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てきすとぽい杯について
てきすとぽい杯について
各夜のお題
第17回 募集要項
第17回 審査結果
入賞作品紹介
《大賞》
『百鬼夜行の客商売』 みお
《入賞》 ※得票順/シリーズ作品は並べて掲載
『ヘッセ』 犬子蓮木
『高速道路』 粟田柚香
『集合住宅』 粟田柚香
『シーサイド・ヒル』 大沢愛
『ルーインズ』 大沢愛
『スタティック』 大沢愛
『クリスタル・ムーン』 大沢愛
〈候補作品〉 ※得票順/シリーズ作品は並べて掲載
『The Friendly Ghost』 碧
『The Not-Friendly City』 碧
『創造主の箱庭』 kenrow
『生々しさ』 フィンディル
『幽霊アカウント』 muomuo
『男死病』 muomuo
『名無しの少年』 muomuo
『絆』 muomuo
『そうやって大人になっていく―丁稚安吉の場合』 志菜
『せやせや』 せせせ
『曲り角奇譚』 茶屋
『幽霊屋敷に住むものは』 永坂暖日
『便利な家』 ◆BNSK.80yf2
『助手席の彼女』 永坂暖日
『できごころ』 しゃん@にゃん革
『幽霊屋敷の浴室』 山田佳江
『桜屋敷』 茶屋
『幽霊の生業』 豆ヒヨコ
『幽霊船』 小伏史央
『幽霊屋敷の記憶』 三和すい
『記憶喪失になった俺が大学受験に挑むのだ』 ひこ・ひこたろう
『館長さん』 晴海まどか
『怪談は幽霊屋敷で』 松浦徹郎
『幽霊空き家』 永坂暖日
『九朗右衛門事件帳』 茶屋
『幽霊屋敷の一件』 碓氷穣
『歌声』 茶屋
『ぼくがいまよみたいしょうせつてきすとぽいばーじょん』 ひやとい
『歴史の勉強』 しゃん@にゃん革
『新幹線の中で』 ひこ・ひこたろう
『ぼくとお屋敷』 犬子蓮木
『紅白歌合戦の舞台に俺は立ったのだが』 ひこ・ひこたろう
『幽霊屋敷から出て来たのは古切手』 ひこ・ひこたろう
『大学祭』 ひやとい
『薔薇の香り』 げん@姐さん
『Haunted Horizon』 木野目理兵衛
〈集計外作品〉 ※投稿順
『柿のお供え』 高田@小説垢
『僕がオトコノコを止めた理由』 文才無い魔女
『変な旅』 鳥居三三
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『ルーインズ』 大沢愛

連作/第二夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.04 23:45
総文字数 : 6148字

獲得☆4.100


《入賞作品》
《言葉の魔術師賞》

第一夜エントリー 『シーサイド・ヒル』 続編
ルーインズ
大沢愛


 海辺にある県立普通科高校に入学して1年が過ぎた。漁師町があり、造船所関係の家族も多い土地柄で、学区にある中学校は軒並み荒れていた。授業中に体育館周りでボールを蹴って遊んでいる子たちは先生に注意されても平然としていた。成績の点でもいわゆるヤンキー系の子たちは中の上のあたりに固まっていた。下位になるのはむしろおとなしく苛められがちで授業もノートを取ろうとしている子たちばかりだった。何もしない子は軽くみられる。だから基本的にヤンキーは格好悪いことではなく、むしろ一目置かれていた。学校一のワルと目されていた男の子はサッカー部のエースで全国大会常連校からスカウトされていた。結局、その子も私と同じ地元の普通科高校に進んだ。中学校の雰囲気をそのまま受け継いだ高校生活はそれなりに円滑に始まった。
 
 中学時代からの友だちも30人ほど入学していて、所属していた陸上競技部の試合で顔見知りになった他校の女の子も含めるとどのクラスにも見知った顔が片手はいた。どちらかといえば地縁重視で人間関係ができあがる中学時代とは違って、高校では目的重視だった。国立大学進学者は20人前後の高校では大学進学をめざす人間関係はできにくい。私も高校入学と同時にバレーボール部に入部した。陸上競技部は日焼け止めの多用による肌荒れが気になっていたし、顧問が姿を見せないせいか100mコースのすぐ横で砲丸を投げていたりする。とりあえず大怪我の危険を冒してまで潮風の吹きつけるグラウンドで過ごす気にはなれなかった。
 
 女子バレーボール部は1~3年で合計8人だった。1年生が3人入部したことで、3年の先輩はものすごく喜んでくれた。と同時に、退部はほぼ不可能になった。体育館の練習割り当ては週に3日、男子バレーと男女バスケとの半面のローテーションになっていた。フロア中央部に防球カーテンを引いて練習するけれど、バスケットボールのパスが外れるとカーテンをおしのけて下から飛び込んでくる。そのたびに1年生部員が「すみませんでしたっ!」と叫んで回収に来る。その中の1人がシュウヘイだった。
 シュウヘイは中学は別だったけれど、同じクラスになってからは何かと気になる子だった。休み時間には男の子たちの中で騒いでいる。頭ひとつ大きなシュウヘイが机を叩いて笑うと、私もつられて笑顔になった。イケメンではないけれど、いつも洗顔直後みたいな肌艶をしていた。体育の授業の後で使う制汗ウォーターの香りが私の使っているものと同じことに気づいてからは、ピンクのボトルを見るたびにどきどきした。
「ねえミワ、アンタ、シュウヘイのこと好きなわけ?」
 そう囁いたのはキョウコだった。同じバレー部で、レギュラーからは外れている。練習では球出し係や回収係をやっていて、防球カーテンのそばに立っていることが多い。
「好きっていうか、嫌じゃない感じ?」
 練習の休憩時間だったと思う。体育館外のコンクリート段に並んで腰を下ろし、凍らせて持ってきたスポーツドリンクを飲む。朝、冷蔵庫から出して9時間近くたつのに、タオルで巻いておいたボトルはまだ冷たかった。
「あー分かる。なんかティッシュペーパーみたいだよね、アイツ」
 なにそれ、と訊き返すと、シュシュを外して頭を振った。ウエーブのかかった髪が宙にほどける。制汗剤の香りの向こうからやや脂じみた体臭が漂う。
「ティッシュって顔を埋めても唇を当てても気にならないじゃん。男の子って、まずその段階で拒否りたくなる子が多いけど、アイツは違う」
「なに、その微妙な褒め方」
 シュシュを手のひらで宙に投げ上げる。小指のネイルが細かく光った。
「付き合ってみるのはいいんじゃない? おもしろいと思うよ、いろいろと」
 立てた膝の間に顔を埋める。両手で摑めそうな首だった。襟首がはだけて、黒いストラップが覗いた。

