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老人国・後篇3

老人国・後篇3(16-19)



(16)

 

 その晩は、星老人と相部屋でした。寝る前に、星老人がいろいろと話をしてくれました。老人国の科学研究、未来の宇宙ステーションの話から、彼の少年時代にまで話題は及びました。私はたいてい、自分で話すよりも聞き手に回る方ですから、眠気が差すまで、うなずきながら聞いていました。星老人もやはり、少年時代に嵐博士の本を読み、天文学者を目指したのですが、生活上の理由から電気技師になりました。それでもアマチュアとして天文趣味をつづけていたのですが、定年も近くなって、嵐博士が老人国天文台長になったことを知って、やもたてもたまらず、老人国の国民となったのでした。専門がエレクトロニクスですから、カブセルベッドの製作も任されたのです。

 次の日の朝は、霧のせいか少し曇り気味でしたが、すぐに雲間から日が射してきました。今日も良い天気になりそうです。朝食を終えてから、星老人の運転するヴァンに便乗して、麓へ下りました。高台の住宅地をすぎ、谷間まで下ると、水のきれいな川が流れていて、朝日にキラキラと輝いています。そこの橋を渡ると、舗装路は川沿いに延びていました。信号は一切ありませんが、車は左に折れました。前の車に接近すると、ブレーキをかけないまでも、自動的にスピードが落ちるようでした。ちょっと先に、道を渡ろうとしている老人の姿が見えました。すると、<前方、人に注意>とアナウンスが流れ、スピードが落ちました。すべて車自体に信号に代わるものが設置されていて、自動運転が行なわれるようです。

 「老人国では、車はすべて、コンピューター制御されていますから、交通事故はめったに起こりません」

 という星老人の説明でした。道の左手は河川敷ですが、右側には工場や倉庫のような建物が並んでいます。さらに右手奥には、丘の上と同じような住宅地が広がっています。そしてその先には、なだらかな山腹の牧草地が日光を浴びています。

 車はほどなくして、工場というよりも研究所のように見える建物の、駐車場に入りました。建物の入口には、<老人宇宙旅行協会>とあります。まだ早いせいか、仕事をしている人の姿は見えません。

 「老人国では、特に必要にせまられない限りは、働きたい時に働き、疲れたら帰ります。だから決まった仕事時間などはないのです」

 ということでした。さっそく、今、星老人が力を入れている、カプセルベッドの製作現場に案内されました。天井の高い部屋の真ん中に、特大の繭のような形をした、透明なカプセルが置かれています。たたみ一畳ぶんは優にあるでしょうか。下半分は柔らかなベッドのようになっていて、一番下にはいろいろな装置が見えています。

 「本来は、老人の宇宙旅行のために考案されたのですが、地上では介護ベッドとしても用いられます。地球脱出の衝撃を和らげることが目的ですが、それが介護にも応用できるわけです。宇宙に出てしまえば、あとは楽なのです。クッションがいらなくなりますし、カプセルの中で、就眠、食事、排泄、入浴など、すべてができるようになっています。地上で使うには、入浴の時に、カプセルを180度回転させます。その工夫がちょっと面倒でした。回転した時に、身体を軟着陸させねばなりませんからね。それには、逆パラシュートを工夫しました。試してみますか」

 私が寝たきり老人になるのは、まだまだ先のことでしょうが、ちょっと興味がわいて、星老人の勧めるままに、カプセルの中に入ってみる気になりました。

 「本来は裸のまま入ります。なんといっても裸が一番健康によく、衛生的ですからね。空気、温度の調節は、人体に一番適したようになっています」

 私は裸は遠慮して、服のまま入りました。ちょっと閉所恐怖気味なところのある私は、カプセルがしまった途端に胸が苦しくなりましたが、すぐに自由に息ができることが分かって、安心しました。

