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目次

 

 

電将短歌

駒とおむすびとペンギン  浮島

駒.zoneガールズ 序章  欠片食器

七割未満(八)  清水らくは

詰将棋の創作過程について  會場健大

駒.zoneの作り方(2)  清水らくは

将棋短歌  どっともっと・落波

駒.zoneガールズ 第一章  欠片食器

あとがき

作者紹介

 

 

 


電将短歌

人ト電脳ハ再会シ、年ノ瀬ヲ共ニ過ゴシタ。

 

 

 

 

 

 

 繰リ返サレル局面ハ、二人ガ二人デアル証ナノカ。


 

 

 

 

 

 

 結論ハ別ノ道ヲ辿リ、二ツノ星ハ巡リ巡ッテイル。


歴史ハ紡ガレ続ケテイル。


駒とおむすびとペンギン

駒とおむすびとペンギン(将棋短歌編)

 


 

 


将棋短歌という無茶な作品形式を見切り発車ではじめてから随分時がたったような気がする。
思えば色んな歌が駒.zone誌上に登場してきた。
ぼくは将棋に関しては素人で、将棋ファンの多くの人から怒られてしまうようなミーハー層の人間だ。
けれど短歌のほうはそれなりに変なこだわりがある。


そこでぼくは
「将棋短歌とは一体何?」
というどうしようもないちゃぶ台返しの疑問をいまさら考えたのだ。


それは短歌を短歌たらしめている装置とは何かというくらいくだらない疑問だけれど
今回はすこしでもその疑問をはぐらかす答えを見つけたいと思い筆を執った。


将棋短歌とはなんなんだ。

 

 

「月曜9時の将棋短歌」


艶やかな駒の音色の響くとき長い黒髪はらりと落ちる(しむしむ)


団体戦止まぬ震えを押し込めて一、二の、三で銀をつまんだ(落波)


冬囲い余映の盤上外見やりあなたの気持しらず穴熊(どっともっと)

 

一首の裏にある種の物語がある歌というのがある。
共通の特徴として歌の背後にドラマがあって、それに歌が立脚している。
この場合「わたし」の存在はどこへ行った?だとか
リアリティとそうでないものの境界とは?なんていう話が気になるのだ。


たとえば


団体戦止まぬ震えを押し込めて一、二の、三で銀をつまんだ(落波)


というこの歌は「棒銀」をテーマにしたときに詠まれた作品だ。
プロ棋士の名前を素材に使っている以上、背後にあるドラマが確実に存在していると考えていい。
歌の背後に物語があるが、これはおそらくフィクションだ。
ここでの「わたし」は感情移入する存在か、もしくはただの傍観者になっている。
まるでテレビの向こう側の世界だ。脚本家と役者の視点の違いかもしれない。


艶やかな駒の音色の響くとき長い黒髪はらりと落ちる(しむしむ)

 

「わたし」は女性の髪の毛が落ちるのを見つめている。
一本一本がしだれる映像を主人公、もしくはディスプレイの外から眺めているような感覚だ。
こちらはもしや実景かもしれないが、女性の指し手の背後の文脈を読者は考えてしまう。
実際に女流棋士のこういった一つのしぐさを垣間見たのかもしれないけれど
興味が向くのはいずれにせよその背景になってくる。
将棋がどこか近いようで遠い、遠いようで近い。


ではこのタイプの歌を詠む人にとっての将棋とは一体何なのだろうか。
将棋は短歌の中で小説化していく。
いや、むしろ元々本人の中で小説化していた将棋が短歌の中で顕在化するだけなのかもしれない。
距離感のある「現実」が語られていて、リアリティが完全に心的なものになっているのだ。

 


「人生が何とか詰まないように哲学する棋譜」

 

人はいつ直進するのを諦めて右銀までも近くに置くの(落波)


コンピュータだから強くて当然と言うなら教えろ「だから」の根拠を(いっくん)


わたくしとあなたの角を交換し始まる日々を勝負と呼べり(こでまり)


短歌の背後にドラマがある場合もあれば、短歌自体が概念的なものもある。


コンピュータだから強くて当然と言うなら教えろ「だから」の根拠を(いっくん)

 

先ほどとは違い将棋自体が一種の問題提起になっている。
たしかに将棋というものは色々な問題をプレイヤーに呈示してくれる。
一つの定跡が生まれるためには多くの研究が必要だし、検証や実践が欠かせない。


きっと将棋自体が巨大なブラックボックスなのだ。
その問題は人生の視点にも拡大する。


人はいつ直進するのを諦めて右銀までも近くに置くの(落波)


これは棒銀を詠んだ歌で駒.zoneでも初期の作品だ。


「なぜ」


を呈示するために将棋が短歌になっている。


将棋とは一体何なのかという問題はおそらく尽きることがない水源だろう。
折々に人はそれぞれモデルを定義する。


わたくしとあなたの角を交換し始まる日々を勝負と呼べり(こでまり)


角交換から始まる日々が勝負、というのも中々うるおいのある火花である。
ここではコミュニケーションが勝負になってしまっている。
そもそも人のコミュニケーションは明示的な意図のある情報の送信と
それを受信して解釈する一連の工程が支えている。


角交換を誘う発信と
角交換を受ける受信と


その二つがふっと匂う感じがする。これが将棋だってよオクサン、ともすれば吐息が互いにかかりそうな距離感じゃないか。


これらのタイプの歌には、将棋という問題に対する答えを定義する際に自分がにじんでくる。
どうやら人は将棋をしばしば考えるらしい。しかも勝負とは別の次元で。
これもまた独特の距離感だ。
将棋とは何かを短歌という枠を通して定義しなおしている。
将棋とは何なんですか? あなたの意見をお聞かせください。