 キョウコと話してからしばらくして、部活が外での自主練になった日、思い切ってシュウヘイを摑まえて告白した。シュウヘイは思わずあたりを見回して、それから私の胸元に目を遣った。
「付き合って欲しいんだ。アンタ、ちょっといい感じだし。一緒にいると楽しそうだから」
 中学時代にもこういう言い方で告白したことはあった。最初の子はもう付き合っている子がいるから、と断ってきた。次に告白した子は、返事を待ってほしいと言った。そして翌日、クラス中の話題になっていた。その子が言いふらしたらしい。歓声の挙がる中、その子の机に近づいた。「で、答えは?」周りに聞こえる声で言う。その子は言葉を詰まらせたあと、おどけた表情を作って「えっ?」と甲高い声を挙げた。次の瞬間、私の右手がその子の左頬に飛んだ。とっさに腰を浮かせたのか、座っていた椅子が倒れ、遅れて床に尻餅をついた。「気が変わったわ。断るね」言い捨ててざわつく教室から出た。みんなが私を避けて行く。そのとき、肩に手を掛けられた。振り向くと、マスカラを上手に引いた女の子の顔があった。「いいねー、アンタ。ああいうのは張り倒して当然だよ」たぶん、キョウコと最初に話したのはそのときだったと思う。
「ありがとう。どうやって付き合っていいか分からないけど、俺もいいなって思ってた」
 じっと目を見つめていると、よろしく、と頭を下げる。肩から胸にかけて、熱くなったのを憶えている。シュウヘイ・ミワと呼ぶことにして、その日から二人は付き合うことになった。
 運動部同士のカップルは周囲にもいくつかあった。土日にも練習や試合がある関係上、帰宅部同士ほど恋人然とした感じにはならない。もっとも片方だけが帰宅部だと早かれ遅かれ破局する。お互いに拘束されている分、たまに会える日はうきうきした。私は親に禁じられていて、スマホはおろかガラケーすら持たせてもらえなかった。だから会える時間がよけいに貴重に思えた。
 日曜日に初めて市内で待ち合わせをした。フェリーに乗って瀬戸内海を渡り、高松まで行った。JRで県庁所在地まで行くより、隣県に行く方が安くて速い。商店街をぶらついて、うどんを食べて、映画を見た。歩きながら、隣の歩調がずっと気になった。私も170㎝だったけれど、シュウヘイは180㎝を超えていた。気を遣うシュウヘイがいつも遅れ気味になるのがおかしかった。同じ学校の連中もどこかにいたはずだが、気にならなかった。夕暮れが近づいてきた。帰りのフェリーに乗って、デッキで二人並んで海を見つめていた。対岸の明かりが宝石をちりばめたようで、藍色を濃くしてゆく夕空の星々が少しずつ増えていったのを憶えている。
 
 そんな形で付き合いは続き、2年生になった。後輩が2人入り、女子バレー部も辛うじて存続を果たした。キョウコはマネージャー的な立ち位置に定着していて、バスケ部の何人かと付き合っては別れていた。
 
 県総体出場が潰えた直後の土曜日、シュウヘイが「ドライブしよう」と言ってきた。誕生日前で、まだ17歳にもなっていない。それでも、デートプランをシュウヘイから言い出すのは珍しかった。それまで、たいていは私の行きたい場所をまず聞いて、それに従って決めていた。「絶対に事故らないこと」を約束して、待ち合わせ場所を決めた。
 やってきたのはマルーン色のR2だった。運転席から顔を出したシュウヘイが笑顔で手招きする。助手席に乗り込むと、グレープフルーツの芳香剤が香った。バスか電車、船ではさんざんデートしていたけれど、それ以外の場所に行くのは初めてだった。サンバイザーを下ろすとオイル会員カードホルダーが挿してある。トノウチクミコ、と印字してあった。海沿いの県道を走って、右折して山道に入る。ヤマツツジの鮮やかなピンクが茂みのあちこちから顔を覗かせていた。シュウヘイの運転の巧拙は分からない。ただ、山道に入ってからはものも言わずにハンドルにしがみついていた。九十九折を過ぎて、空が開けた。姫ヶ丘の頂上だった。瀬戸内海を見下ろす駐車場に止める。エンジンを切ると、大きく息をついてシートに凭れた。ご苦労さま、と言ったあと、思い切って身を乗り出して抱き締めた。汗ばんだシャツはシュウヘイのにおいがした。
 駐車場には捨て猫が住みついているようで、車から降りて歩き始めると小走りに近寄ってきた。しゃがみこんで顎の下を搔いてやるシュウヘイはいつもより優しく見えた。遊歩道を歩いて海を眺め、引き返して道路側に向かった。展望台ロッジの向こうに白っぽい建物があった。スプレーでタギングされた外壁に嵌まった窓は、ガラスの大部分が割れていた。
「開業前に廃業になったホテルだよ」
 シュウヘイが指差す。ロッジから出てきた車が、山道を下って行く。
「第三セクターに出資してた企業が大金をつぎ込んだ挙句にバブルが弾けて破産したって。今じゃ幽霊屋敷、とか言われている」
 周囲を板塀で囲み、有刺鉄線が張り巡らされている。板塀にもびっしりと落書きがされていた。
「先輩がここで集会やってて、たまに来ることがあるんだ」
 何やってるの、と言うと、頭に手をやった。
「いっぺん、ミワのこと紹介しろって言われている。悪いひとじゃないんだけど、逆らうとヤバいかも」
 付き合っている男の子が友だちに彼女を紹介するのは、本気で付き合っている証だと思った。
「もしよかったら今度、一緒に行こう。夜中だけど、かえって面白いよ」
 夜中にシュウヘイと一緒に出掛けるのは初めてだった。家での私の部屋は二階の角だった。こっそり脱け出してもバレない。私が頷くと、シュウヘイは背中に回した手のひらをゆっくりと下に降ろした。

 目隠しがこめかみに食い込んでいる。引っ張られた髪の毛が痛い。口に詰め込まれた布が喉の奥にまで達して、吐き気がこみ上げる。床に転がされた。買ったばかりのカットソーの背中がコンクリートの凹凸に削られる。
 シュウヘイの声がした。哀願するような調子だった。笑い声に続いて威嚇する声が響く。ボトムが剝ぎ取られるのが分かる。膝を絡めて抵抗すると、腹部に一撃が加わった。息が漏れるのと同時に、頼りない寒さが広がる。そのとき、何かを叫んだ気がする。助けを呼んだのではない。押えつけられて、埃の濃い臭いがたちこめる。仰向けから膝立ちになり、四つん這いになった。シュウヘイの名前は呼ばなかった。聞こえたのは、私の顔色を窺うときの口調と同じだった。痛みを堪えているうちに、無意識にいなすようになる。人の気配は十数人だろうか。ここで顔を見てしまえば最悪の事態になるのは想像がついた。
 眉に冷気を感じる。目隠しがずれていた。瞑った目を薄く開く。割れたガラス窓から月の光が差し込み、周りの人間の姿は逆光になっていた。手が伸びて来て、目隠しをつまんで引き上げる。視界が閉ざされる一瞬前に、月明かりの窓辺に立つ横顔を見た。チュニックを着て、ウェーブの髪を振っていた。声を出しかけて、照らされた顔が笑っているのに気づく。喉の奥でかすかに唸っただけで、ふたたび闇の底に沈んだ。
 どれくらい時間が経ったのかわからない。気がつくと、人の気配は消えていた。口の中の布を吐き出し、首を振って目隠しをずらせる。割れた窓から射し込む月明かりは、コンクリート剝き出しの床を斜めから照らしていた。部屋の隅からすすり泣く声が聞こえる。怒鳴ってもよかった、と思う。でも、心はしんと静まり返っていた。
「手足を解くのを手伝って」
 久し振りの自分の声はどこかよそよそしかった。蹲った人影はのろのろと立ち上がり、近づいてくる。嗚咽が続いている。手首、そして足首が自由になる。縛られていた部分を撫でると、生臭く濡れているのが分かる。
「ごめんね」
 はっきりと声がした。その瞬間、右手が閃いた。膝をついた目の前に立ち上がり、潰れた声を絞り出す。
「あやまるくらいなら、最初からするな!」