 「普通に寝ているときは、そのままで、カプセルも閉めなくてよいのです。食事のときは、宇宙食または流動食になります」

 クッションの上半部が少しずつ持ち上がり、わきからチューブのようなものが伸びてきて、顔の前で止まりました。

 「口を開けると、自動的に食べさせてくれます。宇宙食を味わって見ますか」

 星老人が言いました。そこで、ちょっとだけ口を開けると、チューブが狂いなく口の中に侵入して、なにやらとろりとしたものを、一口ぶん放出しました。初めて味わった、宇宙食の味としてはまずまずでした。

 「次に、排泄や入浴の場合です」

 と星老人が言いました。私はちょっと緊張しました。食事はまだしも、そうしたプライベートなことの実験台になるのは、いまさらながら躊躇されたのです。

 「実際にするわけではないので、ご心配なく」

 と言いながらも、どこかのスイッチを入れました。すると、突然に厚いビニール地の布がするすると私の身体を覆い、身動きができなくなりました。クッションもまたくぼんで、蓑虫にでもなったようです。そのまま少しずつカプセルが回転して、身体は仰向けの姿勢で下へとさがってゆき、下まで来ると全体が止まりました。いわば回転するハンモックに寝ているようでした。

 「その姿勢で、入浴の場合はお湯が入ります。排泄の場合は便器が自動的にあてがわれます。排便はベッドに寝たままでもできますが、それを嫌う方が多いですから、入浴を兼ねるのが一番です」

 と老発明家は言いました。

 「宇宙では、水の節約のため、シャワーになります。しかし、老人にはなんと言ってもお風呂でしょう。このカプセルはベッド兼バスタブ、およびトイレになっているわけです」

 老人の究極の生活空間は、わずか畳ほどの広さの空間でしかないのかと、複雑な感慨にとらわれました。

 「このカプセルは、寝つけない時には揺り籠のように揺れますし、子守歌のような音楽も流れてきます。人間の一生は、揺り籠から揺り籠へ、ですかな」

 星老人も、感慨深げに言いました。

 

 (17)

 

 星老人の研究所を出て、しばらく、あたりの工場や倉庫のような建物の間を、歩いて見ました。あちらの国でもそうですが、工業団地などを歩いていると、何を作っているとも知れない、さまざまな工場が建ち並んでいます。さすがに食品などは分かりやすいのですが、カタカナや横文字の会社などはお手上げです。世の中には不思議なものが必要とされるのだなと、感心するばかりです。

 老人国の産業は、それほどでもなかったのですが、外から見るだけでは、やはり想像する他はありません。私は製本工場以外では働いたことがないので、あきらめて住宅地の方へ向かいました。正午に近い日が、暖かく照っています。老人たちは、丘の上でと同じように、三々五々、あるいは一人で、散歩に出ています。町のつくりはほとんど同じで、ホスピスや、会館も見られます。ただ、ボランティアの仕事を持つ人が多いのでしょう、物を運んだり、忙しそうに歩く老人の姿が目立ちます。

 私は住宅地をどんどん歩いて、西のはずれへやってきました。そこには畑があって、秋野菜が作られていました。さらに野道を歩いて、山腹の牧草地にたどりつきました。見上げると、なだらかな草地に、羊が何頭かくつろいでいて、さらに上には乳牛の姿も見え、酪農の建物がありました。私は羊のいるところまで登ってゆきました。私が近づいても少しも驚きません。のんびりと草に寝そべっています。その厚い絨毯のような羊毛に手で触れても、一向に気にしませんので、私は少し疲れを覚え、羊を枕がわりにもたれて、谷間の方を見ながら休みました。

 そうやって、老人国を見わたしていると、暖かい秋の日差しに照らされたこの山里の光景が、とても特別の国とは思われませんでした。遠くに鶏の鳴く声が聞こえ、犬の吠え声もします。私は何かの勘違いをしているのではないだろうか。ここは普通の山国の風景なのであって、そこにダルマ大統領やら、ブンプクやら、黄色いワンが暮らしているなどというのは、私の子供の頃からの病癖である、夢想の産物に過ぎないのではないか。そんなことを考えているうちに、私はうつらうつらとして、いつの間にか眠ってしまったようです。