 


「ハローCQ ハロー角交換そしてグッバイ死んでいった棒銀たち」


棒アイス三本目の甘ったるさで相入玉を宣言できない(落波)


ゆっくりと棋譜を並べるそれだけで天野宗歩に会いに行ける(跳馬)


滝を止め鰻重頬張りチョコ食べて讃美歌歌うひふみんのうた(茶虎)


将棋のあるあるネタやなるほどなぁというネタを題材にする歌もある。
ここでの将棋はコミュニケーション枠に似ている。
特に棋士の話題が多い。
メッセージは時間を隔ててコミュニケーションをするものだ。
あるあるネタや時事ネタというものは鮮度が命である。


棒アイス三本目の甘ったるさで相入玉を宣言できない(落波)


この歌のように夏の、しかも一人の棋士のネタに絞る詠み方もある。
鮮度が時間とともに風化していって、通じなくなるはかなさというのは
時事詠の宿命であるが、ひ○み先生の記憶は色あせない。将棋短歌の○ふみん率高し。
その心意気、プライスレス。


将棋話がある種のコミュニケーションツールであるのは私もなんとなく感じていた。
それは趣味としても、言ってしまえば専門家としてもさして珍しい事ではないだろう。
将棋のある日常とでもいえばいいだろうか。
ただわたしたちの発した言葉には二種類があってその場ですぐに消えていってしまうものもあれば生涯にわたって傷を作るような声もある。


ゆっくりと棋譜を並べるそれだけで天野宗歩に会いに行ける(跳馬)


時間にあまり限定されていないというか、瓶の中に手紙を書いたようなものだというか。
そのような時間感覚の自由さがこの歌にはある。
おそらく十年後に将棋の好きな誰かが読んだとしても
「ああ、こんなことを思った人がいたのか」
なんて考えることができるはずだ。


それに歌の中で詠み手は天野宗歩に会いに行っている。
棋譜というメッセージを通じて時空を超えて会いに行くことができるというのだ。
すごい壮大なタイムリープだ。
もしもそれが本当ならぼくたちは何人の棋士と対話ができるというのだろう。


「わたしこんなにも将棋が好きなんです」
「まだ負けたくないんだ。負けたくなかったんだ」
「なんであんなに強いんだ」


そういったメッセージが棋譜や将棋短歌から発信されてるのかもしれない。
日常から非日常のレベルまでみんなメッセージを残す。
メッセージには誰かが気付いてくれるはず。
短歌でそれをわざわざ残そうとするのは、いうなれば風船に手紙をつけて飛ばすようなもんなのかもしれない。


わたしと、交換しませんか?


そう思いながら詠まれる歌があってもいい、それはささやかな願いではないだろうか。

 


「呼吸できない将棋の神様」


この橋を振り返らずに渡り切り京の少女はおとなと成りぬ(こでまり)


なつの空はソーダアイスの色、そして空を飛べない香車のお墓(浮島)


象徴としての将棋短歌も存在する。メッセージ式将棋短歌と違い、こちらはあんまし人気がない。
そもそも詩文芸としての象徴性を語ろうとするとひどく面倒くさい。
だってシンボルってなんだ?といわれると何とも説明がしにくいんだもん。
「考えるんじゃない、感じるんだ」と言えばいいだろうか。それもなぁ……。
とりあえずここでは「そうとしか表現できん何か」としておこう。


「あなたの将棋人生を31音の短歌に表現してください」という無茶な要求があったとしよう。
それは何とも無理難題で、普通に考えたら何万首の短歌を詠んだとしても全てを記述する事は出来ない。
それでも自分の中の将棋を表現しようとがんばれば、大体象徴という結論に落ち着く。
「わたしにとっての将棋とは、もうこうとしか表現できんのです」という形で詠むしかない。


この橋を振り返らずに渡り切り京の少女はおとなと成りぬ(こでまり)


京都の渡月橋での風習がこの歌の背骨にある。
数えで十三歳を迎えると子供は橋を振り返らずに渡らなければいけない。
香車って何?という無茶な質問に対して「香車ってこれ」と答えているのがこの短歌だ。


「香車とは女の子みたいなものなの」
「香車は女の子だ」


というのなら比喩の範疇なのだけれど


「香車は渡月橋の、あの女の子としか言いようがない」となると
もはや言い換えとしての機能、つまり比喩の守備範囲を逸脱してしまう。
こんな風に答えられたら読者はもう納得するしかない。降参だ。


そうか。香車ってお砂糖とスパイスと素敵な何かでできているんだな。
……パネェな。萌える。


また象徴のもう一つの特徴として「そうとしか言いようがないから、どう解釈しても要素にしかならない」というのがある。


なつの空はソーダアイスの色、そして空を飛べない香車のお墓(浮島)


自歌自注は野暮の極みだけれど香車って何?という問いに対しての私なりの答えがこの歌だ。
わたしとしてはこうとしか言いようがない。


いただいた歌評では「特攻隊を思い出す」とか「飛行機」という意見があった。
他にはどんなものがあるだろう。空を飛ぶ香車を想像するだろうか。それとも盤面を直進する比喩だと思うだろうか。
香車という生き方への憧れ? 香車への心理的投影?
夢を書いたテストの裏……ぼくはかねもちになりたい?