 無言のまま、R2に乗って家に帰った。寝静まった家の中で、バスルームでシャワーを使った。脱いだ服はあちこち破れていたけれども、先週末に買ったばかりで、ママもまだ見ていない。そのまま捨ててしまえば「なかったこと」にできる。シュウヘイとのことは何も考えられなかった。それでも、私から言い出して付き合い始めたのだ。こうなってみると、こういうことは予想できたような気もする。誰のどういう思惑でこうなったのか、穿鑿する気になれない。後悔できるのは大したことではないからだ。ある程度以上のことが起きると、振り返ること自体が危険に思えて立ちすくんでしまう。着替えてベッドにもぐり込む。自分でも意外なことに、すぐに眠りに落ちた。
 月曜日に学校へ行くと、シュウヘイの姿はなかった。いつも一緒にいた男子の1人に聞くと、気分が悪いから休んでいるらしい。机の中からはみ出た教科書はひどく空々しい気がした。
「おっはよー」
 肩を叩かれる。振り向くと、キョウコの笑顔がそこにあった。陽射しを受けたウエーブの髪が金色に光る。
「シュウヘイ休みなんだー。彼女ほっといて自分だけ休むなんてねー。どうせなら一緒にエスケープするくらいの根性見せろっての」
 言いながら自分の席へ行く。スカートのお尻部分がテラテラと光っていた。ソックスからはみ出した脹脛に細かな切り傷がいくつか入っている。
 スカートの裾を直しながら、自分の足に触れる。足首の痛みはまだ残っていた。脹脛から脛にかけて、草の葉が薙いだ痕が痒みを持っていた。

 シュウヘイとはその後、別れた。キョウコとは親友のまま、高校を卒業した。私が大学、キョウコが短大に進んだ後も、一緒に合コンに参加したりもした。大学・短大を卒業して、それぞれアパート暮らしを始めると、お互いの部屋に泊まるようになった。キョウコの作る彼氏は私の人間関係の範囲外がほとんどだったけれども、最後にできた彼氏だけは違っていた。
「トシキっていうんだ。ダサいやつだけど、あんまそういうのと付き合ったことないからさー。ほら、ミワの大学の卒業生」
 私の部屋での家飲みの最中だった。カンパリソーダを飲みながら、キョウコは微笑む。高校時代に比べてすこし瘦せて、そのぶん顔立ちがキレを増していた。
「今度、ミワにも紹介するね。あ、そうだ、一緒に遊ぼうよ。絶対気に入ると思うから」
 私はうんうん、と大袈裟に頷いて見せる。柑橘系のにおいが鼻先を掠める。
「どこに行こうかなー。あ、そうだ。夏も近いし、心霊スポットとか? 結構、盛り上がるんだよねー」
 飲んでいたサイダーのグラスをテーブルに置く。ティッシュで口許を拭う。
「いいね。じゃあ、今からちょっと下見とか、行く?」
 丸めたティッシュを握り締める。キョウコはとろんとした目を見開いた。
「おー、たのしそうー。ミワは飲んでいないかー。じゃ、運転頼める?」
 ティッシュをゴミ箱に投げる。いつも外したことがないのに、大きく右にそれた。
「はいはい。喜んで。じゃ、行くよ」
 カーペットに転がったティッシュをゴミ箱に落とし、棚の車のキーを取り上げる。立ち上がったキョウコは大きくよろめいた。自分で歩くのは難しいかもしれない。両肩を支える。目の前に横顔がある。
「ほら、気をつけて」
 キョウコを抱えて靴を履き、玄関を出る。夜になって、少し冷え込んでいる。外階段を下りるうちに、月が頭の上に姿を現した。


第三夜エントリー 『スタティック』 に続く


※作品集への掲載にあたって、誤字等を一部修正しました。

『スタティック』 大沢愛

連作/第三夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.05 23:41
総文字数 : 6009字

獲得☆4.000


《言葉の魔術師賞》
第一、二夜エントリー 『シーサイド・ヒル』 『ルーインズ』 続編
スタティック
大沢愛


 闇を背にして草叢が揺れている。餌に集る齧歯類の背中のようだ。
 ところどころから突き出した灌木の梢が星空を切り取って闇を吸い上げている。
 長い間、同じところにとどまった意識が繰り返す。
「これって、地面なんだ」
 かたちのない言葉が漏れ始める。

 たしかに靴底は土を踏んで、雑草が脛を払うけどね。ああ、気にしなくていいよ。虫はいないんだ。なぜって? そりゃあ、用がないんでしょ。だから心配しないで歩けばいいよ。ここに来るひとがいれば、だけれど。
 でもねぇ、ここはコンクリートなんだよねー。開業直前に大金つぎ込んでた企業が倒産して、内装直前に幽霊屋敷になっちゃった。そのまんま放置されているの。土埃は溜まる。風化したコンクリートの粉末も含まれているけれどね。それだけじゃ、単なる埃の積もったエリアでしかない。
 雨が降るんだ。土埃を濡らして、まとめて。それから、草の種がやって来る。風に乗って? あはは、そういうメルヘン的なのもあったかもね。だけどいちばん多いのは、鳥。
 ほら、そこに転がっているの、何だかわかる? サバの頭。なんでこんな丘のてっぺんまでって? 確かに、麓の浜辺からここまで銜えて来るのは難しいよね。でもさあ、瀬戸内海のここいらでサバなんて釣れると思う? ほら、そこにあるのはサケの頭部。どんな生態系よってハナシじゃん。あそこにロッジがあるでしょ。あそこのレストランで塩サバや塩鮭の定食とか出したんじゃない。裏手のごみ箱からなら、カラスの運搬範囲でしょ。
 そんなカンジでさ、草の実を食べた鳥が飛んで来て、ここで糞をしていく。未消化の種が土埃に埋まって、雨水を含んで芽を出すの。けっこうがんばるよ。めちゃめちゃ根を張ってさ、むしろ髭根の方が土埃よりも多い、みたいになってさ。
 だけど、ここって水はけはめっちゃいいんだ。晴れが続くとあっというまにカラッカラになっちゃって。倒れた茎もしばらくは緑色。保水してるんだ。それが白っぽくなっていって。鳥に食べられてここまできて、やっと芽を出したのに枯れてしまう。助けは来ない。もっとも、ひとが居たって引き抜かれるだけだけどね、雑草だから。
 雨が降ると、降り注ぐ雨水は排水口へと流れていく。乾涸びてコンクリートに貼りついていた枯れ草の欠片が剝がれて、流されていく。で、排水口のストレーナーに押し寄せて、隙間から排水管へと吸い込まれてゆく。でも、いくつかストレーナーに引っ掛かったままの穂先が残る。雨が止んだらそこに乾いて貼りついて。次の雨の日にはまた一本か二本、ストレーナーに絡みつく。そのうち排水口のそばにヤブカラシが一株、根付いてね、雨のときに浮き上がって排水口に乗り上げちゃった。その周りに枯草や土埃が吹き溜まったりして。で、奇蹟が起きたの。どしゃぶりの雨が降った日。いつもならげぼげぼ音を立てて雨水を吸い込むストレーナーが音を立てない。雨水は一面にどんどんたまっていく。白っぽくなっていた枯草が水を吸って黒くなっていく。一帯に「水面」が浮かんでくる。無数の波紋が遠ざかっても、風が吹くたびにさざ波が立つ。そこからかな、変わったのは。
 もちろん日照りが続けば水位は下がっていく。この県って「晴れの国」ってキャッチフレーズがあるけど、別に全国一晴天日が多いわけじゃない。正確には「全国一、雨の日が少ない県」。東京に行った子が言ってたっけ。「東京って雨ばっかり降ってる!」って。だからまあ、平均以上には晴れも多いんだろうな。よそへ出たことがないからわかんないけど。
 水面があると、土埃を吸い寄せるみたいでさ。晴れの日が続いても、乾いた表面の下には湿った層が残るようになったの。水溜りになった部分には鳥がやって来て、水を飲んで、糞をしていく。有機肥料と種を残していくわけね。たぶん樹木じゃないと思うんだけど、片手で握れるくらいの太さの茎を持った植物が立ち上がってくる。周囲の雑草よりずっと早く。こんなのを一時的にせよお腹の中に入れて、鳥は大丈夫なのって気がするくらい。葉が広がって日陰ができると、そこに苔も生えて、根を張る植物も出てくる。この位置から見ていると、水面を境に別の世界が広がっていた。
 
