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老人国・後編2

老人国・後篇2 (12- 15 )



 (12) 

 

  翌朝、目を覚まして、窓のカーテンを引きあけると、今日も秋晴れの良い天気でした。隣のベッドに寝ていたブンプクの姿はありません。動物ですから、さすがに早起きです。寝室には、ホテルのようにユニットバスがついていて、いざという時に介護しやすいようになっています。そこで洗面を済ませても良いのですが、ひとまず居間に出てみました。よい香りが家中に漂っています。ブンプクの姿は見えません。ダイニングキッチンに入ると、テーブルには朝食の準備ができていて、メモがおいてありました。

 「用事がありますので、ごゆっくり。ケータイをおいておきます」

 と小学生のような字で書かれていました。朝から忙しく、ボランティアに精を出しているようです。夜中に台所で、何かゴトゴトやっていたのは、朝のパン作りでした。よい香りの大きな食パンが置かれています。それに豆乳とチーズとジャムがついています。ブンプクの気配りには、すっかり感心しました。

 携帯に関しては、私はあちらの世界では頑固に持たないようにしているので、職場の同僚に嫌がられていますが、老人国の携帯は、連絡に徹したシンプルなもののようです。そういえば、この国では歩きながら携帯画面を見ている人や、会話をしている人を見かけません。老人たちはみな、間接的な交流が苦手なようです。とにかくこの国に招待されたからには、右も左も分からないのですから、ブンプクが置いていった携帯を持つことにしました。

 朝食を終えて片づけをし、居間に移ってソファーに腰をおろし、パソコン兼テレビ用の大きなモニターの電源を入れました。老人国のテレビは情報と教養の二つのチャンネルしかありませんでした。情報チャンネルでは、ちょうど老人国ニュースをやっていました。

 「・・・昨日の夜、森に迷いこんだC地区のF子さんは、無事動物たちに案内されて、ホスピスD2で一夜を過ごされました。F子さんは、森の中へ入ったら急にボーッとしてしまって、自分がどこにいるのか分からなくなったそうです。森へ入る時は誰かと同伴するか、動物をつれていくようにしましょう。

 次に、今日の会館での催しです。午前中は、囲碁・将棋大会があります。誰でも自由に参加できますので、9時にお集まり下さい。午後は、フラダンスの発表会と、カラオケ大会が催されます。フラダンスにはひよひよさん、カラオケにはブンプクさんも参加されます。ブンプクさんは、得意の綱渡りも披露されるそうです。

 次に、国際ニュースです。明日、国際老人国連合、略して<国老連>ですが、事務総長のミロクさんが来訪されます。ダルマ大統領と老人国の未来について会談されます・・・」

 ニュースが終わると、健康体操の時間でした。派手な模様のレオタードをつけた二人の老婦人が、一人は立って、一人は椅子に坐って、音楽にあわせた体操を始めました。そこでチャンネルを教養番組に変えました。バオバブ語講座は、すでに始まっていました。

 

 「・・・エスペラントという優れた国際語がすでにありますが、文法や語彙など、すべて西洋語に基いていますので、もう一つの西洋語と言ってよいくらいです。西洋の方には実にやさしく、使いやすい言葉ですが、世界の他の地域の人たちには、必ずしもそうは行きません。西洋語を使われる人にはあたり前のことでも、他の国の人には、やはり煩雑に思われることがあります。その上、老人国の国際語とするには、記憶の負担をさらに少なくする必要があります。

 いくつか例を挙げますと、長い複合語などは、しいて複合語にしなくても、短い一語の方がかえって覚えやすいでしょう。日常頻繁に使う言葉ならなおさらです。geedzigi(ゲエッジーヂ・結婚する)などというのがそれで、二音節のmari (マーリ)で十分ではないですか。それから前置詞は果して必要でしょうか。西洋語には与格や目的格などの格変化がありますが、それに膠着語の長所を付け加えれば、前置詞は全廃できます。バオバブ語では話すことが中心ですから、分詞構文も要りません。語彙はベイシックで、千語以下に絞ることができるでしょう。世界の主要言語から、基準を作って選ぶことになります。語彙・文法ともにエスペラントを模範にしますが、言語進化の方向である簡略化を原則とします。