おそらくどうとでも解釈できてしまうだろう。千人が読めば、千人なりの答えがでてくる。(といいなぁ)


全てを語っているのか、それとも何も語っていないのかは判断が難しいのだけれどとにかく「どう解釈しても要素にしかならない」のだ。


なおかつ面倒なことに作者はまったく無意識的なもんだから
どういう意図を持って作ったのかうまく説明できない。
(場合によっては意識的に狙った!という人もいるかもしれないが、狙ったものが予期せぬ何かを書いてしまっているという恐ろしさは多くの歌詠みが体験する恐怖でもある)


象徴というと難しいけれど、こうとしか言えないんですよね……というと少し贅沢な感じがする。
あなたの全てを受け入れるワガママボディ、それが象徴的将棋短歌なのかもしれません。

 


「しょうぎとわたしの距離」


こうやって振り返ってみると将棋短歌作者と将棋との距離がわかってくる。
ある人はコミュニケーションの枠として、またある人は定義するものとして、それぞれ将棋を短歌で語ろうとする。


実際、私の書いた将棋短歌が象徴性一本やりなのも距離感が関係していると分析していいと思う。
ミーハーな私にとっての将棋はどこか象徴的なものなのだろう。
白いキャンバスだとかロールシャッハテストのようなものなのだきっと。


将棋ファンにもいろいろな形があるけれど、その関わり方の最も正直な告白が将棋短歌なのかもしれない。


将棋短歌を作ると言う文化がもっともっと広がると私はとても楽しい。


いろんな人が「わたしにとっての将棋」を告白している。
それは作られた告白なのかもしれないし、嘘をあえていっているのかもしれない。
けれどそれらはすべて心理的な活動によるものだ。嘘も含めて全体が真実だ。


投了をする度脱皮繰り返しいつかは盤の空をはばたく(落波)


編集長やわたしはどれだけ告白してきたのかわからない。
これはもう恥ずかしいレベルだ。
エゴイズムの塊といわれると弱ってしまう。そうなのかもしれない。そうだ。馬鹿め。
……思えば私も恥の多い人生を送ってきました。
私はいろいろ失格です。


だから私以外の将棋ファン合格の人たち。
あなたにとっての将棋を教えてください。


「沈黙がぼくにはあった朝焼けのりんご畑で作るシードル(浮島題詠:金)」


象徴性と将棋、それなら象徴をおむすびに投影してみてはどうだろう。
という謎の発想跳躍から、そもそもこの企画のおむすびは始まった。


桂馬にはワサビマヨ+たくあん+白ごまというトリッキーな味わいを。
香車には一本義に梅干し+海苔まきを。
銀は銀シャケ(安易!)
角はちょっと角度を変えて料理した焼きおむすび。


ほんと当時の俺のカオス脳を解剖して見たくなる。
焼きおむすびにいたっては写真すら載せていない。


俺は文字書きなんだから文字で勝負するぜ!と息巻いたはいいものの
結局はブログ文体である。文章力なんて俺にはなかった。
短歌書いてる?
短歌にきれいな統語はいらないんだよ! ざんねんだったなチョムスキー!


とりあえず象徴を語ったからには象徴のおバカな面も語りたい。
心理学的にはおそらくおむすびに金イメージを投影する、という作業になる。


わたしが金で連想するのは卵だ。
ふわふわとろとろのオムレツが頭に思い浮かぶ。
コンコンとフライパンの柄を叩く料理人の技術で、少しずつ卵がまるまっていく姿。
感動だ。まさに感動だ。
あんなに殺人的な舌触りの物体が口の中で溶けてしまったら思わず笑みもこぼれようものだ。


人はきっと「おほっ、ほほほほ……」なんて情けない笑い声をあげてしまいながら咀嚼するだろう。
ああっ食べたい。ミルク入りのふわとろプレーンオムレツ。
ぐりとぐらの絵本みたいなの……。


ところでこのオムレツ、おむすびになるかというとそれは難しい。
きっとデロデロにだれた卵汁が米をびしゃびしゃにしてしまうだろう。
手も汚れてしまうし、こちらはちっとも羨ましくない。


実際よくあるのは錦糸卵を作るようなうす焼きの卵焼きを巻いたものだと思う。
あれはあれで、ふんわりと甘くやさしい味がする。
中身の具はおかかだろうか。
それとも佃煮?
いずれにせよ甘しょっぱい味が似合う気がする。
でっとりぼってりした太太しいおむすびではなく
小さい、手毬寿司のような大きさならより美しいだろう。
赤いぷりぷりのイクラがのっかった茶巾寿司もグッドだ。


ああ、その美しさたるやまさに値千金。
金駒を名乗るにふさわしい造形だろう。


……ところで実際、金駒とはなんなのだろう。
私は将棋をプレイすることがほとんどないので例のごとく編集長に聞いてみた。


「使いどころにもよるけれど、飛車と同じくらいに強い感じがする」
「銀は金に比べて今一歩というか、進んだら前に下がれないんだよね。ちょっと残念系なんだ」
「やっぱり、金と銀なら金かなぁ」


という印象らしい。ちなみに彼は銀駒娘のファンである。なぜこうも推しメンの駒娘をけなすのだ。
……もしや釣った魚にえさをやらないタイプなのだろうか。許せん。


たしかに相手を攻めきろうと王手をかけるときなんかは、金があると安心感がぐっと強まるような素人イメージがある。
守る側にしても「あ、金がある」という安心感は素人なら漠然と抱くんじゃないだろうか。


今回、駒娘を描くにあたって若葉さんと私の間では「金は金持ち、ゴージャスならお嬢」という謎のスローガンをかかげていた。
フリルを描きたいだとか、和服フリルは?だとか妄想が爆発した結果があの子です。
フレンチカンカンの衣装を参考にしたり、メリーポピンズの傘だよ!と言ってみたり。


