目次
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てきすとぽい杯について
てきすとぽい杯について
各夜のお題
第17回 募集要項
第17回 審査結果
入賞作品紹介
《大賞》
『百鬼夜行の客商売』 みお
《入賞》 ※得票順/シリーズ作品は並べて掲載
『ヘッセ』 犬子蓮木
『高速道路』 粟田柚香
『集合住宅』 粟田柚香
『シーサイド・ヒル』 大沢愛
『ルーインズ』 大沢愛
『スタティック』 大沢愛
『クリスタル・ムーン』 大沢愛
〈候補作品〉 ※得票順/シリーズ作品は並べて掲載
『The Friendly Ghost』 碧
『The Not-Friendly City』 碧
『創造主の箱庭』 kenrow
『生々しさ』 フィンディル
『幽霊アカウント』 muomuo
『男死病』 muomuo
『名無しの少年』 muomuo
『絆』 muomuo
『そうやって大人になっていく―丁稚安吉の場合』 志菜
『せやせや』 せせせ
『曲り角奇譚』 茶屋
『幽霊屋敷に住むものは』 永坂暖日
『便利な家』 ◆BNSK.80yf2
『助手席の彼女』 永坂暖日
『できごころ』 しゃん@にゃん革
『幽霊屋敷の浴室』 山田佳江
『桜屋敷』 茶屋
『幽霊の生業』 豆ヒヨコ
『幽霊船』 小伏史央
『幽霊屋敷の記憶』 三和すい
『記憶喪失になった俺が大学受験に挑むのだ』 ひこ・ひこたろう
『館長さん』 晴海まどか
『怪談は幽霊屋敷で』 松浦徹郎
『幽霊空き家』 永坂暖日
『九朗右衛門事件帳』 茶屋
『幽霊屋敷の一件』 碓氷穣
『歌声』 茶屋
『ぼくがいまよみたいしょうせつてきすとぽいばーじょん』 ひやとい
『歴史の勉強』 しゃん@にゃん革
『新幹線の中で』 ひこ・ひこたろう
『ぼくとお屋敷』 犬子蓮木
『紅白歌合戦の舞台に俺は立ったのだが』 ひこ・ひこたろう
『幽霊屋敷から出て来たのは古切手』 ひこ・ひこたろう
『大学祭』 ひやとい
『薔薇の香り』 げん@姐さん
『Haunted Horizon』 木野目理兵衛
〈集計外作品〉 ※投稿順
『柿のお供え』 高田@小説垢
『僕がオトコノコを止めた理由』 文才無い魔女
『変な旅』 鳥居三三
〈関連作品〉
関連作品のご紹介
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『ヘッセ』 犬子蓮木

第四夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.06 23:23
最終更新 : 2014.05.06 23:29
総文字数 : 2822字

獲得☆4.143


《入賞作品》
ヘッセ
犬子蓮木


 犬小屋の前にぼくは立っている。この犬小屋は大きくて、犬小屋自体があるお屋敷とちょうどバランスがいい具合になっていた。
 ここは誰も住んでいないお屋敷。ぼくは最近、このお屋敷に遊びに来る。このお屋敷には幽霊がでるってことを最近ぼくは知った。だけどこのお屋敷がいくら古くてぼろっちいからって、幽霊屋敷なわけではない。幽霊がいるのは、そう、庭の犬小屋。ぼくは、その幽霊犬小屋にでるシベリアンハスキーの幽霊、ヘッセと遊びにこのお屋敷に来ているのだ。
「ヘッセはさあ、なんで幽霊なの?」
「さあ、わからない」
「さわれるし」
 僕は犬小屋の前で伏せていたヘッセに抱きつく。もふもふして暖かい。幽霊なんかじゃなく、ふつうに生きているみたい。
「気を抜くと触れないけどね」
 ヘッセがそういうとぼくは透明になったヘッセの体を通過して地面に転がった。痛い。
「ちょっとー」
「ごめん」ヘッセは申し訳なさそうに長い鼻の頭を前足で撫でていた。
 ヘッセがまた普通の犬みたいに透明でなくなったので僕は彼女に寄りかかった。
「昔からおしゃべりできたの?」
 ヘッセが首を振る。
「いつのまにかこんな風になって、それから君がきて、はじめてだよ」
 いまのところは、ぼく以外にここへ遊びに来た人はいないらしい。ぼくも一週間ぐらい前にはじめて知ったばかりだから、ほんとうについ最近だ。
「他の人とも話せるのかなー」
「できればやめてほしいかな」
「なんで?」
「大騒ぎになるかもしれない」
「いやなんだ?」ぼくはうししと笑う。
 ヘッセはごろんと地面に転がった。ぼくもそのままヘッセのお腹に頭を乗せる。
「人間にはいい人もいやな人もいるからね。会う人は少ないほうがいい」
「いい人にもたくさん会えるかもじゃない?」
 ヘッセは考えるような顔をする。普通の犬がそんな顔をしているかぼくにはわからないけど、ヘッセの顔はなぜかどんな風に思っているかがなとなくわかるんだ。
「わたしは人間が嫌いだから」
「飼われてたのに」
「だからね」
 ヘッセが目をつむってしまう。ヘッセは生きている間になにかイヤなことがあったのだろうか。ぼくは全然わからない。このお屋敷に人が住んでいたのだって、もう何年も前のことだって聞いている。ヘッセの犬小屋もぼろぼろで屋根に穴が空いていたりした。
 ぼくもヘッセのように目をつむる。ヘッセのお腹はとても暖かくて、幽霊なんて嘘みたいだ。そして、透明になってぼくが地面に落ちないから、ヘッセが寝たふりをしているんだって、ぼくにはわかる。
「ぼくのことはきらい?」
「……そういうときは好きか、と聞くものではないかな?」
「どっちだって一緒じゃん」
「そうだけど……」ヘッセはぐるると喉をならす。「答えを言えば、息子みたいだと思っているよ」
「ヘッセがぼくのお母さん!」ぼくは驚いて飛び跳ねてしまった。
「わがままであまえんぼうなところなんか、たぶんそんな感じに、君のほんとうのお母さんも思ってるんじゃないかな」
「変なの」
 ぼくはそのまま眠ってしまう。