 バオバブはご存知のように、熱帯の樹木ですが、大きな言語の枝が全世界の老人国をおおいます。baobabi(バオバービ)は、老人国でのあらゆる挨拶の言葉になります。おはよう、今日は、今晩は、お休みなど、どの場面でも使えます。これは動詞形で、挨拶はBaobab(バオーバブ)となります。名詞形はbaobabo(バオバーボ)です。このへんはエスペラントと同じですね。言語を音楽的にするために、後ろから二番目の母音を長く発音します。ただし、子音が続く場合は伸ばしません。では例文を一つ。

 

  Baobab, Seito san. Kiel  na faras ? (バオーバブ セイート サン キーエル ナ ファーラス)

  今日は、セイトさん。ご機嫌いかがですか。

   Baobab, wa faras bele. (バオーバブ ワ ファーラス ベーレ)

  今日は、元気です。」

 

 偶然でしょうか、私の名が出てきたので、ちょっとびっくりしました。

 

 「Kie na iras ? (キーエ ナ イーラス)

  どちらへ。

  Wa iras parknen (parkonen). (ワ イーラス パルクネン(パルコーネン))  

  公園へ行きます。

 

  疑問詞以外の名詞に、助詞をつけることができます。主格はparkoですが、それにninやnonやnenやtonをつけます、その際oは省いてよいのです。語順も、意味が曖昧にならないかぎり自由です。

 

  Parknen wanon dogton wa iras. (パルクネン ワーノン ドグトン ワ イーラス)

 公園へ私の犬と出かけます。

 

 他にも、yonやdenなどの格助詞があります。代名詞は、wa,na,ta,sa,so (私、あなた、彼、彼女、それ)が基本です。複数は ra をつけて、wara,nara,tara,sara,sora となります。簡単ですね。所有格は non を付け、目的格はnenを付けます。

 

 Waranon presido Daruma san destas. (ワラーノン プレシード ダルーマ サン デスタス)

 われらが大統領はダルマさんです。

 Wa tanen amas.(ワ ターネン アーマス)

 私は彼が好きです。

 

 desti は英語のbe 動詞に当たります。その現在形が destas で,単復の区別はありません。動詞の現在形は、原形語尾をasに変えるだけですね。中性代名詞には、ほかに近称のkoと、遠称のlaがあります。

 

 Korana knigos baobabona lingden skritis destas.(コラーナ クニーゴス バオバボーナ リングデン スクリーティス デスタス)

 これらの本はバオバブ語で書かれています。

 

  名詞の複数にはsをつけます。名詞にnaをつけると形容詞化されます。skritis はskritiの過去・過去分詞形です。過去・過去分詞は常に同形です。受動にするには、英語と同じようにdestiを付けるだけですね」

 

 (13)

 

その時、家のチャイムがなりました。こんな朝から誰でしょうか。玄関に出て、ドアを開けてみました。黄色いワンが立っていました。

 「おや、黄色いワンかい、ずいぶん早いじゃないか」

 「バオーバブ、セイトおじさん。バオバブ語の勉強ですか」

 「よく分かるね」

 「だって、テレビがついてるじゃないですか」

 「それはそうだね。それにしても、私がここにいることがよく分かったね」

 「朝のニュースで、おじさんがブンプクのところにいるのを知りましたよ」

 「え、私もニュースになったのかい。老人国では、そんなことまで取り上げられるのかい」

 「老人国では、大した事件が起こりませんからね。ちょっとめずらしいことがあれば、すぐニュースになるのです」

 「まあ、とにかく中でゆっくり話そう」

 