そんな過程をふまえて若葉さんが仕上げてくれたのが前回の金お嬢だった。
謎のお嬢様無敵オーラがでている。
こんな子が盤上で王を守っていたり、敵を追い詰めたりしてるのだとしたら……。
案外イメージ通りの強さなのかもしれない。
今度観戦するときは盤上のお嬢様に注目してみようと思う。


(文章:浮島イラスト:若葉)


次回の駒おむペンのテーマは「飛車」です。
縦横無尽に盤を無双する姿を考えていたら、こんなにもお姉さんなキャラが……!
私たちはなぜ生まれ、どのように生き、そしてどこへ行くと言うのか……。
次回もガンバルヨー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


駒.zoneガールズ 登場人物

 

登場人物

 

歩 Sharp Talon

 

桂馬 Knight Shoes

 

 

 

 

香車 Bard Lance

 

 

 

 

銀 Silver Sword

 

 

 

 

金 Gold Parasol

 

 

 

 

角 Slanting Sickle

 

 

 

 

飛車 Cross Hammer

 

 

 

 

将 Commander

 

天青 Underground Godendag


駒.zoneガールズ 序章

   駒.zoneガールズ 序 「歩の手筋」

欠片食器

 

 

「やぁっ!」

 湖岸沿いの公園。朝日が照らす中、一人の少女が跳んでいた。

 助走をつけて、ジャンプ。大きく伸ばした手は木の枝へと……でも、届かない。

「うーっ!」

 着地して、口をとがらせる少女。再び距離を取り、助走。

 結果は変わらなかった。

「なんでかなぁ」

 首をひねる。そして、木の枝を見上げた。背の高い人ならば届かない高さではないが、少女にとっては随分と高い。

「お姉さまなら簡単なのになぁ」

 くしゃくしゃ、と髪をかきむしる。

 湖面はしーんとしている。木々も、街の全ても、じっと佇んでいた。

 しかし、少女は振り返った。

「誰」

 どこから現れたのかは、わからなかった。それでもそこには、一人の女性が立っていた。

「55地区の歩ね」

 赤いロングスカートに赤白チェックのベスト。顔全体を覆うマスクをしていて、目しか見ることはできなかった。

「そうだよ。ていうか、まずはあなたが名乗りなさいよ」

「……そうね。私は林檎。明日、玉石を手に入れる者よ」

 少女……歩は、さっと身構えた。山猫のような目つきになって、林檎と名乗った女性をにらみつける。長すぎる袖をまくって、拳をあらわにした。

「何地区の人か知らないけど、本番前に喧嘩売ってくるなんてちょっと腹立つ!」

「喧嘩? 本気よ」

 林檎の体が、浮いた。その一歩は大きく、歩のものとは比べ物にならないほど大きく、あっという間に二人の距離は縮まった。

「な、なっ」

「遅い」

 林檎の右膝が、歩の鳩尾を打ち抜いた。少女の体は崩れ落ちる。

「そして、もろい」

「ううっ」

 林檎は次の一撃で仕留めようと、拳を振り上げた。……が、それが振り下ろされることはなかった。

「やめなさい」

 更なる少女が、二人の目の前に現れた。セーラー服に黒いキャスケットを被ったその人は、両手で大きな鎌を抱えていた。

「街中で物騒なことね」

「本気なんでしょ」

「か……角ちゃん……」

 角、と呼ばれた少女は鎌を握り直し、いつでも襲い掛かれるように構えた。その鎌は先端が複雑に加工されており、「角」という字に見えなくもない。

「あなたが角なのね。二人まとめて……と言いたいところだけど、さすがに難しそう」

「そうね。私、強いから」

 林檎は嘆息を漏らすと、今度は後ろに跳んだ。角はそれを追わなかったし、歩はまだ立ち上がることもできずにいた。そして、林檎の姿は消えた。

「大丈夫?」

「ん、いや……えーと、大丈夫じゃない……」

「あのような輩もいる。気を付けないといけない」

「はい……」

 辺りは、完全なる静寂を取り戻した。ただしそれも、つかの間のことに過ぎないのだが。

 

 