 ぼくは夢を見ていた。ぼくがヘッセにまたがって、ヘッセがいろいろなところを走る夢だ。ぼくとヘッセは旅をしているらしい。砂漠の国や海の国、森を走って、雪を食べて、ぼくはヘッセの相棒のつもりなのに、ヘッセはぼくを手間のかかる息子だって言う。失礼しちゃうよね、と思うけれど、ぼくはいつもヘッセに助けられてばかりだから、あんまり偉そうなことも言えない。
 あるとき、ヘッセが珍しいしゃべる犬だって、大金持ちの家来たちに連れて行かれた。ぼくには袋いっぱいの黄金を渡されて、これでいいだろってお別れさせられた。
 いいわけないじゃないか。
 ぼくとヘッセは友達なのに。
 ぼくはひとり、大金持ちの宮殿に乗り込んでヘッセを助けようとした。だけど家来に見つかって、つかまって、街から追い出されてしまった。
 もうヘッセには会えない。
 そう思っただけで、涙があふれてきた。

「ヘッセ!」
「なに、怖い夢でも見ていたの?」
 ぼくが目を覚ますとぼくの頭の下にヘッセはなんにも変わらずリラックスした様子で寝っ転がっていた。
「別に怖くないけど」
「泣いてるのに」
「あくびだよ!」
「そう」ヘッセが笑った。「そういうことにしておくよ」
 ぼくは立ち上がって、それから勢いよくまたヘッセに抱きついた。地面に膝をついて、ちょっと痛いけれど、ヘッセのやわらかい毛が心地よかった。
「ずっとここにいてくれる? ぼくとあそんでくれる?」
「さあね」ヘッセが言う。「ずっとなんて約束はできないし、わたしがいつ消えるのかもわからない。いまだって、消えようと思えばすぐ消えられるんだ」
 ヘッセがさっと消えて。抱きしめていたぼくの両腕が空を切った。それから少しだけ離れたところにヘッセが現れる。
「なんで消えるんだよう」
「消えられるから、消えるんだよ」
「消えるなよ!」
「できるだけ、努力はするよ」
 ヘッセがゆっくりとぼくの方に歩いてきて、ぼくの顔をなめた。
「しょっぱいなあ」
「汗でしょ、泣いてないし」
「そう。でも、もう日が沈むから帰りな」
「また明日ね」
「明日があればね」
「そういうこと言うなってば!」
「性格なんだ。仕方がない」
 ぼくは立ち上がって、砂を払って、ヘッセの顔にぼくの顔を近づけてぎゅっとくっつけてから離れた。
「じゃあね」ヘッセが言う。
「またね!」
「うん、またの機会に」
 ぼくは大きく手を振ってからお屋敷の塀のほうに進む。それから割れたできた穴をくぐって、お屋敷を出た。帰って、お風呂にはいって、ごはんを食べて、宿題をして、眠って、起きて、学校へ行って、またヘッセに会いに行く。
 だけど、次の日、お屋敷にいったら、ヘッセの犬小屋はどこにもなかったんだ。
 ヘッセも消えていて、
 ぼくがなんども呼んでも、ヘッセはでてきてくれなかった。
 きっと透明になってぼくのこと笑ってるはずなのに。
 ぼくが泣いても叫んでも、
 いじわるしてでてきてくれなかったんだ。
 
 ヘッセとの数日間が、ぼくにとってのなんであったのかはわからない。夢だったのか幻だったのか。意味があることなのか、ぼくにいい影響を与えることなのかもわからなかった。ぼくは少しずつ大きくなって、今では高校生になった。それでもヘッセのことを忘れることなく、たまにお屋敷の前を通るとき、忍び込んでヘッセを捜した。
 だけどそんなことができるのもの今日が最後だった。
 ぼくの目の前でお屋敷が壊されていく。
 犬小屋はとうの昔になくなっていたけれど、ヘッセと遊んだ、その庭も重機たちが壊していった。
 ヘッセはなんでぼくの前にあらわれたのだろうか。そんなすぐに消えてしまうなら、出てこなければよかったのにと思ってしまう。一度も会わなければ、こんなに悲しくなかったのにと。
 それはたしかにそう思っていて、だけどそうではないとも思っていて、答えは決めることができないものだともわかっている。
 ただ、もう一度、ヘッセと遊びたいなとだけ、どうしても思うのだ。
 たとえそれが夢でもいいから。

<了>   

『高速道路』 粟田柚香

連作/第一夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.03 23:45
総文字数 : 3459字

獲得☆4.000
僕がその老人と会ったのは、白い蛍光灯が一定の距離を几帳面に守りながら、やはり一定の距離ごとに落ちる暗闇をも黙認している、長いトンネルの中だった。彼は路肩のわずかな石段、ちょうど僕の足の幅ほどしかない路肩の段の上を、片手はコンクリートの壁に這わせながら、一歩一歩慎重に歩を進めていた。僕はちょうど高速道路をかなり長い時間走ってきたところだった。夜空にサンルーフを開け放して、クラシック音楽専門のインターネットラジオを流したまま、次第に傾いて僕の視界から姿を隠そうとする北斗七星を追いかけながら車を走らせていた。そのためトンネルの中で僕は目指すべき指針を見失い、ジュリエットの姿が見えないことを歎くロミオの悲壮感を味わおうと務めていたから、高速道路のトンネル内を徒歩で進む老人の姿には、たいそうぎょっとさせられた。

