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エコ呼吸

 えっ、なにをやってるんだって?ああ、なんか苦しそうにみえるんですね。

 いえいえ、具合などちっとも悪くありませんよ。

 エコ呼吸ですよ。エコは、いま流行りのエコのエコね。

 スッスッスッハ。これですよ。

 三回吸って、一回吐く。

 これやると、呼吸のときの二酸化炭素排出量が3分の1になるんです。

 あなたも、地球温暖化防止のためにやってみませんか。

 信じられない。眉唾ものだ。ごもっとも、ごもっとも。

 でも、ダメモトと思って、やってみてください。そのうち効果が出ます。

 一日数回でもいいのです。

 スッスッスッハと一日数回。これだけでいいんです。簡単でしょ。

 はい、ご一緒にスッスッスッハ。そうですそうです。スッスッスッハスッスッスッハ、なんか気持ちいいでしょ。

 それじゃ先を急ぎますので、失礼しますね。

 なにせ、これを全世界に広げるつもりなんで、忙しいのです。

 世界中の人がやれば、地球温暖化を阻止できるのです。

 ではでは、ごきげんよう。

 こんなことをペラペラ喋って、男が私の前から去って、もう1カ月たつ。

 でも、スッスッスッハとやってる人を見たことがない。

 こんなアホなことをやる物好きなどいないのだろう。

 かく言う私……、

 実はやっている。でも、恥ずかしいので人前ではやらない。こっそりと隠れてやっている。

 食前食後にスッスッスッハ、小便大便スッスッスッハ、寝る前起きぬけスッスッスッハ。

 やると妙に気持ちいい。

 地球温暖化防止に貢献していると思うと、なおさら気持ちいい。

 あなたもしてみません?

 えっ、あなたも家でこっそり。

 そうですかそうですか、あなたも私と同じですか。

 じゃ、一緒にやりましょう。

 スッスッスッハスッスッスッハスッスッスッハ。

 この3回連続がいちばん気持ちいいんですよね。

 5回がいい?  ほうほう。

 スッスッスッハスッスッスッハスッスッスッハスッスッスッハスッスッスッハ

 なるほどなるほど、あまりの気持ちよさにクラクラしますな。

 えっ、そこの二人なにやってるんだって?ああ、なんか苦しそうにみえるんですね。

 いえいえ、具合などちっとも……。


自分探しの旅

 たしかさっきまでいたはずの『自分』がいなくなってしまった。

 『自分』を失うと困るので、探す旅に出た。

 『自分』恋しやホウヤレホ、と歌いながら行くと、川に出た。

 お爺さんが洗濯をしていた。

 「ぼくの『自分』を見掛けませんでしたか」

 お爺さんは訝しげな目をした。

 「はて?このところずっと、誰の『自分』も見てないよ」

 「お爺さんの『自分』も見てないのですか」

 「そんなもんこの年になって、あるもんかね」

 「お婆さんはどうしてるんです?」

 「ずいぶん前に『自分』を探すと言って、家を出て行ったきりさ」

 

 『自分』恋しやホウヤレホ、とまた歌いながら行くと、草原に出た。

 ちがうお爺さんが、枯れ木の上で灰を撒いていた。

 「ぼくの『自分』を見掛けませんでしたか」

 お爺さんは灰が入ったのだろうか、目をやたらこすった。

 「わしも『自分』が小さくなってしまったから、いまこの木に新しい『自分』を咲かせようとしているところだ」

 「咲きますかね?」

 「咲くとも咲くとも。おまえさんは自分探し、わしは自分咲かし」

 どこのお爺さんも、寒いダジャレがお好きなようだ。

 

 『自分』恋しやホウヤレホ、とズンズン行くと、畑に出た。

 今度もお爺さんがいて、畑を掘っていた。

 「ぼくの『自分』を見掛けませんでしたか」

 お爺さんは、ぼくをギョロッと睨んだ。

 「おまえも探しているのか」

 「はい、もう長いこと」

 「わしは、たしかこの辺に埋めておいたはずと思って、掘り起こしているところだ」

 「ぼくのも埋まっているでしょうか」

 「他人の家の土地に埋めてはいかん。自分の家の土地に埋めなさい」

 自分の家の土地と言っても、ぼくはアパート暮らしだから、持っていないのだ。

 

