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理沙のお店の呼び鈴を鳴らす俊介

  六月のある日、理沙は写真の袋を整理していた。するとカウンターの方から、呼び鈴を鳴らす音が響いてきた。ふと顔を上げた瞬間、

「俊介です」

  とその来店者は、微笑みながら理沙が待ち焦がれていた名前を言った。その声の響き、その明るいかんばせに、理沙は一気に胸が踊るようだった。

  茶色のジャケット、白ワイシャツにシンプルな赤いネクタイが眩しい。ショルダーバックには、カメラでも入っているのだろうか、肩にベルトが食い込んで重たそうに見える。身長が中学時代のころと比べて、とても高くなっていたのに理沙はまず驚いた。そして、奇跡のような再会に、幾つもの思いを封印しながら、努めて理沙は明るく言った。

「あーお久しぶりです。俊介君本当におとなっぽくなったね。元気にしていましたか?」

「妻から聞いてびっくりしたよ。こんな近くで仕事をしているなんて。しかも中学の時も美人だったけど、大人になって増々磨きがかかったみたいだね」

「お上手ですね。世間の風に揉まれているのかしら?」

  二人は顔を見合わせて笑い出した。

  俊介はすでに理沙が知り尽くしている、住んでいるアパートの場所と、新橋にある農業機械関係の新聞社で、記者をやっていることを告げてきた。

「会社の側にも行きつけの写真屋さんがあるんだけど、『ひまわり写真店』は家の近くだし、焼けるのが早そうだから持って来たよ。スムーズにいくんだったら、これからもちょくちょくお願いしようかな」

  と言った。

  現像するためにフイルムを受け取って袋に入れ、伝票の控えを俊介に渡した。理沙はさっきより胸の高まりの激しさに驚き、正直な心の中の俊介に対する思いが増幅されていくのが判った。中学時代の二年の時、許婚の人がいるということを知ったショックで、好きだという本当のことが言えず沖縄に引っ越し、その後また父の転勤で東京に出てきたら俊介に逢えるなんて。苦しくても基本はすっかりあきらめようと思っていたのに、逢うと何故か理沙の気持ちは抑えようがなく、再会の感激と過度な緊張感は体を貫くようだった。それでも勇気を振り絞って、

「中学時代、私が沖縄に引っ越していく時、俊介君は何にも言ってくれなかったよね・・・・・・」

  と理沙がつぶやいた。すると俊介は困った顔になり、

「僕は君に嫌われていたようだったし・・・・・・」

  理沙は思ってもみなかった意外な言葉に、中学時代の自分の振る舞いを思い返してみた。そういえば、許婚のことを聞いてから、ショックで俊介とまともに会話をしていなかったような気がする。そして、彼の許婚の事実について、本人に確認する勇気もなく、引っ越してしまったから、俊介はきっと自分のとった態度にそう思ったのかなと考えたが、再会したばかりなのでそこまで深く聞けなかった。ただ、その許婚の話は、親しかった同級生の和夫君から聞いた話なのである。数か月前にこの店に来た俊介の奥様は、その許婚かもしれないから、理沙は確かめてみたい気もした。けれど、その勇気が出てこなかったのである。今は胸の中に、そっとしまっておこうと理沙は思った。だから、あたり障りのない言葉になってしまった。

「この間来店された奥さまは素敵な方ですね?」

  すると意外な言葉が返って来た。

「僕、今ピンチなんだ。妻が出て行くかもしれない。多分別れることになるんだ・・・・・・」

  理沙は彼の苦しみの気持ちが溢れる言葉の響きに、胸が張り裂けそうになった。それでも次の瞬間には、相手の弱みに付け込むような考えが浮かんだ自分に、一層驚いて恥じた。

「嘘でしょう。この間お会いした奥様は、本当に優しそうな綺麗な方で、貴男と映った写真を楽しそうに見ていたのに・・・・・・」

  俊介は理沙のその言葉に顔を一瞬ゆがめ、何も言い返そうとはしなかった。悲哀のこもった表情が理沙の目に入った。二人の間には重い沈黙の時間が流れた。たった数秒なのかもしれないが、とてつもなく長い時間のようにも思えた。しかし、相手の俊介がそれでも意志の力で戻したのだろうか、微笑が顔全体に広がった。名刺とボールペンを内ポケットから出して、名刺の余白に住所を書き添えた。紙を擦るペンの音が理沙の神経を揺さぶっていく。

「今日は久しぶりに逢えて嬉しかった。過去のいろいろな思い出が、今の自分を少し癒してくれたような気がするよ。僕の会社の名刺と自宅の住所と電話番号です」

  そう俊介は告げると、名残惜しそうな表情をしたまま振り返ると帰って行った。理沙は俊介に再会した時からの心臓の鼓動がまだ収まらなかった。事務処理は後回しにして、俊介の会社の住所に手紙を書き始めた。

『今日、私のお店に来ていただき、ありがとうございました。俊介君と再会できて本当に嬉しい一日でした。もっと色々お話をしたかったのですが、おかまいできなくてごめんなさい。ですので、今度差し支えなければお茶して、ゆっくり話をしたいのですが、是非遠慮なくお誘いくださいね・・・・・・』

  理沙は自分の大胆な言葉に吃驚したが、一度っきりの人生、勇気を出さないと何も始まらないと、何かが吹っ切れたようにさわやかな気持ちになっていた。そして、お店のすぐ近くにあるポストに、軽い足取りで手紙を投函しに行った。 


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奥付


隣の席は初恋のマドンナ


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著者 : 三輪たかし
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