老人は疾駆する僕の車の少し先を、夜走るどんな車両よりもゆっくりと歩いていた。トンネルはやや下り坂になっていて、僕の片足はブレーキに乗っていたから、動揺する気持ちとは裏腹に(夢想独特の浮遊感を打ち破られた時の暴力的な衝撃!)車はスムーズに減速した。一度は老人を追い越したけれど、行く手におあつらえむきの退避スペースがあった。僕は車を停めてシートベルトを外し、スライド式のドアを開けて、トンネルの中を引き返した。幸い僕の走っていた車線に他の車はいなかった。
ほどなく老人に追いついた。老人は僕が戻ってくることを知っていたようだ。なぜなら彼との間の距離がまだ2メートルはあろうかというところで、向こうから声をかけてきたのだ。
「サンルーフは閉めておくべきだな」老人にしては甲高い声だ。少なくとも僕にはそう聞こえた。「特にトンネルの中では。排気ガスが入ってきてしまう」
「いったい、どうなさったんです」僕は聞いた。
「家に帰りたいんだが」彼は答えた。「車をなくしてしまってね」
「なくした?盗まれたんですか」
「いいや違う。トランプに負けて引き渡したんだ」
僕は舌打ちしそうになった。すんでのところだった。じゃあなんで一般道や電車、もしくはタクシーを使わないのかと口にしそうになった。車がなくなったから、歩いて高速道路を踏断するなんて!やめたのは、困った立場の人に非難を投げかけるべきではないという、僕自身の良識からだ。
「それじゃあ、僕の車にお乗りなさい」僕はそう言った。「行けるところまで、お送りしましょう」
「もちろん、そうさせてもらう」と、彼は言った。言い方は穏やかなものだった。「が、そう遠くまでじゃない。このトンネルをでるところまででいいんだ」
「なにを言っているんです。トンネルを出たところで下ろして、どうやってお帰りになるつもりなんですか」
「すぐに分かるさ」そういって、彼はスタスタと僕を追い抜き、待避所にある車の方へ向かっていった。僕はあわてて追いかけた。対向車線を一台のミニバンが通りすぎた。
僕が運転席のドアを開けると、老人はとっくに助手席に収まって、シートベルトを締めたところだった。
「この甘い香りは何かな」彼は言った。「オレンジのカクテル?」
「違います」僕はそっけなく言って、車のサイドブレーキを外した。
「実験をしたことがある」彼は勝手に続けた。「ピールジョッキ一杯、ワイングラス一杯、カクテルグラス一杯、日本酒1合をいただいて、車に乗る。どの酒が一番ハイになれるか、どの種類が一番アブナイか。確かめれば、何も怖いことなんてない」
僕はもう返事をせずに、サンルーフを閉めようとした。
「開けておいてくれ」彼は言った。
「でも、排気ガスが」僕は答えた。
「星が見えないじゃないか」彼は言った。
トンネルの中ではよく見えなかったが、車内の明かりのなかで見ると、老人は思ったより小奇麗な格好をしていた。上半身は彼くらいの年齢の人が常に着ているジャケットだが、ビロードの様な光を含んだ生地で手入れも行き届いており、毛玉一つ見当たらない。正面のボタンは全部止められていたがその一つ一つがすべて違う色で、これもよく磨かれており、紺調のビロードの上でピカピカ輝いていた。ズボンには特に変わったところはなく、靴は座席の下に隠れていて見えない。人相はと言えば、頭髪はあまり面影をとどめておらず、代わりに綿毛のように真っ白な眉毛が頭頂よりすこし下にふさふさと揺れており、瞳は分厚く垂れ下がった瞼に隠されほとんど表情を示さない。鼻筋はちょっとみかけない立派な鷲鼻で、若い頃はさぞ高々としていたのだろう。年月が否応なしに積み重ねる皺が彼の皮膚を覆い尽くしていたが、その襞は綺麗にととのえられており、えくぼはその中でも埋もれることなく際立った存在感を示している(きっと皺だらけになってから生れたのだ)。実のところ、彼を老人たらしめているのはその数々の皺と、動作から永久に失われた機敏さだけで、何かのはずみに空でも飛んでしまいそうな、正体の分からないエネルギーが潜んでいた。
僕は結局サンルーフを開けたままにして、車を発進させた。動力を加えられたタイヤはするすると回り、下り坂を駆け下り始めた。
「そんなに急ぐことはない」老人が呟いた。僕はブレーキを踏み込んだ。

トンネルの先は長かった。すり鉢状の山を長々と貫く横穴の中を、僕と彼はだまって滑り降りていった。時折対向車線に大きなトラックや、小さなトラックが通りすぎた。僕はいつの間にかまた、トンネルの入口で見失った北斗七星のことを考えていた。出口で我々はまた出会えるだろうか?やむにまれぬ障害によって引き裂かれた2人がまた出会う時の感激、それは星と人の間でも同じだろうか?たとえそれが、人からの一方的通行にすぎないものであったとしても、星は常にあの偉大なまたたきで、僕たちに答えを返してくれる。人は所詮受け取り手にしかなれない。隔絶された宇宙と地球の距離を人の力で埋めようなどと、大それたことを考えるのはやめるべきだ。詩人も音楽家も、ずっとそうやってきたのではなかったか?…
「大それているから、美しいこともある」老人は言った。

車のナビ画面は、永遠につづくかと思われたトンネルももうすぐ終わりに近づくことを告げていた。僕は夢想を断ち切り、老人に声をかけた。
「どちらまで行けばいいんです」
「トンネルの出口までだ」彼はまた言った。
「そんな話は聞けませんよ」僕は言った。「貴方のようなご老人を一人、真っ暗の高速道路の上に投げ出すなんて。どんな事情があるかは知りませんが、安全な場所までは下ろしませんから」
「やれやれ」彼の声はなぜか、少し明るくなった。「迎えが来るんですよ。だからそんなにお手間をお掛けすることはないんです」
「迎えですって?」
「はい」
「一体、どこから?」
「迎えといいますか」老人はぼんやりと上方を見上げた。「彼女、トンネルの中を通るのは嫌がるのです。だからトンネルの中だけは、自分の足で行かなくちゃならなかったんです。拾っていただけたのは幸運でした。でも、あとは彼女が送ってくれます」
「彼女って?」
ちょうどその時、トンネルが尽きた。
几帳面な照明の列が一斉に途切れ、視界が闇に閉ざされた。サンルーフから新鮮で冷たい夜の空気が流れ込んできて、僕らの首筋と手首に触れる。
「ちゃんとついてきてくれたな」老人の声がした。彼の顔は見えなかったが、上を見上げていることは読み取れた。僕も顔を上に上げた。サンルーフからは、都市の照明に照らされ紫色に染まった夜空に、奇妙な図形の形をとって貼り付けられた、北斗七星がまたたいていた。
「すまないね、文曲さん」なぜか老人の声は、とおくから響いてくるようだった。「もうすこしだけ頼むよ。なに、たったの7光年のことだから」
天井から流れ込んできた静かな風が途絶え、一瞬、すぐ近くでキャンプファイヤーが燃え上がったと思えるかのような熱が流れ込んできた。ハンドルから手を離さずにいられたのは奇蹟に近い。目を硬く閉じてハンドルにしがみついた僕の頭上から、あの老人の声がした。
「今日はどうもありがとう。みんなも貴方のことを気に入ったみたいだ。よければ遊びにいらっしゃい」
熱気はあっという間に通り過ぎ、その後には冷たさをました夜気だけが残された。僕はいつの間にか路肩に車を寄せて、事故車両みたいに止まっていた。
車内には当然、僕以外に誰もいなかった。ただ、助手席には星形に繰り抜かれた茶色い紙片が置かれていた。ナビの白いかすかな明かりが、最初の一行を照らしだしている。

『星々の幽霊屋敷 招待状』


第二夜エントリー 『集合住宅』 に続く

『集合住宅』 粟田柚香

連作/第二夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.04 23:45
総文字数 : 4247字