 『自分』恋しやホウヤレホ、とずっとずっと行くと、海に出た。どうやら世界の果てのようだった。

 ここで見つからなかったら、もう『自分』はどこにもいないのだ。

 海のほうから、またまたお爺さんがあがってきた。

 大きなツヅラを肩に背負っていた。

 「ぼくの『自分』を見掛けませんでしたか」

 お爺さんの細い目がニッコリ笑った。

 「『自分』なら背中のツヅラにイッパイ入っているよ。鬼が島から取り返してきたんだ」

 「わっ、ぼくのもあるでしょうか」

 「わからんねえ。探してみるか」

 お爺さんは、ツヅラをよっこらしょとおろし、南京錠をはずして蓋を開けた。

 白い煙がモクモクとあがった。

 

 なんだかどっとくたびれてしまったので、家に帰ることにした。

 玄関のドアを開けると、『自分』はとっくに戻っていて、座布団に胡坐をかいて、ちゃっかりイッパイやっていた。

 『自分』の髪の毛はすっかり白くなっていた。


ほくろ

  

 妻が亡くなって五日たつ。

 私は白い布に包まれた骨壷に手を合わせた。線香を立て、チーンと鐘を鳴らすと、骨壷から湯気のようなものが立ち昇り、妻の朧な姿が現れた。

 妻は咎めるような目で私を睨んだ。生前もきつい性格だったが、死後はさらにひどくなったようだ。毎晩現れては私を責める。

 「あなた、私を殺した犯人はまだ見つからないの!」

 「見つけたよ、やっと」

 私はおどおどと答えた。妻の尻の下で過ごした長い年月が、私をかなり卑屈にしていた。

 妻の顔がいっぺんに晴れやかになった。ジェットコースターのように感情の起伏の激しい女なのだ。

 「へ~、あなたみたいに無能な人がよくやれたわね」

 「なんとかね」

 生きているあいだ、何度無能と罵られたろう。死んでからまでバカにされたら堪ったものじゃない。さすがに頭にカチンときたが、じっと我慢した。

 「でも、警察なんかに突き出さないでね。必ず敵を討つのよ」

 「わかってるよ。でも、間違いだと困るからもう一度確認するよ。君は犯人の顔を直接見ていないんだね」

 「ええ、居間でテレビ見てたとき、いきなり後ろから首を絞められたんで見てないわ。でも、絞められる寸前に、窓のガラスに映る犯人の顔をチラッと見たのよ。死んでも忘れないわ」

 「頬に大きなほくろのある男だね」

 「ええ、まん丸い顔の左の頬にそれは大きなほくろ」

 「左で間違いないね」

 「窓ガラスが夜で鏡の状態だったから、逆さまに映ってたのよね。見たとき右にあったから左よ」

 「よし、間違いない、あの男だ」

 頬のほくろという特徴だけで、この広い大都会に見つけ出すのは至難の技だった。しかし、執念というのだろうか、昨日とうとう隣町のA銀行××支店のATMの前で見つけたのだ。

 私は勢い込んで立ち上がった。

 「行くの?だいじょうぶ?」

 「胸ポケットに、一日半かかって先を磨いたアイスピックがある。これで一気に心臓を突き刺してやるさ」

 「頼もしいわあ」

 妻はうっとりとした目で私を見た。生きている間は一度もしたことのない目だ。手遅れじゃなくて、こういうのを目遅れとでも言うのだろうか。

 機嫌よく消えていった妻を見送って、私は男の家に向かった。隣町の、古ぼけたアパートに住んでいることは、昨日そっと尾行したのでわかっていた。

 駅からアパートにいたる、人通りのほとんどない路地で男を待ち伏せた。両端が黒くなった蛍光灯の街灯が、頼りなくその足元を照らしている。

 男はほろ酔い気分でやってきた。男が街灯の下に来たとき、私は姿をあらわし、おいっと声をかけた。

 ぼんやりとこちらを見た目が、すぐに驚愕の目に転じた。その目で私は確信した。こいつだ!こいつに違いない。

 「あんたは……」

 と男が言い終わらぬうちに私はアイスピックを突き出した。

 思いのほか簡単にズボっと突き刺さった。

 地面に転がった男はニ三度痙攣した後、ピクリとも動かなくなった。

 私は男の顔を覗き込んだ。

 左ではなく、右の頬に大きなほくろがあった。

 妻が見たら、人違いよとヒステリックに叫ぶにちがいない。だが、私は満足の吐息を漏らした。

 背広のポケットから一枚の紙切れをとりだして破いた。この男が匿名で四日前書いてよこしたものだった。それにはこう書かれてあった。

 

  ーーお前がお前の女房を、後ろから首を絞めて殺すところを、俺は、窓の外から一部始終見ていた。五百万円をA銀行××支店の口座に振り込め。さもないと、このことを警察に告げるーー


奥付



男と女の迷い道


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著者 : いちべえ
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