 時々羊がぴくぴくと体を動かすたびに、ちょっと醒めてはまた眠ったりしていると、頭の上の方で人声がしました。どうやら私に話しかけているようです。しかもバオバブ語で・・・。

 「Baobab, na libra destaska ?」

 私は驚いて体を起こし、ふり向きました。茶色をした丸顔の男性が、にこにこしながら私を見下ろしていました。

 「バオーバブ、すみません、勝手に入って」

 私はつい謝ってしまいました。それからここが老人国であることを思い出し、少し気持を静めました。

 「気持の良い牧場ですね。つい、うとうとしてしまいました」

 「あなた、この国の人で、ありませんね」

 どこか中央アジアあたりの出身らしい、茶色い顔の老人は、人の好い笑みを浮かべつづけながら言いました。そこで正直に、老人国への訪問客であることを告げました。すると老人は、ちょっと躊躇う様子で言いました。

 「Pardonu, sinyoro. ボランティアーの方かと思いましたので」

 私は仕事の手伝いに来たものと思われたようです。私はこれまで金銭に関係なく仕事をしたことが、一度もありませんので、返事に詰まりました。思えば、この国へ来てから、通常の旅行のように金銭を支払うことがなくてすみました。ただで泊まり、ただで飲み食いしていたのです。その点が、少々気が咎めましたので、

 「どんな仕事ですか」

 と我になく訊いていました。

 「Laktiです」と、老人は答えました。私はちょっと考えてから、

 「Facila destaska?(簡単ですか)」と訊きました。

 「Ya,facila.」

 老人は答えました。そこで私は承諾しました。老人はさらに笑みを大きくして、

 「Wanon namo Usdara Delik destas.」

 と名乗りましたので、わたしもウスダーラ・デーリクさんに簡単な自己紹介をして、老人国へやって来たいきさつを語りました。

 牧場の一番上の高台に登ると、乳牛の牧舎がありました。まず作業着と長靴に替え、エプロンをつけ、帽子をかぶりました。帽子は牛の糞除けだそうです。中へ入ると、50頭ほどのホルスタインの牝牛が、尻尾を並べていました。まずウスダーラさんが手本を見せてくれました。牝牛の長い乳頭を手で軽く絞ると、すぐに乳が出ました。その後よくふき取ってから、四つの乳頭に、搾乳機を取りつけます。それには逆流したりしないように、コツがいるようでした。いったん取りつければ、後は見ているだけでした。出なくなったところで、すばやく取り外します。一頭が数分で終ったら、次の牛に移ります。バケットが一杯になったら運びます。そんな風に、朝昼夕、一日に三回の搾乳を行なうのだそうです。

 牝牛の乳頭に触れてみると、柔らかいホースのようでした。面白いようにミルクが出ます。私は大型の動物が苦手なので、ちょっと心配になって牝牛の顔を見ましたが、私をにらみつけるでもなく、涼しい顔をしています。毎日乳を搾ってあげないと、かえって調子を悪くするのだそうです。ちょっと飲んでみますか、とウスダーラさんに言われて、少々恥ずかしかったのですが、口の中に入れてみました。宇宙食よりはずっと美味しい生の牛乳でした。そんな風に遊んでから、仕事にかかりました。慣れない私がやっと十頭の搾乳を済ませたところで、ウスダーラさんは残りの牝牛の搾乳を仕上げていました。後の仕事はウスダーラさんに任せて、私はちょっと一休みしました。

 ウスダーラさんの住まいでもある、隣の建物のダイニングに腰を落ち着けました。何でも好きに飲み食いしてよいと言われましたので、冷蔵庫をあけて、アイスクリームとビンの牛乳を出し、大きなナンを温めて昼食としました。しばらくして、ウスダーラさんもやって来て、私の貧しいメニューを見、残っている豆入りカレーを温めて出してくれました。一緒に雑談しながら食事をしました。その時、携帯が、虫の鳴くような音で鳴りました。耳に当ててみると、ブンプクの声がしました。

