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 息子が、

 「父の日のプレゼントはなにがいい?」

  ときくから、

 「そりゃ大きくて、丸くて、張りのあるのがいい」

 と答えてやった。

 息子は目を丸くして、マジマジと私を見つめた。

 「ママ、なに言ってんの!父の日だよ」

 「だからチチの日」

 私は自分の薄い胸を指差す。

 しばらく怪訝そうに、目をキョトンとしていた息子は、やがて、

 「ヒョウキンだなあ、ママは」

 と口をイッパイに開けて、無邪気に笑った。そんな笑顔に接すると、ほんとうにこの子の母親で良かったなあと思う。

 「チチはチチでも乳じゃなくて、お父さんの父だよ」

 そんなことわかってるわよ、と私も笑顔を返す。

 「お父さんと言っても、ママはシングルママだから、あなたにお父さんはいないのよ」

 息子は寂しそうに俯く。

 長い睫の影が、私の母性愛をくすぐる。この子のためならなんでもしてあげたい、と鼻の奥がツンとしてくる。

 「そうだ!」

 と両手を打ち鳴らした息子の顔が、パッと明るくなった。

 「父の日にはママに、お父さんをプレゼントしてあげよう~」

 やだこの子はなに言ってるのよう。思わず頬が熱くなる。

 「ママ、どんなお父さんがいい?」

 そりゃ、頭が良くて、ハンサムで、優しくて、背が高くて、お金があって、と言いかけて、慌てて首をふり、

 「あなたがいいと思うお父さんでいいわよ。あなたが大好きになりそうなお父さん」

 「ほんとにそれでいいの?」

 「いいのよ、それで。そしたら3人で仲良く暮らしましょうね」

 「うん、わかった。じゃ、ぼく探してくるね。ママが喜ぶような素敵なお父さんを探してくるね」

 息子は元気よく家を飛び出していった。

 気をつけて行くのよう、とその弾みに弾んでいる後姿を見送りながら、私は思う。

 5月5日の子供の日に、息子はこの家に現れた。

 それから1週間ほどあとの母の日に、息子へのプレゼントとして私は贈られてきた。

 今度は父の日の番だ。

 きっと、親子3人の、つつましいけど暖かい家庭ができるだろう。

 だが、とそこで私の微笑みは凍りつく。

 9月が来るのが怖い。

 9月の敬老の日に、意地の悪い姑が、ポンと贈りつけられてくるかもしれないのだ。

 了


息を止めて

 夫の息が止まった。といって、死んだわけではない。いわゆる睡眠時無呼吸と称するものだ。

 窓のカーテンをビリビリ震わすほどの、喉奥の蓋だか膜だかの激しい振動がピタリとやみ、そら怖ろしいほどの静寂が寝室を支配する。

 私は、1、2、3……と密かに胸の中で数え始める。このまま止まったままだったらどうしようという不安と、ままならままでいいという期待がちょっぴりで、胸がドキドキしてくる。

 でも、40ほど数えると、喉がひっくり返るような、鼻の粘膜が引き剥がされるような、クシャミを巻き戻したらこんな音かというような音があがり、静寂は破られる。

 苦しそうに顔を歪め、首を激しくふる姿に、よく首から上がもげないものだと思う。

 そして再び荒い寝息から、盛大な鼾の洪水。

 私は目を瞑り、ひたすら眠ることに努める。以前だったら眠れなくて苛々していたものだが、この頃はそんなこともなくなった。

 「あなた、寝てるとき時々、息が止まることがあるわよ。一度病院に行ったら」

 と、忠告してやったことがあるが、返ってきたのは、うるさそうなフンという笑い鼻と、ギョロッとした怖い目だけだった。

 それ以来私はもうそのことに触れないことにした。いつも不機嫌なのは熟睡できないせい、とわかっていても、そのとばっちりを受けるのはもうたくさんだった。

 それで夫の寿命が縮まっても、私の知ったことじゃない。

 また夫の息が止まった。

 私はもう一度数を数え始める。1、2、3……。胸を押さえ、息を詰めて念じる。そのまま、そのまま。11、12、13……。夫の息が止まっている間に私は眠ってしまうのだ。