獲得☆4.111


《入賞作品》
第一夜エントリー 『高速道路』 続編
集合住宅
粟田柚香


高速道路で奇妙な老人に出会い、世にも不思議な経験をしてから一ヶ月後。仕事から帰ってポストの中身をあらためると、投資信託のDMとピザのチラシに、青色の星形の紙が挟まっているのを見つけた。
以前とは-高速道路の路肩に止めた車の助手席に置き去りにされた白い星形の紙を見つけた時とは-うって変わった、落ち着いた気持ちで僕はそれを読んだ。
『来週日曜日、日が沈む頃に××駅の前。迎えに行きます。』
筆跡は万年筆で手書きで書かれたもののようで、駅という漢字が少し潰れていた。

僕は青い星形の手紙に指定された日、××駅前のロータリーへ向かった。そこは僕の家の最寄り駅から鈍行列車で五駅ほど郊外に出た土地にあり、そういった町にはよくあるように、駅前はロータリーになっていて、その中央には一握りの花壇と芝生があった。
あの老人を見つけるのにわけはなかった。彼は車に乗っていた。とてもよく目立つ水色のクーパだ。他にロータリーに停車していたのは黒塗りのタクシーと、おそらく老人介護施設から来た白いワゴンの送迎バスだけだった。
僕が車の脇に立ってから老人がこちらに気づくまで少しかかった。老人は駅の出入口とは反対側、ロータリー中央の芝生をやたらと熱心に眺めていたから。あるはずみに大きく嘆息し、額に浮き出た汗を拭い(彼の車には西日がよく当たっていた)それからようやく僕に気づいて、助手席側の扉を開けてくれた。
「車は賭けの抵当にとられたんじゃなかったんですか」僕は尋ねた。
「あれはセダンだった。これは違う」彼は言った。「人助けをして、その見返りに車をもらった。セダンほど乗り心地は良くないが、ないよりはずっといい」
助手席に僕が乗り込むと、老人は静かに車を発進させた。旧型の車にしてはその動作はゆるやかで、すでに彼がこの車を相当乗り込んだことをうかがわせた。
「先ほどは何を見ていたんです」
「モニュメントさ」老人は顎をしゃくってみせた。
ロータリーを滑り出る車から後方を振り返って、僕はなんとか、芝生の中央にそびえ立つ銀色のピカピカ光る巨大な彫刻を視界の隅におさめた。それが何を表象しているのかまではわからなかったし、きっとわからないままでいいのだろう。
「良い作品なのですか」僕は尋ねた。
「良いか悪いかは知ったこっちゃない。気に入るか、気に入らないかだ。」老人は言った。彼は片手でハンドルを操作していた。
「それで一体、これから何処に行かれるんです?」
「手紙に書いただろう」老人は真正面を見据えたままだった。「幽霊屋敷さ、我々のね」

我々の車は大通りを突き当りまで進み、うねうねと複雑に入り組んだ横道に入り込み、犬の散歩をする人しか通らないような小路を抜けて、川沿いにあるマンションの駐車場にすべり込んだ。しめて20分くらいだっただろうか。老人はクーパを降りると自分の手でサイドミラーをたたみ、それから鍵を取り出して玄関の錠を外した。ここにはインターホンやロック式自動扉はないようだった。
「ご自宅ですか」二人入れば満員のエレベーターに乗りながら僕は聞いた。
「私のではないがね」老人の答えはこうだった。
電気式上昇箱は5階でとまり、我々は灰色の廊下をつきあたりまで歩いた。老人が立ち止まった家先は、暖色系のドアも鉄格子のはめられた窓も、ひとつのこらず通り過ぎてきた部屋と変わりはなかった。けれど静まり返った廊下のうつろな壁をふるわせる、かすかな人声が漏れ出てきた。
老人はチャイムを鳴らした。
<どうぞ>おそらく中から、ざらざらとした返答が聞こえた。
老人は今度は鍵もなしにドアノブを回した。開けてみると、ドアの小口にクッションがついていて、暖色系のドアは音もなくするすると開いた。中は暗く、奥に何があるかは見通せなかった。
彼はどうぞともお入りとも言わずに中に入った。僕も彼の後に従った。

狭い廊下の先には2つ3つの扉があり、行き止まった先、一般的なマンションならばリビングがあるであろう部屋に、見事なバーカウンターがしつらえられていた。
部屋はほぼ黒塗りで、天井からささやかな光沢を投げかけるオーナメントがいくつも吊るされている。ミラーボールのような派手な照明はなく、ごく普通の蛍光灯が、オーナメントたちに光を投げかけていた。カウンターは黒のタイル張りで、一部の欠けもはみだしもなく、見事な精密さで並んでいた。カウンターの中にはいかにもバーテンダーという服装、つまり黒い薄地のチョッキと蝶ネクタイをつけた男性がひとりいた。他にもカウンターには客がいた気がするが、なぜかそちらにはあまり注意が向かなかった。
「いらっしゃいませ」バーテンダーが言った。声質から、ついさっきチャイムに答えた声と同じとわかった。
「友人を連れてきたよ」老人が言って、さっそくカウンターに座を占めた。
「ようこそ、『幽霊屋敷』へ」バーテンダーはそう言って、老人の隣の席を僕に進めた。長い指ときれいな爪の持主だった。
「当店は前払い制になっております」
座るなり、バーテンダーはそう告げた。めんくらって言い返せない僕をよそ目に、老人はジャケットのポケットから(高速道路で着ていたものと同じだ)札束をひとつかみ取り出した。バーテンダーも眉一つ動かさず(眉も綺麗に整えられている)札束を手に取り、すばやく枚数を数えた。その手つきはいかにも大金をあつかいなれているといったものだった。そして老人が取り出し、バーテンダーが数えている紙幣は、僕がこれまで一度も目にしたことがないものだった。
「結構です」彼は言った。「どうぞ、お好きなものをお申し付けください」
「ジャマイカ・クーラー」老人は即座に言った。「コーヒー多めだ」
「帰りも運転されるのでしょう」僕は口を挟んだ。
「前にも言ったじゃないか、俺はきちんと実験してある」老人は平然と言う。「ジャマイカ・クーラーをコーヒー多めで2杯飲む。その後缶詰のオレンジと、栓を抜いたばかりのサイダーを混ぜ、一瓶分飲み干す。これで捕まったことはない」
そう言っている横から、バーテンダーがカクテルを持ってきた。小さなグラスの上には、星形のレモンの皮がのっている。
「何になさいますか」バーテンダーは今度は僕に眼差しをむけ、注文を促した。僕は何も気の利いたことが思いつかず、ただウィスキーを頼んだ。