 黄色いワンと私は、居間のソファーに腰をおろしました。黄色いワンは、もう何年も会っていなかったのですが、着ているもの以外は昔とほとんど変わりません。

 「元気にやってるね」

 「はい。おじさんは、少しふけましたね」

 「そうかい。あまり言われたくないね」

  黄色いワンは素直なのか、遠慮がないのか、思ったことをそのまま口にするのです。だから小さい頃はよく苛められました。

 「黄色い森を出てから、もう10年になるかなあ。あの頃が懐かしいね」

 「ええ。チョウ子さんも、みみ子こさんも、もう大人です」

 「黄色い森は、住宅地になってしまったし、イチョウの木だって、一本も残っていないよ」

 「ぼくは黄色い森が伐られるのを見たくないので、その前に放浪に出たのです」

 「あそこは、ワンの故郷と言えなくもないからなあ」

  黄色いワンは、黄色い森のイチョウの木の下に捨てられていたのを、私が拾って育てたのでした。黄色いワンは、文字どおり体全体が黄色い毛色をしていて、長い耳と、とがった頭には、捨てられた時にかぶせられた青い帽子を、今もかぶっていました。捨てられたワンの鼻を、鴉がつついてしまいましたので、小さい時から鼻がないのでした。黄色いワンには鼻がない、と子供たちから、よくはやし立てられました。そうした苛めにもめげず、立派な青年になったものです。そんな内輪の事情はともかく、ノイヨルクから、老人国へ来たいきさつについて聞いて見ました。

 「ところで、ノイヨルクからの便りでは、苦労しているようだったが、老人国へはどういうわけでやってきたのだい」

 「ぼくはノイヨルクでいろんな仕事をしました。ドア・ボーイや、番犬や、給仕や、清掃や、ホスト犬などですが、一番面白かったのはドッグレースの飛び入りです。飛び入りですから最低人気で、誰も票を入れませんから、オッズがつきませんでした。でも、ぼくは走ることには自信がありました」

 なるほど、黄色いワンは苛めにあうと、逃げ足だけはとても速かったのを思い出します。

 「すると、一人の老婦人がぼくをじっと見て、何を思ったか有り金を賭けたのです。ぼくは気分をよくして、思い切り走りました。そして一着の賞金を得たのです。でも、その老婦人、ベティーさんの方がはるかに大儲けしました。そして、ついでにぼくのことを気に入って、雇ってくれたのです。それから、ベティーさんは身寄りのないご婦人ですから、老後を考えて、老人国入りをお決めになりました。ダルマ大統領の老人国が評判が良いので、こちらのお世話になったのです。くわしくは、ベティーさんから聞いてください。そうだ、ベティーさんから言づけです、今日の昼食に、どうぞいらして下さいということです」

 「黄色いワンの恩人なのだから、喜んでお受けするよ」

 

 そこで、黄色いワンと連れだって、ベティーさんの家におもむきました。道々、久方ぶりに黄色いワンと歩きながら、昔のことを思い出していました。ワンもまた同じ思いだったのでしょう、

 「おじさんと歩いていると、なごみますねえ」

 などと言っています。ベティーさんの家はピンク色に塗られているので、遠くからもそれと分かりました。玄関を入ると、広間には壁にたくさんの絵が掛けられていて、まるで画廊でした。どれも水彩画のようでした。ベティーさんはまるで旧知の間柄のように、親しく迎えてくれました。私は絵はまるで分からないので、たくさんの絵に囲まれていながら、どうコメントしてよいのか、トンチンカンなことを言わないように、なるべくしゃべらないようにしました。さいわいベティーさんは、大の陽気なおしゃべりやでしたから、相槌を打ちさえすればよかったのです。

 部屋には他に、ベティーさんに絵を習っているという老婦人が二人いて、なんとも賑やかな昼食会でした。ベティーさんの絵は柔らかな色調で、パリやヴェニスの風景など、童話的な雰囲気なのですが、その真中にどういうわけか、大きな牛の頭の骨がおいてあります。どこかの砂漠で見つけたのだそうです。オブジェとしてすっかり気に入って、ずっと飾っているのだそうです。