 そのまま、そのまま。静寂のまま。私は更に息を詰めて念じる。そのままずっと静かに大人しくしていてね。21、22、23……。そう、そう、その調子。

 そうすると、甘美な睡魔が私を包み込み、喪服姿の、私ではないような美しい私が目に浮かび、夫の若い部下たちの熱い視線を感じ、やがて私は至福の眠りの底に落ちて行く。

 翌朝、夫は歯ブラシを口に突っ込んだまま、モゴモゴとまだ半分眠っているようなのんびりした声で言った。

 「お前も、寝てるとき、呼吸が止まるなあ」


ミキちゃん

 ミキちゃんは酒が入ると、妙に色っぽくなって、

 「ねえ、専務」

 なんて斜めはすかいに下から見上げられると、背中がぞくっとしてくる。

 「専務みたいな人と一緒になりたかったな」

 「おいおい、なに言いだす。そんなに飲んでないのに酔っ払っちゃったのか」

 「酔ってなんかいませんよ~。酔ってこんなこと言うもんですか」

 長い睫毛をしばたたかせて、口を尖らせる。透明感のある白い肌がほのかに染まり、そんな顔を近づけられると、私にはまったくその気はないのに、吸い寄せられそうになる。

 「じゃ、悪い冗談だ」

 「冗談なもんですか。専務が総務部の部長で、私が配属になったころから、ずっと専務のこと好きだったんだから」

 「バカなことを言うんじゃないの」

 「バカですよ~。私はどうせバカですよ~」

 盛大に身をよじらせる。私が呆れて黙っていると、

 「あ、また若い子みたいに拗ねてる、なんて思ってるんだ。似合わないですよ、どうせ。もう三十なんだから」

 「年の問題じゃない」

 「専務は還暦で、年の差は三十。問題ないですよねえ」

 言っていることがムチャクチャだ。

 「もういい加減に切り上げて、家に帰りなさい。明日君は結婚式を挙げる身だよ」

 ミキちゃん、大げさに天を仰いだ。

 「あ~、やだやだ。結婚なんかしたくない~」

 「なにを言ってるの。人も羨む美男美女のカップルのくせに」

 「玉の輿だか、逆玉だかしらないけど、どうせ政略結婚じゃないですか」

 「私は派閥など作らない」

 恨めしげな視線が私を突き刺す。どう言い繕っても、今度のミキちゃんの結婚が、私の地位を強化してくれるのは事実だ。だが、そんな計算だけで、私はこの話を進めたのではない。

 どうみても似合いのカップルで、私の家で開かれた見合いもどきの席から、気が合ったよう。その後の親密な付き合い方からいって、相思相愛だと思っていた。だから進めたのだ。

 ミキちゃんの私に対する思いはうすうす感じてはいたが、親子以上の年の差からいって、まさかまさかだったのだ。

 「専務、せめて今夜一晩だけでも、ダメですかあ」

 目にイッパイ涙を溜めて、迫ってくる。

 「ダメダメダメ」

 「ダメダメダメも好きのうち~」

 「ダメなものはダメ」

 「ダメなものはダメじゃない」

 まいったなあ。なんとしても、早くタクシーに押し込んで、家に帰してやらなくちゃ。

 

 明日私は結婚披露宴の主賓として、こんな挨拶をしなければならない立場なのだ。

  ーー新郎三木義彦君は我が社の次代を担うホープ中のホープでして、私が我が社初の女性重役に就任して以降も……

 

 

 

 

 

 


緊急停車

「線路内に、人が立ち入ったという情報がありましたので、しばらくこの電車は現在位置に緊急停車いたします」

 またかよ。

 このところ毎日のように、どこかの路線で電車が停まる。

 あとちょっとで次の駅に着くというのに。駅にはこの間つかまえた新しい彼女が待っているのだ。

 またアナウンス。

 「どうやら人ではなく、幽霊のようです」

 ん?なんだこの車掌。

 停車している電車のなかで、乗客が退屈しないように、一人芸でもはじめようってのか。

「今朝ほどこの先の踏切で、人身事故がありまして、そのとき死亡した方の幽霊のようです」

 おいおいシャレにならないぞ。

 「お客様のなかに、江崎謙一郎という方はいらっしゃいませんでしょうか」

 俺の名前だ。

 だが、同姓同名、字違いということもある。

 「××市にお住まいの、江崎謙一郎様です」

  いよいよ俺だ。

 「いらっしゃいましたら、至急車掌室までお出でください。幽霊がお会いしたいと言っています」

 なにバカなことを。幽霊に知り合いなどいないぞ。

 「是非ともいらしてください。そうしないと電車発車できません。お願いいたします」

 困ったなあ。みんなにジロジロ見られながら、最後尾の車両に行くなんて、赤っ恥はかきたくない。

 「是非と……、あ、江崎さまですか。よくいらしてくださいました。どうぞどうぞ」

 ほえ~。同姓同名で同じ市に住むやつがいるのか。なにはともあれ、ホッとだな。

 「えっ?違う?この方ではないのですか。こんな年寄りじゃなくて、もっと若くてイケメンですって?あのお客様、お名前を。こりゃご丁寧にご名刺を。は、イザキケンイチロウ。は、は、なんとも。お客様、イザキじゃなくて、エザキでございます。だからエザキだろうって。あの、お客様、お客様はイザキ、お呼びしているのはエザキ。イじゃなくてエなんでございます。だから同じだろうって、あのお客様は東北のほうのお生まれで……」