「桂馬、まだ寝てたのか。そろそろ起きないと」

「う、うーん。休日だよ……」

「何言ってるんだ。今日は大会じゃないか」

「ああ、そうかぁ」

 桂馬は、目をこすりながらのんびりと起き上った。

「ふあああああぁ。雨で中止にならないかなー」

「もう、何言ってるんだよ。僕だって行きたくないのに」

「だめだよう、お兄ちゃんしか、玉石を使えないんだから」

 お兄ちゃんは、やれやれ、と首を振る。

 二人の兄妹は、色々と文句を言いながらも出かける準備を始めた。兄はコーヒーの豆をひき、飲み物作る。妹はご飯にワサビとマヨネーズを入れ、おにぎりを作る。

「寒いからー、コートを着るよー」

 桂馬は、歌いながら服を着る。寒いと言いながら、ミニスカートにニーソックスであった。そして緑のコートに、ふわふわの耳あて。

「またなんか中途半端だな」

「ズボンだとかっこ悪いって、金ちゃんが、言うから」

「まあ、お嬢様は確かにかっこつけてるな」

 そういう兄は、セーターの上にジャンバーを着て、下もコールテンの長ズボンとばっちりな装備である。

「兄ちゃんは、ダサいなぁ」

「ほっとけ」

 ぼんやりとしていた桂馬だったが、玄関で靴を履く段になると目つきが厳しくなった。緑色の靴を、一所懸命に磨く。

「昨日のうちにやっとけよー」

「昨日もやったよー」

 靴底も丁寧に磨く。ちなみに右足には「桂」、左足には「馬」という文字が書かれていた。

「どうかな、調子は」

「ばっちし」

 靴を履いて、とんとん、とつま先でリズムをとる桂馬。少しだけ、口元が緩んだ。

「じゃあ、出かけようか」

「ほーい」

 玄関を出ると、桂馬は飛び跳ねるようにして前に進んでいく。兄はその少し後を静かに歩く。

「ぶつかるぞ」

「だいじょうぶだー」

 桂馬は二歩進んでは右、二歩進んでは左と、なかなかまっすぐ歩かない。兄は観ていて不安になるのだが、本人は鼻歌など歌っていたりする。

「あ、銀ころりんっ」

「えっ」

 前方に人影を発見して、桂馬の足取りはさらに軽くなった。その一方兄の方は、動きが固くなった。名前を呼ばれて振り返った少女は、小さく手を振っていた。

「ぎーんこーろりーんっ」

「ころりんではないのよ、桂馬ちゃん」

「ぎ、銀ちゃんだ」

「あら、将さん」

「こ、こんにちは」

 将さん、と呼ばれただけで将さんは視界が少し揺らいでいた。

 少し説明しよう。銀ちゃんは黒髪の長い美少女で、チャームポイントは薄い縁のフレームの眼鏡である。背は高く、スタイルも抜群に良い。さらに将のクラスの学級委員長である。

 それはもう、モテて当然である。

「こんにちは。いいタイミングだったみたいね」

「そうですね!」

「銀ころりん、一緒に行くぞー」

「はいはい、ころりんではないからね」

 三人は横一列になって、街の中を歩いていく。道は全てまっすぐで、自動車は走っていない。昼間は歩行者専用なのである。そして、マンション三階の高さを走っているのが都市交通システム、サイドレールだ。この列車は車両の側面にも車輪がついており、両側の壁にあるレールに挟まれるようにして進んでいく。完全にゼロから計画されて造られた都市のため、路線も全て直線で、格子状にサイドレールは走っている。

「緑がいいなー、緑かわいいもん―」

 エレベーターに乗り、三人はホームへ。乗車無料のため、改札もない。

「青も趣があると思うけれど。将さんはどう思う?」

「え、あ、もちろん青がいいよ」

「お兄ちゃんは流されやすいよねー」

 ホームにやって来たのは、紫の車両だった。

「はずれー」

「残念ね」

「まあ、紫もいいじゃないか」

 朝早いということもあり、乗客は少ない。桂馬は立ったまま窓の外の風景を眺めていて、そのために将と銀は隣り合って座ることになった。将の体は板のようにまっすぐになっている。

 五区画進んだところで乗り換え。交差地点の駅では、南北の路線が3.5階、東西の路線が2.5階を走っている。

 今度の車両は黄色だった。

「あー」

「一番嫌いな色よ」

 そこからさらに6区画。76地区、「プリンキピウム前」で三人は下車した。

「みんな来てるかなー」

「この時間なら、飛車ちゃんは確実にまだね」

 三人は、駅からすぐ、大きなドーム型の建物に入っていった。それこそが「プリンキピウム」と呼ばれるものである。かつて人類が最初に降り立った場所と言われ、そこに格闘場が建てられているのだ。

 入り口をくぐり三人が向かったのは施設内の控室。扉を開けると、そこには四人の女性がいた。

「おおぅ、来たね!」

 そう言ったのは小柄な少女、歩。

「待ち合わせ時間ぴったり」

 セーラー服にキャスケット、角。

「幸福の量が少し増したようね。まだ一人遅刻の可能性が存在しているけれど」

 赤いブラウスに緑のチェックのスカート、香車。

「今日は皆さま少し緊張なさっているようですね。私は確実に勝利いたしますので安心していてくださいませ」

 金色の着物に金色の傘、金。

「ふふ、私も確実に勝利だー」

「油断してはいけないわよ」

「桂馬は肝心なところでやられること多いもんなあ」

「ひどいぞー」

 このようにして、55地区のメンバーはいつものように揃った――いつものように、一人を除いて。

 

 

 「テーサウルス・シュトライテ」それが、大会の名であった。何百年と続く伝統があり、何百年と同じ場所で、同じ報酬により行われていた。

 チームは七人一組。対戦チームは事前に決められているが、対戦相手は当日の抽選によって決められる。

「今日の相手はー、25地区かー」

 係員の前に並び、一人一人くじを引いていく。

「あっ、大将……」

 歩が引いたくじには、「大」の文字が。

「あら、くじ運が大変良いのですね」

 そう言う金が引いたのは「七」

「とほほ、だよ」

 大将だからと言って責任が重いわけではないが、対戦場所が特別になる。中継カメラの入る、メインリングとなるのだ。

「歩ちゃんは初めてのメインか」

 将が声をかける。彼は出場しないので、監督兼マネージャーの仕事をしている。

「は、はい」

「大丈夫、最近いい感じだし、いけるよ」

「ありがとうっ」

 そして、六人目の銀がくじを引き終わったところで、大きなカツ、カツ、カツ、という足音が響き渡った。大柄な女性が、息を切らせながら皆の方に駆け寄ってくる。

「Was in time !!」

「姉さん、遅い」

 銀が、少しにらんだ。

「でも、セーフだろ」

「ギリギリなのよね」

「勿論後で適正な謝罪の場を設けるから」

 香車は穏やかな目つきだが、口元は歪んでいる。

「あー、Never mind !」

 最後の一人、大きな十字ハンマーを背負った飛車は、残り一つとなったくじを引いた。もちろん大将ではない。

「それでは、今日も頑張ろう」

 将の掛け声に、七人が手を上げてこたえる。そして、それぞれのリングへと向かっていく。

 その中で、特に足取りの重いものが一人。歩である。

 歩は七人の中で一番若く、一番成績が悪かった。しかも今日はメインリング、中継が入る。無様な試合をしたら、明日学校で何を言われることか。

 廊下を抜け、扉を開ける。

 歩の目前に現れたのは、青いマットの何の変哲もないリングだった。三列にロープが張られ、中には一人のおじさん、レフェリーがいる。ただし、それ以外には誰もいないのが異様だった。テーサウルス・シュトライテには、生で観戦する客はいないのである。そして関係者たちもモニターの向こうにいる。