 「memento mori と言いますでしょう。どんな美しいものの中にも、死は割りこんでくるものですから」

 老婦人たち手製のパスタと、ベティーさん秘蔵のスイートをご馳走になったところで、これから皆で公園の花を写生に行くので、ご一緒しませんかと言うことでした。黄色いワンが押す車椅子に乗ったベティーさんを中に、二人の老婦人と私は、住宅地の中心にある花の公園へ向かいました。日差しの暖かい昼時ですから、公園にはかなりの人が出ていました。車椅子の老人の姿が目立ちました。コスモスや彼岸花が花盛りでした。鉢植えの大きな菊の花も咲いています。どこの国でも、老人たちは花が好きですが、老人国では特に、四季の花々を丹精して咲かせているようです。私は写生をしている老婦人たちといとまごいをして、講座を聞きに老人大学へと向かいました。

 

 (14)

 

 チン・ライプ博士の哲学講座<シャボン玉宇宙論>の始まる直前に着きましたが、講義室には人が集まっていません。時間を間違えたのかと思いましたが、少しして、いかにも高遠なことを考える昔の聖人のような服装をした、立派な老人が現われて、教壇に立ちました。教室を見回して、私しかいないのを見て、にこりとして、しばらく待ちましょうと言いました。

 「私の講義はいつもこうなのですよ。なんでも、初めから聞くとちんぷんかんぷんなので、途中から聞くのがよい、ということになっています」

 しばらくして、ひとり、ふたり聴講者が入ってきました。もう一人、買い物車を押した老婦人が顔を出したところで、チン・ライプ博士の講義が始まりました。

 

 「われわれの宇宙が無数のシャボン玉の集合であることを発見したのは、私の祖先である哲学者のチチン・プイラでした。それぞれのシャボン玉は、ひとりひとりのわれわれであり、シャボン玉の中には霊魂が詰まっています。シャボン玉には窓がない、というのが彼の口癖でした。あらゆるシャボン玉は、世界をその表面に映します。一つ一つのシャボン玉は独立した世界であって、他のシャボン玉と交渉を持ちません。神は世界創造にあたって、無数のシャボン玉を空間に飛ばしました。神の息(霊魂)を中に入れたシャボン玉は、四方八方に散らばりました。霊魂はそれぞれのシャボン玉の中で、独自の表象を展開して、世界を自己の周りに生みだしました。

 しかし、それだけでは霊魂は他の霊魂と隔離された、孤独の生を送らねばなりません。そこで神は、霊魂と霊魂の間のコミュニケーションができるようにと、一霊魂の表象と、他の霊魂の表象とが、互いにシャボン玉の上に映しだされるように配慮しました。霊魂の表象はそれぞれ独自なものであるが、それらが互いに矛盾したり、齟齬したりしないように、神はそこに調和の働くよう配慮したのです。これがいわゆる予定調和です。

 霊魂が曇りなく、シャボン玉とシャボン玉が、互いの表象を完全に映し合っていた時代には、われわれの間には何の諍(いさか)いも、不和もありませんでした。われわれの失われた黄金時代、または楽園の時代です。ところがいつの頃からか、シャボン玉は他の霊魂の表象を正確に映しださなくなったのです。シャボン玉は、世界の完全な鏡ではなくなってきました。その結果、霊魂と霊魂の間に、誤解や行き違いがひんぱんに起こるようになり、われわれの間に敵意が芽生えだしたのです。

 原因は、霊魂の何らかの罪によって、神の予定調和が狂いだしたのです。

 それは先ず、こんなふうにして始まりました。われわれの世界は約束から成りたっています。互いに約束したことを規準にして、われわれの他者に対する関係はスムーズに進みます。たとえば、五時にある場所で待ち合わせるとします。われわれはその時間より前に家を出て、五時には約束の場所に着いていようとする。かりに五時を過ぎてしまったとしても、自分が時間に遅れてしまったことを知っている。だから謝ることになります。ところが、相手が五時を過ぎてやって来て、しかも謝るどころか、五時きっかりにやって来た、と言いはったらどうでしょう。自分の時計も、駅の時計も、五時十五分を指しているのに、彼は神かけて五時きっかりにやって来たと言う。そればかりか、先に来ていたこちらが、十五分も遅れてやって来たのはけしからん、と言いだす始末です。