 高校時代、シンヤと付き合っていたころは楽しかったな。リーダーの女って立場だったから、周りの皆も親切だったし、私も気分良かった。何でも即決でみんなを引っ張って行くシンヤと一緒なら、どんな馬鹿やっても平気だった。
 馬鹿といえば、三つ隣の市まで夜中に遠征して、神社に寄ったっけ。ひとが居なくて通報もされなかった。ヘッドライトで照らした絵馬殿に入って、ぶら下げられた絵馬にいちいちツッコミを入れたんだ。
〈○○くんが私のことを好きになってくれますように〉
「知り合いに読まれる可能性を考えなかったのか?」(○○くんに読まれるのも気まずいと思う)
〈席替えで、仲のいい人と一緒の班になれますように〉
「ちっちゃあ!」(真剣だとすればさらに微妙なお願いだ)
〈主人が家族のことを考えてくれますように〉
「こんなところで願っている場合なのか?」(確かに)
〈息子の手術が成功しますように〉
「医者に言え!」(初めての手術を控えた新米医者の母親かもしれない。すごくイヤだけど)
〈志望校に合格しますように〉
「志望校をまず書け!」(よく見ると「望」の字の「月」が「目」になっていた)
〈お金持ちになりますように。AKBと結婚できますように。百歳以上生きられますように。人気者になれますように。お年玉がいっぱいもらえますように。ロードレーサーを買ってもらえますように〉
「自分の名前を書くスペースくらい残せよ」(ある意味、それが幸いだったかもしれない)
〈上知大学に合格しますように〉
「お前は水野忠邦かっ!?」(天保の改革を崩壊させた誤字を書くあたり、それはもう…)
 大笑いしたあと、殿内の焼香場に紙くずを盛り上げて火をつけた。目の前が急に明るくなり、炎が天井近くまで届いた。歓声を挙げていると、そのうちに天井板に火が燃え移ったんだ。慌てて絵馬殿を飛び出し、砂利の敷かれた本殿前まで走って振り向いたら、建物全体に火が回っていた。さすがにヤバいってことで車に乗り込んで山道を逃げ出した。麓まで降りて国道に合流する手前で振り向くと、暗い山の中で一箇所だけが燃え上がっていたんだ。きれいだなって思った。
 こうしていると馬鹿なことばかり思い出すんだ。山の中を走り回っていて、誰かが鶏舎に突っ込んだことがあったな。シンヤは即、「三羽捕まえて車に載せろ」って。暗いせいか、あんまり暴れないんだ。
 海沿いの駐車場に乗りつけて、みんなに薪集めと買い出し、それに砂浜での穴掘りを命令した。私は一羽、逃げないように抱きかかえていた。「顔をそむけていろ。目を突かれないようにな」シンヤはそう言いながら、穴の深さを確認すると、三羽のニワトリを首だけ出して砂に埋めさせた。
 薪が集まって、買い出しが戻って来ると、ニワトリの周りに薪を並べて火をつけた。炎が上がると、ニワトリは苦しがってくちばしを開いて鳴く。「くちばしが開いたら、そこに醤油を流し込め」そう言うと、買い出し袋の中から醤油のボトルを取り出してプルタブを抜き、一羽のニワトリの口に醤油を入れ始めた。ほかのみんなも内心、ビビっていたはずだけど、無理に笑いながら醤油を入れて行く。炎に照らされたみんなの顔は、目だけがものすごく見開かれていたっけ。
 どのくらい続いただろう。薪が残り少なくなるころには、砂から出た頸部分はすっかり炭化していた。醤油もほとんどなくなっていたっけ。火が消えて、しばらくしてからニワトリを掘り出した。羽根はすっかりなくなっていた。紙皿の上に置いて、果物ナイフで切り分ける。ひと口、食べてみた。喉の奥から呻き声が漏れた。
 おいしい。
 みんなも口々に声を挙げる。蒸し焼きにされた鶏肉には醤油が沁みこんでいて、脂肪のこくに覆われた濃厚な味になっていた。雌鶏だったんだろう、お腹の中に卵になる途中の卵黄が連なって入っていた。口に入れる。半熟だった。指先を脂肪でべとべとにしながら、私たちは食べ続けた。レバーに当たった子は一口食べて叫び声を上げて、他の子に追い回されていた。三羽分の骨を砂浜に埋めた。満腹感で動きたくなくなる。眠気が襲ってきて、そのまま夜明けを待った。「田舎のじーちゃんが内緒で食わせてくれたのを見て憶えた」凭れかかると、シンヤがそう言ってぎゅっと抱いてくれた。手は脂だらけだったけれど、気にならなかった。