 「いまどちらですか」

 牧場で乳絞りの手伝いをしていると言いますと、

 「牝牛のメリーさんによろしく」ということでした。どれがメリーさんであるか見当もつきませんが、とにかくうけおっておきました。それからブンプクは用件に入り、

「夕方から、国老連事務総長の、ミロクさんの歓迎パーティーが行なわれますので、セイトさんもぜひ出席なさってください」

 ということでした。そこで、時間と場所を聞いて、承諾しました。そのことをウスダーラさんに話しますと、

 「私も丘の上へミルクを届ける予定ですので、ご一緒しましょう」

ということでした。それから牛たちに干し草を与えに、牧舎へ戻りました。牛の顔を見ながら、どれがメリーさんだろうかと思いました。ふと頭に浮かんだ歌がありました。れいのメリーさんの羊ですが、この際羊でも牝牛でも変わりないだろうと思い、<メリーさんの牝牛・・・>と鼻歌を歌いながら干し草を与えていると、

 「私のことかい」

という返事がありました。そこで、

 「ブンプクがよろしくとのことです」

と言いますと、

 「ああ、ブンプクのお友だちかね。近頃顔を見せないけど、働き者のタヌキさんだからね。ブンプクは小さい頃親に棄てられてね、私がお乳を与えて育てたのだよ」

 動物の世界の事情も厳しいようです。母親代わりのメリーさんのおかげで、プンプクもぐれたりせずに、立派な動物になったものです。

 

(18)

 

 ウスダーラさんの準備ができるまで、居間でテレビを見て待っていました。ちょうどダルマ大統領とミロク事務総長の、対談の放映が始まっていました。

 

ダルマ「ようこそ、私たちの老人国へ、ご訪問感謝します」

ミロク「こちらこそ、この美しい国へご招待くださって、感謝しています」

ダルマ「老人国は、世界中一つですから、いつでもご遠慮なくいらしてください」

ミロク「そうでなければ、老人国の意義もありませんからな。ただあちら側の国への配慮もありますから、そこが国老連の難しいところです」

ダルマ「あちら側との関係が、というよりも極力無関係が、上手くいっているのも、国老連のおかげです。老人たちはかつてのように差別されたり、虐待されたりすることが少なくなりました。老人たちが独立することによって、お荷物であるという意識が減っていったからです。良い無関心と、ある程度の敬意とが、老人たちを生きやすくしているのです。しかし、老人たちの生活が豊かで、平和になるにつれて、やはり妬みや敵意が生じてきますな。それを緩和するのが、老人国連合の役目だと思いますが」

ミロク「そのとおりですね。あちら側と老人国では、人生の目的が違いますからね。互いに無関心、無関係である間は良いのですが、争いと不幸に満ちているあちらの国々が、そのとばっちりをこちらに加えないとは限りません。老人国が富めば富むほど、また妬みも大きくなります。ですから、こちらの側からあちらに対して、全く無関心というわけにはいかないのです。国老連は、老人国同士の間ばかりでなく、あちらの国々へも必要な援助を行なっています。しかも、あまり公にはしませんが」

ダルマ「老人国ファンドは、いずれ世界平和をもたらすことでしょうな」

ミロク「その見通しはまだ早いのですが、とにかく老人たちの幸福が先です」

ダルマ「老人国の理想の進展について、おうかがいしたいのですが、先ず福祉については、いかがでしょうか」

ミロク「たいていの老人たちは、老人国へ来るまでに、人生のほとんどの欲望を果たしていますので、なによりも需要が少ないのが取り柄です。そうでない老人たちは、かえって老人国を敬遠するでしょう。また少ない需要では、資本主義経済が成立しないので、資本の餌食にされることも少ないのです。あちらの国では、資本主義は介護の産業にまで浸透していますが、それを老人たち自身の手で行い、国老連を通じた国際協力を行なうことで、老人国では資本の支配を排除しました。新しい経済システム、あるいは無経済システムを導入したのです。老人の少ない欲求に、経済的に最大限の充足可能条件を与えることで、最大幸福を実現する条件をまず整えたのです。