 おかしいのは、時間ばかりではありません。何時間待っても、一向に相手がやって来ないこともあります。翌日、出会った時、そのことをなじると、相手も腹を立てて、君こそ僕が二時間も待っていたのに、なぜやって来なかったのだ、と逆に責めたてる始末です。それでは場所を間違えたのかというと、二人とも同じ場所で待っていたのです。それなのに互いに気づかなかったのでした。

 こういう変事は、最初は少数の者の間で起こったにすぎなかったので、あまり注意されませんでした。しかし、その数が増え、世の中で幅を利かせる者たち、聖職者や、軍人や、政治家や、王や、皇帝までが、こんな奇妙な錯誤にとらわれだすようになると、もう世界はてんやわんやになりました。今見る世界が、まさにこの通りなのです。白を黒と言い立てるのは、皆さんもあちらの世界では、いやになるほど聞かされ、見てきたことでしょう。これはみな、神の定めたシャボン玉世界の予定調和が、すっかり狂わされてしまった結果なのです。皆がみな、自分のシャボン玉世界だけが、唯一正しいものと考えるようになり、他のシャボン玉との調和などは考えなくなったからです。

 科学者もまた、時間や空間は相対的だと言いだすようになりました。自分の時間が大事であって、相手の時間などはどうでもよい、どうせ人の時間なのだから。空間にしても、今ここの自分が大事なのであって、地球の裏側の人がどうであろうと、知ったことではない。まして百年後の人が、放射能汚染で苦しもうと、知ったことではない。しかし、本来のシャボン玉宇宙は、互いが互いの世界を映しだすのですから、百年後の世界も予定されて、私のシャボン玉に映し出されるはずです。シャボン玉宇宙の運命は、共通なのです。一つの宇宙が狂えば、全宇宙が狂うのです。

 すべてのシャボン玉は、つまりわれわれの霊魂ですが、それらは同じ宇宙を映し出しているとは思いませんか。それを今、物理的に証明しましょう」

 チン・ライプ博士は、カバンからなにやら取り出しました。ガラスの容器と、ストローのようなもので、それを口に当て、ふっと吹くと、たくさんの小さなシャボン玉が飛び立ちました。

 「わたしはこれが見たくてね」

 私の後ろの席の、買い物車のお婆さんが言いました。ふり向くと、いつの間にか、人の数が増えて、博士が次から次へと吹くシャボン玉の宇宙を、小さな歓声をあげて楽しんでいました。

 「どうです、どのシャボン玉も、同じ宇宙を映しているとは思いませんか」

 チン・ライプ博士はそう言って、最後にスイカほどもある、特大のシャボン玉をこしらえました。

小さなものから大きなものまで、どのシャボン玉も、講義室の明るい窓を表面に映しています。よく見ると、私たちの姿も映っています。

 「博士さまに、一つ質問してもよろしいべか」

 お婆さんが言いました。

 「疑問があれば、なんでもどうぞ」

 チン・ライプ博士は答えました。

 「わたしらの魂が、シャボン玉のようなものでしたら、最後はどうなりますべえか。やっぱり、シャボンみたいに、パチンと消えていくものなんべか」

 お婆さんは尋ねました。

 「それは良い質問です」 博士は答えました。

 「同じく、物理的たとえで考えて見ましょう。今たくさんのシャボン玉が生まれ、しばらく空中にさまよっては、あっさりと消えてゆきましたね。しかし、シャボン玉を作っていた、石鹸水や中の空気は、どこへも行きません。そのままこの部屋のどこかにとどまっています。消えてしまったのは、シャボン玉という現象です。その本質である物質は失われることがないのです。

 わたしらの魂も、世界という現象もしくは表象を、その表面に映しだします。表象の世界は常に変化し、生成消滅をくり返します。しかし、わたしたちの本質である魂、すなわち神の息は、滅びることがありません。神が永遠不滅の、完全なる存在であるように、神の息であるわたしらの本質も、単なる表象によっては、いかなる影響も受けないのです」