 こんなときに下手な漫才やってんじゃないよ。みんな、爆笑じゃなくて、失笑じゃないか。

 車掌、しばらくマイクの前でゴシャゴシャやってたと思うと、

 「失礼いたしました。改めてお呼び出しいたします。イじゃなくて、エのほうのエザキ様、どうぞいらしてください。幽霊さんが怒っています」

 幽霊に「さん」つけてやがる。よっぽど怖いんだ。

 「若くて、イケメンで、女ったらしのエザキ様、どうかどうか……」

 ときたら、やっぱり俺だなあ。こりゃ行かなくちゃならないなあ。

 そこまで思ってから、はたと気づいた。いつも気づくのが遅いのが、俺の欠点だ。

 幽霊のやつ、あいつかもしれない。

 2週間ほど前に捨てた女だ。

 車掌が、幽霊を男とも女とも言わないから、わからなかったのだ。

 別れ際女は、電車に飛び込んで死んでやる、などとほざいていた。

 やれるものならやってみろ、と俺は啖呵を切って、プイっと後ろ向いてカッコよく去っていったのだが、ホントにやっちまったんだ。

 そうとなったら、車掌室に行くなんてとんでもない。

 シカとシカと、知らん顔を決め込もう。

 周りの連中、誰も、俺がそのエザキだなんて、わかりゃしないんだ。

 「エザキ様、江崎さま、いらっしゃいませんか!」

 いらっしゃません、いらっしゃいません。俺は目をつぶって、寝たふりをした。

 「エザキさま~!わっ、幽霊さん、そんな怖い目で睨まないでくださいな。絶対に乗っているはずだ。来ないのはおまえのアナウンスが下手なせいだ。そんな、そんな、ムチャクチャ言わないで。エザキさま~!エザキ!」

 うるさいなあ、あんまり叫ぶと喉がつぶれるぞ。

 「エザキさ……、えっ、あと3分で来なかったら、私を呪い殺す。そんなそんな、私だって家に帰れば、女房一人に、子どもが3人もいるんですから…エザキさま~、お願いお願いお願い~!」

 知らない知らない知らない~。

「来て来て来て、来てくださ~い、エザキさ~ん」

 泣いてやがる。

 それにしても暑い。車掌のやつ、逆上して冷房を切ったな。酸素不足だ。息苦しいぞ。

 

「たいへんお待たせいたしました。安全が確認されしだいまもなく電車発車いたします。江崎様はとうとう現れませんでしたが、いまさっき幽霊さん急に、もう用件はすんだと言って、ニコニコしながら消えていきました。なにがなんだかわかりませんが、ともあれこの電車まもなく……、ん?なんだって?……まったく~、今日は仏滅かあ、13日の金曜日かあ……、あっ、タイヘン失礼いたしました。いま、車内に急病人が発生したという知らせが入りました。次の駅で搬送いたしますので、重ね重ねご迷惑をおかけいたしますが、この電車、次の駅でしばらく停車いたします……えっ?急病じゃなくて、重病……、もう息をしていない…………」


エコ呼吸

 えっ、なにをやってるんだって?ああ、なんか苦しそうにみえるんですね。

 いえいえ、具合などちっとも悪くありませんよ。

 エコ呼吸ですよ。エコは、いま流行りのエコのエコね。

 スッスッスッハ。これですよ。

 三回吸って、一回吐く。

 これやると、呼吸のときの二酸化炭素排出量が3分の1になるんです。

 あなたも、地球温暖化防止のためにやってみませんか。

 信じられない。眉唾ものだ。ごもっとも、ごもっとも。

 でも、ダメモトと思って、やってみてください。そのうち効果が出ます。

 一日数回でもいいのです。

 スッスッスッハと一日数回。これだけでいいんです。簡単でしょ。

 はい、ご一緒にスッスッスッハ。そうですそうです。スッスッスッハスッスッスッハ、なんか気持ちいいでしょ。

 それじゃ先を急ぎますので、失礼しますね。

 なにせ、これを全世界に広げるつもりなんで、忙しいのです。

 世界中の人がやれば、地球温暖化を阻止できるのです。

 ではでは、ごきげんよう。

 こんなことをペラペラ喋って、男が私の前から去って、もう1カ月たつ。

 でも、スッスッスッハとやってる人を見たことがない。

 こんなアホなことをやる物好きなどいないのだろう。

 かく言う私……、

 実はやっている。でも、恥ずかしいので人前ではやらない。こっそりと隠れてやっている。

 食前食後にスッスッスッハ、小便大便スッスッスッハ、寝る前起きぬけスッスッスッハ。

 やると妙に気持ちいい。

 地球温暖化防止に貢献していると思うと、なおさら気持ちいい。

 あなたもしてみません?

 えっ、あなたも家でこっそり。

 そうですかそうですか、あなたも私と同じですか。

 じゃ、一緒にやりましょう。

 スッスッスッハスッスッスッハスッスッスッハ。

 この3回連続がいちばん気持ちいいんですよね。

 5回がいい?  ほうほう。

 スッスッスッハスッスッスッハスッスッスッハスッスッスッハスッスッスッハ

 なるほどなるほど、あまりの気持ちよさにクラクラしますな。

 えっ、そこの二人なにやってるんだって?ああ、なんか苦しそうにみえるんですね。

 いえいえ、具合などちっとも……。



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