 それは他人を支配したり、利益を得たりする経済条件ではなく、もっぱら人生の理想を実現するための経済的基礎なのです。それを与えられた時、かえって欲望は縮小してゆきます。欲望は不条理なものですから、それが様々な障害によって満たされないでいると、どんなに小さなものでもとことん肥大化してゆきます。また逆に、それがいつでも実現可能となると、かえって鎮まり、またその充足などどうでも良くなることがあります。つまり人間の欲望は、それを妨げようとする様々な障害によって煽られ、過大なものになってゆくのであって、本来の分量は意外とわずかで足りたりするものです。老人国の福祉、つまり幸福のシステムは、この欲望のコントロールが基礎になっています」

ダルマ「経済的欲望が満たされると、人間は怠惰になり、また他の目的を失うということもしばしば見られますな。それには理由があって、衣食住が十分に満たされて、はじめて人間が始まると言って良いのですが、人間以前ですべてが終わってしまうのが、これまでのたいていの人類社会の有様でした。文化は一部の例外的人間の営みにとどまりました。衣食住のために半生のすべてを費やしてしまった人々が、人間の価値を見い出せるのは老境の他はないのですが、しかしそれすらも、たいていの老人はその条件を保障されていないのです。そこで、いつまで経っても衣食住の不安から解放されないままに、あげくは病にかかり、ろくろく医療も受けられないで孤独死したり、路上をさまよう老人たちは、世界のいたるところに見られます。

 そうした老人たちには老人国は、イスラム教徒の天国のように思われるのですな。経済的欲望の充足以上の幸福、つまり文化的欲望の充足が、次に来なければならないのですが」

ミロク「大統領のおっしゃるとおりです。言うまでもなく、それが老人国の文化政策になります。文化的欲望も、欲望である限りはどこまでも肥大します。それは幸福のルールに反することですから、それのコントロールもまた必要なのです。経済的欲望の根源は蓄積にあるのですが、この蓄積の欲望がまた文化を蝕んでゆくのです。伝統や保存は、その意味で文化的欲望の肥大です。老人国の文化は、過去よりも未来に向かわねばなりません。歴史や旅も、確かに老人たちの典型的な文化的趣味とは言えますが、それは基本的に、これまで得たものを失いたくないという、蓄積の本能に基く営みです。人類には昔から、すべてをあとに捨て去り、新たな試みに生きるという、これもまた生存本能に基く冒険心がありました。それによって、出アフリカ以来、人類は地球上に満ち満ちたのです。新たな生存条件を探求する、それこそがまた老人国に相応しい理想のあり方なのです」

ダルマ「老人国の未来である、宇宙移住プロジェクトの進展については、いかがでしょうか」

ミロク「これについては、国老連本部のおかれているバオバブ島に、国際老人国宇宙ステーション打ち上げのための基地が、着々と建設されています。早ければ来年にも、最初の資材が宇宙空間に運ばれます。五年後には居住及び火星への発着基地としての、巨大ステーションの完成を見ることでしょう。すべて老人の資力と能力によります。われわれ老人たちは、他の人類を見捨てるわけですが、彼らも必ずやわれらのあとに続くでしょう。われらancient marinersこそが、宇宙開発のパイオニアなのですから」

 

 いつのまにかウスダーラさんが後ろに立って、テレビを覗いていました。私の顔を見て言いました。

 「Tara diras cielonum.(天国の話ですな。)私はここも十分天国だと思いますがね」

 

(19)

 