 「そんだら、死んだあと天国へいけるべか」

 「わたしたちはもともと完全なる存在に与っているので、どこへ行く必要もないのです。表象の世界に惑わされてはいけません。完全なる神が、不完全なるこの世界を創りだしたのは、不思議なことですが、本来完全者である神は、この世界を必要としないのです。それなのに何らかの、不完全な<意志>によって、この表象世界が生み出されてしまいました。<意志>とは何らかの欠如ですから、それによって生み出された世界は不完全です。だから絶えず生成消滅をくり返すほかはないのです。人によっては、この世界はサタンの創造物であると考えたりもします。しかし、この世界の本質は完全者なのであり、それは世界創造によっては少しも影響を受けることなく、永遠不滅なのです。ですから、その本質に与っているわれわれの魂も、永遠不滅なのです」

 「永遠不滅だらば、あの世で死んだ人に会えるベか」

 「わたしらは無数のシャボン玉宇宙に分かれていますが、もとは完全無欠の、唯一のシャボン玉、つまり神のシャボン玉なのです。神の息が、宇宙意志となって、この表象世界を生み出したのですが、わたしらはシャボン玉として存在するかぎり、この神のシャボン玉を映しだします。しかし、シャボン玉としての生を終えると共に、神そのものに帰るのです。神は唯一無二であって、そこには自と他はないのです。自他のない存在である神が、いわばたわむれに、無数の自他を生み出したのが、このシャボン玉宇宙です」

 そう言って、チン・ライプ博士は、またガラス容器とストローを手にとり、小さなシャボン玉を次々に飛ばしました。

 「存在の喜びと苦痛、悲惨や不合理といった不協和音も、神の壮大な交響曲の中では、心地よい調和を作っているのかもしれませんね。わたしたちは明日、テロや戦争で死ぬかもしれませんが、やはりシャボン玉を飛ばすのは楽しいです」

 

 (15)

 

 老人大学を出て、町の北のはずれにある舗装路へ向かいました。谷間と丘の間の物資の輸送などに使われる道で、時々車が通っていました。この道を登った山上に、老人国天文台があるはずでした。少し登りかけると、後ろから来た小型運送車の運転手に声をかけられました。天文台まで行くつもりだと答えると、かなりあるので乗せてくれると言います。こんなヒッチハイクのようなことはしたことがないのですが、人の良さそうな老運転手の誘いですから、かえって断わっては気の毒な気がして、同乗することにしました。

 「遠慮することはないんですよ」 と老運転手は言いました。「あなたは、老人国を訪問された童話作家の方でしょう。ニュースで見ました。老人国では、車はシェアーしていますので、誰が運転しても、誰を乗せてもよいのです。電気自動車ですが、充電も無料です。老人国では、気晴らしで車に乗る人は少ないので、みな何かの必要で使いますからね」

 車は山腹をひと巡りして、頂近くのパーキングに着きました。すぐ先に巨大な天文台のドームが見えました。私は老運転手にお礼を言って、そちらへ向かいました。日はまだ山の端の上にあって、星を見るには少々時間が早いのですが、とりあえず老人国天文台とある建物の、玄関から入ることにしました。どこでどう話を通してよいのか分かりませんでしたが、研究者であろうか、通りかかる人も、特に不審がることもなく、挨拶を交わしました。私はとにかく、天文台長の嵐博士に招待されたのだからと、腹を決めて、物珍しげにあちこちをのぞいたりしました。

 私は科学研究には無縁な人間なので、こういう研究施設で、人々がどんな仕事をしているのか、まるで見当がつきません。見当がつかないといえば、たいていの人がしている仕事も、見当がつかないことだらけなのです。たとえば、電車の中で会社員が何かの仕事の話をしているのを耳にはさんでも、全く何のことか理解できないのです。世の中の人は不思議なことをし、不思議な話をするものだと、常々感心しています。そんな世間知らずですから、なおさら科学の研究所でどんなことが行なわれているかなどは,SF小説以外では知りません。今の天文台では、直接眼で覗いて観測するなどということは、なくなっているのでしょう。コンピューターがいく台も並んだ部屋があります。そこをのぞいていると、モニターに向かっていた一人の老人が振り返って、私の方に会釈し、席を立ってこちらへ来ました。