「くじ運が良かったわ」

 三人目の人間は、扉を開けるなりニヤリと笑った。

 赤いロングスカートに赤白チェックのベスト。そして今度は、マスクはしていない。切れ長の瞳に高い鼻、そして薄い唇。

「お前はっ」

「林檎だ。今日はお姉さんには助けてもらえないぞ、お嬢ちゃん」

「だまし討ちを狙う奴に言われたくないっ」

 レフェリーに促され、二人はリングに入った。

「武器を許可します」

 その声で、二人は武器の覆いを取る。林檎の手には、とげの付いた球状の塊を有するメイス、通称「モルゲンステルン」が握られている。そして歩の右手には四本の鉄の爪が生えていた。「手甲爪」と呼ばれる鉤爪である。

「なに、それ。リーチも短いのに、どうやって攻撃するつもりなのよ」

「見ればわかるっ」

 レフェリーによる二人のボディチェックが終わり、二人はコーナーに下がるよう促された。

 ゴング――のような音が鳴った。作り込まれた電子音である。

「きなよ」

「……」

 林檎はモルゲンステインを構え、舌を出して笑った。歩は動かなかった。

 しばらく、沈黙が続く。お互いに間合いを計っていた。ただし、林檎の方が気が短いのは、誰の目にも明白だった。

 長い脚が踏み出され、モルゲンステインが振り下ろされる。歩は、それをじっと見ていた。

「そこっ」

 歩はギリギリで身をかわし、しゃがみこんだ。そして手甲爪を纏った右手を、思い切り突き上げる。林檎もまた、ぎりぎりでそれをかわした。

 再び、にらみ合う。

 今度は、歩が仕掛けた。体勢を低くして、一気に間合いに入り込む。林檎はカウンターで膝を繰り出す。しかし歩はそれを避けるどころか、その膝めがけて体を預けてきた。読んでいたのだ。

「なにを」

「《焦点の歩》っ」

 歩の右足が、林檎の左足の膝を打つ。林檎はその場に崩れ落ちる。次に右手を振り下ろして仕留めにかかる歩だったが、林檎のモルゲンステインが何とかそれを防いだ。爪が柄に挟まり、歩の攻撃は届かない。

「惜しかった。残念ながら非力だね」

「まだまだっ、《継ぎ歩の手筋》っ」

 歩の左足が、モルゲンステインの鉄球部分を踏み抜く。慌てて体をひねる林檎だったが、鉤爪が頬をえぐった。そして、鮮血が交差する。歩の足からも、血しぶきが上がっていた。

「痛いじゃないか!」

「うわたたたたっ」

 二人は再び距離をとる。歩は左足が地面に着いた瞬間体勢を崩しかけたが、何とか踏ん張った。

「もう少し……持ってっ」

 もう一度、踏み込む歩。そして、モルゲンステインが振り下ろされる。歩は、左右に複雑なステップを踏んでそれを避けた。

「《ダンスの歩》っ」

 まさに踊るような足つき。しかし、林檎はすぐに右膝を突きだしてきた。左足からよろめき、避ける余裕はない。歩は、鉤爪を林檎の脛に突き付けた。勢いは止まらず、後方に吹っ飛ばされる歩の体。しかし、林檎の足からも大量の血が流れていた。お互いに、立てない。

 林檎はロープに手を伸ばし、なんとか這い上がろうとした。しかし、右足を引っ張られ、体を起こせなかった。歩が、必至に足首をつかんでいた。右手にはほとんど力が入らない様子で、ほとんどそえるだけだった。左手一本で、アキレス腱を締め上げる。

「ギブアップしてっ」

「これぐらいでするか!」

 林檎の足首と、歩の手首が悲鳴を上げていた。突き動かしたのは、初勝利への執念――

「どうわぁっ」

 歩は体を倒し、両足を林檎の足に絡ませた。膝十字に固めたのだ。そして右手の甲を、顎で押し込む。爪が、ふくらはぎにめり込む。

「痛いぞこの野郎!」

「だからギブアップ、しなさいっ」

 レフェリーが林檎の顔を覗き込む。苦悶の表情に満ちているが、特定の言葉を漏らすことはなかった。血が滴り辺りを赤く染め、筋のきしむ音が響いた。ついにレフェリーが試合を止めようと手を広げた、その時だった。

「さすが駒ガール、日々進歩している……昨日のうちに仕留めておくべきだった」

 歩は最初、目前に突如として現れたそれが何であるかわからなかった。黒くて大きな、二枚のふわふわとした何か。

「え、ええっ」

 歩の体から、力が抜けていった。

 翼をもった林檎が、ゆっくりと立ち上がり、歩のことを見下ろす。

 

 

