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おことわり

「スティーブズ/ストーリーズ」に含まれる作品はすべてフィクションであり、実在の人物、団体、キャラクター、事件などとは一切関係ありません。
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地平線の先まで見る目がありながら行く方法を知らない

地平線の先まで見る目がありながら行く方法を知らない
 
 オーラが目に見えるなんてことがあるだろうか。暗闇の中にあらわれた男の周囲にはゆらゆらと青白いものがたちのぼっている。細身の身体をダブルのダークスーツにつつみ、蝶ネクタイを軽く直しながら悠然と舞台の中央にむかう。ひとを動揺させずにはおかないそのまなざしを暗いホールの中に向け、眉を上げた。息をひそめて男を見つめる人々がいることを理解している。スポットライトがしぼられ、男はまるで宙に浮いているかのようだ。男は、スティーブ・ジョブズは、色白のおもてにうっすらと笑みを浮かべた。
「待たせたな!」
 どっと歓声が上がった。
 1984年1月、アップル社の年次株主総会はデアンザ大学で開催された。この一年間というものAppleⅡ【注1】で業界のリーダーだったアップル社が画期的な新製品を開発しているという噂がシリコンバレーから発信され続けた。業界もパソコン雑誌もその話題でもちきりとなり、この日、ホールは期待に満ちたアップル社のファンで埋め尽くされた。
 ジョブズは手をあげて観衆を制すると語り始めた。
「ずっと昔のことだ。IBMがゼログラフィーって技術を知ったのは。いつでも買えたんだ、会社ごとな。でもできなかった。そしてお前らも知っている会社ゼロックスが生まれた。IBMは煮え切らねえブタみたいにこのことを後悔してる」
 かすかな笑いとIBMに対するブーイング。
「IBMは十年後に同じことをやった。DECがミニコンをこの業界に持ち込んだときのことだ。IBMが無視し続けているうちに、何億ドルっていうマーケットになっちまった。こんどはキーキー叫ぶカラスのように後悔してるだろう」
 また笑い。
「また10年たった。こんどは何が起きた?そうさ。オレたちがAppleⅡを作った!」
 ◆
 フリップフロップ。フリップフロップ。論理が男の頭の中を駆け巡る。1975年のアメリカのどこか。たった一人の男の頭の中にだけあるもの。フリップフロップ。そしていつか世界を変えるもの。サーキット。メモリー。インターフェース。
 男はせわしなく手を動かしている。手元にはうすく小さな板のようなものが置いてあり、その上に小さな部品が無数に並んでいる。部品に銅線をハンダ付けしたり、ソケットを使ってつないでいくためのボードを基板という。男はその基板の上にのちに「パーソナルコンピュータ」と呼ばれるものの原型を作り上げていた【注2】。男の作業を見つめるのは、長髪でクールな目つきのスティーブ・ジョブズだった。
「なあウォズ。コンピュータとして動かすためにはあと何が必要なんだ?」
 はじめてジョブズに気付いたかのようにウォズ、スティーブ・ウォズニアクは顔を上げた。心優しいテディ・ベアのような柔和な細い目をヒゲに埋めたウォズはジョーク好きでスポーツも得意だったが、なぜか他人と話すことが苦手だった。さらに不思議なことに他人と衝突ばかりしているジョブズとは気があった。
「キーボードつなぐだよ。あとテレビをつなげば使えるだな」【注3】
「メモリはSRAMなんだな」
「ん、んだ。でも最近DRAMってのが出たんで使ってみただよ。こっちの方がずっといいだ。メモリが大きければBASICも動くだよ」
 SRAMはコンピュータ用のメモリの一種だ。シンプルで高速だが、容量を大きくするのが難しい。DRAMは回路がやや複雑になるが、逆に大容量化が容易という特徴がある。容量が大きければより複雑なプログラムを動作させられる。この頃「複雑なプログラム」と言えばBASIC。ウォズは自分のパーソナルコンピュータでBASICが使えるようにしたいと思っていた。【注4】
「使ってみたって簡単に言うな」
「だ、だども」
「あー分かったって。で、どこのチップなんだ?」
「AMIなんだな」
「どこだよ、それは。メモリならインテルだろ、イ・ン・テ・ル」
「だ、だども」
「……」