僕と老人はしばらく、黙ってそれぞれの酒を味わった。老人はあっという間に一杯目のカクテルを飲み干し、二杯目が差し出されると、今度は少しづつ口にした。まるで本当に、一度口をつけるごとに一滴しか舌に載せていないかのようだった。
「そろそろ説明してくれませんか」僕は半分飲み干したウィスキーを脇におしやり、老人に言った。
「そうだねえ」老人はまた一滴、カクテルを口に含んだ。「何から聞きたい?」
「ここは本当に幽霊屋敷なんですか?」
「そうだとも。我々は幽霊のようなものだから。もちろんあんたは違う。ここの敷居をまたいだらお陀仏になったとか、そんなことはないから安心してほしい。だが、我々は幽霊のようなもの。亡霊、幽鬼、陽炎、まあなんでもいい」
「幽霊が車を乗り回すんでしょうか」
「まぜっかえすんじゃないよ。今日君が乗ったクーパに実体があったように、我々はちゃあんと身体を持っている。足だってはえている」彼は片手の拳で軽く膝を叩いた(紺のコールテン地のズボンだ)。「だけど我々は人間ではない。ここまではいいかな?」
「それは、もう」
「いいことだ。物分かりがいいと、人生はよりよいものにできる。それはともかく、では我々は何者かと言われると、そうだな、星から落ちてきたもの、と表現してみようか」
「宇宙人?」
「違うさ。そしてここでもう一段階。我々は生命の幽霊じゃない。星の幽霊だ」
「星の幽霊?」
「そう」
「では、超新星爆発で吹き飛ばされてきた?」
「いやいや。我々のふるさとはまだ存在している、ありがたいことに。その証拠は空にある。星々から降り注ぐ光が見えているかぎりね。星はとても遠い。君たちの尺度では測りきれないほど遠い。そんな遠くから、この地上に降ってくるものは?」
「放射線?」
「勘弁してくれたまえ。先ほど、ヒントを出したのに…」
「光?」
「その通りだ。やはり君なら理解すると思っていた」
「でもひ、光だなんて」僕はさすがにつっかえた。「光が…人間に?どうやって?」
「星がとても遠いということは、先刻言ったとおり。あまりにも遠すぎて、万物の中でも最高の速度で駆け抜けることができる光ですら、何万年という時間を積み重ねなければこの地上には届かない。光はふるさとである星から放り出され、どこまでもどこまでも、虚空の中を駆け抜け続ける。止まることはない。戻ることもない。そんな性質は持っていないから。ゴールの設置されていないモーターレースだ。やがて突然、光はこの惑星にぶつかる。温かい惑星だ。生命のいる惑星だ。君ならどう思う?何もない。音も光も空気もない宇宙空間を、いつ果てるともしれない長い時間飛び続けた星からの光が、この大地にたどり着く。足を止めたくならないだろうか?腰を据えたいと考えないか?」老人はそこで言葉を切って、半分ほど残っていたカクテルをぐいとあおった。「我々はそこから生まれた。我々はそんな風にやってきた。すでに故郷とは切り離されている。戻るすべはない。宇宙に帰ることもない。ここで暮らすことを選んだから」
「だから」僕は思わず呟く。
「そうだ。我々は幽霊。遠く遥か彼方にある、星たちの残滓。天体の幽霊。さまよい続ける魂の欠片」
「だから」僕は言わずにいられない。「北斗七星があなたを迎えに来た」
「トンネルの中を嫌がるからね」彼は言う。
僕は星々のことを考える。サンルーフの窓からのぞく紫色の空で、か細い光をふりまく星々のことを思う。

僕は2時間ほど滞在した。言葉を交わしたのは老人とバーテンダーだけだった。他の客もときおり訪れたが、干渉してくることはなかった。
「そろそろ帰るといい」彼は言った。「すまないが、俺はワインが飲みたくなった」
「いいですね。次回は僕も試すとしましょう」僕は言った。
「いつでもどうぞ」と、バーテンダーが答えてくれた。
「道は大丈夫か」老人が、立ち上がった僕に声をかける。
「ええ、まあ」僕はポケットにある携帯のことを考えている。
「北極星を探すんだ」老人は言う。「北極星を右手に見ながら進むといい」
その言葉を幕切れに、小口にクッションのついたドアは音もなく締まり、その夜は終わった。

『シーサイド・ヒル』 大沢愛

連作/第一夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.03 23:44
総文字数 : 2376字

獲得☆3.727


《言葉の魔術師賞》
シーサイド・ヒル
大沢愛


 午後十時半を回っていた。海沿いの県道には、ところどころに無料駐車場が設えてある。アイドリング状態で止めた車のLEDライトがガラス越しに見える。夜釣りの客ならもう少し海水浴場寄りに行くはずだ。わざわざ五月の夜に人気の絶えた場所にいる理由については身に覚えがなくもない。今にして思えばげんなりする。
 
 別れた男とのあれやこれやは神経を逆立てる異物でしかない。ところが男の側からすると「いい思い出」みたいで、何年も前に別れた相手から思い出したようにメールが来たりする。
〈ひさしぶり。元気にしてる? この間、新車買った♪ 慣らし運転で近くまで来て、ついメールしちゃった〉
 こっちの出方を探る文面が神経に障る。これが好き放題な要求を重ねた挙句、私の友だちと二股かけて別れた男の言うことだろうか。ひと言でも言い返せば調子づくに決まっている。ことさら着信拒否にすると深読みしてアパートの外でクラクションを鳴らしたりする。黙って消去して、ひたすら無視するしかない。
 夕食を終えてバスタブにお湯を溜めている時にメールが入った。週末のこの時間は、それぞれ予定に従って過ごしている時間だ。暇つぶしメールを送ると足元を見られる。点滅するディスプレイを開くと、トシキからだった。友だちのキョウコがつきあっていた相手だった。彼女がいなくなってから一時期、つるんでいて、元彼、になりかかったこともある。結局、初めて一緒に週末の駐車場へ行った日に、新しい彼女ができたと告げられた。なら連れて来るなよ、と言いそうになったけれど、ルームライトの下で心底すまなそうにしている顔を見ているうちに、自分でも分からない衝動が芽生えた。スイッチに手を伸ばして消すと、運転席のトシキにのしかかっていた。押しのけようとする腕を払いのけて、吐息を唇で覆った。二時間後、アパート近くの路上で車を下りたあと、二度と顔を合わせなかった。メールはすべて無視した。問題の彼女とは別れたらしい。届いた文面から、それを交換条件にしようとする臭いが伝わってきたところで一気に醒めた。肝腎なところで自分から動けない男は、付き合うほどに疲れてくる。キョウコの名前とともに記憶のごみ箱に放り込んだ。
〈キョウコを見つけた。今すぐ来てほしい〉
 トシキのメールはそれだけだった。何度も見直した。行方不明になってから三年が経つ。あのころの週末には放心状態のトシキを助手席に乗せて、海沿いの町をくまなく走り回った。心当たりの場所、というのは要するにトシキとキョウコがふたりで出かけた場所だった。デートスポット巡りを繰り返しているうちに、少しずつ口もほぐれてきた。キョウコがひとりで行きそうな場所についてはトシキは何も知らなかった。「だってさ、俺と付き合っていたんだから」確かにそうかもしれない。なら、いなくなった女を探すこと自体、無意味な行為になる。それを言うと本気で落ち込んだ。キョウコが前彼と一緒に行った場所はさんざん聞かされていたけれど、トシキには言わなかった。さらにその前の彼とのデートスポットも。全部ぶちまければトシキは壊れてしまうかもしれない。それでも、キョウコ好みのイケメンとは少し異なる丸顔のトシキを載せてのドライブは、ひっそりとした楽しみにもなっていたのだ。会社からの帰途、車にガソリンを満タンにしていた。バスのお湯を止めて、手早く着替えてエンジンキーを取り上げた。