 「ご見学ですか」

 「はい。嵐博士にご招待されましたので。老人国へは、昨日ついたばかりですので」

 「そうですか。わたしは博士の助手ですが、博士はもうしばらくして、こちらへ見えます。この時間には、先ず夕食を取ってから観測にかかります。たぶん夕食をご一緒なさるでしょうね。あちらの食堂で、お待ちになると良いでしょう。一緒に行きましょう」

 かなりの空腹を覚えていましたので、私に異存はありません。いったん建物を出て、隣の広い居宅に入りました。研究者たちが寝起きをする家なのでしょう。民宿のようなつくりになっていました。

 「ご存知でしょうが、老人国ではすべてがセルフサービスです。料理も当番制になっていますが、今日はお客ということで、作るほうはよろしいでしょう」

 私は自炊とはいいながら、レトルト食品などが多いので、料理を免れたのにはほっとしました。張り出されたメニューを見ると、カレーライスならまだしも、タラのムニエルとか、老人国特製エスカルゴなどとあるのを見て、老人たちの健啖に驚かされます。幸い今晩のメニューは、豆腐ハンバーグでした。手持ちぶさたに、テーブルの椅子にかけていると、他の研究者たちも食堂に集まってきました。そして厨房で、にぎやかにハンバーグを作っています。

 「今日はお客のセイトさんを入れて、七人分だよ。」

 「手伝わなくてすいません」

 つい謝ってしまいました。

 「いいえ、作り手が多すぎても困るんです。あとで片づけをお願いします」

 ということでした。その時、嵐博士が杖をついて、食堂の入口に現われました。皆は挨拶をしました。博士は私の姿を認めて、

 「やあ、来られたね」 と言いました。「歩いたのかね」

 私は車に便乗したことを話しました。

 「それは良かった。そのことを言っておくべきだった。明日は星君に、下まで送ってもらうと良い」

 星君というのは、私を食堂に案内してくれた助手の老人でした。話から、私はすでに、ここに泊まることになっていることを知りました。

 「わたしに遠慮して、今日は豆腐ハンバーグかね。エスカルゴでも、ジャーマンポテトでも、あなたたちは、好きなものを作ったらよろしい」

 「いえ、みな平等です」

 星老人が答えました。

 「少なくとも、宇宙食は豆腐蛋白に決まりですから」

 「宇宙食も、健康志向というわけだな。カプセルベッドの方はどうなってるかね」

 「試作品はできています。一度その中で寝てみましたが、快適この上なしです」

 「それでは、さっそく介護用に製造を始めると良い」

 「工場設備を広げるまでに、まだ時間がかかります」

 「そうか。君も工場と、こちらの研究とで忙しかろう」

 「こちらはもう趣味でやらせてもらっています」

 「老人国の遠大な計画に、天文台はなくてはならないものだからね」

 私は二人の会話を聞いていて、半分の理解もできませんでした。私のぽかんとした表情に気づいたのか、嵐博士は私の方に顔を向けて言いました。

 「セイトさんは、中学生の頃、私の本を読まれたそうだが、今でも宇宙に興味がおありか」

 私の天文趣味は数年で醒めてしまいましたので、天文学の新しい知識には、あまりついてゆけてはいません。そう答えますと、博士は、

 「少年たちに夢を与えるのは宇宙だが、老人たちにも、宇宙は夢を与えるものであって欲しいものだ。手の届かない夢ではなく、実現可能な夢としてだがね。今夜は、セイトさんに、100インチで、その老人たちの夢の目標を見てもらおう」

 と謎かけのようなことを言いました。

 雑談の中に、食事がすんだ頃には、すっかり暮れて、空には星々が瞬いていました。秋の星空ですから、明るい星は少なく、空の暗さが目立ちます。それでも山の上ですから、都会で見るのとは違って、ペガサスの四辺形も、アンドロメダもすぐに見つかりました。南にはフォーマルハウトがぽつんと灯っています。嵐博士と、星老人と、私とは、闇の中の巨大な白いドームに向かいました。天文台に入るのは、私は初めてでした。巨大な工場のような空間ですが、丸天井であるところが違っています。さしわたし優に20メートルはあるでしょうか。中央に、どっしりした架台に、100インチ反射望遠鏡が鎮座しています。すべてが電動で、コンピューターによって制御されています。丸屋根のスリットが開き、暗い夜空がのぞきます。