 星が見える。空にいちばん近い場所だ。でも、星にどれだけ近いかなんて、考えるだけで虚しくなる。
 だって、星はこっちのことなんか見ていないもの。

 もともとシンヤは女の子にもてるんだ。どんな子にも気軽に話しかけるし、自分でどんどん押して行くから、切れ長の目許が印象的なルックスに惹かれる子ならすぐに落ちてしまう。私はシンヤの彼女で、同時にリーダーの女だったから、みんなの彼女ともうまくやる必要があった。彼女たちの中には、二股かけられた、浮気された、みたいな子たちがいくらでもいた。そんな子の話を聞いてやるのは欠かせないし。いちいち嫉妬していたらきりがない、ということは身に沁みて感じていた。
 話のついでに「あのさ、ヨウガミワってどんな子?」とシンヤが言った。私が形だけ籍を置いている女子バレーボール部のセンターだった。背が高くて、気が強くて、かわいい子だよ、と答えると、ふーん、とだけ言ってそれっきりになった。女の子の話になると、どんな子か細かく訊き出して、私がへそを曲げるまで続ける。怒った私を上手に宥めてようやく終わるのがいつものパターンだった。
「シンヤくん、ヨウガさんが気になるみたいですよ」男の子の一人が教えてくれた。「結構、人気あるんですよ。いいカラダしてるな、とか」
 ミワがトノウチシユウヘイと付き合い出したのはミワの口から聞いていた。シュウヘイはシンヤの先輩のグループに時々顔を出していて、顔を合わせたことはあった。親父が警察のお偉いさんだとかで、いろいろと大目に見てもらっていたけれど、場違いな感じはずっとしていた。ミワと付き合い出したら、たぶん離れていくだろう。バスケットボール部のパワーフォワードとしてそこそこ期待されているようだ。シンヤのグループにはバスケ部員が何人かいて、放課後、シンヤの都合が合わないときには一緒に遊んだりした。ミワからすれば、男バス部員をとっかえひっかえしているように見えたかもしれない。
 どの女の子が可愛い、なんて話はしょっちゅうで、一ヶ月もすれは他の子に話が移る。でも、ミワの話は思い出したように繰り返された。メンバーの中によっぽど執心している子がいるのか、と思っていた。そうであってほしかったんだ。でも、泊まりに行って同じベッドで過ごしているとき、ある瞬間にシンヤの口から「ミワ」という名前が聞こえた。耳を塞ぎたくても両手は使えない。目をつぶった。閉じた瞼の裏に、ミワの顔が初めて浮かんだ。

 シンヤと一緒に先輩のトウチさんに会った。県道沿いのスナックだが、店をやっている風はない。シュウヘイの名前を出すと、先輩の顔が曇った。アイツ調子に乗ってるな、最近。勧められたウイスキーをストレートで飲み干したシンヤは、黙って頭を下げた。今度呼び出す。「どうせなら可愛い彼女も一緒の方がいいでしょう」その方が話をしやすい、というのは経験上、分かる。先輩は頷いた。
「なんでよけいなことを言った?」
 帰り道、シンヤは私の両肩を摑んだ。酒臭い息が顔に掛かる。
「ミワ、やられるぞ。シュウヘイに護る根性なんざあるわけねえ」
 アルコールに弱いシンヤは、ウイスキーのストレート二杯でふらついていた。そのせいだろうか。私の前で「ミワ」と呼び捨てにしたのは二度目だった。
「やられたくらいでガタガタ言うような子じゃないよ」
 言葉にしてみると、予想外に突き刺さってくる。握られた肩口が痛い。それでもシンヤの顔を見詰めていた。
「お前と一緒にするな」
 肩が自由になる。シンヤの背中がふらふらと遠ざかって行く。バンドエイドを貼った踵が思い出したように痛み始めた。

 こうしていると、昔のことばかり思い浮かべてしまうな。当たり前だけれど。
 ミワは少なくとも見た目は変わらなかった。シュウヘイが逃げ出してからも、普通に女バレは続けたし、何よりも私とずっと友だちでいてくれた。もし、あれがフリだったとしても、何も文句はないよ。
 私だってあのときはしんどかった。まだ中二だったし。それに、そばに彼氏がいるなんて状況じゃなかったし。
 短大出て就職した先がガテン系職種の事務だったから、あんまり代わり映えしない連中ばっかだったけど、初めて大卒で好きな奴ができたんだよな。トシキ。何か勝手が違ってパニックしてるときにミワが助けてくれた。バレンタインにちゃんとした本命チョコを贈るために買い出しに付き合ってもらったっけ。前の晩から考えて、いちばん安いチョコを買おうとした私を必死で止めてくれた。「なに考えてるのキョウコ!?」「だって、こんだけ不況なのにクソ高いチョコとか贈って『コイツ経済もわかんねーバカじゃねーのか』とか思われるの、いやだもん!」ミワ、笑わなかったな。「キョウコの『好き』は日本経済よりも大事でしょ」そう言って、いちばん高い棚のチョコをひとつひとつ見ながら、これを受け取ったらトシキくんはこう喜ぶ、みたいな話をしてくれた。あのとき買ったチョコ、めちゃめちゃ喜んでもらえたし。
 付き合い始めて思った。トシキって、どこかシュウヘイに似てたんだな。優柔不断そうなところが特に。ミワもシュウヘイと付き合っているとき、結構イラッとしたんじゃないかと思う。なんであんなにうしろ向きなんだろう。どんだけ甘ちゃんなわけ? こちとら、うしろを向いたら死にたくなるようなことばっかだから、前しか見てねーってのに。でも、こうなってみるともう、うしろしか見えないからねー。おーい、生きてるんだろ? しっかりしろよー。
 いちばん新しい記憶って、酔ってたから憶えていないんだよね。ミワの部屋で家飲みしてたんだ。なんか、すごい楽しかったな。トシキと一緒に遊ぶ約束して、ミワが笑ってて。そのあとはどうなったっけ。どうしてここにいるんだろう。いやなことはなかったはずなんだけど。ありがとうね、ミワ。ごめんなさいは言わないよ。言い始めたら永久に言い続けなきゃならなくなるから。
 
 夜風が草叢を吹き分ける。触れれば崩れそうに枯れたセイタカアワダチソウの茎が折り重なっている。
 大小さまざまな枯草に混ざって、夜目には枝に似た白っぽいものが散らばっている。昼間なら緑がかって見える泥土のところどころが丸く盛り上がっている。
 ひときわ大きな隆起の中ほどに、ピンポン玉ほどの黒い穴がひとつ見えた。


第三夜エントリー 『クリスタル・ムーン』 に続く


※作品集への掲載にあたって、誤字等を一部修正しました。

『クリスタル・ムーン』 大沢愛

連作/第四夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.06 23:43
総文字数 : 4693字

獲得☆4.000


《言葉の魔術師賞》
第一、二、三夜エントリー 『シーサイド・ヒル』 『ルーインズ』 『スタティック』 続編
クリスタル・ムーン
大沢愛


 尾根に沿って闇の深さが分かれていた。駐車場から出ると、下りになった道を歩く。一帯には照明はない。背後に見えていた海の向こうの街明りも擁壁に隠された。アスファルトに靴音が響く。背中を押されている感覚に逆らって、身体の軸を垂直に伸ばす。
 ロッジの影がゆっくりと過ぎて行く。仄明るい空に、廃ホテルの影が突き出している。ポーチに入れてきたマグライトをちらっと思い浮かべる。目を舗面に凝らす。側溝の鉄板がところどころで撥ねのけてある。「脱輪するやつを見て大笑いするんだよ」そんな声が聞こえた気がした。
 タギングに埋め尽くされた板壁が近づいてくる。錆びた有刺鉄線が波打っている。「立入禁止」の看板の上にスプレーで「幽霊屋敷」と書かれている。看板から杭3本目のところで立ち止まる。板の左端に指先をかけて、力を込める。板はずりずりと動き、あるところで抵抗がなくなった。ほんとうに昔のままだ。これだけ侵入を許しているのに、対策を立てる気はないらしい。ホテルに注ぎこんだ大金を思えば、鋼板で囲うくらいなんでもないだろうに。
 ポーチから取り出したマグライトのスイッチを押す。目の前に草の穂が広がっている。ライトを突き出して左右に払いながら、一歩踏み込んだ。脹脛から膝の裏にかけてちくちくと痛む。爪先が黒い立方体を蹴飛ばす。軽い感触とともに突き抜ける。錆び切った一斗缶だ。光の中を黒い点が飛び交う。防虫スプレーを忘れていた。軽く跳ねながら群生を越える。廃ホテルの外壁が、月の光を受けてうっすらと輝いていた。