「た、確かにインテルのDRAMは小さくて素晴らしいだ。でも高くてオラにはとても買えないだよ。あ、なんで小さいといいかというと、チップの数より実装面積が……」
 最後まできかずにジョブズは立ち上がった。上着をひっつかむと、ウォズに声をかける。
「行くぞ」
「……どこ行くだ?」
「決まってるだろ。インテルだ」
「だ、だども」
「い・く・ぞ」
 インテルのセールスマネージャはつまらなそうにジョブズの話をきいた。床も天井も壁も真っ白なインテルのロビー(「手術室かよ」とジョブズは毒づいた)。糊のきいたワイシャツとピンストライプのスーツ。話を聞き終わると細巻きのシガーに火をつけて、ふっとジョブズの顔に吹きかけた。隣でウォズが身を縮めている。
「ほほう。するとおぼっちゃまがたの素晴らしい道楽に付き合うと我が栄光のインテル社もおこぼれにあずかれると。そういうありがたい話ですかな」
「ケチくさいこというな。おまえらのつまらんチップにウォズが命を吹き込もうって話さ。さっさと持って来るんだな」
 セールスマネージャはいきなり立ち上がるとジョブズの胸ぐらをつかんで引き起こした。
「いいか小僧」シガーを床にはき捨てる。「ここはお前のようなやつが来るところじゃない。ここはビジネスの世界だ。ヒッピーの道楽じゃないんだよ。マリファナで頭がいかれてんならどこかのコミューンでお花でも育ててろ」
 ジョブズは顔色ひとつ変えず口をひらく。
「きさまは小物かもしれんが、小物には小物の役割ってものがある。ここにDRAMを持ってくればオレたちの革命にちょっとした貢献ができる。お前のクソみたいな人生でそんなチャンスは一回だけだ。よく考えろ」
 セールスマネージャはしばらくジョブズを睨んでいたが、ゆっくりと手を離すと近くの電話をとりあげた。
「オレだ。ジョーを呼んでくれ」
 受話器を叩きつけると、そのまま黙りこむ。ジョブズも何も言わない。沈黙に耐えかねてウォズが口を開いた。
「ぽ、ポーランドの古いジョークにこういうのがあるだ」
「黙ってろ!」二人から同時に言われてウォズはますます小さくなる。
 ロビーに一人の男がやってきた。よれよれのボタンダウンで、胸のポケットに何本ものペンを指している。髪やヒゲの様子からみてあまり衛生には注意を払っていないようだ。
「ああジョー、こいつらにDRAMをいるだけくれてやれ」
「DRAMだって。そんなもの欲しがるやつを初めて見たな」
「オレたちのDRAMがあるとこいつらのクソみたいな屑が、ちょっとした屑になるんだとよ」
 ジョーは髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回すと言った。
「そりゃ協力しないといけないね」
 帰り道ウォズは興奮してた。両手をふりまわして叫ぶ。
「ジョブズ、すごいだな!インテルのDRAMをただで手に入れちまっただよ!」
「ウォズ。誰にも負けないマシンをつくるんだ。お前のマシンを見たやつが全員もらしちまうようなクソ最高のやつだ。それでそいつを売りまくろう。オレたちの会社を作るんだ」
 ジョブズは例の眼でウォズをみつめる。
「だ、だども……」
「さっきのセリフじゃないが、こんなチャンスは二度とないんだ。自分の会社をもって世界を変えるチャンスなんてな」
 ジョブズは完成品のパーソナルコンピュータを売ることを考えていた。当時のパーソナルコンピュータはバラバラの部品として売られていて、使いたいユーザは自分で組み立ていた。当然電子工作マニアが主なターゲットだった。それじゃダメだ。完全な製品としてのパーソナルコンピュータを作り、そして売る。これがジョブズのビジョンだった。ウォズが入力装置としてキーボード、出力としてテレビをつなげるようにしたことがジョブズにインスピレーションを与えた。パーソナルコンピュータとは、性能や機能ではなく世界とひとの関わりあいなのだと。
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奥付



スティーブズ/ストーリーズ


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著者 : ma2
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/ma256/profile

表紙 : うめ(小沢高広、妹尾朝子)

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