆生が世俗的な意味においての究極に達したと。人格を陶冶しどのような艱難辛苦にも耐え忍ぶ一方、社会的成功も納めて「自分を救って欲しいなどとは夢にも思っていない」状態のことをさしますか? つまりたとえそうであっても、仏の眼からみれば「あまりにも悲惨な境遇にあって、かつ余りにも無知であるために、自分自身が悲惨な境遇にあることさえ認識していない」衆生を架空設定すると。 「」内はSRWKブッダさんの文章よりの引用です。
bon : 2012-10-19 10:20:54

>衆生を外に完成させるとは、衆生の真のすがたを観において想起し、 それは、その衆生が世俗的な意味においての究極に達したと。人格を陶冶しどのような艱難辛苦にも耐え忍ぶ一方、社会的成功も納めて「自分を救って欲しいなどとは夢にも思っていない」状態のことをさしますか? つまりたとえそうであっても、仏の眼からみれば「あまりにも悲惨な境遇にあって、かつ余りにも無知であるために、自分自身が悲惨な境遇にあることさえ認識していない」衆生を架空設定すると。 ※「」内はSRWKブッダさんの文章よりの引用です。
bon : 2012-10-19 10:17:44

さらに、外なる衆生(へつらわない衆生)は、──SRKWブッダの公案「医師と患者の公案」を解くことによって完全に理解することができるでしょう。 ***
SRKWブッダ : 2012-02-17 19:05:57

また、維摩経に曰く、── 直き心はすなわち菩薩の浄土である。 菩薩が仏になったときに、へつらわない衆生がやって来てその国に生まれるであろう。 (中略) このように菩薩はその直き心をおこしたのに随って、その行いをおこし、その行いをおこしたのに随って深い願いをおこし、その深い願いをおこしたのに随って意(こころ)をととのえ、意(こころ)をととのえたのに随って説かれたとおりに行い、説かれたとおりに行ずるのに随って功徳を廻向し、その廻向するのに随って方便あり、その方便がおこるのに随って衆生を完成し、衆生を完成するのに随って、その仏国土が浄らかになる。 これが、衆生の外なる完成を示しています。
SRKWブッダ : 2012-02-17 19:03:24

衆生を外に完成させるとは、衆生の真のすがたを観において想起し、その完成にしたがい、智慧が出現するというものです。曰く、衆生を見た修行者はただちに仏を見る。 衆生を内に完成させるとは、自分のことを省みて、自分がまさしく衆生であり、それゆえに苦悩していることを認知すること。主に、人間関係について想いを馳せ、それから逃げるのではなく、しかも離脱を願う心を起こすこと。具体的には、仏に親近(しんごん)すること。仏国土に憧れを抱くこと。少なくとも、自分はそこに生きたいと決心すること、がそれにあたります。 ***
SRKWブッダ : 2012-02-17 18:54:55

本稿にある「衆生を外に完成させる道」あるいは「衆生を内に完成させる道」の具体的意味がわかりません。衆生をどのようにする道なのか?ということですが。 『覚りの境地』の「一つの修行法」の章での[平等観]の下りを読んでもいまひとつしっくりしませんのでご教示お願いします。
bon : 2012-02-17 18:11:08

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