 海沿いの道を左に折れて、山道に入る。ヘッドライトが灌木の茂みを撫で、目の奥に残像を重ねる。ギアが下に切り替わり、上り坂は急になる。山肌を左に見ながら曲がりくねった道を進むうちに、不意に視界が開けた。
 海が見える。木柵に沿って走り、崖の上に突き出た駐車場に出る。暗がりの中に車が一台、止まっているのが分かる。一台ぶんの距離をあけて、隣に寄せる。ミニバンだった。ドアが開いて、人影が降り立った。ヘッドライトの前を横切る瞬間、顔が浮かび上がる。
 トシキだった。
 運転席側に回り込み、ガラスを軽くノックする。エンジンを止めて、車から外に出る。崖下から波の音が湧き上がる。潮の香りが、ねっとりとした湿気とともにまとわりつく。車から離れる。背後でドアが自動でロックされる。振り向くと、黒い影法師になったトシキがこちらを見下ろしていた。
「ようやく、見つかった」
 声はどこか冷ややかだった。三年前の、ひとの顔色を窺うような気弱さは感じられない。
「おっそい」
 溜め息をつきながら、星空を仰ぐ。ここから見る夜空は、いつだって星でいっぱいだ。
「そこの廃ホテルだったんだね。あの頃から幽霊屋敷で有名だったけれど、どっちかというとヤンキーの溜まり場のイメージが強かった」
 ヒールなしで正解だった。有刺鉄線と板で囲まれているけれど、敷地に入れば雑草が生い茂っている。チノパンにしようかとも思った。でも、トシキがいるなら無理してでもスカートだ。
「高校時代のキョウコにはおなじみの場所だよ。アンタ、本当に知らなかったわけ?」
 ゆっくりと舗面を歩き始める。砂利を踏む音が闇に響く。
「その高校時代、キョウコの仲間に連れ込まれたってね」
 廃ホテルのシルエットが浮かび上がる。埃だらけのフロアと、すりむけた膝や手のひらの痛み。割れたガラスのそばで微笑むキョウコの顔。
「そういうつまんないことを嗅ぎ回っているからダメなのよ、アンタ」
 駐車場出口の木柵が近づいてくる。背後で、そうだね、という声がした。
「取り返しのつかないことをぐじぐじ悩んでないで、シャキッとしなさいよ。カッコつける場面でしょ」
 いつの間にか左横に影が並んでいた。左手を握られる。強く握り返す。こんなに大きな手のひらだったんだ、と思う。
「これからどうするか、決めているんだよね?」
 答えはなかった。代わりに、手のひらが握り返される。思いのほか、柔らかい手だった。


第二夜エントリー 『ルーインズ』 に続く


※作品集への掲載にあたって、誤字等を一部修正しました。

『ルーインズ』 大沢愛

連作/第二夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.04 23:45
総文字数 : 6148字

獲得☆4.100


《入賞作品》
《言葉の魔術師賞》

第一夜エントリー 『シーサイド・ヒル』 続編
ルーインズ
大沢愛


 海辺にある県立普通科高校に入学して1年が過ぎた。漁師町があり、造船所関係の家族も多い土地柄で、学区にある中学校は軒並み荒れていた。授業中に体育館周りでボールを蹴って遊んでいる子たちは先生に注意されても平然としていた。成績の点でもいわゆるヤンキー系の子たちは中の上のあたりに固まっていた。下位になるのはむしろおとなしく苛められがちで授業もノートを取ろうとしている子たちばかりだった。何もしない子は軽くみられる。だから基本的にヤンキーは格好悪いことではなく、むしろ一目置かれていた。学校一のワルと目されていた男の子はサッカー部のエースで全国大会常連校からスカウトされていた。結局、その子も私と同じ地元の普通科高校に進んだ。中学校の雰囲気をそのまま受け継いだ高校生活はそれなりに円滑に始まった。
 
 中学時代からの友だちも30人ほど入学していて、所属していた陸上競技部の試合で顔見知りになった他校の女の子も含めるとどのクラスにも見知った顔が片手はいた。どちらかといえば地縁重視で人間関係ができあがる中学時代とは違って、高校では目的重視だった。国立大学進学者は20人前後の高校では大学進学をめざす人間関係はできにくい。私も高校入学と同時にバレーボール部に入部した。陸上競技部は日焼け止めの多用による肌荒れが気になっていたし、顧問が姿を見せないせいか100mコースのすぐ横で砲丸を投げていたりする。とりあえず大怪我の危険を冒してまで潮風の吹きつけるグラウンドで過ごす気にはなれなかった。
 