ウスダーラさんの運転する運搬車に便乗して、牧場を下り、谷間の町のバザーに先ず寄りました。バザーは売り買いする市場ではなく、誰もが必要な生活資材を自由に出し入れする、いわば無料のスーパーのような空間でした。ウスダーラさんは食品コーナーで、牛乳や乳製品の出具合を見て、必要な量だけを補給しました。新鮮なビンの牛乳はすぐに人が集まって、たちまちなくなりました。さらにホスピスや病院などにも回って、感謝されていました。丘へ向かった時には、日もかなり傾いていました。丘の上でも同じように、バザーやホスピスなどを回って、ミロクさんの歓迎会の行なわれる会館へ着いた時には、もうかなりの人が集まって、全員で会場の準備をしていました。

 中央には大きな円卓が据えられて、今日の賓客のために生け花の飾りつけがなされていました。それを囲んで会食者のためのテーブルが、これは普通の長方形の移動式テーブルですが、いくつも並べられています。続々と老人たちが入ってきますので、どんどんテーブルが増えてゆきます。さすがに老人国ですから、立食パーティーは無理のようです。杖を突いたり、車椅子の老人が目立ちます。大広間の片側には、バイキング形式の料理や飲み物が準備されています。ダルマ大統領と共に、ミロクさんらの訪問客が現われました。円卓に並んで席に着くと、それまで遠慮がちに立っていた老人たちも、円卓の空いた席に坐りました。

 「バオーバブ、セイトさん」

 と後ろで声がしました。ふり向くと、ブンプクでした。

 「ダルマ大統領が円卓にどうぞと言っています」

 何だかあつかましい気がして、躊躇っていると、「セイトさん!」と、ダルマさんが大声を出しました。大声で呼ばれるのもまた恥ずかしいもので、仕方なくミロクさんの隣の隣の空いた席に坐りました。知らない顔ばかりでしたが、嵐博士と星老人が円卓に坐っているのを見て、少しほっとしました。円卓が埋まり、会場が一杯になったところで、ダルマ大統領が大きな声を発しました。

 「Ubasute 老人国の皆さん、今日は国老連のミロク事務総長を囲んで、楽しい夕食を頂きましょう。最初にtoastと行きたい所ですが、ウスダーラさんのミルクにかけて、われらが老人国の未来を祝しましょう。Vivu  raonon kotanos !」

 「ヴィーヴー ラオーノン コターノス!」

 皆も一斉に和しました。それから賑やかな会食が始まりました。円卓の席にはすでに飲み物と、前菜が並べられていましたので、しばらく円卓メンバーの間で会話が弾みました。私は皆の話に耳を傾け、世慣れた人たちの対話振りにすっかり感心していました。私の左隣は、ミロクさんと共に訪れた、いかにも実務的な感じのする英国紳士でした。ミロクさんはテレビで見た時の印象そのままに、ガンダーラ仏を思わせる、アーリアン風の彫りの深い顔立ちをしていました。いかにも中国の大人風の容貌のダルマさんとは、好一対でした。私の右手には、車椅子の老婦人が、端然と坐っていました。やはり私と同じように、皆の会話を聞くことで楽しんでいるようでした。会場にモーツァルトのフルート協奏曲が流れてきました。遠くに、クラッシックおじいさんらしい姿が認められました。音響係を務めているのでしょう。

 英国紳士が私に話しかけてきました。どちらから来られたのかと、英語で訊いてきましたので、あちらの国からダルマ大統領の招待で、ルポルタージュのような仕事でやって来たのだと答えました。たいした仕事をしていないので、自己紹介も気が引けましたが、英国紳士は特に不審がらずにうなずいて、彼自身は老人国ファンドの仕事をしていると言いました。私はこれまで気になっていたことを尋ねる、良いチャンスだと思いました。

 「ミロク事務総長のお話にも、少しだけ触れられましたが、一体老人国ファンドとはどのようなものなのでしょうか」

 私は単刀直入に尋ねました。老紳士は英国人風に口元だけにこりとして、

 「それはあちらの国では誰もが訊きたがり、知りたがる質問です。あなたはいずれ老人国国民になられるおつもりでしょうから、お話ししても良いでしょう。もっともあちらの国の方に話したからといって、老人国ファンドが特に困るわけではないのですが」