 モルゲンステインが、先ほどまでとは比べ物にならない速さで振り下ろされた。

「勝負は決しているようよ、林檎さん」

 身をかがめて、一撃を防ぐ少女。

「銀……ちゃんっ」

「初勝利おめでとう。でも、生きるためには油断は禁物よ」

「は、はいっ」

 銀の刀が、モルゲンステインをはじく。

「そして、この方は何なのかしら。見たところ、ちょっとイレギュラーだけど」

「なんか、変身したというか……」

 しばらくあっけにとられていたレフェリーが、あわててリングを下りた。歩は、よろよろと立ち上がる。

「残念ながら、こちらが私本来の姿。忌々しい人間の姿では戦いにくい」

「よくわからないけれど、戦いは終わったはず」

「いや、今始まったんだよ」

 林檎が、銀に向かって一気に距離を詰める。再び刀で一撃を受け止めようとする銀だったが、予想以上のスピードに体勢が間に合わなかった。ぎりぎり伸びてきた刀は、放物線を描いて飛んで行った。

「しかし、すぐ終わりそうだ」

「こっちっ」

 とどめを刺そうとモルゲンステインを振り上げた林檎を、歩の左拳が襲った。しかし、軽く身をひねってそれをかわす林檎。

「し返しだ」

 腕をつかみ、ワキ固めに捕獲する林檎。容赦なく腕を締め上げる。

「痛いっ」

「私も痛かったよ」

 銀が割って入ろうとするが、歩を突き飛ばした林檎の蹴りが、銀のこめかみを打つ。銀の体は崩れ落ちる。

「もろいな」

 その時、林檎の胸から刃先が生えた。あまりにも素早かったので、貫かれた本人もしばらく気づかなかった。

「え?」

「私たちは、七人いるの」

 背後にいるのは、黒いキャスケットの少女。

「またお前……」

「言ったはず、本気だと」

 林檎の口から鮮血が漏れた。ゆっくりと鎌が抜かれ、林檎の体は支えを失った。

「角ちゃんっ」

「一つ、嘘を言った。七人のうち三人は戦闘不能」

「え、じゃあ……」

「歩のおかげで、チームは勝った」

 歩と銀が立ちあがったところへ、陽気な声が聞こえてくる。

「あら、面白いことは終わってしまったのですわね」

 金色のパラソルをくるくると回しながら近寄ってくるのは、金だ。

「面白くはないのよ」

 銀の眉間にしわが寄っている。金は顔色を変えない。

「確かに、面白くない。こんなところまで来るなんて」

 歩、銀、金が角の顔を凝視する。林檎の翼を見下ろす角の顔は、苦虫をかみつぶしたようだった。

「何か知っていらっしゃるのね。角ちゃんは特殊なことに物知りですものね」

「深いことと言って。これは、使い魔」

「「使い魔?」」

 銀と負の声が重なった。金は相変わらず冷静だ。

「使い魔というからには、使う主がいらっしゃるということね」

「そう。駒ゾーンの外側にいる、悪魔たち」

 角は、ゆっくりとリングを下りた。歩と銀も、首をひねりながらそれに続いた。

 

 

「なんだなんだ、神妙な顔して!」

 大きな声が、控室に響き渡った。声の主である飛車は一番の大けがをしていて、ベッドに寝たままである。

「神妙な話なのよ、飛車ちゃん」

 その横には、銀が付き添っている。本戦では無傷だったのだが、林檎との戦いで捻挫をしていた。テープをまいているが、あと数分もすれば完治するだろう。

「なんか空気が重いぞー、せっかく勝ったのにー」

 桂馬は胸をざっくりと裂かれていた。傷はゆっくりと閉じているところだ。

「余程の事なんですね。厳正なる静寂が必要なようよ、桂馬ちゃん」

「げんせいってなんだー」

 香車は首から肩を負傷していた。骨が陥没していたが、すでにかなり元の形に戻ってきている。

「よし、できた」

 将は、鉤爪を歩に渡す。メンテナンスされ、キレイになっている。

「おーっ!」

「玉石も使ったよ。これで全員の武器に使ったね」

「ついに、揃った」

 角が、ぼそりとつぶやいた。皆が彼女の方を向く。

「説明してくれるね」

 将のまなざしは、やわらかいが厳しかった。悲しんでいるようにも見える。

「もちろん。あの使い魔について……説明する」

 角は、椅子から立ち上がって窓の方に歩み寄った。カーテンを開け、空を見上げる。

「駒ゾーンは、閉鎖された世界。私たちが出ていけないように、外からも入ってこれない。外の世界には、悪魔がいる」

 予想されたとはいえ、想像しがたい存在についての説明に皆の表情が険しくなった。

「でも、例外もある。入ってくる方は、さっきみたいなの。力の弱い使い魔が、人間に化けてくる」

「化けて……」

 銀が、ため息のような言葉を漏らした。

「……そう、化けて。そして出ていく方は……玉石の力によって」

「やっぱり」

 将は、小さく何度も頷く。

「正確に言うと、出ていくためには悪魔を倒さないといけない。そのための力が、玉石には、あるの」

「Hmm……。すぐにはよくわかんないけどさ、なんで角ちゃんはそんなこと知ってるんだよ」

 向き直り、一度視線を落としてから、角は顎を挙げた。

「私は、戦ったことがあるから。別の駒ゾーンの、駒ガールズとして」

「なんか、さっぱり、わかんないー」

 桂馬の間の抜けた声が響いたが、感想としては随分と正しいものだと皆は感じたのであった。

 

 

「ねえ歩ちゃん、あのようなこと信じられて?」

 金と歩は、ふわふわのソファの上に座りながら紅茶を飲んでいた。金はこの部屋を「おじさんの休憩室」と呼んでいるが、表の札には「校長室」と書かれている。

「うーん、わかんない」

「それが当然の反応ですわ。駒ゾーンの外にも誰かがいるだとか、悪魔だとか、玉石がそれを傷つけられるだとか。でも、見てしまった以上ある程度は信用せざるを得ませんわね」