 女子バレーボール部は1~3年で合計8人だった。1年生が3人入部したことで、3年の先輩はものすごく喜んでくれた。と同時に、退部はほぼ不可能になった。体育館の練習割り当ては週に3日、男子バレーと男女バスケとの半面のローテーションになっていた。フロア中央部に防球カーテンを引いて練習するけれど、バスケットボールのパスが外れるとカーテンをおしのけて下から飛び込んでくる。そのたびに1年生部員が「すみませんでしたっ!」と叫んで回収に来る。その中の1人がシュウヘイだった。
 シュウヘイは中学は別だったけれど、同じクラスになってからは何かと気になる子だった。休み時間には男の子たちの中で騒いでいる。頭ひとつ大きなシュウヘイが机を叩いて笑うと、私もつられて笑顔になった。イケメンではないけれど、いつも洗顔直後みたいな肌艶をしていた。体育の授業の後で使う制汗ウォーターの香りが私の使っているものと同じことに気づいてからは、ピンクのボトルを見るたびにどきどきした。
「ねえミワ、アンタ、シュウヘイのこと好きなわけ?」
 そう囁いたのはキョウコだった。同じバレー部で、レギュラーからは外れている。練習では球出し係や回収係をやっていて、防球カーテンのそばに立っていることが多い。
「好きっていうか、嫌じゃない感じ?」
 練習の休憩時間だったと思う。体育館外のコンクリート段に並んで腰を下ろし、凍らせて持ってきたスポーツドリンクを飲む。朝、冷蔵庫から出して9時間近くたつのに、タオルで巻いておいたボトルはまだ冷たかった。
「あー分かる。なんかティッシュペーパーみたいだよね、アイツ」
 なにそれ、と訊き返すと、シュシュを外して頭を振った。ウエーブのかかった髪が宙にほどける。制汗剤の香りの向こうからやや脂じみた体臭が漂う。
「ティッシュって顔を埋めても唇を当てても気にならないじゃん。男の子って、まずその段階で拒否りたくなる子が多いけど、アイツは違う」
「なに、その微妙な褒め方」
 シュシュを手のひらで宙に投げ上げる。小指のネイルが細かく光った。
「付き合ってみるのはいいんじゃない? おもしろいと思うよ、いろいろと」
 立てた膝の間に顔を埋める。両手で摑めそうな首だった。襟首がはだけて、黒いストラップが覗いた。

 キョウコと話してからしばらくして、部活が外での自主練になった日、思い切ってシュウヘイを摑まえて告白した。シュウヘイは思わずあたりを見回して、それから私の胸元に目を遣った。
「付き合って欲しいんだ。アンタ、ちょっといい感じだし。一緒にいると楽しそうだから」
 中学時代にもこういう言い方で告白したことはあった。最初の子はもう付き合っている子がいるから、と断ってきた。次に告白した子は、返事を待ってほしいと言った。そして翌日、クラス中の話題になっていた。その子が言いふらしたらしい。歓声の挙がる中、その子の机に近づいた。「で、答えは?」周りに聞こえる声で言う。その子は言葉を詰まらせたあと、おどけた表情を作って「えっ?」と甲高い声を挙げた。次の瞬間、私の右手がその子の左頬に飛んだ。とっさに腰を浮かせたのか、座っていた椅子が倒れ、遅れて床に尻餅をついた。「気が変わったわ。断るね」言い捨ててざわつく教室から出た。みんなが私を避けて行く。そのとき、肩に手を掛けられた。振り向くと、マスカラを上手に引いた女の子の顔があった。「いいねー、アンタ。ああいうのは張り倒して当然だよ」たぶん、キョウコと最初に話したのはそのときだったと思う。
「ありがとう。どうやって付き合っていいか分からないけど、俺もいいなって思ってた」
 じっと目を見つめていると、よろしく、と頭を下げる。肩から胸にかけて、熱くなったのを憶えている。シュウヘイ・ミワと呼ぶことにして、その日から二人は付き合うことになった。
 運動部同士のカップルは周囲にもいくつかあった。土日にも練習や試合がある関係上、帰宅部同士ほど恋人然とした感じにはならない。もっとも片方だけが帰宅部だと早かれ遅かれ破局する。お互いに拘束されている分、たまに会える日はうきうきした。私は親に禁じられていて、スマホはおろかガラケーすら持たせてもらえなかった。だから会える時間がよけいに貴重に思えた。
 日曜日に初めて市内で待ち合わせをした。フェリーに乗って瀬戸内海を渡り、高松まで行った。JRで県庁所在地まで行くより、隣県に行く方が安くて速い。商店街をぶらついて、うどんを食べて、映画を見た。歩きながら、隣の歩調がずっと気になった。私も170㎝だったけれど、シュウヘイは180㎝を超えていた。気を遣うシュウヘイがいつも遅れ気味になるのがおかしかった。同じ学校の連中もどこかにいたはずだが、気にならなかった。夕暮れが近づいてきた。帰りのフェリーに乗って、デッキで二人並んで海を見つめていた。対岸の明かりが宝石をちりばめたようで、藍色を濃くしてゆく夕空の星々が少しずつ増えていったのを憶えている。
 
 そんな形で付き合いは続き、2年生になった。後輩が2人入り、女子バレー部も辛うじて存続を果たした。キョウコはマネージャー的な立ち位置に定着していて、バスケ部の何人かと付き合っては別れていた。
 
 県総体出場が潰えた直後の土曜日、シュウヘイが「ドライブしよう」と言ってきた。誕生日前で、まだ17歳にもなっていない。それでも、デートプランをシュウヘイから言い出すのは珍しかった。それまで、たいていは私の行きたい場所をまず聞いて、それに従って決めていた。「絶対に事故らないこと」を約束して、待ち合わせ場所を決めた。
 やってきたのはマルーン色のR2だった。運転席から顔を出したシュウヘイが笑顔で手招きする。助手席に乗り込むと、グレープフルーツの芳香剤が香った。バスか電車、船ではさんざんデートしていたけれど、それ以外の場所に行くのは初めてだった。サンバイザーを下ろすとオイル会員カードホルダーが挿してある。トノウチクミコ、と印字してあった。海沿いの県道を走って、右折して山道に入る。ヤマツツジの鮮やかなピンクが茂みのあちこちから顔を覗かせていた。シュウヘイの運転の巧拙は分からない。ただ、山道に入ってからはものも言わずにハンドルにしがみついていた。九十九折を過ぎて、空が開けた。姫ヶ丘の頂上だった。瀬戸内海を見下ろす駐車場に止める。エンジンを切ると、大きく息をついてシートに凭れた。ご苦労さま、と言ったあと、思い切って身を乗り出して抱き締めた。汗ばんだシャツはシュウヘイのにおいがした。
 駐車場には捨て猫が住みついているようで、車から降りて歩き始めると小走りに近寄ってきた。しゃがみこんで顎の下を搔いてやるシュウヘイはいつもより優しく見えた。遊歩道を歩いて海を眺め、引き返して道路側に向かった。展望台ロッジの向こうに白っぽい建物があった。スプレーでタギングされた外壁に嵌まった窓は、ガラスの大部分が割れていた。
「開業前に廃業になったホテルだよ」
 シュウヘイが指差す。ロッジから出てきた車が、山道を下って行く。
「第三セクターに出資してた企業が大金をつぎ込んだ挙句にバブルが弾けて破産したって。今じゃ幽霊屋敷、とか言われている」
 周囲を板塀で囲み、有刺鉄線が張り巡らされている。板塀にもびっしりと落書きがされていた。
「先輩がここで集会やってて、たまに来ることがあるんだ」
 何やってるの、と言うと、頭に手をやった。
「いっぺん、ミワのこと紹介しろって言われている。悪いひとじゃないんだけど、逆らうとヤバいかも」
 付き合っている男の子が友だちに彼女を紹介するのは、本気で付き合っている証だと思った。
「もしよかったら今度、一緒に行こう。夜中だけど、かえって面白いよ」
 夜中にシュウヘイと一緒に出掛けるのは初めてだった。家での私の部屋は二階の角だった。こっそり脱け出してもバレない。私が頷くと、シュウヘイは背中に回した手のひらをゆっくりと下に降ろした。

