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「祥太、いつまで起きてるの?」

――何だよ。
階下から聞こえる声に苛立ちながら時計を見た。
まだ十二時じゃないか。

「明日はテストでしょ? 勉強しないのなら早く寝なさい」

うるさいなあ。いつものように満点をとれば文句ないだろ?
母の声を無視しながらパソコンに映し出されたオンラインゲームの画面に目をやる。

「祥太、明日テストなの?」
「まだ寝ないだろ? これからボス戦だしお前が抜けたら勝てねーから寝るなよ?」
「俺もテストなんだよ。うちの親もうるせーんだよね。無視してっけどさ」

 モニターの中の仲間達の声がスピーカーから聞こえてくる。

「もちろん、寝るわけないじゃん。うちの親って古いからさ。馬鹿だよな、マジ旧人類って感じ

 マイクに向かって愚痴をこぼす。

「年寄りはオンラインペディアが使えないからさ。妬んでんだよな。俺たちを」
「違いねえ。あはは」


 オンラインペディアというのはネットワーク上に構築された百科事典だ。
小さなことから大きなことまで文字通りあらゆる事象が世界中のユーザーによって執筆されてい

る。その情報量は紙メディアに印刷した場合、その体積が地球100万個分に相当するというから

半端ない。
 それこそ「新宿区西新宿三丁目に住む山田太郎さんの昨日の夕食」と言ったものまで検索可能

なほどだ。

 その膨大な情報量の秘密は執筆の容易さにある。
 執筆といってもキーボードに向かって入力する必要はない。
 オンラインペディアの登録ユーザーが脳内に思い浮かべたことは体内に埋め込まれたICチップ

を通じて自動的に言語化され、アップロードされる。
 情報のダウンロードも同様で、探したい情報を思い浮かべるだけで簡単にダウンロード出来る


 ICチップを埋め込んでいない人間のほうが少ないこの現代社会において、オンラインペディア

の存在は事実上、世界中の人間の脳内を共有しているようなもので、オンラインペディアが発明

された2031年を未来世紀元年と称するべきだとする声もちらほらある。

 現在、世界の人口100億人のうち70億人ほどがオンラインペディアの登録ユーザーであるが、

残りの30億の人たちは発展途上国の人たちか、母さんのような「時代に取り残されたかわいそう

な年寄りたち」だけだ。

 母さんが学生だった頃は、学力テストの前は教科書を必死に暗記したというけれど、僕たちに

言わせればそんなの時間と労力の無駄遣いさ。

 僕たちは知識を共有出来る。
オンラインペディアにアクセスすれば教科書の数十倍、数百倍専門的な知識が簡単に得られるの

だ。くだらない情報の暗記に時間や手間をかけるのなんて、バカのやることさ。


 時計に目をやると、もう三時だ。
眠くはないが、そろそろ休むか。寝不足は体に良くないしな。

 寝不足――寝足りないさま。睡眠不足。頭痛、めまい、倦怠感などの症状が現れることがある

 ついつい意識してしまった「寝不足」という言葉に反応し、「寝不足」の項目がオンラインペ

ディアから脳内に流れ込んでくる。

 さて、あいつらに挨拶するか。
 
「俺はそろそろ落ちるわ」
「おう、今日は助かったわ」
「おやすー」

 仲間たちと挨拶を交わし、オンラインゲームからログオフする。
もちろんこれも脳内で念じるだけで勝手にICチップが命令を送り、電源を落としてくれる。

 ベッドに横になり、何となく教科書を開く。僕は明日のテスト範囲なんて知らない。
覚えておく必要がないからだ。
 だって、ほら……
オンラインペディアから「2044年7月3日――つまり明日の●●中学校期末テストの内容」を参照

する。

 それだけで明日のテスト内容が全て流れ込んでくる。
 相変わらずの担任のセキュリティ意識の低さに苦笑する。
オンラインペディアを利用してるなら覚えておかないと。
流出させたくない情報は脳波ロックをかけなくちゃいけないんだぜ、先生。

 軽くテスト内容をなぞってみたが、全科目の問題も解答も全てオンラインペディアで照会可能

だった。これなら明日も余裕で満点がとれそうだ。

 ――親も先生も、時代に取り残された連中はかわいそうだな。
僕はふっと笑い、やがて眠りについた。


「祥太、起きなさい!」

 親に叩き起こされ、ゆっくりと布団から起き上がる。
もう八時か。個人の体質にあわせてパターンを変えてくれるデジタルアラームが数回鳴ったはず

だが、気付かずに寝過ごしてしまったようだ。

 僕は朝に弱いので、早起きだけは自力でやらないといけない。
あくびをしながら着替え、出かける。

「早く! テストでしょ! 遅刻しないように急ぎなさい」

 はいはい、わかりました。
うるさいなあ。これだから旧人類は。僕は遅刻しないんですよ~。

 玄関を出て、オンラインペディアで学校までの地図を参照する。
道路の混雑情報がGPSで取得され、安全で早い理想的な経路図が脳内にダウンロードできるのだ

 今日は国道が渋滞しているようだ。国道が使えないとなると、僕の平均移動速度と信号の変更

時間が計算され、脳内に流れ込んできた。
 今日は家を出てまず右か。
予想到着時刻は八時二十七分……余裕だな、三分余る。

 僕は、ゆっくりと歩を進めた。
近くの県道の信号を渡ろうとした時に、目の前でワゴン車が曲がり切れず壁に突っ込んだ。

 なんてこった。急いでいる時に……
仕方ない、今の事故もデータに含めてもう一度新しい経路を算出しよう。


 再びオンラインペディアにアクセスする。
これですぐに新しい経路が……


 ……あれ?

ダウンロードされない。
おかしいな、こんなはずは。

 何度オンラインペディアにアクセスを試みても、いつものように情報が返ってきてくれない。

故障か? どうして……?

 ICチップの定期メンテナンスはした……はず。
じゃあ、先週プールに遊びに行った時、防水処理をし忘れたのか?
 それとも……

 ……駄目だ、何も思い出せない、自分の最近の行動に問題がなかったか、オンラインペディア

で調べよう。

 僕は脳内で故障に繋がりそうな心当たりを思い浮かべ、オンラインペディアにアクセスしよう

とした……が、アクセス出来ないので当然データは戻って来ない。

 初めてオンラインペディアを使ったのは小学校低学年の頃だったか?
それとも高学年の頃だったか?
 いつから使っているのかもオンラインペディアにアクセス出来ない以上思い出せないが、僕は

人生の大半をオンラインペディアと一緒に過ごしてきた。

だから、そこにアクセス出来ない状況はとてつもない不安を駆り立てた。

 どうして? どうして繋がらないんだ?
僕は、どうやって学校に行けばいいんだ?

――学校? 学校って何だ?
僕はどうしてそこに行かなくちゃいけないんだ?



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