「そうだ、ね……」

 歩は、昨日の光景を思い出していた。必死になってもぎ取ったはずの初勝利が、予想外の出来事によって無茶苦茶になってしまった。そして角の告白。外の世界がよくわからない歩には、角の存在自体が大きな謎になってしまった。

「でも、玉石を全員そろえたというのは吉報ですわ。しばらくテーサウルス・シュトライテもお休みできますし」

「うん。でも、ちょっとさびしいかも」

 歩は右手で軽く素振りを繰り返す。やっと勝てたとはいえ、まだ一勝に過ぎない。チームに迷惑をかけてきた分、これからはどんどんと取り返したいのだ。

「おっ、やっぱりここにいたか」

 ばたん、と乱暴に扉を開けて入室してきたのは、長身の女性だった。大きな十字架ハンマーを背負っている。

「あら、飛車さん、慌てている御様子ね」

「That's right. みんな呼び出された」

「どなたにかしら」

「まあ、平たく言えばだな、首相だ」

「ええっ」

「あらあら。それでどこに」

「なんか聞いたことのない場所だった。99地区だ」

「よくわかりませんけれども、行ってみるより仕方ないでしょうね。二巳に準備させますのでしばらくお待ちくださいませ」

 金が手を叩くと、びしっとしたスーツを着た恰幅のいい初老の男性が音もなく表れた。

「お嬢様、いかがいたしましたか。早急のことと推測いたしますが」

 言っていることは丁寧だが、あまりにも早口なので歩にはよく聞き取れなかった。飛車は最初から聞く気がない。

「そのようなのです。今日は帰りが遅くなるかもしれませんわ」

「了解いたしました。そのようにお伝えしておきます」

 そして、音もなく去っていく二巳。いつもの事なので誰も驚かない。

「よし、何はともあれLet's go!」

 その後金の準備が諸々あり、三十分ほどして三人は出発となった。

「そういえば他の方々はどうしているんですの?」

「帰宅途中のやつらはそれぞれ向かうって。角はすでに向こうにいるらしい」

「あら、授業に出ていないと思ったら」

 サイドレールを乗り継ぎ、三人は南西の端、99地区へ。山が迫り、農園が広がり、運動施設、倉庫などが立ち並ぶ地区だった。

「Oh! なんともいえずのどかなところだなあ」

「そういえば何区画か先に別荘があった気がしますわ」

 三人がしばらく歩くと、一台のバンが止まっていて、その前にスーツの男が立っていた。

「飛車さん、金さん、歩さんですね」

「そうですわ」

「お待ちしておりました。お乗りください」

「車、久しぶりだっ」

「おお、はしゃげはしゃげ」

 駒ゾーンは公共交通が整備されているので、自家用車に乗る機会はあまりない。ちなみに金はリムジンで送迎されて登校しているが。

 三人は後部座席に案内された。金が、「庶民の車は久しぶりですわ」と言おうとしてやめた。慎みもあるのである。

 スーツの男がハンドルを握り、十分ほど走ると、道は細くなりくねくねと曲がり始めた。山へと入っていく。

「こんなところ初めてだっ」

「Me too. 山には近づくなって言われてるしなあ」

 さらに二十分ほど走ると、車は高い崖の間の道を走り始めた。両側のがけは覆いかぶさるように道にせり出していて、ついには重なり合った。車は、自然のトンネルへと入っていったのである。

 それからまた少し。ライトが、銀色の建物を照らし出した。山奥には似つかわしくない、町中にあるのと変わらぬ姿の四階建てのビルがあったのである。

「着きました」

「えっと……なんだこりゃ」

 言いながら飛車は真っ先に車を下りて、トランクを開ける。愛用のハンマーがないと落ち着かないのである。

「うわっ、秘密基地みたい」

「その通りです。さあ、こちらへ」

 男の案内で、三人は建物に入っていく。灯りはついていたが、扉はどれも閉められており、窓にもブラインドが下りていた。

「ここです」

 そう言って男は、一番奥の部屋の前で立ち止まった。そして、右上のセンサーに向かって右手の人差し指をかざす。ピビッという音の後、扉は自動で開いた。

「あなたの指紋認証ということは、ここは案外日常的に使われているのですね」

「あまり詮索なさらない方が良いかと」

「わかりましたわ」

 中は丸い大きなテーブルのある会議室になっており、すでに見知った顔の面々が着席していた。

「遅いぞー」

 桂馬が立ちあがってピョンピョンと跳ねだした。

「ごめんっ」

「急に呼び出されたんだぜ、そうカリカリするなよ」

「時間に縛られるのは貧しい発想ですわ」

 ネームプレートも用意されていて、三人は決められた席に着席した。そして、モニターには誰もが知る顔が映し出されていた。

「It is amazing ! 本当だったのか」

「そう、本当なのですよみなさん」

 スピーカーから聞こえる、重厚で透き通った声。

「お久しぶりですわ」

「ああ、そうですね、金さん」

彼は駒ゾーン首相、龍だった。すでに着席している面々も、ひととおり驚き済みなのである。

「全員そろったようですね。いや、呼び出して申し訳ない。皆さまが七つ目の玉石を手に入れ、そして目の前に鬼が現れた。この二つが意味することを、きちんと説明しなくてはならないと思いましてね。

 まあ端的に言うと、あなた方にこの世界を救っていただきたいのです」

 しばらく静寂が続いた。それぞれがそれぞれの感想を抱きながら、次の言葉を待っていた。

 歩は思った。物語の主人公のようだ。平凡な人生が突如代わって数か月。更なる激流が、彼女を襲っているのだった。



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