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 五つになるまでわたしたち家族は栃木の奥まった土地に住んでて、まだ新しい住宅街は周りを畑に囲まれてた。荒れ地に降り立った住宅街型UFOみたいな場所。少し離れたところに葬儀場があって、白と灰色のきれいな建物だった。
 母に質問したことがある。どうして命あるものが死んで、命のないものが死なないのか。五つだった。あるいは四つ。母もそのときのことは覚えていて、なにも答えられずにいた理由を「あんたが怖かった」と説明するけど、その問いの答えは簡単で、命が消えることが死ぬことだから。
 霊柩車が出発する前に鳥籠から白い鳩を何羽か解き放つことがあった。鳩たちは集団で上空を目指し、地上で目を細める人たちに見せつけるように、まだ低い位置でぐるりと円を描いてから、もう一段高いところ目指して羽ばたいた。霊柩車がクラクションを響かせると人々の目線はそちらに引っ張られる。鳩たちはいつのまにか空からいなくなる。
 ジョン・ウーの映画で鳩が舞うたびに光太郎はくすくす笑った。わたしは目を逸らした。
 どうってことない。どうってことない。
 そんなやり方、どこまで通用したっけ?
 ある時点まではどんなしくじりも別の何かに変えてこれた。悔しくて頑張るとか、同じ間違いは犯さないとか。
 いくつになっても「どうってことない」とつぶやき、だけどそれが指し示す方角は太陽みたいにじりじり移動して、そのうち暗くなって何も見えなくなる。
 彼がもういないことも、どうってことないんだっけ。わたし、いま、いくつだっけ。

 深夜の小学校を照らす月は薄い雲に隠れてもやもやした輪郭で、明るいのは明るいけど校庭に影はない。むしろぜんぶ影。ライトは熟睡、校舎も息を潜めるみたいに真っ暗。
「ここで頭打ったんです」
 木造アスレチックに松さんを導いて、自分の工作を褒めてほしがる子どもみたいに紹介した。ずいぶん縮んでしまったアスレチックに登って、座った。松さんも隣に来た。わたしはその場に寝転がった。薄雲は天にべったり張り付いたみたいに動かない。生温い風が、わたしを撫でていく。
「僕も横になっていいですか」
「許可なんていらないよお」
 変な声。仰向けになると変な声。松さんは音もたてず横になる。わたしは体の向きを変えて、彼にキスした。あー、やっちゃった。どこかに適当な理由が浮いてないかと目を動かしたけどなんにもない。松さんは松さんで驚いたふうですらなくて、あれ? とわたしは思った。いま、キスしたかな、それともこれからするのかな。わからなくて、唇を押しつけた。不器用にパラパラ漫画をめくるときみたいに、いくつかの場面が飛び飛びに見えては消え、彼から離れた。
 わたしは立ち上がり、「もう一回打てば戻るかも」と言った。
「どうしたんですか」松さんが上半身を起こしてわたしを見上げた。
「このロープにもう一回座ってみます。そして頭打ちます!」
「なに言ってるんですか、そんな、危ないですよ」言いながら、松さんも立ち上がった。わたしは丸太の上へ、太いロープを掴んで踏み出した。
「危ないですよ、やめてください」
「平気平気」
「頭打ってどうなるんですか」
「元に戻るんです。ここで頭打ったあのときに戻って、まともな頭でやりなおすー」
「待って」
 松さんに手をつかまれ、足場の確かなところへ引き戻された。
「頭を打つのは本当に、本当に危ないんです。見た目にわからなくても、取り返しのつかない事態に陥ることだってあるんです」
「そんな、大袈裟ですよ」
「大袈裟じゃありません、地獄ですよ、そういう人を僕は知ってる。だから、そんな」
「松さんともここでお別れです。わたし、子どもに戻るんで。ちょっとさびしいけど、もしかしてまた二十年後とかにこうして会うかもしれないですよね。今度はもっとシャンとした女になってるんで、どうか惚れてやってください」
「ちょっと酔ってるだけですよ、すこし醒まして」
「えー、素面ですよ。だから、ね、もう離してください」
 振り解こうとすると、松さんは全部の力を一点に集中するように、わたしを握る手に強く力を込めた。
「いったいたいたいたい」
 いくら喚いても、松さんは離そうとしなかった。痛いってば! 離してよ! どれだけ言っても聞き入れてもらえなくて、わたしはとうとう叫んだ。
 光太郎!
 あ、と思った。景色が、水飛沫みたいにパンと跳ねあがった。体が軽かった。光太郎の顔が浮かんで、だけどそれは頭の後ろ、目には見えないところに浮かんでるのが感じられるだけで、体の向きがぐるんと変わっても光太郎の顔は夜中の太陽みたいに隠れっぱなしで、どこかを強く引っ張られる感じがして、その先に松さんが壊れちゃいそうな表情でいるのが見えて、おかしくて、わたしは笑った。笑いながら、松さんといっしょに落ちた。

「時計の修理工になるんです」
 はやくあの子が修理工になって、世界中の時計という時計を直してくれないかな。そしたらきっと、わたしも直してもらえる。長く大変な修行期間を乗り越えて大人になったあの男の子は、こう訊くだろう。どこまで戻しますか?
 あれは、いつだったろう。わたしが頭を打ったのは。

ー了ー

この本の内容は以上です。


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