 と謎のようなことを言いました。このアダム・スミスさんと名乗る、英国の老紳士はつづけます。

 「私はこの老人国の創始者である、ある匿名の人物の秘書をしていました。あるいは共同研究者であったと言っても良いかもしれません。その方は投資の天才でした。ある特別な理論から導き出された、世界経済の動きを未然にとらえる投資法を発見し、それによって巨万の富を築いたのです。一口に巨万の富といっても信じがたいかもしれませんが、大国の予算を優に超える資産を築いたのです。更にそれ以上の資産を築くことも可能であったでしょう。しかし、この方は冷静沈着な理性の持ち主であると同時に、非常に繊細な神経の持ち主でもあったのです。自分の築いた資産の大部分が、世界の不幸からもたらされたものであることを、常に気にかけていました。そして自らも家族の不幸に遭い、財産を受け継ぐものがいなくなり、老境の悲惨を思うにつれ、老人だけの国を発想し、実現したのです。その資金はすべて、彼の築いた老人国基金から出ています」

 ひよひよさんが、ゲストのためにお皿に盛った料理を前に置きましたので、その間老ファンド・マネージャーは礼を言って、話を中断しました。ひよひよは、「セイトさんはお好きに」と言ってウインクしました。老英国人は続けます。

 「老人国基金は、国老連と同じバオバブ島に置かれています。この島が最初の老人国です。人口の8割以上が高齢者というこの南の島を、国ごと買い取ったのです。最初の大統領がミロクさんでした。今は国老連の方をやっておられますが。匿名の紳士は、老人国創設後、私たちにすべてを託して、ほどなくして亡くなりました。老人国の基本理念は、ダルマさんからお聞きでしょうが、すべて創設者の遺志に基いています。さらに老人国基金は、投資ファンドとして、老人国連合を支える役目を与えられているのです」

 ここでアダム・スミスさんは、意味深げに私の顔を見つめながら黙りました。言うべきか、言うまいかを、考えているようです。その時、右隣の老婦人が「あーら」と歓声をあげました。彼女の見ている方を見ると、たくさんのシャボン玉が会場に漂っていました。その中心にチン・ライプ博士の姿がありました。博士はラファエロの描いたプラトンのような風貌をしていましたが、それが子供のようにシャボン玉を楽しんでいるのは見ものでした。

 「チン・ライプ博士の予定調和説が、またわれわれの投資法でもあるのです」

 と英国人の老ファンド・マネージャーは言いました。

 「世界のあらゆる現象は、その根底において調和しています。それが矛盾と争いに満ちているように見えるのは、人の認識能力が不完全なためです。その調和を探求することによって、世界のすべての現象の動きが、見てとれるようになります。とりわけ経済は、人間の根本の欲望、世界意志そのものの動きですから、微小知覚の観察によって、その現われが予測可能となります。それが匿名の紳士の投資法で、またわれわれの投資法です。その成果は、世界各国の老人国を支えるものとなっています」

 私はある種の矛盾のようなものを感じましたが、黙っていました。老紳士はそれを察してか、

 「もちろん、投資のようなことは、老人国自体ではなく、あちらの世界での営みです。老人国連合と、あちらの世界を調和させるには、あちらの世界の経済をコントロールする必要があるのです。すでに世界最大のファンドとして、老人国ファンドはあちらの世界の経済ばかりか、政治へも隠然たる影響を与えています。われわれは憎しみを買わないように、あちらの世界へも積極的な援助を行なっています」

 私はチン・ライプ博士がプラトンだとすれば、ミロクさんとアダム・スミスさんは、プラトンの賢人支配の共和国に欠けている、経済学者のようなものだろうかと考えました。



(つづく)

 

 

 

 



 







この本の内容は以上です。


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