 足首まで埋まるぬかるみは避けられたと思う。アスファルトの罅割れたスロープにたどりつく。ガラスが完全に割られたロビー正面は板で覆われていた。〈監視カメラ作動中〉のプラスチックプレートが貼りつけられている。
「映ったらやばいんじゃないか」
 無視して、板の中央に靴裏で思いっ切り蹴りを入れる。ほとんど抵抗のないままベニヤ板は館内へ倒れ込んだ。
 板を踏み越えて中に入る。ガラスの破片がきしきしと鳴った。コンクリート角柱から電線が引き出されている。饐えた臭気が漂っている。あちこちにコンビニ経由らしいゴミが散乱していて、そのなかを細長いものが這って行く。ヘビだ。草叢で踏まなかったのは幸運だったかもしれない。そっと息をつく。
「本当に監視カメラをつけてるなら、警告なしで踏み込んでくりゃいいのよ。せめてダミーくらい置いてあれば考えたけどね」
 右手に階段が見えた。手摺り部分のポールはことごとく外側へひん曲げられている。裏返った巨大なムカデを思わせる。段の角で靴裏の泥をそぎ落とし、一段ずつ登って行く。歩幅が段と合わない感覚がつきまとう。
 2階はフロントになる予定だったらしい。昇り切ったところで振り向く。壁面を囲むガラスは3枚が割られていた。その足元に月の光が広がっている。コンリートのフロアを横切る。窓際に立つと、ロッジの屋根の向こうに瀬戸内海の暗い海が見えた。対岸の高松や島々の明かりが闇にこぼれている。触れると冷たそうな月が斜め上に出ていた。
「ミワさん」
 トシキの声がした。わずかに目を向ける。横顔に月の光がかかっているはずだ。笑みがこぼれる。
「キョウコはあの日、ここへ連れて来られたんだね。そして、二度と帰って来なかった」
 床の上に男の子たちの姿が浮かぶ。どいつもこいつもビビりながら覆い被さってきた。この位置からなら、男の子たちの剝き出しのお尻が丸見えだったんだ、と思う。
「最後に一緒にいたのはミワさんだよね。なのにキョウコのゆくえについては何も言わなかった」
「知らなかったから」
 壁際で男の子がひとり、泣きじゃくっている。目を背ける。
「じゃあなぜ、ぼくがメールで〈キョウコを見つけた。今すぐ来てほしい〉としか言ってないのに、ここに来たの」
 暗がりに立った影がこちらを見ている。大きく息をついた。
「短大出てからの人間関係はみんな洗って、それでダメだったんでしょ。高校時代のキョウコに絡む場所で、車でも行けそうな場所はここくらいなものだったから」
「じゃあ、ぼくとふたりでキョウコを探し回っていたころ、一度もここに来なかったのはなぜ」
 お尻を出した男の子たちが揺れている。みんな口を閉ざしている。声で悟られないためというより、出せなかったのかもしれない。
「キョウコの高校時代の男関係について喋る気がしなかったから」
 影が揺れた。嗤ったのかもしれない。
「ミワさん、高校時代にキョウコのおかげで暴行されたんだよね。ここで」
 男の子たちが顔を見合わせる。ボウコウという言葉の意味が分からなかったのかもしれない。小声で、レイプだよ、と囁く。あちこちで深く頷く。
「そんなキョウコのことをわざわざ庇うのはヘンじゃないかな。どっちかっていうとむしろひどい目に遭わせたくなるんじゃないかな」
 中断していた動きが再開する。いままで気づかなかったけれど、裸のお尻の下に誰かが仰向けになっていた。
「ミワさんの部屋で酔わせて、ここへ連れて来て、殺した。そのあと、この周りの草叢のどこかへ埋めた。そうじゃないか?」
 男の子の背中に隠れて顔が見えない。目隠しと猿轡が見えないかと目を凝らす。
「せめて、キョウコはいまどこにいるか、教えてほしい。それ以上のことはいいから」
 お尻が離れた瞬間、顔が見えた。目隠しも猿轡もしていない。ウエーブのかかった髪が床に広がっている。
「アンタ、〈キョウコを見つけた〉って言ったよね。あれって噓なの?」
 よく見ると、髪の長さが少し短い。手足も心なしかほっそりしていた。なによりも、そのスカートには見覚えがあった。だって中学校の3年間、穿き続けたスカートだから。
「見つけたのと同じだろう。カマをかけたらミワさんは引っ掛かったし」
 壁際で泣きじゃくっていた男の子はいなくなっていた。床の上には、女の子がひとりだけ残されていた。顔は見えない。それでも、泣いていないことだけは分かる。
「勘違いしてるようだけど私、キョウコのこと嫌いじゃないよ」
 闇の中の影は動かない。
「脛毛の生えたコナンくんには悪いけどね。ついでに言えばここでお尻を振っていた男の子たちだって許せないってわけじゃない。馬鹿だなとは思うけどさ」
 脛毛の生えたコナンくんの言葉を待つ。月の光の射し込んだコンクリートはまばゆく光っている。私の脹脛のシルエットがくっきりと刻まれている。
「トシキ、アンタ死んでるよね。メールが来たときからそんな感じがしてた。私、アンタのアドレス、着信拒否にしてたから。不安に駆られて飛んで来ると思った? ちょっと詰めが甘かったね」
 足を踏み替える。甲革にべったりと泥がついていた。乾いてからそっとブラシで擦らなきゃ、と思う。
「死んだ人間なんて、上書き不能の記憶媒体みたいなもんだよ。すべてを見通せるなんて思わないね。実際、死んでもキョウコの居場所なんて分からなかったじゃない」
 床の上に手をついて、女の子が起き上がった。周りを見回す。誰もいない。立ち上がって、下着を整えてはだけられたブラウスをかきあわせ、スカートの埃を丹念に叩く。何度も。叩いているうちに、少しずつ嗚咽が漏れ始めた。
「あの日ね、キョウコを乗せて出かけてすぐ、コンビニに寄ったの。酔い覚ましの水を買おうと思ってさ。店から出てきたら、車のそばに誰か立っていた。シュウヘイだった」
 頬がこけて、髪は肩まで伸びていた。私の顔を見ると、両手を合わせた。
「車とキョウコを貸してくれって。どうしてもやらなきゃならないことがあるって。正直、馬鹿かと思った。しょうもないドラマとかで何年もかけて復讐するみたいなのがあるじゃん。いつまでも昔にこだわっていじいじしてる姿のどこがかっこいいわけ?」
 コナンくんは同じポーズのまま動かない。女の子は目許を擦り終えると、宙に向かって大きく息を吐いた。
「キョウコは友だちだからって言っても聞かない。押し問答しているうちに、シュウヘイがここまで何か言って来るのって初めてだって思った。酔いが醒めたキョウコに張り倒されれば少しは根性が入るかと思ってね。最後には車ごと貸しちゃった。もしものことがあれば車から足がつくし、そうなったら警察に全部話せばすむことだから」
 フロアのなかには何人がいるのだろう。女の子はゆっくりと階段に向かって歩き出す。遠い昔によく見た後ろ姿だった。
「そのまま、20分ほどかけて歩いてアパートへと戻った。駐車場にはキョウコの車が止めてあった。部屋に上がってざっと片づけをして、バスを使って、すぐに寝た。翌朝、窓から見ると、駐車場に私の車が止まってた。郵便受けにはキーが入ってた。ひと声かけてもよかったのに、と思ったけど、長引いたのかな、と思って。メールしてみたけれど、返事はない。二日酔いかもって、その日はそれで終わった」
 女の子の消えたフロアには、私と影だけが残された。割れた窓から風が吹き込んでいるはずなのに、空気は動かない。
「何日かして、キョウコがいなくなったって聞いた。予想はしていたけど、けっこうショックだったよ。さあ、ポリスメン、カモーンって思って、待ち構えていたのにいつまで経っても警察官は聞きに来ない。シュウヘイのパパが警察のお偉いさんだって、もっと早く気づいてもよかったんだけどね」
 影がすこしだけ身動きをした。薄っぺらな影絵みたいだ、と思った。
「私がいちばん嫌いなのは、シュウヘイやアンタみたいな男だよ。優しそうなふりして自分が傷つくことばっか気にして。うしろ向きで、自分に都合のいいとこだけで身勝手に意地を張って。キョウコを攫うくらいなら半殺し覚悟で暴れるべきときがあったろ。新しい彼女作ったくせに私と一緒にホイホイ出掛けて、肝腎なとこじゃ腹も括れない。それで今ごろコナンくん気取り? 調子に乗ってんじゃないよ! アンタが今さらキョウコに会ったって、相手にもされないよ」
 ぺらぺらの影は頼りなく揺れた。地元のショッピングモールが夏につるす飾りみたいだった。乱れた息が鎮まるのを待つ。
「想像だけどね、キョウコはたぶん埋められてないよ。土中に埋めるって証拠が残りやすいって昔、シュウヘイが言ってた」
 月の光に晒されていると、なんだか夏の昼下がりを思い出す。体育館裏で、汗を拭きながらポカリを飲む。隣には、キョウコがいる。
「シュウヘイさあ、パシリだったから最上階での見張りを引き受けてたんだよ。ポリとか別グループとか来たら知らせるようにって。でも暇だから、ときどき梯子を上ってハッチを開けて、屋上に出るんだって。夜空が直に見えて綺麗だって。私がここに連れて来られた日も、本当は屋上に登ろうって言ってたんだよね。だから、たぶん間違いないと思う」
 バスケットボールのドリブル音が聞こえた。ホイッスルが鳴る。休憩だ。ずれた防球カーテンを直しながらキョウコが走ってくる。
「行ってみれば? 相手にしてくれるかどうかは分からないけど」