 「通常はすべて、観測室で、モニターから覗くだけなのだが、特別に眼視観測をするとしようか」

 博士は言いました。

 「いま、アンドロメダ星雲に向けて、動かしているところだよ。星君、電子装置を外してくれたまえ」

 星老人は、巨大な望遠鏡の下にもぐりこみ、カメラのような装置を外しました。そして、代わりにアイピースを取り付けたようです。それを覗きながら、

 「写真ほど立派ではないけれど、何といっても直接眼で見るのは、いつも感動しますなあ」

 と言いました。私は、大人が望遠鏡を覗いているのを、じれながら待っている子供のような気持になって、身を乗り出しました。星老人は替わってくれました。私は頭を架台にぶつけないようにしながら、接眼鏡をのぞきました。ボーとした明るい雲の塊が眼に映りました。ただそれだけなのですが、これが途方もなく遠いところにある、無慮無数の星の集団であることを思うと、心が茫然としてきます。そこには人類のような高等生命もいるのでしょう。決して交流することはないでしょうが。

 「どうです。一生の記念になりましたかな。もっとも、あなたが将来老人国に来られれば、いつでも100インチで、天体観望ができます」

 嵐博士は言いました。それから、

 「あなたに、もうひとつ見ていただきたい天体がある」と言いました。そして、コンピューターを操作して、ドームと望遠鏡を動かしました。

 「それは、<黄道をさまよう天体>の一つですが、ちょっと覗いてみてくだされ」

 ふたたび接眼鏡を覗くと、そこには赤っぽいオレンジのような天体が映っていました。

 「火星ですね」

 「そうです。これが老人国の星なのですな」

 「どういう意味でしょうか」

 「それは星君に聞いてみるといい。星君は、老人宇宙旅行協会の世話役なのだから」

 星老人が、にっこりして、代わりに説明してくれました。

 「老人国の老人たちは、窮極の住みかとして、宇宙を目指します。とりあえず、火星が目的の星です。火星は地球の半分の大きさで、重力も3分の一ですから、体力の少ない老人にはぴったりです。火星に住むには、先ずテラフォーミングを行なわねばなりませんが、それは植物の旺盛な活動によって、数十年でなされるでしょう。それまでは、地球をめぐる宇宙ステーションでの生活になります。何しろ、無重力ですから、介護に伴う面倒はほとんど解消されます。床ずれなどは、先ず起こりませんし、排便に伴う不自由もないでしょう。元気な方は、さらに火星へと移住します」

 そんな夢のようなことが、老人国で進行しているとは、文字どおり夢にも思いませんでした。

 「もちろん、われわれの老人国一国だけでは、このようなプロジェクトは実現しませんので、国際的なプロジェクトとして、各国分業して行なっています。わが国では、宇宙旅行の衝撃に耐えるための、カプセルベッドの開発に力を入れています。明日、工場にご案内しましょう」

 私は、老人の未来という言葉が、初めてのみ込めた気がしました。若・壮年者が、金儲けや、戦争や、様々な競争や諍いにうつつをぬかしている間に、老人国の老人たちは、人類一般よりも遥かに先を進もうとしているのです。それは老人であることのもろもろの条件を、むしろ積極的に生かすことによって可能になるのです。

 私はもう一度火星を覗かせてもらいました。白い極冠がまばゆく輝いています。この星も、いずれは老人たちの手によって、緑の星に生まれ変わるのでしょう。そこでは、バオバブ語が宇宙語となり、子孫こそ残さないものの、代々の老人たちが長寿をまっとうすることでしょう。名も、老人星と変わるかもしれません。昔から、災いをもたらす不吉な星とされた赤い星は、老人たちの希望の星なのです。

 そんな思いにひたりながら、観測をつづける星老人を残して、私は嵐博士とつれだって、居宅の方へ戻りました。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 




この本の内容は以上です。


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