 目隠しがこめかみに食い込んでいる。引っ張られた髪の毛が痛い。口に詰め込まれた布が喉の奥にまで達して、吐き気がこみ上げる。床に転がされた。買ったばかりのカットソーの背中がコンクリートの凹凸に削られる。
 シュウヘイの声がした。哀願するような調子だった。笑い声に続いて威嚇する声が響く。ボトムが剝ぎ取られるのが分かる。膝を絡めて抵抗すると、腹部に一撃が加わった。息が漏れるのと同時に、頼りない寒さが広がる。そのとき、何かを叫んだ気がする。助けを呼んだのではない。押えつけられて、埃の濃い臭いがたちこめる。仰向けから膝立ちになり、四つん這いになった。シュウヘイの名前は呼ばなかった。聞こえたのは、私の顔色を窺うときの口調と同じだった。痛みを堪えているうちに、無意識にいなすようになる。人の気配は十数人だろうか。ここで顔を見てしまえば最悪の事態になるのは想像がついた。
 眉に冷気を感じる。目隠しがずれていた。瞑った目を薄く開く。割れたガラス窓から月の光が差し込み、周りの人間の姿は逆光になっていた。手が伸びて来て、目隠しをつまんで引き上げる。視界が閉ざされる一瞬前に、月明かりの窓辺に立つ横顔を見た。チュニックを着て、ウェーブの髪を振っていた。声を出しかけて、照らされた顔が笑っているのに気づく。喉の奥でかすかに唸っただけで、ふたたび闇の底に沈んだ。
 どれくらい時間が経ったのかわからない。気がつくと、人の気配は消えていた。口の中の布を吐き出し、首を振って目隠しをずらせる。割れた窓から射し込む月明かりは、コンクリート剝き出しの床を斜めから照らしていた。部屋の隅からすすり泣く声が聞こえる。怒鳴ってもよかった、と思う。でも、心はしんと静まり返っていた。
「手足を解くのを手伝って」
 久し振りの自分の声はどこかよそよそしかった。蹲った人影はのろのろと立ち上がり、近づいてくる。嗚咽が続いている。手首、そして足首が自由になる。縛られていた部分を撫でると、生臭く濡れているのが分かる。
「ごめんね」
 はっきりと声がした。その瞬間、右手が閃いた。膝をついた目の前に立ち上がり、潰れた声を絞り出す。
「あやまるくらいなら、最初からするな!」

 無言のまま、R2に乗って家に帰った。寝静まった家の中で、バスルームでシャワーを使った。脱いだ服はあちこち破れていたけれども、先週末に買ったばかりで、ママもまだ見ていない。そのまま捨ててしまえば「なかったこと」にできる。シュウヘイとのことは何も考えられなかった。それでも、私から言い出して付き合い始めたのだ。こうなってみると、こういうことは予想できたような気もする。誰のどういう思惑でこうなったのか、穿鑿する気になれない。後悔できるのは大したことではないからだ。ある程度以上のことが起きると、振り返ること自体が危険に思えて立ちすくんでしまう。着替えてベッドにもぐり込む。自分でも意外なことに、すぐに眠りに落ちた。
 月曜日に学校へ行くと、シュウヘイの姿はなかった。いつも一緒にいた男子の1人に聞くと、気分が悪いから休んでいるらしい。机の中からはみ出た教科書はひどく空々しい気がした。
「おっはよー」
 肩を叩かれる。振り向くと、キョウコの笑顔がそこにあった。陽射しを受けたウエーブの髪が金色に光る。
「シュウヘイ休みなんだー。彼女ほっといて自分だけ休むなんてねー。どうせなら一緒にエスケープするくらいの根性見せろっての」
 言いながら自分の席へ行く。スカートのお尻部分がテラテラと光っていた。ソックスからはみ出した脹脛に細かな切り傷がいくつか入っている。
 スカートの裾を直しながら、自分の足に触れる。足首の痛みはまだ残っていた。脹脛から脛にかけて、草の葉が薙いだ痕が痒みを持っていた。

 シュウヘイとはその後、別れた。キョウコとは親友のまま、高校を卒業した。私が大学、キョウコが短大に進んだ後も、一緒に合コンに参加したりもした。大学・短大を卒業して、それぞれアパート暮らしを始めると、お互いの部屋に泊まるようになった。キョウコの作る彼氏は私の人間関係の範囲外がほとんどだったけれども、最後にできた彼氏だけは違っていた。
「トシキっていうんだ。ダサいやつだけど、あんまそういうのと付き合ったことないからさー。ほら、ミワの大学の卒業生」
 私の部屋での家飲みの最中だった。カンパリソーダを飲みながら、キョウコは微笑む。高校時代に比べてすこし瘦せて、そのぶん顔立ちがキレを増していた。
「今度、ミワにも紹介するね。あ、そうだ、一緒に遊ぼうよ。絶対気に入ると思うから」
 私はうんうん、と大袈裟に頷いて見せる。柑橘系のにおいが鼻先を掠める。
「どこに行こうかなー。あ、そうだ。夏も近いし、心霊スポットとか? 結構、盛り上がるんだよねー」
 飲んでいたサイダーのグラスをテーブルに置く。ティッシュで口許を拭う。
「いいね。じゃあ、今からちょっと下見とか、行く?」
 丸めたティッシュを握り締める。キョウコはとろんとした目を見開いた。
「おー、たのしそうー。ミワは飲んでいないかー。じゃ、運転頼める?」
 ティッシュをゴミ箱に投げる。いつも外したことがないのに、大きく右にそれた。
「はいはい。喜んで。じゃ、行くよ」
 カーペットに転がったティッシュをゴミ箱に落とし、棚の車のキーを取り上げる。立ち上がったキョウコは大きくよろめいた。自分で歩くのは難しいかもしれない。両肩を支える。目の前に横顔がある。
「ほら、気をつけて」
 キョウコを抱えて靴を履き、玄関を出る。夜になって、少し冷え込んでいる。外階段を下りるうちに、月が頭の上に姿を現した。


第三夜エントリー 『スタティック』 に続く


※作品集への掲載にあたって、誤字等を一部修正しました。


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