 我に返る。月明かりのフロアには人影はなかった。ポーチからスマホを取り出して、着信履歴を見る。トシキからのメールはなかった。もと通りにしまって、両手を伸ばして背中を反らせる。麓の県道には車の姿はない。深夜も運航しているフェリーの汽笛が遠くに聞こえる。
「なーんてね」
 小声でひとりごちる。ガラスに映った私の顔はいつのまにか笑顔になっている。
 嬉しくないときだって、笑顔になることはあるんだ。キョウコならよく分かるよね。
 取りあえず、手を洗って、この訳の分からない恰好を何とかしなきゃ。
 ポーチを持ち直して、マグライトをつける。床に散らばったガラス片が、一斉に瞬いた。


※作品集への掲載にあたって、誤字等を一部修正しました。

『The Friendly Ghost』 碧

連作/第三夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.05 23:42
最終更新 : 2014.05.05 23:44
総文字数 : 2016字

獲得☆3.700
 タケルの一家が、この辺じゃ「お化け屋敷」なんて呼ばれたりもしてた、ずっと空き家だった古い洋館に引っ越してきたときのことをよく覚えている。アメリカ帰りなんだって大人たちが噂してそわそわしてたから。今思うと、興味半分、羨望半分って感じのテンションだったんだと思う。私は最初アメリカがどんな場所か知らなかったんだけど、タケルが全然流行の歌とかアニメのことを知らなかったから、どうもずいぶんと遠いところから来たらしいってことだけはわかった。
 タケルは日本のアニメは知らなかったけど、アメリカから持ち帰ったものを少し持ってた。日本ではまだ手に入りにくいディズニーのグッズとか、ローラースケートとか、アメリカで放送されてるアニメのビデオとかだ。タケルは小学校3年の4月の、丁度クラス替えのタイミングで転校してきたんだけど、どうもその海外帰りだっていう立場の微妙さがあったのか、友達作りの波に出遅れて、いつも独りぼっちだった。だから、私は気を使って毎日遊んであげてた。
 今思うとその子供向け映画は別に彼のお気に入りでもなかったのかもしれないけど、一度興味本位で「見せて」と言って見せてもらってから、私はすっかり好きになってしまったのだった。
 筋書きはこうだ。
 幽霊屋敷と呼ばれているある空き家がある。そこに、大金が眠っているという噂を聞きつけてやってきた強欲な男女と、幽霊研究家の親子がやってくる。屋敷にはいたずらっ子の幽霊が3人と、心優しい幽霊が1人いて、いたずらっ子3人はその招かれざる客を4人とも追い出そうとするのだけれども、心優しい幽霊は研究家の娘が好きになってしまって、色々とトラブルはあるけれど、最終的にオトモダチになる。ラストのシーンで、一時的に心優しい幽霊が人間の姿を借りて、ホームパーティーで女の子と一緒に踊るのだ。そのシーンが、ロマンティックで大好きだったのだ。
 アメリカのビデオだから字幕がついていなくて、大まかなストーリーはタケルに解説してもらって理解した。
「ねえねえ、あの映画みたい、つけてよ」
 高校から帰ってきたばかりのタケルにそう言うと、あからさまにうんざりとした顔をされた。
「またかよ、お前ほんと飽きないな」
「だってあれ好きなんだもん。最近はやってるちゃらい日本のドラマより面白いもん」
「どうだか」
 そう言いながらビデオだけ再生してくれたけど、タケルは私と一緒に見てはくれなかった。イヤホンをして別の音楽を聴きながら、宿題をしている。帰ってきてすぐ宿題なんて、なんて優等生!
 邪魔をしないように静かに映画を見た。
 幽霊研究家の娘は、幽霊屋敷に引っ越してきたから転校生だ。友達がなかなかできなくて、ホームパーティーでも独りぼっち。そこに、颯爽と人間になった幽霊くんが現れて、会場の視線をかっさらう。幽霊くんは後姿しか映らないのだけど、周りの反応から、彼が恐らくハンサムでびっくりされているのだというのがわかるのだ。
「ねえ、このシーン、いいよね、私、大好き。どうしてタケルはこの映画そんなに好きじゃないの」
 宿題と明日の予習が一段落ついたらしいタケルに、私は聞いた。タケルはヘッドフォンを外してこちらに向き直ると、何も言わずにじっと見つめてくる。むくんだにきび面に、眉間に皺、垢抜けない感じの制服の着こなし。友達が相変わらずいないのは知ってる。彼女なんて夢のまた夢だろう。映画の女の子を演じてた子役の娘は可愛かったけど、それ以外の点で、タケルと彼女の立場はよく似ている。
「見てて嫌にならない?」
 真面目な顔で、タケルは聞いてきた。意味がわからなくて、私は首を傾げる。タケルは少し考えるそぶりを見せた後、言った。
「キャットはいつか大きくなって大人になるけど、キャスパーはずっと子供の幽霊のままなんだよ」
「それが?」
「俺たちみたいじゃん」
 私は黙って、しばらくタケルが言った言葉の意味を考えてみた。
「タケルがキャットで、私がキャスパーなの?」
 タケルが頷いた。
「でも私、仮に人間の姿になる力を手に入れても、合コンでぼっちになってるタケルを助けにはいかないよ?」
「それは別に良いんだけど……」
 タケルは、小さくため息をついた。
「いつか別れなきゃいけないと思ったら、一緒にいるのが辛くならないか?」
 私は困った顔で首を振った。この土地に住んでどれだけの時間が経ったのだろう。幾千の出会いと別れがあったし、それは私の宿命なので、特に悲しいとか辛いとか思ったことはなかった。タケルの気持ちがよくわからなかった。でも、私と一緒にいるのは気分がよくないことなのだろうか。
「ごめん、なんかよくわかんないけど、私、タケルの目の前にもう現れないほうがいいのかな?」
「それは――……」
 哀しげに目を伏せたタケルを見て、そうか、そうなのかって思った。
「ごめんね、私、人間の気持ち、わかんないからさ。もう、タケルの前には姿見せないね」
 それだけ言うと、私はふっとその場を後にした。


第四夜エントリー 『The Not-Friendly City』 に続く

『The Not-Friendly City』 碧

連作/第四夜エントリー
投稿時刻 : 2014.05.06 23:22
最終更新 : 2014.05.06 23:43
総文字数 : 2102字

獲得☆4.000


《碧一色賞》
第三夜エントリー 『The Friendly Ghost』 続編
The Not-Friendly City



 御堂筋線とかいう地下鉄に乗りたかったのだが、御堂筋と書いてある看板に従って高架下を歩いていたら何故かJRの切符売り場にたどり着いた。JR大阪駅の御堂筋口というところだった。まったくもって梅田駅という場所は恐ろしい。やはり僕は都会というのには向いていないのだ。
 身近にあるのはいつだって辛気臭い田舎の光景だった。垢抜けない町並み、噂好きの近所のおばさんたち、圧倒的物資とイベントの不足。アメリカに住んでたときだって、郊外に住んでいて流行のおもちゃが手に入らなくて不満ばかりだったけど、8歳で日本に帰国した後も、首都圏から遠くはなれた場所に住んでいたから、セーラームーンの放送は2クール遅れだったし、仮面ライダーにいたってはTVで見ることが不可能だった。僕は田舎が嫌いだ。両親がそうではないものだから余計に不満だった。赤毛のアンの実写映画とか、あんなのの何に情緒を感じればいいというのだ。ただ田舎で田舎っぽい娘がはしゃいでるだけの映画だ。両親はあの手合いの、田舎が舞台の辛気臭いビデオを小さい頃からよく僕に買い与えた。その中に、キャスパーという子供向けの映画も含まれていた。
 道に迷いながらもう2時間はあてもなく歩いている。こういう時ってなんて言うんだっけ、足が……スティックみたいになる……、ええと、ああ、そうだ、足が棒だ。帰国してから10年も経つというのに、未だに僕は時々日本語の単語がするっと出てこなくて英単語を口にしてしまうことがある。そういうのが昔から同級生に嫌がられている自覚はあったのだが、どうしようもなかった。別に英語ができることを鼻にかけてるわけではなかったのに、どうして悪意を持って解釈されてしまうのだろう。笑い飛ばしてくれたのは、あの子だけだった。
 見える、のは、小さい頃からの悩みだった。害を加えるやつばかりではないけど、誰にでも見えるものじゃないのが見えるのは、やっぱり薄気味悪かったから。そんな僕のコンプレックスを払拭してくれたのもあの子だった。8歳の、帰国したばかりの頃、出会った、あの子。学校で友達ができず、めそめそしてた僕を、気遣ってくれた。毎日僕の部屋に来て、遊んでくれた。そんなあの子は、僕がアメリカから持ってきたものに色々興味を示していたけど、中でもキャスパーの映画が何故かずっとお気に入りだった。
 見たことのない読者諸氏のために簡単にあらすじを説明しよう。幽霊屋敷と呼ばれているある空き家がある。そこに、大金が眠っているという噂を聞きつけてやってきた強欲な男女と、幽霊研究家の親子がやってくる。屋敷にはいたずらっ子の幽霊が3人と、心優しい幽霊・キャスパーが憑いていて、いたずらっ子3人はその招かれざる客を4人とも追い出そうとするのだけれども、キャスパーはキャットという名前の研究科の娘が好きになってしまって、色々とトラブルはあるけれど、最終的にオトモダチになる。娘は学校に友達がいなくて、ホームパーティーでぼっちになるのだが、そこへ、一時的に人間の姿になれたキャスパーがエスコートしに登場するのだ。
 三浦、と名乗った子猫の幽霊は、この映画が何故か大好きで、何度も何度も僕にこのビデオを再生しろ、と要求した。高校生の頃、僕は思わず言ってしまった。「確かに映画の中では二人は仲良くなってハッピーエンドだけどさ。幽霊は死なないし歳を取らないけど、人間はいつか大人になるし家を出て行くし死んじゃうから、別れなきゃいけないんだぜ。哀しいだろ。俺とお前の関係だってそうだ――」って。それは確かに本音だったのだけど、別に、三浦を傷つけるつもりじゃなかった。
 三浦は困ったような顔をして、言った。「私が一緒にいたら、タケルは哀しいの? 私は、タケルと一緒にいないほうがいい?」
 御堂筋線を探すより、誰かと触れ合うことの方がずっと難しくて苦しい。高校生の時の自分は、どうしてもっと、自分の気持ちをちゃんと伝えられなかったんだろう。
 三浦がいてくれたから、学校で一人でも寂しくなかった。自分は決して孤独じゃないんだって思えてた。でもそれじゃあ、ダメなんだっていう風にも、思っていた。三浦だけじゃなくて、ちゃんとした現実の人間の友達も作らなきゃ、これから先、僕は生きてはいけないんじゃないかって、ちょっと焦ってただけだったんだ。もしかしたら、そんな弱音を口にしていたら、三浦はまた、僕に勇気をくれて、背中を押してくれたかもしれない。でも、現実はそうはならなかった。僕の言葉足らずのせいで、三浦は、僕の前から姿を消してしまった。あれから2年、ずっと三浦の姿を見ていない。
 御堂筋線だって、これから泊まりたいホテルの場所だって、明日下見に行きたい大学の場所だって、多分、勇気を出してその辺を歩いているヒトに聞けば、きっと親切に場所を教えてくれる。でも、一度傷つけて自分の前から姿を消してしまった子猫の幽霊とのよりの戻し方なんて、誰に聞いたって教えてはくれないだろう。僕は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
 未練がましく未来を見られない未熟な男のため息が人ごみの中に吐き出され都会の空気と混じり消えていった。


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